tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

呼びかける 5.

〖呼びかける』

 

 

 ※ウイキペディア、他より説明

 

 1,

 メロビング王朝

 

 

 メロビング朝はゲルマン人(西ゲルマン)であるフランク族の支族サリ族

築いたフランク王国における最初の王朝である。

ロビングの名は、始祖クロ―ヴィスの祖父メロビスにちなむ。4子に分割相続して以降、分裂・内紛を繰り返して衰退した。

 

(※フランク人又はフランク族は、ローマ帝国時代後期から記録に登場するゲルマン人の部族。一般的にサリー族と、リプアリー族(ライン・フランク族)に大別される。前者は西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国したことで知られる。

フランクという名前は西暦3世紀半ば初めて史料に登場する。ローマ人はライン川中流域に居住するエルマン人達を一括して「フランク人」と呼んでいた。

 

 フランクfrancus. franciの語義は「勇敢な人々」、「大胆な人々」、「荒々しい」、「猛々しい」、「恐ろしい」人々という意味であるとされている。

 

フランク王国は、5世紀末サリー・フランクのロ―ヴィス1世が、全てのフランク勢力を統一してフランク王国を建設し、キリスト教に改宗した

以降、フランク人はイベリア半島南部、ブルターニュ半島を除く、西ヨーロッパ全域を支配する王国となった。

 

サリー族は、フランク王国建国の中心となった部族。

フランク族は元来ライン川ヴェーザー川の間(現オランダ・ドイツ西部)に住む部族の総称で、サリー族はその北部にいたと考えられる。

現在オランダのオーファーアイセル州にサラント地方があり、アイセル川の古名もサラsalaと言ったことから、これらの地名と関係があると考えられる。

 

 358年、ゲルマン系諸族のガリア侵入に対抗するため、ローマ皇帝ユリアヌスはトクサンドリア(現在のオランダ南部からベルギー北西部)に領地を与えてサリー族を移住させ、軍への奉仕軍隊とした。サリー族はさらにローマ帝国の同盟者フォエデラティの地位を獲得した。ローマ領内に定住した後、サリー族らは、土地を栽培し、ローマ人に対抗できるような組織化された社会を生み出した。

 

 クロ―ヴィス1世はフランク国を建国し、フランク族の慣習法などを基礎として法を制定した。これはサリーの名にちなみ、「サリカ法」と呼ばれ、中世・近世ヨーロッパに大きな影響を残した。

さらに、ヴィドー家と神聖ローマ帝国ザーリアー朝もサリー族の系統と指摘されている。

 

 

 ●建国と改宗

 

 フランドルを支配していた小国の王クロ―ヴィス1世(465ー511年、在位481-511年)が勢力を伸ばし領土を拡大。全フランクを統一し、481年、メロビング朝を開いた。

496年、クローヴィスがカトリック教徒であった妻との約束により、ゲルマン人に定着していたアリウス派キリスト教(異端宗派)から、家臣4000名と共に正統派のアタナシウス派カトリック)に改宗した。クロ―ヴィスの改宗。

これによって、旧西ローマ帝国貴族の支持を得、領内のローマ系住民との関係も改善された。506年に西ゴートをヴイエの戦いで破り、イベリア半島へ駆逐。王国の版図を広げた。

 

 

(※クローヴィスの改宗ローマ教会と提携し、他のゲルマン諸国に対し優位をもつようになった。しかし、部族連合としての国家形態では王の支配権は弱く、しかも王家もゲルマン人社会の規則である分割相続性をとったために、6世紀の半ばには、国土は東北部のアウストラシア、中西部のネウストリア、南部のアクイタニア、東部のブルグンドの4つに分けられ、それぞれ王国をいただいて争うようになった。

 

 

 クローヴィスの死後王国は4人の息子達によって分割され、息子達はさらに領土を拡大した。息子達の内一人が死ぬと、その領土は生き残った国王の支配に服した。

ロビング朝の分割は、王国を王の私的な財産と考えていたわけではなく、あくまでメロビング家の世襲財産として行われていたと見るべきである。したがって王の数だけ世襲財産の「持分」が存在したのであり、資格のある王が一人になれば世襲財産はその人物に集中する。

 

 

 ●メロビング家の終焉

 宮宰の権力奪取とメロビング朝国王の残忍性

 

 

 7世紀のはじめにはクロタール2世によって統一が再現されたが、それを助けた宮宰マヨル・ドムスフランク王国の官職名で王家の執事のような役目をしていた。)の

カロリングピピン(大ピピンの力が強くなり、実権は次第に宮宰に移っていった。

 

 

 ロビング朝の国王の残忍、好色の逸話は多い。

クロ―ヴィスの末子クロタール1世は6回結婚し、正妻以外にも無数の女性を後宮に置いたという。フランク王国が4つに分かれていた頃のネウストリアヒルペリヒは侍女フレデグンデを愛人とした上で王妃と離婚し、別に西ゴート王国から正妃を迎えた。しかし嫉妬した愛人にそそのかされてベッドの上で新妻を殺してしまった。

 

 

 2,

  ハプスブルク家

 

 ハプスブルク家とは、ドイツ系(アルザス系)の貴族。

古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔であると自称し、中世の血統制度を利用した政略結婚により、広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。

 

 中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国(オーストリア公国)、スペイン王国ナポリ王国トスカーナ大公国ボヘミア王国ハンガリー王国オーストリア帝国(後に、オーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝の家系になった。

 

 また、後半は形骸化していたとはいえ、

ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国ドイツ帝国)の皇帝位を中世以降保持し、その解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占した為、ビスマルクによるドイツ帝国から排除されるまで、形式的には全ドイツ人の君主であった。ヨーロッパ髄一の名門王家と言われている。

 

 

 

 ●歴史・起源

 

 ハプスブルク家は、アウストラシアエティション家の分家であり、スイス北西部(バーゼル地方)のライン川上流域を発祥地とする。

 

(※東方の土地の意味・メロビングフランク王国の北西部、現在のフランス東部、ドイツ西部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダから構成されていた。

エティション家は、7~10世紀にかけて、現在のドイツ南西部の一部からフランス東端部におよぶアルザス地方を支配したゲルマン系の小貴族。

その起源はフランク族ブルグント族西ゴート族などの諸説あり、次第にアレマン化した。神聖ローマ帝国の皇室のハプスブルク家はその分家である。)

 

 

 家祖は10世紀に東フランク王国アルザス地方のブライスガウに存在したグントラム金満公である。

更なる祖が、初期中世メロビングフランク王国アウストラシアブルゴーニュ地域圏のアルザス伯で、エティション家の家祖となった上アルザス伯エティショである。

 

 エティショの祖父アマルガーはウァルダレヌスの娘アキリーナを妻として、ブルグンと王国の伯爵領において女子修道院や男子修道院の建設に出資した人物であったが、629年創立のベース修道院もその一つである。

 

 グントラムは952年、アウストラシア議会の議決により皇帝オットー1世から領地を没収され、東フランク王国内でスイスに移住した。グントラムの孫であるクレットガウ伯ラートボトが1020年から30年頃にハビヒツブルク城を築いたといわれる。

この城はその後はハプスブルク城と呼ばれるようになった。城は現在のスイスのカントン・アールガウにある。

 

 ハプスブルクの名は、高地ドイツ語の「鷹の城」に由来するという説他ある。

最初に王家自身によって文書でハプスブルクの名前が使われたのは1108年に遡る。ハプスブルク城は11世紀から13世紀に居住となった。

 

 ハプスブルク家は、チューリッヒ州、アールガウ州、トゥ―ルガウ州で伯爵権などの政治的特権を得ることや、婚姻政策を通じて影響力を拡大した。13世紀にハプスブルク家は上アルザスとシュヴァーベンの名家でその婚姻政策を目標とした。彼等はしばしばキーブルク家のような他の貴族の断絶などから利益を得た。

 

 

 

 

  ……以上、抜粋・引用させてもらいました。

ロビング朝がハプスブルグ家の祖であったという経緯や、彼等支族達がいかにして

神聖ローマ帝国と深く繋がっていった、つまりヨーロッパ全体を反キリストにしていったかがわかります。

 

 

 

  

  ✽✽以下に前回までのおさらい・まとめ

 

 

 イルミナティの血統・仲間

 

 ロビング王朝、ハプスブルグ家フランク族・サリー族

  ゲルマン系民族・ャぺテの子、マダイの子孫である。

 

 大英帝国(イギリス)、スコットランドの祖先イギリス諸島の住民達の祖先は 

   エジプト人であり、古代ドルイド教。(ドルイド教古代エジプトの魔術から派 

   生した)イスラエル12支族の父ヤコブの子ダン族の子孫。

 

 ロスチャイルド家ハプスブルグ家、黒い貴族(ゲルフ党員)、オレンジ家、コ 

   リンズ家の血統と繋がりが強い。ハム系カナン人・二ムロデの子孫。

 

 ダン族イスラエル12支族の父ヤコブの子孫。

 

 ベニヤ民族イスラエル12支族ヤコブの妻、ラケルの子孫。

 

 スキタイ人ャぺテの子マゴグの子孫。

  

 ・ローマの貴族社会とローマ皇帝ローマは元々サターン崇拝の町。

 

 ハザール人アシュケナージユダヤャぺテの子ゴメルの子孫。

       (ハザールと東ローマ帝国は婚姻関係を結んでいる。

        9世紀には支配者層がユダヤ教に改宗。)

 

 

 となっています。

 

 

 また、ここでジョン・コールマン博士の『ロスチャイルドの密謀』から、285頁以降はこの本の訳者である、太田 龍の解説・「破壊王」深層の全真相・から引用・抜粋します。

 

 

  ▣ ユダヤ王朝(メロビング王朝)樹立の

   「シオン修道院」に関与したロスチャイルド

 

 スプリングマイヤーは、ロスチャイルドの宗教支配について、概略、次のように述べている。

 

 

 「ロスチャイルドは、悪魔の帝国が、世界の資源と世界の諸国家と、世界の宗教を支配することを助けている。

 

 a, 「エホバの証人」(ものみの塔)は、ロスチャイルドの別働隊である。

 b, 「モルモン教」もロスチャイルドの影響下にある。

 c, ユダヤ主義(ユダヤ教)はロスチャイルド支配下にある。

 d, カトリック教会の財政は1823年以降、ロスチャイルド支配下にある。

 e, ロスチャイルドは、1917年のロシア共産革命に資金を供給した。

 f, ロスチャイルドは、全世界のキリスト教世界を支配している。

 

           (スプリングマイヤー増補第三版、288ー291頁)」

   

 

 さらに、スプリングマイヤーは、「シオン修道院」にもロスチャイルドが関与している、とする。(290頁)。……

 

 『ダヴィンチ・コード』は、メロビング王朝の血統を守るために作られたと称する。「シオン修道院」についてのリンカーンらの著作『聖なる血と聖杯』に基づいた小説であるが、スプリングマイヤーは既に、『蛇の如く賢くあれ』1991年、私家版の中で、この問題はほぼ正確な解答を与えた。

 

 スプリングマイヤーによれば、南フランスに生まれたメロビング王朝がイエス・キリストの血統である、という説は、意図的な作り話であって、実際にはそれはユダヤの血統であり、ユダヤ的王朝である、という。

したがって、メロビング王朝の血統を守り、それを世界王たらしめることを目的としたシオン修道院なるものは、ユダヤ王を世界王にたらしめるための秘密結社である、ということになる。

 

 

 スプリングマイヤーは『イルミナティ悪魔の13血流』の中で、ロスチャイルドを中核とする12の血流については実在する家系の名前を挙げているが、第13番目については、悪魔ルシファーの直系という、極めてミステリアスな、そして複雑な家系としている。

つまり、この第13番目は、通常の「人間」のレベルからはみ出してしまうのである。

 

 メロビング王朝を遡るとダビデ王の家系に結びつく。

そしてロスチャイルド家の一員が記述したというあの『シオン長老の議定書』には、ダビデ王の血統に繋がるユダヤ王がやがて世界の絶対的独裁君主の座に就く、とある。

 

 

 

 …と、原作書を解説しています。

 メロビング王朝の深堀は以上です。

 

 

 さて、この太田 龍氏の解説で、今書いた部分とは前後が逆になってしまいますが、太田氏が、彼等イルミナティの本質的な目的について次のように説明しており、それが

非常に興味深い内容となっています。

 

 太田氏はご存じの通り、著名な海外の陰謀論者の本を数多く翻訳しています。なので、太田氏自身も陰謀論に造詣も深く、独自に調査、理解をされています。

以下はその内容となっています。

(※※但し、太田氏もイルミに選ばれた翻訳者であるので、そこは海外の著作者同様の注意が必要です。)

 

 

 

 ▣サタニズム的ユダヤ教徒の初代アムシェル

 

 

 初代ロスチャイルドの「ユダヤ教」は、

ラビ、M・S・アンテルマ著によれば、ヤコブ・フランク(1726-1791)を長とする、フランキスト・ユダヤ教であり、さらにこのフランキストの由来を遡ると、

17世紀の有名な「にせメシア」と通称される、サバタイ・ッヴィ(1626-16769に辿り着く。

 

 ラビ、M・S・アンテルマンは、サバタイ・ッヴィを継承するヤコブ・フランクの一派(フランキスト)が、初代ロスチャイルドらのユダヤ国際金融資本の支持支援のもとに、イルミナティ(1776年)を生み出し、そしてそれは1807年にユダヤ教改革は運動を設立した。

 

 この、改革派ユダヤ教がやがて正統派ユダヤ教を排除して、ユダヤ人社会の主流を制するに至った、と結論付ける。

 このことがロスチャイルド家の勢力の前代未聞の爆発的拡大を保証したのである、という。したがって、ロスチャイルド問題の秘密は、17世紀の「にせメシア」、サバタイ・ッヴィの運動の中に求められる、となるであろう。

 

 (中略)

 

 

 …ここで、我々は、ラビ、M・S・アンテルマンに従って、サバタイ・ッヴィ、ヤコブ・フランクと、フランキストの存在、そして、フランキストと表裏一体の関係にあるモーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786)とそのハスクラ運動に注目しないわけにはいかないのである。

 

 

 

 ▣ サバタイ派7代目モーゼス・メンデルスゾーン

 

 

  M・S・アンテルマンは、ニューヨーク市立図書館所蔵の「シフ・コレクション」(歴史に有名な、あのヤコブ・シフの文書を集成したもの)の記録の中から、以下のサバタイ派歴代首長の系譜を引用する。

 

 ① サバタイ・ッヴィ(1626-1676)

 ② ガザのナータン(1640-1680)

 ③ ソロモン・アイロン(1655-1728)

 ④ ネヘミヤ・チョン(1653-1729)

 ⑤ ユダ・ライブ・プロスニッツ(1670-1730)

 ⑥ ヨナタン・アイベシュッツ(1690-1764)

 ⑦ モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786)

      

        (『阿片を根絶するために』第二巻、102-103頁)

 

 

 この記録の身元、素性、信憑性は完璧であろう。それは、「にせメシア」として完全に葬り去られたはずのあの「サバタイ・ッヴィ」の運動が、実は、極秘のうちに秘密組織として継承されたのみならず、18世紀ドイツの、天下に隠れもない、あのモーゼス・メンデルスゾーンが、第7代目の首長に就任していたという。

 

 サバタイ・ッヴィは、「ユダヤの救世主メシアである」、と自称し、エルサレムユダヤ人の手に取り戻そうとし、オスマン・トルコの政府官憲によって逮捕され、死を選ぶか、それともイスラムに改宗するか、と迫られた。

そこで、サバタイ・ッヴィは、イスラムに改宗した。そして、ユダヤ教のラビ達は彼を「にせメシア」と裁定した。

 

 日本ではこのように記述されており、それ以外の情報は存在しない。

 

 

 

 ▣「隠れユダヤ・サバタイ(ドンメー派)」がイスラム教、キリスト教

 

 

 しかし、ラビ、M・S・アンテルマンによれば、サバタイ派は死んでいない。

サバタイ派、次なる2つの系統で存続した。

 

 ① サバタイ・ッヴィとともに、イスラムに改宗したが、それは偽装であった。表面 

   はイスラム、主体はユダヤサバタイ派、という一派がイスラム世界に出現した。

                              (第一巻、94頁)

   第一次世界大戦後、オスマン・トルコ帝国が解体した時、青年トルコ党がトルコ 

   に革命を起こしたとされているが、この青年トルコ党を育成し、演出したのが隠

   れユダヤ・サバタイ派であった。

 

 ② ユダヤ教社会にとどまりつつ、サバタイ派であることを隠して活動を続けた隠れ

   サバタイ派。この隠れサバタイ派は、秘密結社であって、その首長の第7代目

   が、前述の系譜によれば、モーゼス・メンデルスゾーンである。 

 

 

 ヤコブ・フランクは、このメンデルスゾーンとほとんど同世代のサバタイ派であるが、サバタイ派第6大首長ヨナタン・アイベシュッツも、ヤコブ・フランクと緊密な関係にあった。

ヤコブ・フランクはトルコ旅行中、この隠れサバタイ派=ドンメー派と出会い、その教義を受け入れ、かつそれを洗練し完成させた。

かくして彼は、キリスト教に改宗したわけである。これも偽装であって、隠れユダヤ・サバタイ派であり続けている。

 

 彼等の計画によれば、革命が実現した時、イスラムキリスト教は、サバタイ・ッヴィ、ヤコブ・フランクを通じて統合され、「ビッグ・ブラザー」が地球を支配するという。

フランキスト神学によれば、神はこの4つの人格を持つ。

 

 ① アティカ・カディシャ

 ② マルカ・カディシャ

 ③ シェチナ

 ④ グレート・ブラザー

 

                (『阿片を根絶するために』第一巻、104頁)

 

 

 ラビ、M・S・アンテルマンは、①から③までの3つの段階は神の出現の際の神秘的表現についてのカバラ学上の用語があり、④のグレート・ブラザーは、後に「ビッグ・ブラザー」(ジョージ・オーウェル1984年)として使用される。

 

 この神格の4つの段階を、革命のそれぞれの段階と対比して見ると、

 

最初は、イスラエルから出発し、ヨナタン・アイベシュッツによって代表される。

次にイスラムに至り、サバタイ・ッヴィによって代表され、

次にヤコブ・フランクキリスト教に代表する。

そして最後に革命が到来するとビッグ・ブラザーが世界を統治すると解釈できる。

 

 とアンテルマンは述べる。

 

 

 

 ▣ 初代ロスチャイルドは仮面仮想の過激なフランキスト

 

 

 つまり、ヤコブ・フランクは、サバタイ派になったのみでなく、サバタイ派に新しい解釈、新しい教義、新しい展望を与えたのである。それは一体何を意味するのか。

それは、

旧来のユダヤ教を根本的に改革して、

メシア=救世主による世界史は、計画を立てて実行に移す

そのような新ユダヤ教の出現を意味する。

 

 M・S・アンテルマンは、サバタイ派、そしてフランキストが、彼らの足跡と証拠を組織的に隠蔽し、隠滅してきたので、外部者には彼等の歴史が全く分からなくさせられている、と述べている。

 

 この場合の「外部者」とは、ユダヤ教の外部の者のみでない。

ユダヤ教の世界の、非サバタイ派、非フランキストの人々をも含むのである。しかも、このサバタイ派、フランキストが、フランス革命を演出した、そしてそれを契機として、全世界の支配権を掌握すべく行動を開始した、という。

にもかかわらず、彼等は極秘のうちに事を進め、全力を尽くしてその本体を秘匿し、多数の仮面仮想を着けて変化し、偽りの旗をもって行動する。

したがって、外部者は、何が何やら分からない。

初代ロスチャイルドは、この枠組みの中にして位置付けられる時に初めて、その正体、その秘密の構造が白日の下にさらけ出され得るのであり、そしてそのことは、正統派ラビ、M・S・アンテルマンのようなユダヤ教の内部からの情報発信によってのみ、可能となったのである。

 

 フリッツ・スプリングマイヤーは、ロスチャイルドユダヤ教である、ということになっている、しかしロスチャイルドが信仰しているのはユダヤ教とはいかなるものか、

それは通常の意味とは異質のものであろう、という風に推測する。

この推理の方向は、間違ってはいないのである。

 

 

 

 …と、ここまでの引用で、内容が非常にややこしいことになっていますので、読者様がどこまで把握できたかは分かりませんが、

要はこれメシア=救世主による世界史は、計画を立てて実行に移すの部分です。

実際は、天の神であるャハウェとイエス・キリストの計画が未来を決定づけています。

 

 しかし、この世を支配している霊的悪魔とその子供であるイルミ達は神に逆らい、

神の御計画を乗っ取り、自分達の計画した未来を実行することを目指しています。

そのために、世界中に反キリストの宗教を無数に展開し、広めさせ、

最後には悪魔崇拝一択の宗教にまとめるという計画を立てているわけです。

それが、ここでいう「ビッグ・ブラザー」です。

 

 

 もう少し、引用してみます。

 

 

 ▣ 救世主の「新しいトーラー」では、モーゼの十戒は禁止

 

 

 ゲルショム・ショーレムは、非常な長期にわたって、イスラエルヘブライ大学教授として、ヘブライ語文献、カバラ学、ユダヤ教神秘主義ユダヤ教史などを専攻してきた、この方面では知らない者のない著名な大学者である。しかし、日本ではごくわずかな専門家以外、全く無縁であろう。

 

 ここに、「フランキスト」と「イルミナティ」の結びつきが証言されている。

イルミナティ」については、我々日本の研究者も、ネスタ・ウエブスター女子、

ジョン・コールマン博士、フリッツ・スプリングマイヤー、デービッド・アイク、デス・グリフィン、W・G・カーなどによって、一応承知はしている。

しかし、「フランキスト」そしてその原点としてのサバタイ・ッヴィとサバタイ派については、筆者がこの10年来、ラビ、M・S・アンテルマンの著作に基づいて紹介論表している以外に、いかなる論述も存在しない。

 

 アンテルマンは、G・ショーレムショーレムの著作本『MIJ』)から引用を続ける。

                         (第一巻、95-96頁)。

 

 「……救世主は、新しいトーラー与える。モーゼの十戒は、

  救世主の時代には廃止される。」

 

 

 これは、驚くべきお話しではないか。

ショーレムが、フランクを称して、彼は、ユダヤの全歴史を通じて、最も驚愕すべき現象の一つとして常に記憶されるであろう、と述べている。

ショーレムは、急進派サバタイ派を特徴づける5つの信仰を次のように要約する。

 

 

 ① メシアは必要であるという背教。

 ② 本物のトーラーは、現実に存在するトーラーではない。現に存在するトーラーは

   アツイルート(貴族的な)・トーラーと呼ばれる、別の優れたトーラーに適合さ

   せることによって、踏みにじられねばならない。

 ③ 第一原因(神学用語で言うところの「創造」のもと)とイスラエルの神は同じも

   のではない。前者は合理的哲学者の神であり、後者は宗教的神である。

 ④ 神性は人間のかたちを取って出現する。そして、この人間として現れた神性が、

   サバタイ・ッヴィ、フランクその他である。

 ⑤ (サバタイ派の)信ずる者は、自分の正体を表面に出してはならない。

 

 

 G・ショーレムによると、フランキストはカバラ学派であり、彼等サバタイ派=フランキストは、カバラと密接に結びついており、ユダヤ派に反逆し、ユダヤ主義から脱走した、という。

 

 普通の日本人には、まことに奇々怪々な風に話は展開していく。

 

 …アンテルマンは、このサバタイ派=フランキストとロスチャイルドを結びつける決定的環として、モーゼス・メンデルスゾーンを押し出す。

日本人は、この「モーゼス・メンデルスゾーン」を、非の打ちどころのない立派な紳士、18世紀ドイツの代表的理性的哲学者、進歩派、印象派、ゲットーから脱出し、ヨーロッパ文明に同化する音頭を取った近代的ユダヤ人、といった風なデマ宣伝を丸呑みしている。ここのところを乗り越えないと、日本人には、近現代史の真相は何も分からない。

 

 

 

 ▣ フランス革命工作の中核ユダヤ人大金融家「ドイツのプラトン

 

 

 W・G・カーは、イルミナティフランス革命工作の中心人物の一人として、「ユダヤ人大金融家、モーゼス・メンデルスゾーン」を挙げている。

モーゼス・メンデルスゾーンは、フランスの有力帰属ミラボーを、借金漬けにすることによってイルミナティに参加させた。ミラボーを通して、フランスの大貴族オルレアン公をフランス革命謀略の仲間に引き入れた。

 

 「こうしてモーゼス・メンデルスゾーン指揮下のユダヤイルミナティは、大東社(グラントリアン、フランス・フリーメイソン)のロッジを隠れ蓑に、ヴァイスハウプトによって大陸のフリーメイソンに導入され、各ロッジの内部には、秘密の革命委員会が組織されていた。革命を組織する地下組織がフランス全土に広がっていったのである。」

                      (『闇の世界史』116-117頁)

 

 

「ドイツのプラトン」と称された、お堅いモーゼス・メンデルスゾーンが、どういうわけで「ユダヤ大金融家」に化けるのか、そしてユダヤイルミナティを指揮して、フランス革命工作の中核の一人となるに至ったのか、さすがにW・G・カーもそこまでは説明していない。筆者の知る限り、これまでの欧米の著述家学者の誰も、それを説明できない。アンテルマンだけが、こう記している。

 

メンデルスゾーンの生涯を裸にしてみると、我々には、彼の最も内密な集団は、イルミナティのニコライ(1733-1811)によって支配されていたことを発見する。1757年、イルミナティが設立される以前、彼は、メンデルスゾーンと共に、『上級哲学文庫』を創刊した。それは、哲学専門の定期刊行物であった。」

                  (『阿片を根絶するために』第一巻、71頁)

 

 ニコライは、ロビンソン教授の『陰謀の証明』(1798年)の中にしばしば登場する。ヴァイスハウプトが1776年に設立したイルミナティの中心最高幹部の一人である。ヤコブ・フランクは、1726年生まれ。モーゼス・メンデルスゾーンは、1729年生まれ。ニコライは、1733年生まれ。マイヤー・アムシェル・バウアー(後に「初代」ロスチャイルド)は、1744年生まれ。ヴァイスハウプトは、1748年生まれ。この5人はいずれも、ドイツの出身である。

 

 ニコライを除く4人は、ユダヤ人。ニコライがユダヤ人かどうかは分からない。

多分このニコライは、イルミナティの成立と展開の歴史で、極めて重要な役割を果たした人物であろう。

しかし、これまで日本人の視野には、全く入ってきていない。

「ニコライとメンデルスゾーンの全ての著作、原稿、手紙、ノートを相続した。」

                  (前掲『阿片を根絶~』第一巻、71頁)

とある。

 

 この2人の関係のみならず、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとヴァイスハウプトの関係も日本人は明確に認識していない。

 

 

 ▣ ロスチャイルドに雇われたヴァイスハウプト

 

 

 W・G・カーは、次のように述べている。

 

 教会法の教授で、かつてイエスズ会士として教育されたアダム・ヴァイスハウプトは、インゴルシュタット大学で教えるかたわら、キリスト教思想を離れ、サタンのイデオロギーに帰依した。

1770年になると(ロスチャイルド商会を設立したばかりの)金貸し業者がヴァイスハウプトを雇い、サタンのシナゴーグに世界の最終支配権を与えて社会変革を起こした後、サタン的独裁支配を実施して、サタンのイデオロギーを自らの民族以外の全ての人々に話すことを目論んだ大著の『プロトコール』を、時代に相応しいものに改訂させた。

この仕事をヴァイスハウプトは1776年5月1日に完成させた。

                           (『闇の世界史』26頁)

 

 ヴァイスハウプトは、ユダヤ人であるのに、キリスト教徒=イエスズ会士、としてまず登場する。1748年生まれのヴァイスハウプトが、1770年にロスチャイルドに雇われる。この時、ロスチャイルドは26歳、ヴァイスハウプトは、22歳である。

 

 こんな年少の者達が、本気でそして独力で世界征服を計画し、その実行のための網領を策定するなど到底、考えられない。しかし、W・G・カーはそれ以上のことは詳述していない。

カーには、「イルミナティ」を生み出したユダヤ教サバタイ派ユダヤ教フランキストが見えていない。そのために背景がボヤけてしまうのである。

 

 但し、W・G・カーは、1773年、フランクフルト秘密会議で初代ロスチャイルドが提出した25項目の世界征服網領の最後、攻略の目標として「西ヨーロッパ」という言葉が使われている点に注目している。

 

 これによってロスチャイルドが語りかけていた相手は「東ヨーロッパ」のユダヤ居住区で開始された世界革命運動(WRM)に参加した人々だったということが明確となる。ご承知の通り、アムシェル・モーゼス・バウアー(初代ロスチャイルドの父親)はフランクフルト(ドイツ)に定住する以前、金銀細工として「東ヨーロッパ」を広く渡り歩いて商売を行っていた。

従って、彼は、金貸し業者から銀行家となった息子のアムシェル・バウアーが、ロスチャイルドが商会を設立し、会合が開かれたとされるユダヤ人街で1773年に語りかけることになる人々に、すでに各地で出会っていたに違いない。

 

 ここに、「東ヨーロッパのユダヤ人」が出てくる。まさしくこの東ヨーロッパのユダヤ人居住区にサバタイ派が浸透していることをM・S・アンテルマンは論述する。

ヤコブ・フランク自身がブルガリア人女性と結婚しており、フランクの支援者はボヘミア(首都プラハ)、モラビアチェコスロバキアの一部)、ハンガリールーマニアに集中していたとある。(『阿片を~』第一巻、98頁)

 

 

 

 ▣ ロスチャイルドは秘密結社の開祖二ムロデの子孫

 

 スプリングマイヤーは、次のように述べている。

 

 ロスチャイルドの祖先は、数世紀にわたって、ユダヤ教ラビであった。

ロスチャイルドを名乗る前、彼等の家系は、オカルト主義を実践しており、そしてそれは、ユダヤ教カバラ主義、サバタイ主義、フランキズムの形態を取っていたと信じられる。ロスチャイルド家は、バビロニア魔術の強い影響を受けたグノーシス主義的サタニズムを実行していた。

 

 ロスチャイルド家は自分達をサタニストとは言わないであろう。

しかし、我々の基準でいえば、彼らの秘密儀式と生贄を捧げる儀式は紛れもなくサタニストのそれである。

神聖なる秘密の書に記録されている彼等自身の極秘の家系図によれば、ロスチャイルドバビロニアの武力で支配する大王、二ムロデの子孫である、ということになっている。

 

 

 (中略)

 

 テックス・マーズも述べる。

 

 ユダヤシオニスト的野心を抱いているにもかかわらず、ロスチャイルド家は旧約、新約聖書の中のゴッドの崇拝者ではなかった。

彼等は、神学的にはサバタイ派、フランキスト(サタニスト)である。

彼等は地球上にユダヤユートピア、または王国をつくることを追求した。

(今日も追求しつづけている。)この王国は、古代バビロンおよびエジプトの新しい時代の継承者であるだろう。(中略)アメリカはそのための基軸とならねばならない。アメリカはそのためのもう一つのエゴ(自分)でなければならない。それ故、アメリカは、カバラユダヤ的国家として形成されるべきである。

              (前掲『ゴーテックス・マジカ』266-227頁)

 

 ここで、テックス・マーズが、ロスチャイルド家は、サバタイ派フランキストである、と規定していることに注目しなければならない。

 

 

 

 

 ……と、ここまでを抜粋・引用させてもらいました。

最後の部分(スプリングマイヤー著作)は、前回のブログ記事にも載せたもので、重複する内容でしたが、こちらで読み返すとより深く理解できたのではないでしょうか。

 

 以上、非常に興味深い、イルミ達の隠された本質的な目的、

「サバタイ派フランキスト」の内容でした。