tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

呼びかける 6.

〖呼びかける〗

 

 

 また、元に戻ってしまいますが、

タルタリア陰謀論を検索すると、アナトリ―・ティモフィービッチ・フォメンコ(1945年ソ連スターリノ生まれ)と、ニコライ・レヴァショフ(1961-2012年没)の名前が上がります。彼等は共にロシア人で、ロシアの陰謀論者です。

 

 彼等の経歴など、色々と調べてみると、特にフォメンコの方は、数学者であり、モスクワ大学の教授であり、トポロジー学者として有名であり、ロシア・アカデミーの科学会員となっていました。

 

 そして、彼が唱えた『新年代学』は、同じロシア系ソビエト連邦の作学者のニコライ・アレクサンドロヴィッチ・モロゾフ(1854-1946年)の作品に影響されています。

 

(世界中の科学アカデミーに所属している有名人物は、ほぼほぼ「イルミナティ」の仲間であることが多い。ニコライもフリーメイソンです。)

 

 つまり、フォメンコは、新年代=新年表を唱えた、歴史修正主義者でした。

彼は、

「多くの歴史的出来事が、それら発生したはずの日付と数学的に対応していないことを発見した。全ての古代史、(ギリシャ、ローマ、エジプトの歴史を含む)は、中世に起こった出来事の反映にすぎず、中国とアラブの歴史は全て17-18世紀のイエズス会の捏造である。

ローマ・ギリシャ、エジプトの古代文明に一般的に起因する古代の出来事は、1000年以上後の中世に実際に発生した。西暦1600年以前の世界史は、バチカン神聖ローマ帝国、ロシアのロマノフ家を含む多くの異なる陰謀家の利益に合わせて広く改ざんされ、全ての「真実」を曖昧にするために働いている。」

 

 と言い、また、別の言い方としては、

「すべての古代史は中世に折りたたまれているため、新しい年表には、標準的な歴史的タイムラインよりも根本的に短い別の年表である再構成も含まれている。

人類の歴史は、西暦800-1000年の間の出来事に関する情報はほとんどなく、最も知られている歴史的出来事は西暦1000-1500年に起こった。

 

 新しい年表の中心にあるのは17世紀以前のユーラシア史において、支配的な役割を果たした。「ロシアの大群」と呼ばれる広大なスラブトルコ帝国の存在に関する、スキタイ人、フン人、ゴート人、ブルガリア人から、ポラン人、デュレべ人、ドレヴリ人、ペチェネグ人、更に最近ではコサック人、ウクライナ人、ベラルーシ人まで、古代および中世の歴史の中で特定された様々な人々は、単一のロシアの大群である。」

 

と主張しました。また、フォメンコは

「歴史上のイエスは西暦1152年12月25日にクリミア半島フィオレント岬で生まれ、西暦1185年3月20日にボスポラス海峡を見下ろす、※ジョシュアの丘で十字架に付けられた。」

(※トルコ・イスタンブールのベイコズ地区にあるボスポラス海峡アナトリア海岸に位置する丘。モスクとジョシュアに捧げられた墓を含む神社。)

とも主張しています。

 

 また、彼は、トロイア戦争と十字軍は同じ歴史的出来事であるとし、チンギス・ハーンとモンゴル人は実際はロシア人であり、現在アメリカ西部と中西部を構成する13の植民地の西の土地は、1775年に崩壊する前の「シベリア・アメリカ帝国」の極東部分であり、他の多くの従来の歴史学と矛盾するとしました。

また、従来の科学的な年代識別測定法にも異議を唱えました。

 

 無論、彼のこうした主張は、他のロシアの科学者・歴史家のみならず、世界中からも非難を浴び、フォメンコの歴史的著作を「疑似科学」、または「反対科学」的であると否定されています。

 

 

 そして、もう一人の陰謀論者、ニコライ・レヴァショフですが、彼はロシアのハリコフ大学理論放射物理学科卒業後、ソ連軍で数年過ごした後、1980年代頃からヒーリング、霊能力者、催眠術などの活動をはじめた、オカルト学者であり、サイキックヒーラー(代替医療家)であり、いわゆるニューエイジ系活動家です。

(彼と彼の仲間による代替医療による失敗のエピソードも酷い。)

そして2007年5月に「ルネサンス・黄金時代」なるカルト集団を設立し、モスクワを本部に、ロシアに18支部、海外キエフ、キシナウ、ミンスク、ハリコフの4つを置いています。

 

 

 こうして、タルタリア陰謀論を広めた起源ともいえる立役者の2人を見てみると、

はっきり言ってロクな者ではありませんでした。

 

しかし、だからと言って、タルタリアが地図上から消されてしまった事実や、マッドフラッドが起きた事実や、歴史の改ざん説が否定されることではないと思われます。

 

それに、彼等2人が支配者側と何らかの接点があるのは、経歴からして疑いようがないので、これは予め作られた役者だったのではないかと思います。

タルタリアや、マッドフラッドの問題をはぐらかす為、とでもいうのか、でも一部は本当のことを匂わしているようにも見えますね。

 

 

 フォメンコの場合ですが、彼はフリーメイソンのニコライに影響を受けて新年表を作成していますが、(実際はフォメンコ一人だけではなく、彼に同意した数学者も作成に協力した)、そのニコライ以前の人物、ジャン・ハルドゥアン(1646-1729年)が最初に歴史の偽造を疑ったことが知られています。

 

 ジャンは1662年16歳でイエズス会に入会し、パリで神学を学び1683年にリセルイルグラン司書となり、そこで亡くなっています。

ジャンは1685年にプロ二ウス・ザ・エルダーの自然史バージョン(『プロレゴメナ』?)を出版し、その中で、

ギリシャ、ローマの全ての古代の古典は偽物であり、13世紀のベネディクト修道士によってほとんどの古代の芸術作品、硬貨、碑文の真正性を偽造された。新約聖書は元々ラテン語で書かれたものである。」

と宣言したようです。

〔著作『プロレゴメナ』は、1909年にエドウィン・ジョンソンにより翻訳され、シドニーで、アンガスとロバートソンから出版されています。〕

 

 

 

 ……ということで、そもそもの話、このタルタリア陰謀論説の起源説を真っ先に調べなけらばいけなかったわけなんですが、マッドフラット説のインパクトが強すぎて、後手になってしまいました。すみません。

 

 さて、巷でも1816年がマッドフラッドが起きた年代としては一番有力説のようですが、この他にも1833年説と1866年説があるようです。

 

 上記の新年代説を唱えた人物達の生誕でこのマッドフラッドが起きた年代に一番近いのは、ニコライ・モロゾフの1854年生まれとなり、彼は生まれた時には既にマッドフラッドが起きた比較的近い年代を生きていました。

そして、それ以前の歴史年代の捏造を初めて発表したジャンは1646年に生まれ、1729年没となっています。

 

 タルタリア帝国を記した地図がだんだん改造された年代というか、地図が改変された年代は16~18、19世紀まででしたか…、ジャンも全く関係ないとは言い切れないのではないかと思いますね。

もしかすると、ジャンはイエズス会にいて、カトリック最古の修道会のベネディクト派(あらゆる怪しいこと、錬金術やら魔術を行っていた)の歴史的な捏造を知って怒り、世に暴露した人物だったんじゃないかな?なんて、調べていた記事から想像してしまいました。

多分、世界最初の暴露だったし、世の中的には全く受け入れられなかった話だったでしょう。だから暴露しても83歳まで殺されずに済んだのか?ちょっと当時にしては長生きし過ぎなんで、これも???ですが…、

ジャンの歴史の捏造説だけは実は本当のことを言っていたのではないか?という気がしました。内容は後から改ざんされているだろうけどね…。

 

 それにしても、フォメンコのキリスト説は、特に酷いですね。

 

 

 話は変わって、以前Eden Media さんが最初に紹介した「What on Earth」のシリーズ、後でAVANT-GARDEアヴァンギャルド・リポートさんの「失われた歴史」シリーズなどの著作者さんが分かりましたので、もし興味がありましたら、そちらの動画AEWARさん「The Labyrinth of the Lost Guild」や、「Aewarsw Miscellany」や、「Shadow Roma」をご視聴してみてください。「失われた歴史」の新たなる続編という形で作られています。主にタルタリア建築の構造について研究されているようです。

また、タルタリア動画と言えば、パコーン未来さんが自分的には一押しですが、最近のも【エルサレムはどこにあったのか】をテーマに、地図や歴史の改ざんと、タルタリアに関連づけて動画を挙げています。ロシアのドキュメンタリー映画から考察された内容で、ここでもロシアが出てくるんですが、衝撃的な内容と共に、非常に面白いです。

 

 自分は、『黙示録』について書くつもりなのに、延び延びになっておりますが、

タルタリアやマッドフラッド説が出て来たおかげで、より深い視点で『黙示録』を読むことが出来るのではないかと考えております。

 

 支配層は、聖書全巻を、すべてひっくり返して否定しようと、あの手この手を使っています。つまり、支配者層が「タルタリア陰謀論を世に広めさせた、立役者達」に言わせかった目的は正にそれではないかと思います。

イエス・キリストがこの世に誕生してから、彼等は焦ったはずです。

もうすぐ、世が終わりを告げる。つまり、それは自分達の世の支配が終わりを告げる時が迫ってきたという事ですから…。

 

 スキタイ出身者だった、ローマ・カトリックのディオニュシウス(470-544年)が西暦を案出しています。なぜ、歴史学者でなく、神学者の発案だったのでしょう?ということは、イエズス会が歴史を改ざんしても、全然ありです。

聖書そのものさえ、幾らでも彼等は焼き捨て、世から無くそうとした事実もありますから。