tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

マタイによる福音書 26

【マタイによる福音書】

 

 

 

 

 26.

 

 

 

 受難予告

 

 さて、イエスは

これらの言葉をすべて語り終えた時、彼の弟子達に言った。

 

 「あなた達も知っている通り、二日後には過越し祭がやって来る。

すると人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」

 

 

 

 殺害計画

 

 その時、祭司長達と民の長老達とは、カヤファと言われる大祭司の館に集まった。

そして、策略を持ってイエスを捕らえ、かつ殺すために協議した。

しかし彼等は言った。

 

 「祭りになってからでは駄目だ。民の中で暴動が生じたりしないためだ。」

 

 

 

 ベタニアの塗油

 

 ところで、イエスがベタニアでらい病人シモンの家にいた時、

高価な香油の入った石膏の壺を持った一人の女が彼に近寄って来て、

食事の席についている彼の頭の上に注ぎ始めた。

しかし弟子達はこれを見て激しく怒って言った。

 

 「何のためにこのように無駄遣いするのだ。

これを高く売って貧乏人達に与えてやることもできたのに。」

 

 しかしイエスはこれを知って、彼等に言った。

 

 「なぜこの女性を困らせるのか。

実は、わたしに対して良いことをしてくれたのである。

そもそも、貧しい者達はいつもあなた達と共にいる。

しかしわたしは、いつまでもあなた達と共にいるわけではない。

つまり、この女は自らわたしの体のおもてにこの香油をかけてくれたが、

それはわたしを埋葬する準備のためだったのである。

アーメン、わたしはあなた達に言う。

世界中でこの福音が宣べ伝えられるところは何処でも、

この女自身の行ったこともまた、その記念に語られるであろう。」

 

 

 

 ユダの裏切り

 

 その後、12人の一人で、イスカリオテのユダと呼ばれていた者が、

祭司長達のもとへ行き、言った。

 

 「あなた達は私に何を与えてくれるか。

この私は、あなた達に彼を引き渡そうと思うのだ。」

 

 彼等はそこで、彼に※銀30枚を支払った。

(※<出エジプト記32章によれば、奴隷一人分の値段)

そして彼は、その時より、イエスを引き渡すための良い機会を狙っていた。

 

 

 

 過越しの準備

 

 さて、除酵祭の最初の日、弟子達はイエスのところにやって来て言った。

 

 「過越しの食事をなされるために、私達はどこで用意したら良いでしょうか。」

 

 すると彼は言った。

 

 「都の中に行って、ある人のもとに行くのだ。そして彼に言うのだ。

『先生が、わたしの時は近い。わたしはあなたのもとで、

わたしの弟子達と過越しを行おう』と言っておられます。」

 

 そこで弟子達はイエスが彼等に言い付けた通りに行い、過越しの用意をした。

 

 

 

 ある弟子の裏切り予告

 

 さて、夕方になると、彼は12人と一緒に食事の席についた。

そして彼等が食べている時、イエスは言った。

 

 「アーメン、わたしはあなた達に言う。

あなた達の一人が、わたしを売り渡すであろう。」

 

 すると彼等は、甚だしく悲しみ、一人一人彼に言い始めた。

 

 「主よ、まさか、この私なのでは。」

 

 そこで彼は答えて言った。

 

 「わたしと共に鉢の中に食物を持った、手を浸す者、

その者がわたしを売り渡すであろう。

確かに人の子は彼について書いてある通り、去って行く。

しかし禍だ、人の子を売り渡すその人は。

その者にとっては、生まれて来なかった方がましであったろうに。」

 

 そこで、彼を売り渡す者、ユダが答えて言った。

 

 「ラビよ、まさか、この私なのでは。」

 

 イエスは彼に言う。

 

 「それはあなたの言ったことだ。」

 

 

 

 イエスの死の意味

 

 さて、彼等が食べている時に、イエスはパンを取り、

そして神を祝してそれを裂いた。そして弟子達に与えながら言った。

 

 「取れ、食べよ。これはわたしの体である。」

 

 また、杯を取って、そして感謝して彼等に与えて言った。

 

 「皆、そこから飲め。

なぜならば、これは※①契約のためのわたしの血であり、

多くの人のため、その罪の赦しとなるように、流されるものだからである。

また、わたしはあなた達に言う。

わたしは今から後、もはや二度とこの葡萄の木からできたものを飲むことはない。

わたしの父の王国においてそれを新たにあなた達と共に飲む、かの日までは。」

 

 

 

❖補足文

(※①契約のためのわたしの血…<出エジプト記24:8>参照。

✤この契約の血とは以前にも説明したと思いますが、神と人間の和解のための儀式として若い牛を供犠として捧げた儀式を指しています。

 

 <出エジプト記24:7ー8>

 

 彼(モーセ)は契約の書を取り、民の耳に読み上げた。

すると民は言った。

 

「ヤハウェが告げた全ての事を私達は行い、聞き従います。」

 

 モーセは、その鉢の中の血を取り、民の上に振りかけて言った。

 

 「見よ、契約の血である。

この契約は、ヤハウェがこれらすべての言葉に基づいてあなた達と結んだものである。」

 

 とあります。

これをイエスは引用して話しています。

巷の陰謀論のような彼の身体的な血と肉を弟子に食べさせたわけではもちろんありません。)

 

 

 

 

 全員の躓き予告

 

 そこで彼等は讃美歌を歌って、オリーブ山へと出て行った。

その時、イエスは彼等に言う。

 

 「あなた達全員が、この夜わたしに躓くことになるだろう。

と言うのも、次のように書いてあるからである。

 

 私は羊飼いを打つであろう。

そうするとその羊飼いの群は、散り散りにされてしまうであろう。

<ゼカリヤ13:7>

 

 だが、わたしは自分が起こされた後、あなた達により先にガリラヤへ行くであろう。

しかしペトロが答えて彼に言った。

 

 「皆の者があなたに躓いたとしても、この私は決して躓きません。」

 

 イエスは彼に言った。

 

 「アーメン、わたしはあなたに言う。

あなたは今晩、鶏が啼く前に、三度わたしを否むであろう。」

 

 ペトロは彼に言う。

 

 「たとえもし私があなたと一緒に死なねばならないとしても、

決してあなたを否んだり致しません。」

 

 弟子達は皆同じように言った。

 

 

 

 ゲッセマネの祈り

 

その後イエスは、彼等と共にゲッセマネと言われている場所にやって来る。

そして彼は弟子達に言う。

 

 「わたしが向こうに行って祈っている間、このところに座っていなさい。「

 

 そして彼はペトロとゼべタイの二人の子を連れて行くと、悲しみ悩み始めた。

その時イエスは彼等に言う。

 

 「わたしの魂は死ぬほどに悲しい。

ここで留まって、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

 

 そして少し先に行って顔を大地にひれ伏し、祈って言った。

 

 「わたしの父よ、もしできることならこの杯がわたしから去って行きますように。

しかしながら、わたしの望むようにではなく、あなたの望まれるように。」

 

 そして弟子達のところに戻って来ると、彼等が眠っているのを見つける。

そしてペトロに言う。

 

 「あなた達はこのように、一時もわたしと共に目を覚ましてはいられないのか。

目を覚ましておれ、祈っておれ。

試みに陥ってしまわないためだ。

霊ははやっても、肉が弱いのである。」

 

再び、2度目に行って、祈って言った。

 

 「わたしの父よ、もしわたしがこれを飲まない限り、

それが去って行くことがありえないのであれば、あなたの意志が成りますように。」

 

 そしてやって来ると、彼等が再び眠っているのを見つけた。

確かに彼等の眼は重く垂れてしまっていた。

そこで彼は、彼等を残しておいて再び行って、

重ねて同じ言葉を言いながら3度目に祈った。

その後で弟子達のところへやって来て、彼等に言う。

 

 「なお、眠っているのか、また休んでいるのか。

見よ、時は近づいた。

そして人の子は罪人等の手に渡される。

立て、行こう。

見よ、わたしを売り渡す者が近づいた。」

 

 

 

 捕 縛

 

 そして、イエスがまだ語っているうちに、見よ、12人の一人のユダがやって来た。

そして彼炉共に、祭司長達と律法学者達と民の長老達との差し向けた大勢の群衆が、剣と棒を持ってやって来た。

イエスを売り渡す者は、彼等にこう言いながら合図の徴を与えた。

 

 「俺が接吻する奴があいつだ。それを捕らえよ。」

 

 そしてすぐさまイエスに近寄って、言った。

 

 「ラビ、ごきげんうるわしゅう。」

 

 そして彼に接吻した。

するとイエスは彼に言った。

 

 「友よ、あなたが成そうとしていることを為すがよい。」

 

その時、彼等は近寄り、イエスに手をかけ、彼を捕らえた。

そこで見よ、イエスと共にいた者達の一人が、手を伸ばして自分の剣を抜いた。

そして大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落とした。

その時、イエスは彼に言う。

 

 「あなたの剣をもとのところに納めよ、『剣を取る者は剣で滅びる』からである。

それともわたしが自分の父に願って、たちどころに

※12軍団以上の御使い達(※6~7万人ほどの大兵力)を

わたしのために備えてもらえないとでも思うのか。

しかしそれでは、このように起こらなければならないと書いてある聖書は、

どうやって満たされようか。」

 

 その時イエスは群衆に言った。

 

 「お前達は強盗に向かうかのように、

剣や棒を持ってこのわたしを取り押さえに出て来たのか。

わたしは毎日、神殿境内で座って教えていたが、お前達は私を捕らえはしなかった。

しかしこれら全ては、預言者達の聖書が満たされるために生じたのだ。」

 

 その時、弟子達の全員が、彼を見棄てて逃げて行った。

 

 

 

 ユダヤ当局による裁判

 

 そこで彼等はイエスを捕まえて大祭司カヤファのもとへ連れて行った。

そこに祭司長達と長老達とが集合した。

他方、ペトロは遠くから彼の後をついて行き、大祭司鄭の中庭までやって来た。

そして中に入ると、結末を見ようとして、下役達と共に腰を下ろしていた。

 

 一方、祭司長達と最高法院全体は、イエスを殺そうとして彼に不利な偽証を探していた。しかし多くの偽証者がやって来たにも拘らず、見つからなかった。

最後に二人の者がやって来て言った。

 

 「こいつは、俺の神殿を壊し、三日後にそれを建てて見せると言いました。」

 

 そこで大祭司が立ち上がり、彼に言った。

 

 「お前は何も答えないのか。

これらの者達がお前に逆らう証言をしているのは、どういうことなのだ。」

 

 しかしイエスは沈黙したままであった。そこで大祭司は再び彼に言った。

 

 「活ける神にかけてお前に命ずる、我々に言え。

お前は神の子キリストか。」

 

イエスは彼に言う。

 

 「それはあなたの言ったことだ。

しかしわたしはあなた達に言う。

今から後、あなた達は人の子が力ある者の右に座し、

天の雲に乗ってやって来るのを見るであろう。」

 

 その時、大祭司は彼の着物を引き裂き、言った。

 

 「こいつは神を冒涜した。

我々はどうしてこれ以上証人が要るだろうか。

見よ、今や諸君はこの冒涜の言葉を聞いたのだ。諸君にはどう思われるか。」

 

 すると彼等は答えて言った。

 

 「この者は死に値する。」

 

 その後、彼等は彼の顔に唾を吐きかけ、彼を拳で殴った。

また、他の者達は、彼に平手打ちを浴びせて、言った。

 

 「キリストよ、俺達に預言してみろ、お前を打ったのは誰か。」

 

 

 

 ペトロの否み

 

 一方、ペトロは外の中庭に座っていた。

すると、一人の女中が彼のところにやって来て言った。

 

 「お前さんも、あのガリラヤ人イエスと一緒だったね。」

 

 しかし彼は、皆の前でそれを否定して言った。

 

 「俺はお前の言っていることなぞ知らない。」

 

そこで彼が門のところへ出て行くと、もう一人別の女中が彼を見た。

そしてそこにいる者達に言う。

 

 「この男も、ナゾラ人イエスと共にいたわよ。」

 

 すると彼は、誓いつつ再び否定して言った。

 

 「俺はあんな男なぞ知らない。」

 

 また、少し間をおいて、立っている者達が近寄って来てペトロに言った。

 

 「本当にお前もまたあいつらの一味だ。なぜと言って、お前の訛りが何よりの証拠だ。」

 

 その時彼は、嘘ならばこの身には呪いあれと誓い始めて言った。

 

 「俺はあんな男なぞ知らない。」

 

 するとすぐさま、鶏が啼いた。

そこでペトロは、『鶏が啼く前に、あなたは3度わたしを否むであろう」

と言ったイエスの言葉を思い出した。

そして外に出て行って、激しく泣いた。

 

 

 

マタイによる福音書 25.

【マタイによる福音書】

 

 

 

 

 25.

 

 

 

 十人の乙女の譬え

 

 「その時、天の王国は十人の乙女と同じものであると言えるであろう。

彼女達は自分自身の灯火を取って、花婿を迎えるために出て行った。

さて、彼女達のうち5人は愚かで、5人は賢かった。

実際、愚かな乙女達は、自分たちの灯火は持って来たものの、

油を携えて来るのを忘れてしまった。

他方、賢い乙女達は、自分自身の灯火と共に、油を器に入れて持って来た。

ところが、花婿が遅れて来たので、皆は眠気が差し、眠り込んでしまった。

 

 すると深夜に、大きく叫ぶ声があった。

 『見よ、花婿だ。彼を迎えに出よ。』

その時、かの乙女達は全て起き上がり、自分自身の灯火を用意した。

愚かな乙女達は賢い乙女達に言った。

 『あなた達の油を分けて下さいな。私達の灯火が消えかかっていますから。』

 

 しかし、賢い乙女達は答えて言った。

 『私達とあなた達との分としては、油の量は決して十分ではないでしょう。

むしろ商人のところに行って、自分達の分を買っておいでなさい。』

 

 そこで彼女達が油を買うために出て行くと、花婿がやって来た。

そこで準備の出来ている者達は、彼と共に婚礼の部屋の中に入って行った。

そして戸が閉じられた。その後、他の乙女達がやって来て言う。

 『主よ、主よ、私達にも開けて下さい。』

彼はしかし答えて言った。

 『アーメン、わたしはお前達に言う。わたしはお前達を知らない。』

 

 だから目を覚ましていなさい。

あなた達はその日やその時を知らないからである。」

 

 

 

 

 タラントン貨の譬え

 

 

 「すなわち、天の王国はこれから旅に出ようという人が、

自分自身の僕達を読んで、彼の資産を彼等に引き渡すようなものだ。

そこで彼はある者には5タラントン、ある者には2タラントン、

ある者には1タラントン、各々の力に合わせてそれぞれ与え、旅に出た。

 

 すぐさま、5タラントン貰ったものは行って、それを使って働き、

他の5タラントンを儲けた。

同じように、2タラントン貰った者も、他に2タラントンを儲けた。

しかし1タラントン貰った者は、去って行って、地面に穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

 

 かなりの時が経って、かの僕達の主人がやって来て、彼等と清算をしようとした。

そこで5タラントンもらった者が進み出て、他の5タラントンを差し出して言った。

『主よ、あなた様は私に5タラントンを渡されました。

ご覧ください、私は他に5タラントン儲けました。』

彼の主人は彼に言った。

 『よろしい、善き、忠実な僕よ。お前はわずかなことに忠実であったので、

多くの事をお前に任せよう。お前の主人の喜びに与ってくれ。』

 

 また2タラントン貰った者が進み出て言った。

 『主よ、あなた様は私に2タラントンを渡されました。

ご覧ください、私は他に2タラントン儲けました。』

彼の主人は彼に言った。

 『よろしい、善き、忠実な僕よ。お前はわずかなことに忠実であったので、

多くの事をお前に任せよう。お前の主人の喜びに与ってくれ。』

 

 また、1タラントン貰った者が進み出て言った。

 『主よ、私はあなた様が厳しい方であることを存じ上げております。

あなた様はご自分でお蒔きにならなかったところから刈り取られ、

散らされなかったところから集められる方です。

そこで私は恐ろしくなったので、出かけて行っって、あなた様のタラントン貨幣を地中に埋めました。ご覧ください、どうぞこれがあなた様のものです。』

 

 すると彼の主人は、答えて言った。

 『悪しき、怠け者の僕よ。お前は私が蒔かぬところから刈り取り、

散らさぬところから集めるのを知っているのか。

ならばお前は私の金を両替屋に預けておくべきだったのだ。

そうすれば私は、自分の利子と一緒に貰うことが出来たはずだ。

そこでお前達、こいつからその1タラントンを奪い、

10タラントン持っている者に与えよ。

と言うのは、

✤持てる者にはすべて、与えられるであろうし、更に付け加えられるであろう。

しかし持たざるべきものからは、持っているものをも取り去られるであろうからだ。✤

そこで、この役立たずの僕を外の闇に投げ捨てよ。

そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。」

 

 

 

❖補足文

(✤✤ルカによる福音書<19:12-27>においては、マタイのイエスの譬え話とは若干内容が異なる部分があります。

以下に紹介します。

 

 ムナ貨の譬え

 

 さて、彼等が聞いているので、彼は更に言葉を続け、一つの譬え話をした。

彼がエルサレムの近くに来ていたためであり、

彼等が神の王国はたちどころに現れると考えていたためである。

そこで彼は言った。

 

 「ある高貴な生まれの人が、王国の支配権を受けて戻るために、遠くの国へ赴いた。

尚それに際して、彼は自分の十人の僕達を読んで、彼等に10ムナを渡し、彼等に対して言った。

『私が戻って来るまで、商売をしておれ。』

しかし彼の市民たちは彼を憎んでおり、彼の後から使節を送り、言った。

『我々は、この者が我々の王として支配することを望みません。』

さて、彼は王国の支配権を受けて帰還すると、

金を与えておいた例の僕達を、彼のところへ呼ぶように命じた。

彼等がどのような儲け商売をしたか、知ろうというのであった。…」

 

 と、ここまでの最初の部分は大きく違っていました。

あと、貨幣についてで、「タラントン」ではなく、「ムナ」貨幣になっています。

ちなみに1ムナ貨幣は100デナリオン、ないし100ドラクマ、「1デナリオン」ないし「1ドラクマ」が労働者の一日分の平均収入であれば、その100倍という意味です。

 

 冒頭の、弟子達が彼の王国がたちどころに現れると考えていたという部分と、

イエスの譬えが「ある高貴な生まれの人が、王国の支配権を受けて戻るために、遠くの国へ赴いた、」

という場面は注目に値すると思います。(こちらの方が理解しやすいですね。)

そして、このマタイの章の最後の部分、

✤持てる者にはすべて~取り去られるであろうから✤の文は

<ルカ19:25ー27>にも出てきます。

こちらの解説を見ると次のように書かれてありました。

 「おそらく当時の諺。元来は金持ちは益々と富み、

貧乏人は益々窮乏する、などの意か。」

しかし、このイエスの譬えは、厳しい主人が戻って来て、

僕が金儲けを上手く出来たがどうかを言っているわけではありません。

この譬えは天の王国に入るための僕の、いわば試験を表わしているのです。

つまり、沢山の試練を乗り越え、神に喜ばれることをした僕と、まったく反対の行為を繰り返した僕を指しています。)

 

 

 

 

 最後の審判の譬え

 

 

 「さて、人の子がその栄光の内に到来し、

そしてすべての御使い達が彼と共にやって来る時、

彼はその栄光の座につくであろう。

そして諸国民が彼の前に集められるであろう。

 

 そして彼は、彼等をお互いに選り分けるであろう。

それはちょうど、牧者が羊の群を山羊の群から選り分け、

羊の群を自分の右側に、山羊を左側に据えるようである。

 

 その時王は、その右側にいる者達に言うであろう。

 『わたしの父に祝福された者達よ、来るが良い。

あなた達のために、世の開闢(かいびゃく)以来備えられていた王国を継ぐがよい。

なぜならば、あなた達は、

わたしが飢えた時わたしに食べ物を与え、

わたしが渇いた時わたしに飲み物を与え、

わたしがよそ者であった時わたしを歓待し、

わたしが裸であった時わたしに着物を着せ、

わたしが病弱であった時わたしを見舞い、

わたしが獄にいた時わたしの元に来てくれたからである。』

 

 その時、義人達は彼に答えて言うであろう。

 『主よ、何時私達はあなたが飢えておられるのを見て食物を差し上げましたか。

また、渇いておられるのを見て飲み物を差し上げましたか。

また、何時あなたがよそ者であられるのを見て、歓待いたしましたか。

また、裸におられるのを見て着物を差し上げましたか。

また、何時あなたが病弱でおられるのや、獄におられるのを見て、

あなたのところに参りましたか。』

 

 すると主は答えて彼等に言うであろう。

 『アーメン、わたしはあなた達に言う。

わたしのこれらの最も小さな兄弟の一人にあなた達がしたことは、

わたしにしたのである。』

 

 その後で、彼は左側にいる者達に言うであろう。

 『わたしから離れ去れ、

悪魔とその使いの者等に備えられた、

永遠の火に入るべく呪われた者達よ。

なぜなら、お前達はわたしが飢えた時にわたしに食べ物を与えず、

わたしが渇いた時にわたしに飲み物を与えず、

わたしがよそ者であった時に私を歓待せず、

わたしが裸であった時にわたしに着物を着せず、

わたしが病弱であり、また獄にいた時にわたしを見舞ってくれなかったからである。』

 

 その時、彼等もまた答えて言うであろう。

 『主よ、何時私達はあなたが飢えておられたり、渇いておられたり、

よそ者であられたり、裸であられたり、病弱でおられたり、

獄におられるのを見て、あなたに仕えなかったようなことがありましたか。』

 

 その時、彼は彼等に答えて言うであろう。

 『アーメン、わたしはお前達に言う。

これらの最も小さなものの一人にお前達がしなかったことは、

わたしにしなかったのである。』

そして、この者達は永遠の刑罰へと就くであろう。

他方、義人達は永遠の命へと就くであろう。」

 

 

 

 

マタイによる福音書 24.

【マタイによる福音書】

 

 

 

 

 24.

 

 

 

 神殿破壊預言

 

 さて、イエスは神殿境内から出て来て、更に進んで行こうとした。

すると彼の弟子達が近寄って来て、神殿境内の建物を彼に指示した。

すると、彼は答えて彼等に言った。

 

 「あなた達には、これらすべてが目に入っているわけではないのか。

アーメン、わたしはあなた達に言う。

ここで崩されずに他の石の上に残される石は一つたりともないであろう。」

 

 

 

 産みの苦しみ

 

 またイエスがオリーブ山上で座っていた時、

弟子達が彼等だけで彼のところへやって来て言った。

 

 「私達に教えて下さい、それらのことはいつ起こるのですか。

また、あなたの来臨とこの世の終わりの時の徴は、何なのですか。」

 

 

 そこでイエスは答えて彼等に言った。

 

 「誰もあなた達を騙すことのないように、警戒せよ。

多くの者がわたしの名においてやって来て、

『わたしこそキリストだ』と言い、多くの者を惑わすであろうからである。

 

 また、あなた達はやがて戦争の事を聞き、戦争の噂を聞くであろう。

心して、動転するな。

なぜなら、これらのことは起こらなければならない。

しかしまだ世の終末が来たわけではない。

即ち、民族が民族に敵対して、王国が王国に敵対して、起き上がるであろう。

 

 また、そこかしこに飢饉があり、地震があるであろう。

しかしこれら全ては、産みの苦しみの始まりである。

 

 その時、人々はあなた達を患難に渡し、あなた達を殺すであろう。

また、あなた達はわたしの名ゆえに、すべての異邦人から憎まれ続けるであろう。

そしてその時、多くの者が躓くであろう。

またお互いに売り渡し合い、お互いに憎み合うであろう。

そして多くの偽預言者が起き上がり、多くの者を惑わすであろう。

 

 また、不法がはびこることにより、多くの人々の愛が冷え切るであろう。

しかし、最後まで耐え抜く者、その者こそ救われるであろう。

そして、王国についてのこの福音が、あらゆる異邦人に対する証となるために、

全世界に宣べ伝えられるであろう。

そのあとでこそ、終末は到来するであろう。」

 

 

 

 

 最後の患難

 

 「したがって、あなた達が※①預言者ダニエルによって言われた

荒らす忌むべきものが聖なる場所に立っているのを見る時、

読む者は悟れ、その時はユダヤにいる者達は山に逃れよ。

屋根の上にいる者は、下に降りて自分の家のものを取りに行こうとするな。

 

 また畑にいる者は、自分の着物を取ろうと後ろを振り向くな。

禍だ、それらの日々に身重になっている女達と乳飲み子を持つ女達は。

 

 あなた達の逃亡せねばならぬ事態が冬起らぬように、

また※②安息日に起こらぬように祈れ。

なぜならその時、世の始めより今に至るまで絶えてなかったような、

それにこれからも決してないような大いなる患難となるであろう。

 

 そして、もしそれらの日々が縮められなかったならば、

肉なる者は一人たりとも救われることがないであろう。

しかし、選ばれた者達のゆえに、それらの日々は縮められるであろう。

 

 その時、誰かがあなた達に『見よ、ここにキリストがいるぞ』とか、

または『ここだ』とか言っても、信じるな。

なぜならば、偽キリスト等や偽預言者共が起り、

出来るならば選ばれた者達すらも惑わすために、

盛大な徴と奇蹟とを行うであろう。 

 

 見よ、わたしは、あなた達に一切をあらかじめ告げたのだ。

したがって、人々があなた達に『見よ、彼は荒野にいるぞ』と言っても、出て行くな。

『見よ、奥の部屋にいるぞ』と言っても、信じるな。

 

 なぜなら、稲妻が東から出て、西にまで煌めきわたるように、

人の子の来臨の時もちょうどそのようになるであろう。

死体のある所はどこでも、そこに禿鷹(はげたか)達が集まるであろう。」

 

 

 

❖補足文

(※①預言者ダニエル~荒らす忌むべきもの…<ダニエル書11:31.12:11>では偶像を、9:27では偶像崇拝者を示唆する。ここでは70年のローマ軍の神殿蹂躙意味していよう。

※②安息日…ユダヤ教では、安息日には一定の距離を超えて移動することが禁じられていた。<出エジプト16:29>マタイ教会では、おそらくユダヤ教の安息日が未だに重要視されていたらしい。)

 

 

 

 

 世の終末と人の子の到来

 

 「さて、それらの日々における患難の後、すぐさま 

 

 ※③太陽は陰って日を失い、

月はその光を放たぬようになるであろう。

そして星辰は天より次々と落ちるであろう。

そして天の諸力は揺り動かされるであろう。

そしてその時、人の子の徴が天に現れるであろう。

 

 そしてその時、地上の諸族は胸を打って嘆くであろう。

そして彼等は、人の子が力と多くの栄光を伴い、

天の雲に乗って到来するのを見るであろう。

 

 そして彼は、大いなるラッパと共に彼の御使い達を遣わし、

彼等は、彼のために選ばれた者達を天の果てから果てまで、

四方から(4つの風の方向から)呼び集めるであろう。」

 

 

 

❖(※③太陽は陰って日を失い~揺り動かされるであろう。…<イザヤ13:10.ヨエル書2:10・3:4、15><イザヤ34:4>参照)

 

 

 

 

 終末の接近

 

 「いちじくの木から、次の譬えを学べ。

その枝が既に柔らかくなり、葉が生じると、夏が近いとあなた達は知っている。

このようにあなた達も、これらのことを見たならば、

彼が入口のところまで近づいていることを知れ。

 

 アーメン、わたしはあなた達に言う。

これら全ての事が起きるまでは、この世代は過行くことはない。

天地は過行くであろう。

しかしわたしの言葉は決して過行くことがない。

 

 しかし、かの日とかの時については、誰も知らない。

天の御使い達も、子も知らない。

ただ父のみが知っておられる。

 

 すなわち、ノアの時代とちょうど同じように、人の子の来臨の時もなるであろう。

つまり、大洪水の前のかの時代に、人々は食らったり呑んだり、

娶ったり嫁いだりしていた。そうしているうちにノアが箱舟に入った。

しかし、大洪水がやって来て全ての者をさらってしまうまで、

彼等は何一つ気が付かなかった。

そのように、人の子の来臨の時もまたなるであろう。

 

 その時、2人の者が畑にいると、そのうち1人は取り去られ、1人は残される。

2人の女が引き臼で粉を挽いていると、1人は取り去られ、1人は残される。」

 

 

 

 

 夜の盗人の譬え

 

 「だから目を覚ましておれ。

あなた達の主がどの日に来るのか、あなた達は知らないからである。

しかし、次の事は知っておきなさい。

つまり、家の主人は、何刻頃に泥棒がやって来るのか分かっていたら、

目を覚ましていて、自分の家に穴を開けられるのを放っておかなかったであろう。

この故に、あなた達もまた備えていなさい。

と言うのは、あなた達がまさかと思う時に、人の子は来るからである。」

 

 

 

 

 忠実か、不実な僕の譬え

 

 「主人がその召使たちの上に立て、彼等に時に応じて糧を与えるように任命した。

忠実で賢い僕とは一体誰か。

幸いだ、主人がやって来て、そのようにしているところを認められる、かの僕は。

アーメン、わたしはあなた達に言う。

主人はその全ての財産の管理を、彼に任せるであろう。

 

 しかし、それが悪しき僕で、自分の心の中で『俺の主人は遅れている』と思い、

自分の僕仲間を殴り始め、また酔っ払い共と食らい、かつ呑んでいるならば、

その僕の主人は彼の予期しない日に、そして彼の知らない時にやって来て、

彼を細切れにし、彼の運命を偽善者共のそれと同類にするであろう。

そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。

 

 

 

 

 ✤✤この章ではダニエル書の12章を紹介します。

 

 

  <ダニエル書12章1-13全文>

 

 その時、大いなる守護天使ミカエルが現れる、

あなたの民の子等の側に立つものとして。

 

 国が始まって以来そのときまでなかったような苦難の時が来る。

その時、かの書物に記されているあなたの民は皆助かる。

大地の塵に埋もれて眠る者の中多くの者が目覚める。

 

 ある者は永遠の命に、

ある者は忌まわしい永遠の咎めに。

 

 見識のある者達は蒼穹の輝きのように輝き、

多くの者を義に導いた者達は星のように永久に輝く。

 

 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、これらの言葉を秘密にし、

この書物を封印せよ。

多くの者があちこちに尋ねまわって、知識が増すであろう。」

 

 

 私ダニエルが見ると、別の二人の人が、一人はナイル河のこちらの岸に、もう一人はナイル河の向こう側の岸に立っていた。

その一人が、ナイル河の水面の上に立っている、亜麻布をまとった人に言った。

 

 「この信じがたいことはいつになったら止むのでしょうか。」

 

 ナイル河の水面の上に立っている、亜麻布をまとった人が、左右の手を天に向かってあげ、永遠なる方によって誓うのを私は聞いた。

 

 『あと一時、二時、半時だ。

聖なる民の力を粉砕し終わったら、これら全ては止む。」

 

 私は聞こえはしたものの、理解できなかった。

私は言った。

 

 「わが主よ、これらのことの最後は何でしょうか。」

 

 彼は言った。

 

 「ダニエルよ、もうよい。

これらのことは終わりの時まで秘密にされ、封印されているのだ。

多くの者が磨かれ、清められ、練られる。

悪人は悪事を働き、悪人には何もわからない。

だが見識のある者にはわかる。

 

 日ごとに供え物が廃止され、荒廃をもたらす忌まわしい者が据えられてから、

1290日である。

待望して1335日目を迎えられる者は幸いである。

あなたは終わりまで歩み続けよ。

それから憩うのだ。

終わりの日には甦ってあなたの分け前をいただけよう。」

 

 

 

 

 

 

マタイによる福音書 23.

【マタイによる福音書】

 

 

 

 23.

 

 

 

 ファリサイ派批判

 

 その後、イエスは群衆と彼の弟子達とに語って言った。

 

 「モーセの※①椅子に座っているのは律法学者達とファリサイ人達である。従って、彼等があなた達に言うことは皆行い、守れ。

しかし、彼等の業は見習うな。

なぜなら、彼等は言うことは言うが、行わないからである。

彼等は重く担いきれない荷を束ね、人々の肩に背負わすが、彼等自身は自分の指でそれらの荷を動かす気は全くないのだ。

また、彼等は自分達の業を、全ての人に見せようとしてやっているに過ぎない。

彼等が自分達の※②教札を広くし、衣の房飾りを大きくするのもそのためだ。

また、彼等は食事においての特等席と会堂での最上席、および市場で挨拶されることと、人々に『ラビ』と呼ばれることが好きでたまらないのだ。

 

 しかし、あなた達は『ラビ』などと呼ばれるな。

あなた達の教師はただ一人のみであり、あなた達は皆兄弟だからである。

またあなた達は、地上で何者をもあなた達の『父』と呼ぶな。

あなた達の父はただ一人、天の父のみだからである。

また、あなた達は『導師』などと呼ばれてはならない。

あなた達の導師は唯一人、キリストのみだからである。

また、あなた達のうち最も大いなる者は、あなた達に仕える者となるだろう。

また、自分自身を高くする者は低くさせられるであろう。

そして自分自身を低くする者は高くさせられるであろう。」

 

 

 

❖補足文

(※①椅子…「椅子」とは、「教座」のこと。ファリサイ派がモーセの後継者をもって自らを任じたことは『ミシュナー』「アヴォート」一1に言われている(「モーセはシナイ山から律法を承け、これをヨシュアに伝え、ヨシュアは長老達に、長老達は預言者達に、預言者達はこれを大会堂の人々=ファリサイ派にとっての祖に伝えた。)

※②教札…<出エジプト3:1-10・11-16><申命記6:4-9>(いわゆる「シェマー」文)、13-21の4つの聖句を4枚の羊皮紙に書き、それを4つの仕切りのある小箱風の入れ物のそれぞれの死きりに収めたもの。その入れ物には皮ひもがついており、祈りの時、頭及び腕に結び付けた。<申命記6:8>参照。)

 

 

 

 禍の言葉

 

 「さて、禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は、人々の前で天の王国の扉を鍵で閉じてしまうのだ。

何と、お前達は自ら入ることをせず、入ろうとする者達をも入らせないのだ。

 

 禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は海と大陸を駆け巡って、一人でも改宗者を作ろうとする。

そしてうまく行った時は、彼をお前達に倍するほどのゲヘナの子にしてしまうのだ。

 

 禍だ。お前達盲目の道案内人共よ。

お前達は言う、

『神殿にかけて誓う者がいるとすれば、それはなにごとでもない。

しかし神殿の黄金にかけて誓う者は、その誓いを果たす義務がある。』

愚か者共よ、また盲目な者共よ。

黄金とそれを聖化する神殿とでは、一体どちらがより大いなるものか。

 

 また、お前達は言う。

『祭壇にかけて誓う者がいるとすれば、それはなにごとでもない。

しかし、その上にある供え物にかけて誓う者がいるとすれば、その誓を果たす義務がある。』

盲目な者共よ。供え物と供え物を聖化する祭壇とでは、一体どちらがより大いなるものか。すなわち、祭壇にかけて誓う者は、それにかけて誓うと同時に、その上の全ての物にかけて誓うのである。

 

 また、神殿にかけて誓う者は、それにかけて誓うと同時に、そこに住みたもう者にかけて誓うのである。

また、天にかけて誓う者は、神の御座とその上に座したもう者にかけて誓うのである。

 

 禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は薄荷(はつか)と、※いのんど(※セリ科の草で、実は香料に、葉や花は食料になった。)と、※うい香(ういきょう)(※セリ科の草木。種が香料となる。クミン。)

との10分の1税を払っていながら、律法の最も重要なものをなおざりにしている。

すなわち、審きと憐みと信頼(信仰)である。

もっとも、前者も行わなければならないが、後者もなおざりにしてはならない。

 

 

 盲目の道案内共よ、※③ぶよを濾す(こす)が、らくだは丸呑みにする者共よ。

 

 禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は杯と皿の外側を清めるだけで、内側は略奪行為と放縦さに満ちている。

盲目のファリサイ人よ、杯の外も清くなるためには、お前はまずその内を清めよ。

 

 禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は※④石灰で白く塗られた墓そっくりである。

外側は美しいが、内側は死者の骨とあらゆる不浄で満ちている。

このようにお前達も、外側では人々に義人らしく見えてはいるが、

内側は偽善と不法で満杯である。

 

 禍だ。お前達律法学者とファリサイ人よ、偽善者共よ。

お前達は預言者の墓を建て、義人達の墓所を飾り立て、そして言う。

『もし我々が、父祖達の時代にいたならば、預言者達の血について、父祖達の共犯者にはならなかったであろうに。』

まさにこうしてお前達は、自分が預言者殺しの下手人の子であることを、自らに対して明かしているのだ。

そのようにしてお前達は、自分の父祖達の悪行の升目を満たすが良い。

 

 蛇よ、まむしの裔(すえ)よ。

お前達はゲヘナの審きからどのようにして逃げようというのか。」

 

 

 

❖補足文

(※③ぶよは濾すが、らくだは丸呑みにする…「羽があって4つ足で歩く動物」の大部分ー「ぶよ」を含むが穢れた動物であったため<レビ記11:20-23>、厳格なファリサイ人達は葡萄酒や水も濾してから飲んだと言う。その様に細心の注意を一方で払っていながら、他方で「らくだ」ーこれも穢れた動物、は丸呑みにしているという、ブラックユーモア的皮肉。なお、「ぶよ」はアラム語でqalma、「らくだ」はgamlaで、元来一つの言葉遊びでもあったか。

※④石灰で白く塗られた墓…墓は、それに触れる者を7日間穢すとされた<民数記19:16>参照。墓を白く塗るのは、人が誤って墓に触れて身を穢さないための策。

 

✤✤イエスは、「偽善者」を最も嫌っていました。

この※④で石灰で白く塗られた墓について、

「外側は美しいが、内側は死者の骨とあらゆる不浄で満ちている。

このようにお前達も、外側では人々に義人らしく見えてはいるが、

内側は偽善と不法で満杯である。」

という言葉通り、現代の支配層もその下のDS達も、政治家達も同じであり、その後に続く、宗教家達(イエズス会を中心とした宗教界)の偽善も

「自分達の悪業の升目を満たすが良い。」

の通り決して神の審判から逃れられないでしょう。)

 

 

 

 

 血の責任とこの世代

 

 「このゆえに、見よ、

このわたしがお前達のもとに預言者達と智者達と※⑤律法学者達とを遣わす。

お前達は彼等のうちのある者達を殺し、また十字架につけ、

そして彼等のうちのある者達をお前達の会堂で鞭打ち、

また町から町へと迫害するであろう。

そのため、義人アベルの血から始まって、

お前達が神殿と祭壇の間で殺害した※⑤バラキオスの子ゼカリヤの血に至るまで、

地上で流されたすべての義なる血がお前達の上にふりかかるであろう。

 

 アーメン、わたしはお前達に言う。

これらすべてはこの世代にふりかかるであろう。」

 

 

 

❖(※④律法学者達…この「律法学者達」は、マタイの教会ではなじみの、キリスト教的律法学者(すなわち教師の一種)であろう。

※⑤バラキオス~ふりかかるであろう。…<代下24:20>以下の事件(ヘブライ語聖書の最後の書の殺人事件)を指すと思われるが、その際の「ゼカリヤ」は「エホヤダの子」。「バラキオスの子ゼカリヤ」は、むしろ12小預言者中のゼカリヤ<ゼカ1:1>のこと。マタイの記憶違いか。)

 

 

 

 

 

 エルサレム遺棄預言

 

 「エルサレムよ、エルサレムよ。

預言者達を殺し、自分のもとに遣わされた者達を石打ちにする者よ。

わたしは雌鶏がその雛たちを翼の下に集めるように、

何度お前の子等を集めようとしたことか。

しかし、お前達は望まなかった。

 

 見よ、お前達の家は見棄てられ、荒れるがままにされるであろう。

然り、わたしはお前達に言う。

お前達は今から後、二度とわたしを見ることはないであろう。

お前達が、※⑥主の名によりて来る者に祝福あれ、と言う時までは。」

 

 

 

❖(※⑥主の名において来る者に祝福あれ…文献上この引用文(詩編118:26>は、終末期に至って現れた審判者の圧倒的威光に対する承認の言葉。しかし、もはや時すでに遅し、残るは審期の施行だけである。

 

 ✤✤解説の説明も難しいんですが、

悪人共に対して、神もイエスも何度も憐みを示して、罪を悔い改めることを望んでいのに、彼等はそれを拒否し、罪を改めなかった。

なので、イエスの言葉、

「お前達は今から後、二度とわたしを見ることはないであろう。

お前達が、

 

<詩編118:26>

 祝福あれ、ヤハウェの名において来る者。(審判者のイエスのこと)

我等はあなた達を祝福する、ヤハウェの家から。

 

 と、言う時までは。」

 

 資格のない、選ばれないお前達は、今はこうしてわたしを見ているが、

その時にはわたしを見たくても見れないのだ。という意味ですね。)

 

「信じる者は救われる」のか?

■■「信じる者は救われる」のか?

 

 ちょっとこんなタイトルで出してみたんですけども、

最近なんか、有名なユーチューバーの動画でですね、「これこそが聖書の真実」

みたいな、どや顔で作られたものを幾つも目にして考えてしまいました。

それぞれ、かなりよく調べられて動画作成をしているなとは思いますが、彼等は基本的には聖書を信じていないので、はじめからちょっと馬鹿にした雰囲気をかもして説明しているんです。

世界一有名な宗教の聖典ではあるけれど、神についての真理とか、実在については否定的というか、そこはあくまで神話ですよー。みたいな解釈で。

でも、こちらから見ると、「おいおい、そこは誤解しとるやろ、違うだろ、自分の勝手な解釈で物言うとるやろ。」っていうのがちょいちょい見受けられまして、視聴してて腹立ってきました。

多分、本当の聖書研究やっている人達はみんな思っているだろうと思うんだけど、所詮、彼等は「この世の人で、この世を愛している偶像崇拝者だ」ってことを。

イエスが言っている通り、「世の人はわたしを信じない」と。

人気ユーチューバーのほとんどはスピ系を好きですし、宇宙人説を信じていますし、聖書を「神の手紙」だとは信じません。

そして唯一のキリストはイエスであるということも。

 

 また、人気ユーチューバーは「輪廻転生」を信じていますし、日本は神八百万の国なのだから、神に選ばれた国だから、「偶像崇拝」や「自然崇拝」は正しいと言っています。

文化なんだからいいのだとも言っています。

 

 確かに、日本の文化は私も愛しているけど、神については違うと思っています。

みんな騙されていると思っています。

そう、神については世界中が騙されています。

 

 「お前は、死後救われたいから信じるのか?」

いいえ、違います。

自分が最後の審判でどう判定されるのか分かりませんし、自信だってありません。

 

 ただ、学び続けて知ってしまったから、

これしか信じられないと思ってしまったから。

 

私は実は真逆の人間でしたからね。

スピ系大好きで、オカルトも偶像崇拝も、自然崇拝もしていた人間で、

でも心は救われなかった。

求めても求めても、魂は貧しかった。

苦しかった。訳が分からない自分の人生に、起きることに、

問いに答えが欲しかった。

そして、まわりまわって散々遠回りした挙句、聖書にたどり着いて、

でも直ぐに理解出来たわけじゃなくて、そこでもまた8年勉強して、ほっぽり出して、また戻って、

戻った時から本気で一から自分で調べて学ぼうと決意してここまで来ました。

20年くらいですかね。

まだまだ新米クラスですが。

 

「信じる者は救われる」のか?

という問いに、

少なくとも以前の偶像崇拝の馬鹿な私よりは、今の私は救われております。

 

 皆さまは聖書勉強されていかがでしょうか?

 

 

 

 

マタイによる福音書 22.

【マタイによる福音書】

 

 

 

 22.

 

 

 

 盛大な婚礼の譬え

 

 するとイエスは答えて、再び譬えで彼等に語って言った。

 

 「天の王国は、自分の息子のために婚礼を催す一人の王と同じであると言える。

さて、彼はその僕達を遣わし、婚礼への招待客を招こうとした。

しかし彼等は来ようとはしなかった。彼はもう一度他の僕達を遣わし、言った。

『招待客たちに言え。

見よ、私は自分の催す夕食を用意した。

私の雄牛と肥えた家畜とは屠られ、用意は万端整った。さあ、婚礼に来て欲しい。

と。』

 

 しかし、彼等は意に介さず、ある者は自分の持つ畑に、ある者は自分の商売に出かけて行った。他の者達は、王の僕達を捕まえて暴行を加え、かつ殺してしまった。

そこで王は怒って、自分の軍隊を派遣し、それらの人殺し共を滅ぼしてしまい、また彼等の都を焼き払ってしまった。

その後、彼はその僕達に言う。

『婚礼の用意は整った。しかし招待された者共は相応しくなかった。

そこで街路の四辻へ行って、お前達が出会う者達をことごとく、婚礼に招待するのだ。』

そこでそれらの僕達は街路に出て行って、悪人であれ、善人であれ、見つけた者はすべて集めて来た。

そこで婚礼は列席者で一杯になった。

 

 ところが、王が列席者たち達を謁見しようと入って来ると、そこに婚礼の衣服を着ていない者を一人見つけた。そこで王は彼に言った。

『友よ、あなたはどういうわけで、婚礼の衣服を身に着けずにここへ入って来たのか。』

しかし彼は黙っていた。その後、王は仕えの者達に言った。

『この者の両足と両手を縛り、外の闇の中へこの者を放り出せ。

そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。』

まことに、多くの者が召されるが、選ばれる者は少ない。」

 

 

 

 

 納税問答

 

 その時、ファリサイ人達がやって来て、どのようにして言葉尻を捕らえて彼を罠にはめたらよいか、協議した。

そして彼等は、※①ヘロデ党の者達と共に彼等の弟子達を彼のもとへ遣わして言う。

 

 「先生、私共はあなた様が真実な方でいらして、真実に神の道を教えておられ、誰をはばかることもない方であることを存じ上げております。

なぜならばあなた様は、外観で人をえこひいきなさることがないからです。

ところであなた様にはどう思われるか、私共に仰ってください。

カエサルに税金を払うことは許されているのでしょうか、いないのでしょうか。」

 

 しかしイエスは悪意を知って言った。

 

 「お前達はなぜわたしを試みるのか、偽善者共よ。

わたしに人頭税の貨幣を見せよ。」

 

 そこで彼等は彼に、デナリオン貨幣を持って来た。すると彼は彼等に言う。

 

 「これは誰の像か、また誰の銘か。」

 

 彼等は彼に言う。

 

 「カエサルのです。」

 

 そこで彼は彼等に言う。

 

 「だから、カエサルのものはカエサルに与えよ、

しかし神のものは神に与えよ。」

 

 すると彼等は、これを聞いて驚き、また彼を残して立ち去って行った。

 

 

 

❖補足文

(✤<マタイ12:13ー17>にて解説してあるのでこちらを振り返ってくだしませ。

※①ヘロデ党…ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの追随者集団を指していると思われるが、詳細は不明。ローマおよびヘレニズムの崇拝者集団であり、社会の貧民層ではなかったことは確かであろう。)

 

 

 

 

 復活問答

 

 その日、※②サドカイ人達が彼のもとにやって来た。

甦りはないと言っている者達である。そして彼に尋ねて言った。

 

 「先生、モーセは次のように言いました。

 もしある人が子供を残さずに死んだ場合、その弟がその妻と姻戚して結婚し、自分の兄の子孫を起こすであろう。

ところで、私共のもとに7人の兄弟がいました。

そこで長男は結婚しましたが死んでしまいました。

そして、彼は子孫がありませんでしたので、その妻を弟に残しました。

二番目も三番目も同様で、最後の七番目まで去りました。

そして皆の最後に、その女が死にました。

そこで、甦りにおいて、彼女は7人のうちの誰の妻なのでしょう。

というのも、皆が彼女を妻にしたからです。」

 

 そこでイエスは答えて彼等に言った。

 

 「あなた達は聖書も神の力も知らないからこそ、そのように誤っているのだ。

なぜならば、甦りにおいては、人は娶ることも嫁ぐこともしない。

むしろ天の御使い達のようだからである。

また、死人達の甦りについては、あなた達は神によってわたし達に次のように言われていることを読んだことがないのか。

 このわたしがアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。

※③神は死人達の神などではなく、生ける者達の神である。」

 

 なお、群衆はこれを聞き、彼の答えに仰天していた。

 

 

 

❖(※②サドカイ人…サドカイ派のこと。祭司長達と長老達の最高法院グループ、およびそれの母胎の貴族階級を中心としたメンバーとする党派。現行の支配体制を維持しようとするのが目的。モーセ5書のみに基づき、その「近代化」を排除する。従って、復活や終末や最後の審判などを認めない。但し現実的には、律法を祭り上げる態度に近い。この派の成員達を「サドカイ人」と呼ぶ。

 

 ✤✤まるで現在のエリート集団そのもの、ユダヤシオニストですよね。

 

※③神は~生ける者達雄神である。…つまり、だからこそアブラハムやイサクやヤコブは「甦って」今も生きているのだ、すなわち当然ながら「甦り」はあるのだ。ということ。)

 

 

 

 最大の掟

 

 しかしファリサイ人達は、彼がサドカイ人達の口をつぐませたと聞き、一つのところに集まった。そして彼等の中の一人で律法学者である者が、彼を試みようとして彼に尋ねた。

 

 「先生、律法の中では、どの掟が最も大いなる掟でしょうか。」

 

 するとイエスは彼に言った。

 

 「お前は、お前の神なる主を、

お前の心を尽くしつつ、

お前のいのちを尽くしつつ、

お前の想いを尽くしつつ愛するであろう。

これが最も大いなる、そして第一の掟である。

第二の掟もこれと同じである。

 

 お前は、お前の隣人をお前自身として愛するであろう。

この二つの掟に、律法と預言者達のすべてが掛かっている。」

 

 

 

 

 ダビデの子キリスト論への反論

 

 そしてファリサイ人達が集まっている時、イエスは彼等に尋ねて言った。

 

 「あなた達はキリストについてどう思うか。彼は誰の子か。」

 

 彼等は彼に言った。

 

 「ダビデの子だ。」

 

 彼は彼等に言う。

 

 「それではどうしてダビデは聖霊のうちで彼を主と呼び、次のように言っているのか。

 

 ※④主はわが主に言われた。

 

 『わたしの右に座せ、

わたしがお前の敵をお前の足下に据えるまで。』

 

 そこで、もしダビデが彼を『主』と呼んでいるなら、

どうして彼はダビデの子なのか。」

 

 すると誰一人、彼に一言も答えることが出来なかった。

またこの日から、誰もこれ以上彼にあえて尋ねることはしなかった。

 

 

❖(※④主はわが主に言われた…最初の「主」は神自身のこと、次の「主」はキリストのこと。

✤つまり、ダビデの子孫の家系としてイエスは誕生しているのだけど、ダビデの子ではないよね。ダビデ自身がキリストをわが「主」と呼んでいるのだから。)

 

 

 

マタイによる福音書 21.

【マタイによる福音書】

 

 

 

 21.

 

 エルサレム入場

 

 さて、彼等がエルサレムに近づき、オリーブ山に沿う※ベトファゲ(※オリーブ山中の村)にやって来たその時に、イエスは二人の弟子を遣わして彼等に言った。

 

 「あなた達の見ている、あの向こうの村に赴くのだ。すると、あなた達はすぐさま、繋がれている一頭の雄ロバと、それと共に居る一頭の子ロバを見つけるであろう。

それらをほどいてわたしのところに連れて来るがよい。

そしてもし誰かがあなた達に何か言うならば、『主がこれらを必要とされているのです。』

と言うのだ。すると彼は、すぐにそれらを渡してくれるであろう。」

 

 このことが起ったのは、預言者達に言われたことが満ちるためである。

すなわち、

 

 あなた達、シオンの娘に言え、

見よ、あなたの王があなたの所にやって来る。

柔和で、ロバの背に乗って

荷ロバの子である子ロバに乗って。<イザヤ62:11>~<ゼカリヤ9:9>

 

 そこで、弟子達は行って、イエスが彼等に命じたようにしながら、ロバと子ロバを引いて来た。そして、彼等はそれらの上に衣服を敷いた。

そして彼はそれらの上に乗った。

すると、大群衆が自らの衣服を路上に敷き、また他の人々も木の大枝を切って来て、路上に敷き始めた。

また、彼よりも先にそれに従う者達も、叫び続けて言った。

 

 「※①ダビデの子ホサンナ、

主の名によりて来たる者に祝福あれ。

いと高きところにホサンナ。」

 

 そして彼がエルサレムに入ると、全部が動転して言った。

 

 「こいつは何者だ。」

 

 一方、群衆は言い続けた。

 

 「これはガリラヤのナザレ出身者の預言者イエスだ。」

 

 

 

 

❖補足文

(<マルコ11:1-11>にて解説した通り。です。

※①ダビデの子ホサンナ…元来ヘブライ語の「ホーシーアー・ンナー」アラム語の「ホーシャー・ナー」「ああ、救い給え」を意味する。元来祈祷の表現だが、やがて典礼的歓呼の声ともなった。)

 

 

 

 

 神殿への批判行動

 

 そしてイエスは神殿境内に入った。

そこで彼は神殿境内で売り買いする者達全員を追い出し、両替人達の台と鳩を売る者達の椅子とをひっくり返した。

そして彼は彼等に言う。

 

 「聖書には次のように書かれている。

わたしの家は、祈りの家と呼ばれるであろう。<イザヤ56:7>

それなのにお前達は、それを強盗共の巣にしている。<エレミヤ7:11>」

 

 

 

 

 

 子供達の歓呼

 

 すると神殿境内にいる盲人達と足の萎えた者達とが彼に近寄って来た。

そこで彼は彼等を癒した。

しかし祭司長達と律法学者達は、彼がなした驚くべき業と、神殿境内で叫びながら

「ダビデの子にホサンナ」と言っている子供達とを見て激しく怒り、彼に言った。

 

 「これらの者達が何を言っているのか、お前には聞こえているのか。」

 

 するとイエスは彼等に言う。

 

 「聞こえている。

あなた達は、次のように書いてあるのを読んだことがないのか。

 

 嬰児と乳飲み子の口にこそ、わたしを賛美を与えよう。<詩編8:3>」

 

 そしてイエスは彼等を置き去りにして、都から出てベタニアに行き、そこで宿をとった。

 

 

 

 

 いちじくの木への呪い

 

 さて、朝早く都に戻る時、彼は空腹をおぼえた。

そして一本のいちじくの木を路上に見て、そこへ行った。

しかしその木には、葉の他には何も見出せなかった。

そこで彼は木に言う。

 

「今から永遠に、お前から実が生じないように」

 

 するといちじくの木はたちどころに枯れた。

そして弟子達はこれを見て驚き、言った。

 

『なぜ、いちじくの木はたちどころに枯れてしまったのですか。」

 

 するとイエスは答えて彼等に言った。

 

  「アーメン、わたしはあなた達に言う。

もしあなた達が信仰を持ち、決して疑わないのならば、あなた達はこのいちじくの木に生じたようなことをなしうるだけではなく、たとえあなた達がこの山に、

『引き抜かれて、海に投げ込まれてしまえ。』

と言っても、そうなるであろう。

そして、祈りの中で信じて求める一切のものを、あなた達は受け取るであろう。」

 

 

 

❖(✤こちらも、マルコ11章にて解説しておりますので振り返ってご覧ください。)

 

 

 

 権威問答

 

 さて、イエスが神殿境内にやって来ると、祭司長達と民の長老達とが、居る彼に近寄って来て言った。

 

 「お前は何の権限を持ってこのようなことをするのか。

それに、このような権威を一体誰がお前に与えたのか。」

 

 するとイエスは答えて彼等に言った。

 

 「このわたしもまた、あなた達に一つ尋ねよう。

その答えをわたしに言ってくれるなら、

このわたしもまた、自分がどのような権威でこれらの事をしているのか、

あなた達に言おう。

 

ヨハネの洗礼はどこから来たのか。

天からのものであったか、それとも人間からのものであったか。」

 

 すると彼等はお互いの間で論じ合いながら言った。

 

「俺達がもし『天からのもの』だと言うならば、『ではなぜ彼を信じなかったのか』と彼は俺達に言うだろう。

他方、もし『人間からのもの』だと言うとしたら、俺達は民衆を恐れている。なぜなら皆がヨハネを預言者とみなしているからだ。

そこで彼等はイエスに答えて言った。

 

 「私達は知らない。」

 

 すると彼の方でもまた彼等に言った。

 

 「このわたしも、どんな権威でこれらのことをするのか、あなた達に言わない。」

 

 

 

 

 二人の兄弟

 

 「そこであなた達はどう思うか。ある人が二人子供を持っていた。

そこで彼は長男のところに行き、言った。

『子よ、今日、葡萄園へ行って働きなさい。』

しかし長男は答えて言った。

 『私はいやだ。』

しかし長男はその後思い直して、行った。

 

 ところでその人は別の子のところへ行って、同じように言った。

するとこの子は答えて言った。

『主よ、まいります。』

しかしこの子は行かなかった。

二人のうちどちらが、父の意志を行ったか。」

 

 彼等は言う。

 

 「兄の方だ。」

 

 イエスは彼等に言う。

 

 「アーメン、わたしはあなた達に言う。

徴税人と売春婦達の方が、あなた達より先に神の王国に入る。

なぜならば、ヨハネは義の道を示しながらあなた達のところに来たが、

あなた達は彼を信じようという気にはならなかった。

だが徴税人と売春婦達は彼を信じた。

あなた達はしかし、それを見ていながらも、後日思い直して彼を信じることをしなかった。」

 

 

 

 

 悪しき農夫達の譬え

 

 「あなた達は、他の譬えを聞け。

一人の家の主人がいた。彼は葡萄園を造り、そのまわりに垣根を設け、その中に浮けぶねを掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫達に貸して旅立った。

さて、収穫の時が近づいた時、彼は自分の僕達を農夫に遣わして、彼の収穫を受け取ろうとした。

ところが農夫達は、彼の僕達を捕らえ、ある者を殴り、ある者を殺し、ある者を石撃ちにした。

彼は再び、他の僕達を彼等のところに遣わした。その数は初めの場合より多かった。

しかし農夫達は彼等に対しても同じようにした。

そこでついに彼は、彼等のもとへ彼の息子を遣わして、言った。

『私の息子なら、彼等もはばかるところがあるだろう。』

しかし農夫達は、その息子を見て、お互いの間で言った。

『こいつは跡取りだ。さあ、こいつも殺してしまおう。

そうすれば彼の財産が俺達の手に入る。』

そして彼を捕らえて葡萄園の外に投げ棄て、殺してしまった。

そこで葡萄園の主人がやって来る時、彼は他の農夫達に対してどうするであろうか。」

 

 彼は彼等に言う。

 

 「悪い彼等を悪辣な仕方で滅ぼしてしまい、葡萄園は、刈り入れ時に収穫物をまともに彼に納める、他の農夫達に貸すであろう。」

 

 イエスは彼等に言う。

 

 「お前達は聖書の中で次の個所を読んだことがないのか。

 

 家造り達の棄てた石、

それこそが隅の親石になった。

これは主がなされたことで、

彼等の目にはただ驚きである。<詩編118:22-23>

 

 このゆえにわたしはお前達に言う。

神の王国はお前達から取り上げられ、王国の実を結ぶ一つの民に与えられるであろう。

そしてこの石の上に落ちる者は粉々にされるであろう。

また、この落ちる石の下になる者は、押しつぶされるであろう。」

 

 すると、祭司長達とファリサイ人達は、彼の譬えを聞き、彼が自分達について語っているのがわかった。そこで彼等は彼を捕まえようとしたものの、群衆を恐れた。

群衆は彼を預言者であると見なしていたからである。

 

 

 

❖(✤こちらもマルコ第13章の解説をお読みください。)