tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

呼びかける 1.

〖呼びかける〗

 

 

 

  私的な現時点での考察

 

 黙示録について書くことにしたのですが、『マッド・フラッド』の件を色々調べたりしているうちに、複雑すぎて正直自信はないのですが、皆さんが調べて言っている通り、タルタリア帝国は現支配者層によって滅ぼされ、その存在を歴史からもみ消されているという話しは当たっているのではないかと同意できます。

(まだ半々な部分もあります。)

 しかし、もしそれが事実だとして、なぜそこまでする必要があったのかについての答えは出ていないようです。

タルタリアがまだ世界的に認知されていた時代において、彼らのとてつもない建築技術と科学技術、フリーエネルギーをどうして隠蔽する必要があったのでしょうか?

戦争で自分達が勝利したのなら、その技術力をそのまま継承していけば良かったのではないでしょうか?それに、そのほうが自分達にとっても便利であり、よりタルタリア時代よりも豊かな王国を造ってゆけたはずではないでしょうか?

 

 また、このマッド・フラッド現象が、現支配者層の核攻撃ではなく、自然現象が原因、火山の大噴火説や、気象異常による嵐や大雨、もしくは大地震であったとしても、

タルタリア帝国の存在をすっかり覆い隠す必要性はなかったのではないでしょうか?

 

 なら、それらをなぜ消す必要があったかを考察する必要があります。

 

 YouTube「パコーン未来」さんの動画がたくさんタルタリアについての歴史的な見解や調査をたくさん挙げられていたので、それらを何回も視聴させてもらったり、他の方の動画や文章も参考に考察してみました。

 

 

 以下YouTube「パコーン未来」さん動画抜粋引用させてもらいます。

 

ータルタリア帝国になる前の前段階において、その元となる民族について、その歴史的な文献などによれば、旧タルタリアはスキタイ「ゴグ・マゴグ」の地だったということになっているようです。その時代の地図も存在しています。

「ゴグ・マゴグ」はノアの子のャぺテの子孫になります。

 

 このスキタイの国名は、最初の統治者・スキトスからスキタイになったといいます。

(※エジプト人スキタイ人について、よくどちらが古い民族であるかという論争においてはスキタイ人の方が古い民族であると認識されているようです。)

 

これは、このタルタリアが後にチンギス・ハンに統一される以前の話なのです。

このスキタイ人について、スキタイ人は勇猛で、人口も多く、スキタイには何でもあり、非常に豊かでお金持ちの国だったようです。

 

ーやがて、タルタリアはモンゴルの国から北の海に注ぐ、大部分を洗うタルタル川からそう呼ばれ、地球上の大部分を覆うようになりました。

〔これは1670年代発行のモンタヌスによって書かれた『アメリカ新世界の正確な記述』にも記載されています。〕

 

✽この合間合間の歴史的な背景は複雑なので、省きます。

 

 しかし、このタルタリアの領地にある様々な国々の中で、このスキタイに関する情報と、聖書関連における失われたユダヤの10支族について、旧約聖書の「エズラ記」(?)に書かれたとされるアルサフArsaph(世界の果ての意味)へ行ったとされる場所、つまりその地がベーリング海峡近くの北東のグランド・タルタリアにあったというのです。(※1595年アブラハム・オルテリウスの歴史的な地図にARSARETHアルサスという地名が載っており、そのアルサスが、Arsaphアルサフの同地であった。)

 

 アルサレスは、イラン版の旧約聖書ではArsaphと書かれていて、同一であることが分っています。つまり、タータリア人は失われたイスラエルの10支族の末裔であるということを言っているのです。

 

 

ーまた、他にも失われた10支族について、

オックスフォード『聖書文学の図書館』にある資料で、「1228年頃、ジンギス・カンの指揮のもと、地球を覆い尽くしたタルタリーは10支族の後継者だった。」とか、「イスラエル人が、シャルマネセル5世よりアジアに捕虜として連れていかれ、北タルタリーの人々は今日までダン、ザブロン、ナフタリという名を残しており、タルタリーに近ければ近い程ユダヤ人は多くなり、ロシア、サルマティア、リーフランドで多くのユダヤ人がなぜいるのかに驚く必要がない。」とか、

シメオン、エフライム、マナセの各部族はカスピ海チョーザル・タルタリー人の国に定住し、マケと呼ばれる地域の都市に居住するようになった。

そして、この新しい土地で、問題の3部族は恐ろしく狂暴なタルタリー遊牧民となり、その馬の数と優秀さで有名になり、通常の戦争ではなく、略奪戦争の腕前で恐れられるようになった。

しかし一方、ヨセフの大部族はその両方の支族においてこの地域に定着したとされたが、イッサカルの部族は北東方向に放浪し、メデスやペルシャの帝国の境界を越えた、あるいは支配下にあるとされるトコスマ地域の山々に住み着いたとされている。

そしてこの丘陵地帯でイッサカルはエフライムやマナセと同様にタルタリーの大群に成長した。だが、それは略奪のためではなく、彼等は平和な牧歌的な民となり、モーセの律法に精通し、平和な牧畜民となった。」

とかあります。

 

 この他にも17~19世紀の歴史に関する本の中で同じような記述があるといいます。他にも、「パコーン未来」さんの動画の中で、このタルタリア帝国の宗教がアルメニア王の要請を受けてキリスト教国になったという話が出てきます。

 

 紀元前720年に失われた10支族がいた場所、これが中世の地図、1636年・クリスチャノグラフィー(キリスト教に関する地図)では、「多くのキリスト教がいるのは、そのテンダック地域だけだ」と書かれています。

そのテンダックから離れるとクリスチャンが少なくなり、まるでこのテンダックから西と南にキリスト教が広がっっていったかのようであり、また、1620年のホンディウスの地図では、「テンダック1290年にキリスト教徒が支配していた国」と書かれていて、多くのキリスト教徒が居住する地域にはモーグル人がいたようです。

 

 また、1570年のオルテリウスの地図には、アルサレスの地に書かれた文では、「アルサレス、この地で10部族は引き返し、タルタリーまたはタルタリー地域からスキタイに移り、それ以来ゴート族、またはゴーデン族と呼ばれ、神々の最高の栄光を確認し、そしてここには素晴らしいカタイ国があります。」と書かれています。

この時点では、10支族はこれ以上進んでおらず、スキタイの地に戻りながら大きく広がって行ったようです。

 

 また、その下にあるアルゴンという都市の説明文には、「かつてアジアにキリスト教の王国があり、プレスタ―・ジョンD・トーマスがこの地に都市を設立したため、ローマの教会と接触し、アフリカのプレスタ―・ジョンを通じて、ローマに服従していました。ゴート族に敗れる以前は、クリヴェ・ロモヴェと呼ばれていました。」と書かれていたようです。

 

 これらの事は、マルコ・ポーロの東方見聞録の中でも出てきており、

「テンダックは、プレスタ―・ジョンの領土に属している東の州であり、そこには数多くの都市や城があります。初代皇帝チンギスがこの国を支配して以来、この一族の王子は全て従属したままです。都市の名前も同様にテンダックと呼ばれています。現在統―している王は、プレスタ―・ジョンであり、ジョージと名乗っています。彼はキリスト教徒であると同時に司祭でもあります。住民の大部分もキリスト教徒です。」

と書かれています。

 

 

ーこれらを、まとめると、元々はプレスタ―・ジョンが支配していたアルゴンはキリスト教徒の国で、その後タータリアによって滅ぼされることになりますが、タータリア自体もアルメニア王の嘆願を受けて、皇帝兼領主であるチンギス・ハンは、キリスト教の洗礼を受けることになったのです。そして国民も自由意志ではあるが多くがキリスト教を受け入れました。

また、アルメニア王の要望を更に受けて、領土の拡大と、エルサレムキリスト教徒に戻すことをはじめたとあります。

 

 

 

 …ということで、ここまで「パコーン未来」さんの動画から抜粋引用させていただきました。

 

 歴史的背景がよく呑み込めない部分があるんですが、注目するべき内容が多く含まれている動画ですし、私的には今のところ「アバンギャルド」さんの訳画動画の次に勉強になっております。

なぜ、これを紹介したかというと、「マッド・フラッド」を知ってから、タルタリアもそうですが、私的にはやはり血筋だと思ったわけです。

 

これは、今も昔も支配者達がこだわっていることであり、聖書研究者としても重要なことなので、自分なりに考察しているわけですが、

正直、先史時代(巨人誕生からノアの大洪水まで)においても、その後の時代においても、その血統の純潔は難しく、混血してきているので考察もむずいわけです。

 

しかし、支配層の考えは聖書の神、つまり創造主の言う通りシンプルに考えると思われますので、やはりユダヤの正式な血統の民族にこだわりがあるはずだと考えるわけです。

 

 旧約聖書を読み進めると、神御自身が聖別された民であるユダヤ人には強いこだわりがあり、父である御自身を民が裏切り、他の神々に傾倒して離れても、罰して懲らしめたとしても、最後には再び御許に集められることを宣言されています。

ですから、このユダヤ人という血統は特別な血統であり、それゆえ、悪魔崇拝である彼等偽ユダヤ人も躍起となるわけです。

(奴等がわざわざ、自らをユダヤ人だと偽るのも、悪魔崇拝をしているキリスト教会をつくるのも、そのためです。)

 

 なので、この200年前のリセットをしたのが、現在の支配層である、民族的に云えばアシュケナージユダヤ人である彼等であるなら、また、彼等が、特にロスチャイルドなどは「自分達はハム系の二ムロデの子孫である。」と公に公言したりしてるのも頷けます。また、彼等がイルミやフリーメイソンの儀式の中でエジプト儀式やら、様々な異教徒の神々の儀式や様式を取り入れていることなども。

 

 

 私的な最初の疑問、なぜ彼等はタルタリアを抹殺しなければならなかったかを、答えるとするなら、一つは正統ユダヤ人の10支族の抹殺が目的であったのではないかと思われます。でも、これはまだ可能性であって、確証がありません。

なぜなら、タルタリアがキリスト教国になっていたとしても、そのキリスト教の中身はカトリックであり、本拠地はローマ教会だからです。

 

 つまり、皇帝のチンギスが、アルメリア王に従ってキリスト教に改宗したとしても、主イエスキリストではなく、太陽崇拝の偽キリスト教だからです。

 

 それに、失われた10支族のうちそのほとんどは恐らくユダヤの神に反した行動をし続けたようですし…。

ただ、イッサカル部族だけはモーセの律法を守り平和に暮らしたとあったので、その一族だけは抹殺することの理由になったはずです。

 

 ですが、いずれにせよユダヤの純血統の抹殺目的1つだけでは、広大な、しかも当時世界一の領地を誇る帝国を丸ごと抹殺しようなんていう理由にはならないはずです。

でも、だからと言って、ただ単に世界の支配権を争う戦争だったとは思えない節があります。それは、核戦争で一気に相手を倒し、形を付けたにしては無計画さが見え隠れしてはいないでしょうか?

 

 支配層はマッド・フラッド以前、今まで自分達も巨人達と仲良く暮らしてきた高水準の文明社会の中で、タルタリー人の巨人のみならず、タルタリー人以外の自分達と共に暮らしていたであろう巨人達まで抹殺しています。これも不自然な抹殺です。

そして、当時を経験したであろう生き残りの民衆の大人達をも多く、恐らく抹殺し、子供達ばかりの世界にわざとしました。ここまでする理由がよく理解できません。

しかも今まで自分達も有難く享受してきたであろう、科学技術、フリーエネルギーさえ消し去ったことも謎の一つです。

勿論、確かにリセット後、その技術は自分達が独占し、リフレインさせてはいますが…

彼等にとっては、別の目的に利用しているに過ぎないと思われます。

 

 これらの疑問の答えを、まだ動画を出している方々やSNSで論じている方々も出ていないようです。

唯一、最初にEden Mediaさんが訳動画を出されたJeanetteさんの「Whaon earth happend」「LHFE series-Re-upload from other YT-er」などの本当の著作者さんは分からないのですが、#ewaranonでも彼の著作動画がたくさん挙がっています。恐らく当局に消されるから既に多くの方達が拡散のために動画をコピーしたのを挙げているようです。この方はその答えを出していたようです。日本語に訳されたものが出ていないので残念ですが…。

 

 なので、これらの複数の謎が露わになるほどに、彼等支配層の200年前のリセットは十分に計画された事ではなく、私的には随分慌ててリセットされたのではないかと思えるわけです。

 

 それに、これもYouTubeのタルタリア動画を出している「Mチャンネル不思議考察」さんの中で「西暦の謎を考察!2回目」を見てびっくり!

なんと支配層は西暦を1000年も付け足していたことが判明しました。

 

 それは200年前以上のコインや建造物設立年月日の年号が1000年違っているのです。その千の位の部分がアルファベットの<I>の文字や<J>の頭文字になっており、コインでは i645年とか、i759年とか、J693年など、それぞれに刻まれており、決して数字の1は出てこないのです。

 

 つまり、我々は支配者層によって1000年も詐欺られた年号をこれまで使わされていたことになるのです!

 

◆補足文

(※※因みに西暦の呼び方を525年に発案したのは、エスズ会のディオニシウス・エクシグウス(470-544年)で、紀元前の年数の数え方のやり方を決めたのもイエズス会のディオニュシウス・ペタヴィウス(1583-1652年)です。名前が被るのも意味深です。

 特に、エクシグウスの方は非常に優秀な神学者であり、ローマ教皇庁の教養が高い一員として、401の教会の正典をギリシャ語からラテン語に翻訳していました。これらの翻訳集は西洋において大きな権威をもち、教会の管理を導き、また、彼は初等数学に関する論文も書いたとされています。また、彼の出自は、小スキタイ地方出身者であり、スキタイの主要都市に集中している、スキタイの修道僧共同体の一員でもありました。)

 

と、いうことは現在は本当の年号は2022年ではなく、西暦1022年が正しいということになるのです。

 

 

 これはさすがに、驚きましたが、月に行ってもいないのに、行ったとか、

地球はフラットで、太陽が地球の上で回っているのにその反対説を定説に変えたとか、この200年前以前には、というより

もう全部が全部、奴等のやっていることは嘘、嘘、嘘です。これが本当のこと!

 

 

 それに、これは後でも述べますが、

キリストの本当の誕生も紀元1年ではなく、

正確な誕生日は紀元前3年9月11日だそうです。

 

 これを知った時は3年も誤魔化したと思っていましたが、いやいや、

もうここで既に1000年も付け足されていたことが判明したので…。

つまりキリストが亡くなられて、実は1025年だったということになりました。

しかし、これは人類にとってはある意味グッドニュースではないでしょうか?

これを知るとキリストが、以前よりなんだかずっと近くに感じられるのではないかと……。

 

 

 

 

 長くなりましたので、次回に続きを書きます。