tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

死海文書『戦いの書』 1.

 

 死海文書「クムラン宗団・エッセネ派」とキリスト教

 

 

 

 ◍注『死海文書のすべて』ジェームス・C・ヴァンダーカム著と、『死海文書』テキ 

  ストの翻訳と解説・日本聖書学研究所著を参考にしていきます。

 

 

 

  死海文書の中で、最近よく取り上げられてい「戦いの書」について後で紹介してみようと思いますが、終末論的な文書の中で最も有名なものとして挙げられているこの「戦いの書」は、1947年に死海文書発見の第一洞穴から最初に発見された7つの巻物の1つです。

この巻物はどの巻物よりも損傷がひどく、それでも19の欄の諸部分が残されており、第4の洞穴からは6つの写本の断片が出ています。そしてこれらの写本のあるものは、テクストの転写の過程で編集や再編集があったことを示しています。

 

 

 「戦いの書」の冒頭部分は、光の子等」と「闇の子等」と呼ばれる者達の間で戦われる40年間の戦争の経緯を要約しているとされています。そして第一欄は、その戦争が普通のものではなく、最終戦争であることを明瞭に宣言するもののようです。

つまり、この「最終戦争」というキーワードから、最近特に取り上げられるというのも頷けます。

 

 ところで、この死海文書の著者については、クムラン教団(エッセネ派)の義の教師(祭司=教団の教祖的存在)と言われています。

「戦いの書」はクムラン教団の教祖自身の黙示録文書として書かれているのです(これは「聖書」の文書としては分類されないということ。)

 

 この意味として、『死海文書のすべて』による説明で言えば、死海文書の中で「聖書」という言葉を使用するのは、紀元前の最期の数世紀と紀元後の1世紀においてどの文書が「聖書」で、どの文書がそうでないかについて、定着した最終的な権威ある理解がなく、様々なユダヤ人グループが、どの文書が神の啓示を受けたものであるかについて独自の見解を持っていたようだったと言います。

しかし、どの文書がヘブル語聖書(プロテスタント旧約聖書)を構成するかに関する最終的な合意内容は不明でも、その合意は多分、後の時代になってなされたもののようです。

最終的に聖書を構成するものと見なされるに至ったかなりの数の権威的地位に関しては、多くのグループが既に合意していました。

それらは、モーセの律法を構成する5書(創世記から申命記までのトーラーと呼ばれるもの)、歴史的・預言的な文書と詩編です。

 

 

 …ということなので、

「戦いの書」は神の啓示を受けたものではなく、クムランの義の教師による黙示録文書であるということなのです。

 

 

 

 

 

 【1】 クムラン宗団・エッセネ派とは

 

 

 

 ここで、クムラン教団についてどんな宗団だったのでしょうか。

ご存じの方も多いかと思いますが、ユダヤ教には、エッセネ派の他にパリサイ派サドカイ派がありました。そしてパリサイ派サドカイ派ユダヤ教の主流と言われていました。実はこのクムラン教団であるエッセネ派は、このパリサイ派から迫害を受けてクムランの砂漠へ追いやられた宗団だったのです。

 

 

 1947年にベツレヘムの古物商から3つの巻物を購入したエレアザル・スケ―ニクは、その巻物がエッセネ派と関係があることを示唆した最初の研究者でした。スケー二クは、荒野の宗派の生き方を規定する定規要覧を読んだ時に、クムランがエッセネ派と結びつくのではないかと考えました。

彼は既に1948年に、古代の資料がエッセネ派の一団を死海の西岸のエン・ゲティ近くにおいているのを知っていたので、エッセネ派のことを思いついたようです。

 

 ローマの地質学者大プリニウス(27ー79年)によって、77年頃に公刊された『自然誌』の中のとくにある章節に言及されていたといいます。その書物の中で、ローマ世界やその向こうの世界(スペインからインドまで)の土地や興味ある事象などを詳しく書いています。その概観がシロ・フェニキア地方に及ぶと、彼は当然のことながら、地球上の最も低い場所にある死海についての簡単な記述を含め、その地域を描きながら、次のように書いていました。

 

 「死海の西側で、岸からの有害な蒸気の達しない所に、エッセネ派の孤立した部族が住んでいる。それは、世界中の他の全ての部族が及びもしない驚嘆すべき部族である。女性を入れず、性欲を断ち切り、金も持たず、棕櫚(しゅろ)だけを伴侶としているからである。来る日も来る日も、人生の試練から逃れた者達の群れが受け入れられ、それと同じ数の、人生に疲れ、彼等の生き方に倣うために運命の大波によってそこに追いやられた者達が受け入れられている。こうして何千年もの間、語るに信じがたいことだが、そこにおいて誰も生まれない種族が永遠に生き続けている。彼等にとっては、他の者達の人生の疲れが豊かな実りとなっている。これらの者達の住む下に横たわるのは、土地の豊かさや、棕櫚の森などでエルサレムにつぐ、だが今はエルサレムのように灰土の山となったエン・ゲティの町だった。」

と。

 

 

 

 

 【2】エッセネ派の神学

 

 

 

 『死海文書のすべて』によれば、エッセネ派の信仰で、運命についての教えは、

予定論的神学であったようです。これについて、ユダヤ教の3つの宗派はそれぞれの見解をもっていました。

 

 パリサイ人の見解によれば、ある出来事は、すべての出来事ではない。運命による業の結果である。その他は、それが起こるのも起こらないのも、我々人間側の自由意志にかかっている、とする。

しかし一方、エッセネ派の宗団は、運命こそが一切の出来事の支配者であり、我々人間の経験するすべてのことは、運命の定めあるところに従って生起したもうのだと説明しています。

 

 他方、サドカイ人は、この運命というものを認めません。即ち、この世にそのようなものは存在せず、従って人間の営みがそれに支配されるということもまたあり得ない。一切のことは、我々自身の自由な意思で定まり、我々の幸福は我々自身が創り出し、不幸に苦しむのはこれまた我々自身の無思慮の結果である、と主張していました。

 

 エッセネ派は、今存在しているものや、これからするもの、それらすべては知識の神から来る。神はそれが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。そして、定められた通りに存在するようになると、それらは神の栄光ある構想に従い、何の変更もなしで、己の働きを成し遂げるとしていました。

 

 彼等の著者は「闇の天使は義の子等すべてを迷わせ、そして終わりまで、彼等の罪や、不義、悪のすべてが、また彼等の不法な行いのすべてが、神の秘密に従って、闇の天使の支配によってもたらされる。」と言っています。

 

 そして、「戦いの書」の中のシナリオ全体も、予定論の教えを前提にしています。神は歴史がどのように展開するかを悠久の昔から定められておられた。

神はすべてを掌握されておられるのだから、最終戦争はただ神の永遠の青写真に従って起こるのだというわけです。

 

 

 そして、死後の生については、歴史家ヨセフスによれば、この問題について、ユダヤ教の3つの宗派は見解を異にしているとして、パリサイ派は死者の復活を信じましたが、サドカイ派はそのような奇蹟を一切否定しました。

 

 そして、エッセネ派については、彼等は、肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、霊魂は不死で滅びないと確信していました。そして肉体の復活、いわゆる死者の復活があることを信じていたようです。

(こうした見解は感謝の詩編から理解されています。)

 

 

 また、『死海文書・テキストの翻訳と解説』によれば、エッセネ派の神学的特徴は、モーセの律法を規範として神に啓示され、宗団が伝え発展させた律法の伝統に絶対服従することであり、この厳格な律法主義はパリサイ派よりも強かったようです。

そして、律法以外にも彼等は祭司的教派であったので、イスラエルの預言の伝統を非常に重んじていました。

(よってエゼキエル書やダニエル書も重要な書として扱い、第2イザヤ書も重要視されていました。)

 

 

 そして終末観も強く持っていたといいます。その終末観とは、この地上にエルサレム及びその神殿を中心とした永遠に続く新しい神の国の出現を期待することでした。

それは「新しい創造」であって、全ての罪を知らざる堕落以前のエデンの状態への回復でした。

 

 そして最後の審判とは最後の戦いであって、光の子が闇の子に最終的に勝利を得るものです。彼等の教徒は、一人一人この戦いの戦士であり、「戦いの書」に出て来るこの戦いの敵である※「キッティーム」との闘いで、地上の敵が滅ぼされるのみならず、悪そのものを徹底的に滅ぼし、光と正義とが永遠に支配するようになるのです。

 

(※「キッティーム」と称せられるのはローマ人か?と解説は?を付けていますが、キッティームの語は年代や場所によって解釈が違うのですが、ここでは闇の天使ベリアルの

軍のことを言っているようです。)

 

 

 また、上記説明と同じく彼等は霊魂の不滅、あるいは永遠の生命を信じていましたから、この生命が死によって中断されないことは楽園回復と結びついていました。

彼等はこうした考えから天使信仰にも結び付き、天使の存在を信じ、「天使のように生きるべきであり、天使と交わり更に天使のようになるべきだ」と考えていました。

回復されたエルサレム神殿には神と天使が共に降って来て人と共に住み給うと考えたのです。(エゼキエル37:27~) 

 

 

 

 

 【3】メシア思想・死海写本と新約聖書

 

 

 

 また、クムラン宗団はメシア思想において新しいモーセ預言者、レビの種族から出る新しい大祭司、ユダの種族から出る新しい王の3人の救出者、すなわち1人の預言者と2人のメシアを期待していました。

〔「一人の預言者とアロンおよびイスラエルの受膏者達、メシアが現れる時まで(定規要覧IX11)」〕

 

 

 終末の預言者を期待することは、明らかに申命記(18:15、18)や、新しい時に当たり、新しいモーセのような預言者的立法者を期待する事は、マカベア第一書(4:46、14:41)にも見られます。モーセ預言者の待望は、キリスト教以前のユダヤ教において最も鮮明な一般信仰の一つであったようです。

また、新約においてもこの消息を伺うことが出来、ヨハネ(6:14、7:40)特にヨハネ(6:14)の5000人の給食の奇蹟においては、イエスはマナの奇蹟を再現する第二のモーセとして描かれています。

 

 

  ところで、新約聖書とクムラン文書との間には、重要な一致、類似、相違があります。しかし、類似や一致があったとしても、これが直ちに新約聖書がクムラン文書に拠っているということにはなりません。

 

 新約には、パリサイ、サドカイの2派の他に、神の国を待望するグループ、すなわちバブテスマのヨハネのグループ等があり、もちろん前2派の如くまとまった1派をなさずメシア待望という終末的な面において大雑把に前2派と区別されます。エッセネ派はこのグループの中に含まれていたのではないかという説もあります。

 

 

 ヨハネ福音書によれば、エスの最初の弟子がバブテストのヨハネでした。

ヨハネの弟子が全てイエスの弟子となったわけではありません。イエスの伝道の間にもヨハネの弟子のグループは存在していました。

そして、ヨハネの宗団は原始キリスト教のライバルでもありました。マンダヤ教の文書によれば、彼等はイエスの死後もヨハネを真のメシアと考え、イエスを偽りのメシアと考えていました。

 

 

 ヨハネ福音書はこのような状況を背景としていたので、ヨハネの弟子は、イエスヨハネの後に来たが故に、ヨハネを上位と置くのに対して、

福音書は、イエスは創造の始めより存在しヨハネの前よりも在ったと述べました。福音書は、ヨハネは光ではなく真の光であるイエスを証しせんとする為のものであったと論じたのです。

 

 

 また、ヨハネエッセネ派との関係においては、双方ともバブテスマ運動であったけれども、ヨハネは1回のバプテスマに対して、エッセネ派は何回も繰り返していました。それにエッセネ派のバブテスマは、教団への入会も意味していました。

それに対して、ヨハネの運動は個人的であり、宗団をなさず、規律も設けませんでした。ヨハネは確かに弟子を集めて、祈りの訓練をなしたようだけれど、宗団ごときの加入をさせる様子は見られなかったのです。

 

 

 ルカによれば、ヨハネはバブテスマを施す前はユダの砂漠に住んでおり、この砂漠がクムランの地域であったかもしれないとしても、

ヨハネはクムラン宗団には入会していなかったのです。

例えヨハネがクムラン宗団の影響を受けていたとしても、メシア思想においては、

クムランが自分達の宗団のみに来るメシア到来を望んでいたのに対して、ヨハネは民族全体のメシア到来を望んでいたのです。そこで、ヨハネは独り荒野に出てイザヤ書(40:3)を実践するためにメシア運動を始めました。

 

 

 

 

 【4】クムラン宗団とイエスの相違

 

 

 

 死海写本に平行なイエスの言葉は、道徳的教訓、すなわち「山上の垂訓」において最も著しく見い出されています。

「山上の垂訓」において『隣人を愛し、敵を愛せよ。(マタイ5:43~)』とあるのは有名です。あなたの隣人を愛せよは、レビ記(19:18)にも見出されていますが、反対に『汝の敵を憎めよ』なる語は、旧約にもラビ文献にも見出されません。

ところが、死海写本にはこの概念が見出されのです。

それは、定規要覧の中に「神の選び給もうた者をみな愛し、神の斥けたもうた者をみな憎むこと(Ⅰ:4)」、「すべての光の子等を愛し、すべての闇の子等を憎むこと(Ⅰ:9、10)」「レビ人達はベリアルに割当てられた者共すべて呪って言い出す。お前は呪われよ!(Ⅱ:4)」、「神に選ばれた者は悪しき者に報いを返すために御心によって選ばれた者(Ⅷ:6、7)」…等があり、敵を憎むことがしばしば言及されています。

 

 なぜなら、クムラン宗団におけるこの憎悪の概念は終末的性格を持ったものであり、宗団設立の動機さえ、終末が近いことに対する準備であり待望だったからです。

そのために、彼等はモーゼの律法を厳格に守ることが神の掟を守ることとして極めて重要だったのです。それが、隣人愛の掟よりも憎敵の掟が派生した理由でした。

しかし、イエスはこれらに対して、彼等の態度の根本的な誤りを指摘し、新たな福音により律法解釈を示されました。

 

 

『わたしが律法や預言者を廃するために来たと思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである。(マタイ5:17)』

 

『目には目を、歯には歯を。と言われていたことは、あなた方も聞いていることである。しかし、私はあなた方に言う。悪人には手向かうな。もし、誰かがあなたの右の頬を打ったなら、他の頬も向けてやりなさい。(マタイ5:38~)』

 

『わたしは言っておく。あなた方の義が律法学者やパリサイ人の義に勝っていなければ、決して天国には入ることは出来ない。(マタイ5:20)』等…

 

 エスにとっては、すべての掟をその根源的な原理に遡って再検討することであり、それはすなわち律法を成就することだったのです。

 

 

 

 

  【5】光と闇の2言論

 

 

 

 また、死海文書を生んだクムラン宗団の特徴の一つは、それが顕著な2元論を保持していたということです。2元論とは、宇宙が善悪との2者によって支配されているという考えですが、実は旧約聖書には2元論はなく、旧約はむしろ個人と律法との関係を重視しています。

 

 しかし、クムラン文書においては、全ての人は2つの陣営に、すなわち「光と真理の陣営」と「闇と悪の陣営」とに分かれるとなっています。

ここに明らかなことは、クムランの2元論は、いわゆる絶対的2元論とは異なるということです。つまりクムランにあっては、対立の2者が共に神の創造物なのです。

そしてこの2元論は、真理と悪(光と闇)との対立という点において倫理的になっています。次に2者の対立はあっても、真理が最後の勝者であるという点において終末的になっているのです。

 

 これは、この倫理的2元論の源が(日本聖書学研究所の見解においては)

イランのゾロアスター教に見ることができると言います。

 

 

 ゾロアスター教では、善悪の2つの力が対立していて、善はアフラ・マズダが、悪はアングラ・マイニュが導いています。善と悪との対立であるから倫理的であり、最後には、アフラ・マズダが勝利を得るので終末的になります。

ここに著しい類似が見られるからです。ただ、イランの2元論と異なる点は、善悪の霊がそれぞれ独立した存在であり、被創造物ではなく、共存することです。

 

 しかし、クムランがイランの2元論の影響を受けたことは、捕囚期以後も多くのユダヤ人がメソポタミアに留まり、イラン人社会の中に住んでいたことから容易に推定されます。つまり、クムラン時代のパレスチナにおいては既に宗教混合が見られたといえるのです。

 

 

  解説では、次のように言っています。

ヨハネの「黙示録」のような黙示文学が、黙示的特徴の強いクムラン文書と共通点を持つのは当然であり、従って単なる用語の類似のみで両者の関係を云々することは出来ないであろうということです。

しかし、それにもかかわらず、幾つかの類似を挙げることができます。「黙示録」によればクリスチャンは神にとって「祭司」とあり、クムランの祭司的伝統を連想させるのです。……

 

 クムランの「光の子の闇の子との闘い」は、神の僕とベリアルの僕との闘いを取り扱っています。これによれば大天使ミカエルが派遣されます。

黙示録もミカエルやその他の天使が参加する戦いを取り扱っていますが、しかし、黙示録には、戦いで地上の聖徒が動員されるというような事は記されていません。

黙示録には、サタンの解放があり、「ダマスコ文書」にもベリアルの解放がありますが、前者は千年期後の未来の事であるのに対し、後者は現在を指しています。

また、クムランでミカエルの戦う力が、黙示録では、キリストの力になっています。

しかし、一般的なモチーフとして共通のものがあります。

 

 

 

 

 私的には、「黙示録」の方が正統な預言書であるという認識なので、こちらを支持しています。というか、基本的にはクムラン宗団が(2元論は悪魔思想である)ゾロアスター教に寄っている時点で支持できません。

ということで、「戦いの書」は上記に書いたように、神の霊感において書かれたものでもなく、2言論の義の教師(祭司)の著作ということで、やはりここは最初から押さえておきたい箇所であります。

 

 

 よく、都市伝説番組などネットで、「キリストやヨハネクムラン教団の一員だった。」というような話をする者達がいるのですが、これはここでも捏造であることは明らかであるので、却下させていただきます。

 

 

 そもそも、イエスは神の子であるので、人間から神の教えを教示される必要は全くありません。生まれた時より神の教えを世に解く為に存在していたのですから。