tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

『イザヤ書』3.

イザヤ書

 

 

【第5章】

 

 

 わが愛する者の 葡萄園の歌

 

 わたしは歌おう、さあ、わが愛する者のために

彼の葡萄園について、わが愛の歌を。

 

 わが愛する者は葡萄園を持っていた

肥沃な山腹に。

彼はそこを掘り起こして石を除き、

そこに良い葡萄の木を植えた。

またその真ん中に塔を建て、その中に酒ぶねまで掘って、

甘い葡萄の実るのを待ち望んだ。

ところが実ったのは、腐った葡萄。

 

 ところで、エルサレムの住民のユダの人よ、

裁いてくれ、さあ、わたしとわたしの葡萄園との間を。

 

 わが葡萄園のために成すべきことで

まだわたしがしていなかったことは一体何か。

良い葡萄の実るのを待ち望んでいたのに、

なぜ腐った葡萄が実ったのか。

そこで今わたしが、さあ、あなた達に告げよう、

わたしが我が葡萄園にすることを。

 

 すなわち、その垣根を取り去って荒れるにまかせ、

塀を壊して踏みつけられるがままとする。

わたしはこれを荒廃のうちに捨て置く。

これは刈り込まれることもなく、耕されることもない。

こうして茨とおどろが生い茂るが、

諸々の雲にわたしは命じ、この上に雨を降らせることはしない。

 

 まことに万軍のャハウェの葡萄園とはイスラエルの家のこと、

ユダの人こそ、彼ャハウェが愛でたもう苗木。

ヤハウェはこれに義を待ち望まれたのに、見よ、血。

方正を待ち望まれたのに、見よ、矯正。

 

 

 

 禍いなる者ども

 

 禍だ、

家に家を建て連ねる者ども。

彼等は畑に畑を寄せ合わせ、もはや地所がない。

あなた達はその地のうちに、

自分達だけで住もうとするのだ。

 

万軍のャハウェが我が耳に語る。

「必ずや多くの家々は荒廃に帰し、

大きな美しい家にも住む者がいなくなる。

まことに、10ッェメドの葡萄園が産するのがたったの1バテ、

1ホメルの種が産するのがたったの1エパ」と。

 

 禍いだ、

朝早く起きて強い酒を追い求め、

夜更かしして葡萄園に溺れる者ども。

彼等の酒宴には琴と竪琴、手鼓(てづつみ)と縦笛、

そして葡萄酒がある。

ャハウェの業を彼等は顧みず、

その手の成されたことを見ない。

 

 それゆえ我が民は知らないまま捕え移される。

その貴族は飢えた者となり、

またその民衆は渇きのため干からびる。

それゆえ黄泉は彼女の喉を広げ、

(※エルサレムの町を指している)

彼女の口を限りなく開ける。

彼女の栄華、彼女のざわめき、また彼女のどよめきは、

彼女のうちで歓声を上げる者ともども、

黄泉へと落ちて行く。

 

 こうして人間は低くされ、人は卑しくされる。

また驕った者どもの目は卑しくされる。

しかし万軍のャハウェは公正をおいて高くされ、

聖なる神は正義において聖とせられる。

そして子羊達は自分の牧場にいるように草を食べ、

肥えた家畜達が廃墟に住んで食を得る。

 

 禍だ、

偽りという縄で咎を、綱で車を引くように

罪を引きずっている者ども。

こう言う者ども、

「彼の成すところを急き立てて早く来たらせよ、

我等が見るために。

イスラエルの聖なる方の計画を近づかせよ、

我等も知りたいものだ。」

 

 禍だ、

悪を善と、善を悪と言う者ども

闇を光、光を闇とする者ども

苦さを甘さ、甘さを苦さとする者ども。

 

 禍だ、

己の目には知恵ある者ども

己の顔の前では悟りある者ども。

 

 禍だ、

葡萄酒を飲むことにかけては勇者ども

強い酒を混ぜ合わせることにかけては剛の者ども

悪人を賄賂ゆえに義(ただ)しいとする者ども。

彼等は義人達の義を遠ざける。

 

 それゆえ藁(わら)を火の舌で食い尽くし、

枯草を炎がなめ尽くすように

彼等の根は腐り、

彼等の花は塵のように飛び散る。

まことに、彼等は万軍のャハウェの律法を厭(いと)い、

イスラエルの聖なる方の言葉を却(しりぞ)けたからである。

 

 それゆえに、ャハウェの怒りはその民に向かって燃え、

ャハウェは、その手を伸ばしてこれを打ちたもうた。

山々は震え、彼等の屍は通りの真中で汚物のようになった。

それにも拘わらずャハウェの怒りは止まず、

尚もその手は伸ばされている。

 

 彼ャハウェは、遠くの国々に向かって旗を掲げ、

口笛を吹いて地の果てからこれを呼び寄せる。

 (※アッシリアのこと)

 

 すると見よ、それは急いで走ってくる。

その中には疲れる者もなく、また躓く者もない。

それはまどろまず、また眠らない。

その腰の帯は解けず、またその履物の紐は切れない。

その諸々の矢は研ぎ澄まされ、その総ての弓は張られ、

その馬の蹄(ひづめ)は火打石のごとく、

その車ははやてのように見える。

それの咆哮(ほうこう)は雄獅子に似、

それは若獅子のように吠えたけり、唸り、そして獲物を捕らえる。

逃がそうにも、逃亡させる者がいない。

 

 その日には、それが彼に唸り声をあげること、

海のどよめきに似て、地を見るに見よ、

闇と苦悩、光は黒雲の中で闇となる。

 

 

 

 【第6章】

 

 

 召 命

 

 ウジヤ王逝去の年(※BC736年頃)

私は、主が高くそびえる玉座に座し、その裳裾(もすそ)が神殿いっぱいに広がっているのを目の当たりにした。

セラフィムが主の上方から飛び立っていた。それらはそれぞれ6つの翼を持っていたが、その中の2つをもって顔を覆い、2つをもって両足を覆い、2つをもって飛んでいたのである。

 

 それが互いに呼び交わして言うには、

 「聖なる、聖なる、聖なる、万軍のャハウェ、その栄光は全地に満つ。」と。

 その呼び声のために、敷居の基は揺り動き、建物は煙で満たされた。

 

 私は言った。

「ああ、忌むべきかな、私は。まことにもう破滅だ。

まことに私は穢れた唇の者で、穢れた唇の民の中に私は住んでいる。

しかも万軍のャハウェなる王を、私の目は両(ふた)つながらにして見てしまった。」

 

 すると私の所へ、セラフィムの一人が飛んで来た。その手には熱く焼けた石があったが、それは祭壇の上から火箸で取って来たものである。

 

 セラフィムはそれで私の口に触れて言った。

 「見よ、これがお前の口に触れた。取り除かれた、お前の咎は。

お前の罪は覆い隠された。」

 

 時に私は主の語られる声を聞いた。

 「誰をわたしは遣わそうか。誰がわたしの為に行くか。」と。

 

 そこで私は答えた。

「はい、私がここにおります。私を遣わして下さい。」

 

 すると言われた。

 「行け、そしてこの民に語れ。

『お前達、繰り返し聞け、だが理解してはならない。

お前達、繰り返し見よ、だが認識してはならない。』と。

肥え鈍らせよ、この民の心を、

彼の耳を重くし、彼の目を閉ざせ。

彼が彼の目で見、彼の耳で聞き、

彼の心で理解して、立ち帰って癒されることのないためである。」

 

 そこで私は尋ねた。

「主よ、いつまで。」

 

 答えて言われるには、

「荒れ果てて、町々に住む者なく、家々に人はなく、

その地が荒れ果て荒廃に帰し、ャハウェが人を遠くへ移し、

その地の中に見捨てられた場所がいや増すまで。

その中にまだ10分の1が残るが、これまた帰するところ、

テレビンの木や樫の木のように、食い荒らされることとなる。

しかし、テレビンの木は切り倒されて、

切り株はそれらにおいて聖なる子孫であるが、その切り株を残す。」

 

 

 

 【第7章】

 

 

 シリア・エフライム戦争とインマヌエル預言

 

 ウジヤの子、ヨタムの子であるユダの王アハズの時代に、アラムの王レチンと、レマリヤの子であるイスラエルの王ぺカとが、エルサレムに上って来て、これに戦いを仕掛けたが、これを打ち負かすことが出来なかった。

時にダビデの家に知らせがあり、アラムがエフライムに結集したという。そこで王の心とその民の心は、林の木が風に揺れ動くように動揺した。

 

 

◆補足文

(✤解説より、年代については諸説ありますが、ウジヤ王の逝去はBC736年と推定されます。彼は晩年病に倒れ、759年以降息子のヨタムが摂政の地位にありました。それを受け継いだアハズの治世は744年~729年。以下のいわゆるシリア・エフライム戦争が起こったのは733年です。当時、強大となったアッシリアの勢力に対抗するためにレチンとぺカは反アッシリア同盟を結び、アハズと北イスラエルは南ユダを攻撃しました。アラムはダマスコを首都とするシリアの国であり、サマリアを首都とするイスラエルの中心地はエフライムなので、史家はこれをシリア・エフライム戦争と呼びます。なおアハズはアッシリア王の助けを求め、アッシリアはアラムを滅ぼし、イスラエルにも破壊的打撃を与える結果となりました。)

 

 そこでャハウェがイザヤに言われた。

 「あなたとあなたの子シェアル・ヤシャブは、布さらしの野に向かう大路に沿った、上の池の水道の端でアハズに会うために、出掛けなさい。そして彼に言いなさい。

『心して、平穏であれ。恐れてはならないし、また心を弱くしてはならない。

これら2切れの木っ端のくすぶった燃えさしに等しい、レチンすなわちアラムとレマリヤの子との、烈々たる怒りに対して。

確かに、アラムがエフライムすなわちレマリヤの子と共に、あなたに向かって悪事を企てて言うには、「我等はユダに上って、これを威嚇し、これを攻略して、我等のものとし、タベアルの子をその中に立てて王としよう。」と。

 

 だが主ャハウェがこう言われる。

「そのことは起こらない、そのことは成らない。

まことにアラムの頭はダマスコ、ダマスコの頭はレチン。

65年のうちに、エフライムは打ち砕かれて民ではなくなる。

エフライムの頭はサマリアサマリアの頭はレマリヤの子。

あなた達が信頼しないなら、まことにあなた達も信頼されない。」と。

 

 ャハウェはアハズにさらに語って言われた。

「あなたの神ャハウェからの徴を求めよ。

あるいは黄泉の底に、あるいは上の高みに。」

 

 するとアハズが言うには、

「私は求めません。。私はャハウェを試みることはしません。」

 

 そこで彼(イザヤ)は言った。

「さあ、聞きなさい、ダビデの家よ。

 あなた達にとって人々を煩わせるのは小さいことだが、まことにあなた達は私の神をも煩わせるのか。それゆえ、主自らがあなた達に徴をお与えになる。

見よ、若い女が身ごもり、男の子を産み、その名をインマヌエルと名づけるであろう。

この子は、悪を捨て、善を選ぶことを知る頃には、凝乳と蜂蜜を食べることが出来る。

まことに、この少年が悪を捨て善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れている2人の王の地は捨てられる。ャハウェはあなたとあなたの民とあなたの父の家には、エフライムがユダから離れた日以後臨んだことのない日々を、アッシリアの王を、臨ませるであろう。

 

 

 ◆補足文

(✽解説より、ユダは結局、2人の王からは救われても、その後アッシリアの王の来襲を受けてしまいます。✱インマヌエルは、救済の徴(解放の徴)であり預言です。アッシリア来寇による審判の預言とのつなぎの一句であり、イザヤが現実離れしたユートピア的な夢想家で、神に拠り頼めば全て良くなると楽観していたのではないことを証しています。)

 

 

 

 アッシリアの来寇

 

 その日になると、

ャハウェは口笛を吹いて、エジプトの河々の果てにいる毒蠅(どくばえ)、アッシリアの地にいる蜂を呼び寄せる。

すると、それらはこぞってやって来て、狭い谷間、岩山の裂け目、総ての茨の茂み、総ての牧場に留まる。

 

 その日、

主は、河の彼方で雇った剃刀をもって、すなわちアッシリアの王をもって、頭と足の毛とを剃り、また髯を落とす。

 

 その日になると、

一人の人が群のうちから1頭の雌牛と2匹の羊を所有する。

産する乳が豊富なので、人は凝乳を食べるようになる。

まことに、この地に残された者は皆、凝乳と蜂蜜を食べることが出来る。

 

 その日になると、

銀千枚に値する葡萄の木千本のあった総ての場所が、

茨とおどろに覆われることとなる。弓と矢を持って人はその場所に赴く。

まことに、その地の総てが、茨とおどろになるからだ。

くわで耕された総ての山々にも、あなたはもはや立ち入らない。

茨とおどろに対する恐れのためだ。

そこは雄牛が放たれ、山羊が踏み荒らす所となる。