tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

魔術 14.

【魔術】

 

 

 ■ まじない・日本の「くじ」について

 

 「くじ」は約2000年もの昔、ローマ時代からあったとされています。聖書の中においても、神が「くじ」によって人々に選択させていた箇所がよくあります。

本来、「くじ」の意味は、正負や順序が割り当てられる対象について、その割当情報をあらかじめ与えずに公平に選択させることで行われる行為です。つまり、正当に選択できる方法なので、魔術に関するような「呪い」の意味などは全くありません。

 

 しかし、この「くじ」は、世界的にも時代を経ていつの間にか「呪い・まじない」の意味へと利用されるようになっていきました。勿論、元来の意味での「くじ」を使う場合も現在でもあり、そういう場合は大丈夫です。

(※※ここで、「まじない」の言葉の意味を調べると、漢字の「呪」も入っている通り、神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気を治したり、また除いたりする術。となっており、「魔術」の意味と何ら変わりませんでした。)

 

 では、問題な「くじ」の魔術的なものは、どんなものなのか、それが日本においては何時からなのかを調べてみました。

 

 日本での「くじ」は、言葉から言えば、10世紀頃からみられるようになり、古くには「孔子」と表記されています。日本では、古代から人間同士で決められないことに関しては、神様の意志を聞く神聖な行為として、「くじ」を行っており、国の政治(まつりごと)に関する重要な決定や、重い地位にある者の後継者を選ぶ時などに「くじ引き」をすることがあったようです。

 

 そして、その最も顕著な起源とされているのが、平安時代の僧侶良源(りょうげん)が始めたとされる「おみくじ」です。

良源は、一般的には元大三師(がんざいたいし)という名前で知られていた天台宗の僧侶でした。

良源(延喜12年9月3日~永観3年1月3日)、諡号(しごう)は、慈恵大師(じえだいし)といい、一般的には元三大師の名前で知られています。

そして、良源は、第18代・天台座主天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖としても知られています。

その他に、彼の名称は数多くあり、角大師・豆大師・「おみくじ」の創始者であるところから、厄除け大師とも呼ばれています。

因みに、これらの名前はいづれも「厄除けの護符」として広い信仰を集めているのだといいます。

以下に名前の意味を挙げます。

 

●「角大師」

 角大師と呼ばれる図像には、2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた「夜叉の像」をあらわしたものと、眉毛が角のように伸びたものの2つのタイプがあります。

『元三大師縁起』などの伝説によると、良源が夜叉の姿に化けて疫病神を追い払った時の像であるという。

 

●「豆大師」

 紙に33体の豆粒のような大師像をあらわした絵である。

慈恵大師(良源)は、実は観音の化身と言われており、観音はあらゆる衆生を救うために33体の姿に化身するのだという。『法華経』の説に基づいて33体の大師像をあらわした。

 

 

●「おみくじ」

 比叡山の元三大師堂は、「おみくじ」の発祥の地として知られている。

元三大師が観音菩薩より授かったとされる、五言四句の偈文(げもん)100枚のうち1枚を引かせ、偈文から進むべき道を訓えたのが原型とされる。

 

・偈(サンスクリット語:gatha)とは、仏典の中で、仏の教えや菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。「偈陀げだ」「伽陀かだ」とも音写し、意訳して「偈頌げじゅ」という。対して韻文部分を「長行」という。

 

 

 という説明になっています。

ここで、仏教を信じておられる方は、以下を多分読まれても信じないと思いますが…。

 

観音菩薩」の由来について、岩本裕氏(日本の仏教学者・古代インド文学者)

によると、観音菩薩は、インド土着の女神が、仏教界に取り入れられた可能性を示唆しており、エローラ石窟群、サールナートなど、インド仏教遺跡においても、観音菩薩像と思わしき仏像が発掘されているそうです。

そして、この観音菩薩は、ゾロアスター教においてもアフラ・マズダ―や、スプンタ・アールマティとの関連も指摘されていると言います。

 

 

 これはどういう事を私が言いたいのかと言えば、聖書的見解からすれば、仏教界も偶像崇拝になりますし、女神信仰も悪魔崇拝になりますし、ゾロアスターなんぞは昔から「悪魔教」として知られております。

それに、インドの神々、特に「ヒンドゥー教」など、これこそ悪魔教のメッカですし、これらの神々が中国へ渡り、そして日本へ渡ってきている流れとしても元来良い宗教とは言えません。

(※※信じている人には悪いですが、仏陀もその仲間ですし、エリート連中はゾロアスター教に属している人が多数いますし、ヒンドゥー教を含め、やはり仏陀も大好きなようです。悪魔教の神智学の創始者である、ヘレナ・ブラバッキー夫人もインドにその本部を置き、ヒンドゥー教や仏教を自身の宗教に取り入れていました。彼女はフリーメイソンとも仲良しですし、あのアリエスター・クロウリーも信奉者です。そして彼女は後に、スピリチュアル系の祖とも言われた人物なのです。)

 

 また、中国の3大宗教、道教儒教・仏教の中で道教は、不老不死を究極の理想とする宗教で、あの「老子」をその祖としていますが、神仙思想や、風水や星宿、易学など、占術・魔術を取り入れており、古代・神話を仏教に取り込みながら発展してきたとしています。

 

そして、道教」には良源につながる護符、『おふだ』が古くから用いられており、その符には、何らかの霊的な能力が宿ると信じられてきたようです。

そして、天災・人災を防ぐほか、邪悪・病魔を退散させる呪術の一種として普及しました。 《 酔虎地秦簡(すいこちしんかん)など。》

 

 符は、道士によって書写され、紙や布の上に篆書・隷書の文字が書かれたり、文字ではない屈曲した図柄や星・雷の図形などが書かれたりしました。

道教経典によれば、太上老君が東方に発する気の形状や、蛇のようにうねる山岳や川の様子を天空から見て描写したとされます。こうして描かれた府は、宇宙の生成化育・変化流転を表し、神秘の力と共鳴して不思議な力を発揮するとされました。

 

 他にも「道教」には養成術などがあり、戦国時代から存在し、『荘子』において呼吸術や導引の術(身体の屈伸運動)に対する言及が見られます。

他に胎息・医薬・鍼灸・府中術などがあります。

 

 中でも、府中術はインドの『カーマストーラ』を思わせるようなものです。

ウイキペディア説明では、府中術について、性交は、自己と自己以外の「気」の結合で、宇宙と身体の相関システムの調和のために必要なものであると考えられていた

とあります。そしてこれは、集団的乱交、婚姻による夫との関係、人間と神との想像上の結合といった様々な形式で現れるが、性実践は道教の核心部に位置するものであり、性の力は生命の表現であり、男性には創世、女性には変化という役割が与えられて、その気の運動によ「一気」を得て、道に近づくことができるとされていました。

 

 また、府中術に関する記載の中で、『天師道』なるものでは性生活を宗教生活の一部に取り入れ、「過度」や「合気」といった性の儀式が行われていました。

この「過度」は、通過儀礼の意とする説と、救済の意とする説があります。

この儀式には10歳以上の一組の男女の弟子が参加し、地域の祭酒(師)の教会において以下のような手順で行われたといいます。

 

 ①師と男女は静室に入り、師は彼等を東に向かい合わせる。男は左に、女は右にいて、互いに手を交差し、存思して神を思い浮かべる。

 

 ②師は男女の為に告神して救済を請い、弟子たちは合掌して念呪し、死籍から取り除くように唱えた後、師に従って四方の神々に乞い、三気・10神を存思し、60神に祝告し、太陽、月などの5神を存思する。

 

 ③「合気」に入る。八生(男女が定められた方位に立って、龍虎戯・転関・龍虎交といった性行為を始める)、解結食(衣服を脱ぎ、髪を結び、生気を食す)、甲乙呪法(性行為を行いながら男女が定められた呪文を唱える)、王気(四時五方と対応する五臓の気のなかで、四時それぞれ王となる気を存思する)といった手続きがある。

 

 ④神々に功得を報告する。嬰児回(嬰児が戯れるのを模倣する)、断死(男女が相手を見つめながら全身を撫で、呪文を唱える)、謝生(十二尊に向かって生を賜ったことを感謝する)といった儀式がある。

 

 これらの儀式は合同で行われることもあり、遊女通いをする道士も多く、道観が身分の低い女性や遊女の受け入れ先となる場合もあったとされています。これらは、一方では批判を浴びつつも、発展をつづけ、後には春画の制作や、性交渉時の体位における工夫、薬の使用、性文学などに繋がりました。

 

 

 この他にも、道教には色々な教えがあるようですが、ここまで見られて、これらが果たして良い神を奉る宗教だと思われるでしょうか?

 

 はい、ということで「まじない」に関して日本の「くじ」を取り上げて説明させていただきました。その土地や風習などによって様々な言い伝えによる「まじない」が存在しておりますが、どれもその言葉の意味といい、起源は良くないものが殆どでしょう。

  

 しかし、信じない人はどうぞ、やってくださいませ。

 

 

 …前回に紹介というか、「マッド・フラッド」のことを話しましたが、あれからまた少し他の方々の動画などを観させてもらいました。

これが、もし聖書預言の中に入っているとするならどうなのだろうか…と。

 

 現在ロシアがウクライナに侵攻している最中、巷で言われているのが、聖書預言の黙示録17:7の成就、『エゼキエル戦争』の事ではないかと噂されています。

この預言は「第3次世界大戦」の意味しているんだと。

しかし、私の見解ではそうは思えないのです。

確かに状況的には、そのように黙示録預言のような恰好といいますか、見えますが、きっと違うと思っています。プーチンを見ていても、そう思えますし、ウクライナの首相を見ていても思います。彼等は決められたシナリオ通りを演じているんだと。

とてもわざとらしく見えて仕方ありません。

 

 これは黙示録預言の成就、つまり『エゼキエル戦争』預言成就のなりすまし劇だと思っています。

 

 世界中のメディアや、有名なユーチューバー達が、さも叫んでいます。

「これはきっと、黙示録預言の成就だ!エゼキエル戦争に違いない!!」

と。多分、この先もっとそうなるんではないかと思います。

 

 前々から言っておりますし、世の支配者連中達自身が述べてもいますが、「我々は聖書の通りに駒を進めている」と。彼等は自称ユダヤ人ですしね。

それに彼等自身も彼等の手下などが、随分前から「第3次世界大戦」を匂わせる言動をしてきています。

だから、これが聖書預言通りになっても間違いないわけです。

 

 彼等の目的は、自分達の神が偽のイエス・キリストとなって世に現れることですから、そのために、自作自演の正義と悪の両方をやってきているのです。

歴史を改ざんするのもそうですし、この世で起きる大きな出来事で彼等の手が加えられていないものはないわけですから。

 

 それで、私的に「マッド・フラッド」情報を知ってから、よく「黙示録」を読み直しています。

この約200年前に起きた「マッド・フラッド」現象は、彼等支配層の仕組んだ大一番だったのかどうか、それとも予想外に起きた大いなる神の御業だったのかどうか…。

 

 なので、まだ【魔術】シリーズを続けるつもりでしたが、いつかまたにして、先に「黙示録」について考察していこうかと思っています。