【魔術】
『ピカトリクス』
第Ⅲ章
64,
断食中の男か女の唾液を蛇の頭か口に落とすと、これはたちまち死ぬ。
65,
婦女の舌は欺瞞あるいは妖術をはたらこうとする者の役に立つ。
66,
何かを盗むあるいは取り上げようとする時には、男の舌と鳶の舌を身に着ける。
67,
昇華した鉛丹を含んだ血紅色の水は、火にかけた銅の中に浸透してこれを融かす。
68,
(省略)
69,
耳垢は阿片と調合したものにはよく眠らせる効能がある。
70,
人の頭の煮出し汁に脳を混ぜたものは痴呆を癒す。
71,
赤銅の小刀で削った手や足の爪を、月が木星とともにあり太陽に合する時に燃やす。そしてこの粉を望みの者に飲ませると、あなたに好意を抱くようになる。
そこでその衣装にもこれを振りかける。
72,
(省略)
73,
人の尿はそれの転移した場所を燃やす。疥癬(かいせん)に罹った者をこれで洗うならたちまち治る。
74,
人糞を太陽で乾かして粉にして、これを鉄錆を含み痛んだ黄金に投じると黄金を浄める。
75,
糞の油は太陽(黄金)と月(銀)を柔らかくし、これらの色を増す。
76,
(省略)
77,
高熱を出す患者の頭を人の血で洗うと治癒する。
78,
傷口を血で洗い、傷の上の血に石灰を投じると、傷は癒される。
79,
火傷なら火によるものでも熱湯によるものでも、まず糞の水で洗い、ここに血を焼いた粉を投じると治る。
80,
いかなる薬をもってしても平癒しない疾患の場合でも、血で洗えば快方へ向かうだろう。
81,
体内が乾燥しすぎている者には血を飲ませる。これにより乾燥を免れることができる。
82,
下痢に苦しむ者には何の血でもよいから少量を与える。すると下痢は治る。
83,
40日熱に罹った者には、人の腕の骨と鵞鳥(がちょう)の翼の先の骨を身に着けさせると治る。
84・85,
(省略)
86,
※人の胆汁でつくった点眼薬は、涙もろい目や濁った目を癒す。
(※◆補足…胆汁は、古代より「毒」、又は「薬」として、「麻酔薬」として扱われていた。)
87,
(省略)
88,
人の糞を太陽で乾かしたものには強い効能かあり、リウマチの痛みを取り去るばかりか馬その他の動物の疾患をも癒す。また目にも良く、獣の眼の濁りをも取り去る。
89・90,
(省略)
91,
人の心臓で袋をつくり、これを3人の男の血で満たし、火で熱して悪鬼達を召喚すると応じるだろう。
92~95,
(省略)
96,
月が太陽とともにある時に左の人差し指から採った血と、月が金星とともにある時にもう一方から採った血を、月が太陽と衡にある時に与える。
これにより愛情が呼び覚まされる。これはエジプトで試みられたもので、これが真実であることは吾が自ら何度も目の当たりにしたところ。
97,
(省略)
98,
婦女の外陰部の皮をぐるりと穴の形状にとどめたまま取る。その中央部にみえるものは何であれ死のしるしとなる。また大変純粋なものであり、同時に病気にするものでもある。これはギリシャのエフェソスと呼ばれるところで観られるもの。
99,
男の陰茎の皮を剥ぎ、塩と小麦粉とともに皮のように柔らかく伸ばして鞣(なめ)す。何かを縛りまた解くにあたり、これを用いる。
100,
男の睾丸を乾燥して粉にし、トゥーレ、乳香、シナモン、丁子とともに食べると、男は若返り、血色を良くする。
101,
男の眼球を蛇の皮に包み結びつけると、あなたを見る者は誰でもあなたに好意をもち、あなたの邪魔をせずあなたと親しくなる。
102・103
(省略)
104,
旅程を安全に了えたいなら、汝の精液と耳垢で錠剤を作り、これを1つ首に下げるとそれは安全に果たされる。これを身に着ける賢者達は、これの中には数多隠された性質があると言う。そのうちある者はこれを72挙げ、その一々に異論の余地ない理由付けをしている。
105・106
(省略)
107,
男の右腕と豹の頭を家に置くと詐欺にかからない。
108~110
(省略)
111,
婦女の外陰部(その皮)を蛇の舌とともに黄色の布に包んで身に着ける。するとその潜在力は分裂をも友情をももたらす。婦女の櫛について髪もこれと同じ効果をもっている。
112,
上述したところはすべて賢者ゲベルが公にした書物に見出されるもの。この『〔メト〕へデュトス』には以下の実修も載せられている。
113~123
(省略)
※以下からはインドの魔術の説明に入ります。もう、ずっと気色悪い魔術の連続ですので、悪しからず。
124,
解毒用の驚くべき石の作り方。インドの王達は下記のような石を作らせるものを常とした。これは彼等のもとにある高貴な者のうちにあって、あらゆる毒の危難を避け、これから守ってくれる驚異である。この石の作り方は以下の通り。
鹿の眼を10個、蝮あるいは毒ある蛇の眼を10個、あるいは蝮が得られないならヒキガエルの頭から同じ重量だけの眼をくり抜く。
これら全てをよく洗い、乾燥させてモスリンの布で◯にかけ細かい粉にする。これを十分に混ぜて、口の狭い硝子の壺に入れる。次にシトロンで作った酢と、二十日大根の汁をそれぞれ8オンス、白く柔らかな蜘蛛の巣、乳香をそれぞれ1オンス用意し、蜘蛛の巣を細かく砕き、乳香とともに前述した2つの汁の中に入れる。
これを2昼夜放置し、先述した壺の中の粉を混ぜ入れて緩い◯状にする。そこで高貴な壺の口を塞ぎ、堆肥の中に埋めて燃やす。ここから取り出すと、全て溶けて油のようになる。これに水を混ぜ、水全て吸収されて十分混ざるまで先の熱い堆肥の中に据える。……(略)
その中から硬い石が見つかれば良いが、それが見つからない場合には、他の鳥の胃で繰り返し試みる。最前のようにこれを焼き等々、石ができるまで試みる。
そしてこれの穴に糸を通し、この糸を腰に結ぶ。インドの王はこのようにして、この石を腰に着けていた。その効果は絶大で、王の前に出された食物や飲料あるいはその他何かに毒が入っていると、この石は激しく動き出し、汗をかきはじめる。これは彼等のもとでは周知の事実であり、その地の大いなる奇蹟の一つである。
125・126,
(省略)
127,
またこの王は、陶製の器を作り、これに水を満たして全ての兵士達に飲ませたが、その水が減ることはなかった。この王は大アレクサンドロスの頃の人で、この器は彼にも様々な奇瑞をあらわしたと伝えられている。
この器は、工匠達の知識と様々な自然本性、それに堅牢さの知識、諸惑星や諸恒星の霊達によってつくられたものだった。
同じように、インド王アサユムは、ヌーベの町の門に水盤を造った。これは黒大理石製で、そこからどれだけ水を汲もうと、決して減ることはなくいつも水が満ちていた。これは気の湿気を工匠の力能によって取り出すもので、まさにナイル川から離れた町へと人を呼び戻すために設営されたものだった。
これは海の塩水に隣接したところで、太陽光が海水から濃密で湿った蒸気をもちあげ、それが気中で塩分を浄められ精妙希薄になるという特性を利したもので、幾何測量の匠と降霊術の知識によって、あたかも空中から水盤へと露を降らせるかのようだった。
ここで水が涸れないのはまさに先述した誘引と同じことで、この誘引は血色の石がその傍らに置かれた同じものを誘引するようなものである。
128,
このインド人達は、上述したもののほかにも大いなる驚異を色々所持していた。そのうちの幾つかを挙げてみよう。
あらゆる体躯の動きを縛める処方。
男の陰茎を細かく刻み、阿片の粉、ヌーチス・シャルテ、そして僅かばかりの鉛丹と混ぜる。これを鉛の器に入れて腐敗させ、注意深く見守る。
腐敗分を取り去ると、油に戻ったような液化物があらわれる。この油を少量、望みの者に飲み物として、あるいは食べ物に混ぜ与えると、その者の覚知、運動、霊の全てが覚束なくぎこちなくなり、四肢を動かすことが出来なくなる。
インド人達はこの油に他のものを混ぜて様々な驚異を為してきた。
これを食事に混ぜ、望みのまま常軌を逸したことすら叶えてみせた。
望みの者の食事に混ぜて与え、未だかつて試したことのないものの効果を証したりもした。また人を望みの形象あるいは形相に変えてみせた。
129・130,
(省略)
131,
降霊術の大いなる驚異。インド人達は降霊術の大いなる実修をするためにまた別の調合を為している。その成分は以下の通り。
雌豚を1頭、空家の中に閉じ込める。これが家から出られないように家の扉を錫で鎖す。そして雌豚同様この家に牡豚を閉じ込め、24日間ここに留める。
この実修は太陽が磨羯宮(まかつきゅう)〔やぎ座〕の初度に入る時にはじめる。
毎日小麦パンの屑を牛乳に浸して柔らかくしたものをそれが食べるだけ食糧として与える。24日が過ぎる頃には、雌豚は雄との交接を求めて激しく動き回り、牡豚は◯化した血の塊のような精液を大量に放出する。
これこそがインド人達の大いなる巧緻(こうち)で、彼等はこの精液を集め、鉛の器に取ってその口をしっかりと塞ぐ。そしてこれを堆肥の中で24日間腐敗させる。その最終日にあたりこれをそこから取り出し、冷えるのを待って器から出す。
するとそこに動物が蠢(うごめ)いているのが見つかる。これに胡椒と先の雌豚の乳を3日間与える。この3日が終わるにあたりこれを油の中で殺し、これで降霊術の大いなる実修を行う。これを食物とともに与え、またこれで火を灯し、これを顔や体躯に塗り等々すると、その驚くべき効果はここに述べ尽くせないほど多岐にわたる。
これを実修する者達が上述した最大の秘鑰をこの事に熟達した者以外には明かさないよう願っておく。
第12章
この知識に必要とされる諸規範について
1,
この知識に精通したいと思う者は、この世でこの業を実修するということが知識の深みと秘鑰を知ることにあり、業の実修によって疑念を晴らすことにあると知っておくべきである。そうであれば、誰かにその探求を完遂するなら、そこに彼の疑念は解消される筈である。
あなたはここまで我々が教授してきた事柄の全てを、この知識の実修にかかわる古の賢者達の処方と手段について、その様々な実修について貪欲に、忠実に厳修するがいい。
そして不法な飲食や享楽をできる限り避け、かえって熱列にあなたの魂の救いと※神への愛に努め、意志と愛が霊を引き寄せるように、霊的に出来するできごとへと向けて思念を凝らし、そこに獲得される全てが望むところを完遂し証示することとなるように。これこそ万物の端緒原理にして目的であり、永劫と永遠を司る主である神とともに神へと向けて為されるなら、その愛も特続と完成を得ることになるだろう。
◆補足文
(※ここでの神への愛とは、勿論悪魔の神であることは、言うまでもないのですが、彼等は表向きには悪魔の神だとは決して言わないし、実際、彼等にとっては良い神であり、その神に愛される行為、つまり普通ならとても出来ない空恐ろしい行為、気色悪いキチガイじみた行為を行うことが正しいという論理で魔術をやっております。
こうした彼等の考え方というか、悪魔崇拝をする者達の嗜好、そして古代も現代も同じような立場に位置する連中がこうした魔術を恐らく楽しんでやっているのだということです。)
しかし、この愛と意志が物質的なものに繁縛されるなら、そのような愛は定めなく壊敗し、愛の破綻となるだろう。意志というものは2つに分けられる。
健常な誉れとしての愛は至高にして崇高な神に結ばれる愛であり、父また聖なる師の愛のような慈愛であり、子への愛である。
また利益あり恃(たの)みとなる愛があり、この愛は便宜のためにお互いを愛する人の愛である。意志はこれが大変激しい時には愛と呼ばれる。
これは先述したように、神を免れて諸他に向けられるもので壊敗する愛と呼ばれねばならないだろう。
我々は我々の祈念を神に据えるように努めよう。
あなたの心と霊とがこれによって照らされ、その深い知識からあなたに啓示されるように。そして民や有害な人々の詮索からあなたが守られ、あなたの秘鑰がそれに相応しくない者達に暴かれることのないように。聖なる人々や預言者達(※彼等側の預言者)が嗜殺されることのないように。
2,
こうした預言者達の知識を詰め込んだ諸著に語られる範例の数々を、あなたがそこから推論される方法で実修してみてもそれは詐欺の類にしか見えず、そこから推論される結果に到達することは永遠に叶わないだろう。
しかしそこに語られているところ、つまり真の志向と確固たる信念そしてその帰結をもたらす原因の理解について、知解を凝らすなら、そこに人の獣性からは隔絶した高貴さ、高尚さ、貴重さが認められることだろう。
我々の側からすれば、預言者達、聖人達が我々に示した範例を大いに尊重し、そこから我々の魂の救いと永遠の命への導きとなる規範を推論し、これに我々の命と存在を献げるに足るであろう。
また我々の体躯が完成へと導かれるのには諸元素の物体性が原因としてあり、その力能が一定器官持続され、分離することはない。これを指して預言者達は自然本性という。……(略)
医者達は自然本性という語を体液の複合を指して用いるばかりか、自然本性な熱、体躯の形相や形象について、例の動きについても採用し、それぞれの意図をもって恣意的に使ってみせる。
実のところ、この自然本性という語は曖昧な名辞で、あらゆる物体に使われるばかりか、あらゆる固有性質、体液気質、天然の諸要素、運動し、また静止する万物の生成と壊敗および運動と静止の原因として神が据え給う力能、を指して用いられる。
賢者達はこれを第一原因と規定し、運動と静止の目的にして端緒原理とした。
哲学者たちはそれを物体の形相と称し、諸物体はこれと霊との間に天の介在なくしてはあり得ない、と言った。
プラトンは、
「これを自然本性は物体を有となすそれ、物体の完成である」
と規定した。
ガレノスは、
「自然本性とは体躯を授け支えるとともにそこから壊敗と損傷を出来るだけ取り除く自然本性熱のことであり、その力能がこれ、体躯と協働する時には管掌が行き届く」
と言っている。
またアベンテクリスは言う。
「単純物体は唯一の形相と唯一の形象をもち、その内には命の潜在力があり、これは命の形相である。それは小児のうちに命を守るために乳を呑み眠り、等々といった確かな熟達した自然本性があらわれる通りであり、様々な巧緻をもって教授されることをたちまち習得してみせる」
と。
上述したところは、万有宇宙のうちから取り出される万物の知解にかかわる全ての教えについて、あなたの知性を明るく照らし出すために語ったに過ぎない。
これにより可能知性を能動知性と結び合わせ、到達させた知性を実現し、目的を遂げたまえ。
以上、『ピカトリクス』第Ⅲ章終了です。
第Ⅳ書は最初のところで紹介したのみで終わっときます。
本書『補註』の中で抜粋したい箇所があったのですが、別の機会で紹介できればと思います。
私が【魔術】を詳しく紹介している目的は、読者様に「悪魔学」を勧めているのでは決してなく、神の対比として、いかに悪魔学、悪魔崇拝の行為が危険でおぞましいのかを知ってほしかったからです。
占星術は昔から大衆に大変人気があり、「おまじない」と称した魔術も本当にたくさん出回っているというか、皆さん全く悪気なくやってしまっているので、その行為がいかに神の眼には愚かで忌むべき行為なのかということを、少しでも感じてもらえたらと思って紹介しております。
もうご理解いただけたと思いますが、神とは反対に、魔術自体は悪魔のものですから、悪魔達は喜ぶ行為なんですよね。
日本の「おまじない」についても、次回その由来などを書こうと思っておりますが、
本当に良いものではありません。
スピ系に傾倒している方達には是非とも本当の意味を知って頂きたいと思っております。
ところで、以前 Eden Mediaさんが2021年10月3日配信された「この地球の天蓋のお話し」を視聴して、その天蓋に映る実際の星々の姿に感動した話をしたのですが、この配信動画の元ネタの配信者さんが、Jeanette Saarbergさんで、その再生リストをたくさん出されているのですが、日本語訳で読んでもなかなか難しかったのですが、その内容は映像を見ていても大変すばらしく、是非またEdenさんにピックアップしてもらえたら…なんて願っていましたら、なんと、別の方が翻訳して数多く配信してくれていまして、多分この方もEdenさんの動画を絶対観て、自分がやろう!って思ってくれたと思われるんですが、(配信暦が約6ヶ月前からなので)、だいたい私も全部を視聴させてもらいましたが、やっぱり素晴らしかった。
陰謀論初心者も、ある程度の認識を得ている方達も絶賛するのじゃないかと太鼓判押しますね。AVANT-GARDE RESEARCH REPORTさんという方です。
Jeanetteさんの配信の日本語訳シリーズの3バージョンのみを推しますが、中でも私が今とても興味深く捉えているのは「マッド・フラッド」というキーワードです。
実は世界は200年前にグレートリセットされていた。という内容ですね。
海外では既に2004年から噂されていたというか「フラットアース」と同じで、否定できない事実をもとに展開されている話だったようで、本当にびっくりです。
「#マッド・フラッド」、もしくは「#タルタリア」でも他のユーチューバーさんが出していますし、多分この先多くなる陰謀論になると思われます。