tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

『イザヤ書』9.

イザヤ書

 

 

 

 【第27章】

 

 

 その日ャハウェは、鋭い大きな強い剣を持って

逃げ惑う蛇、すなわちレビヤタン(海の巨獣)と、

曲がりくねる蛇、すなわちレビヤタンとを罰し、

海にいる竜を殺される。

 

 ◆補足文

(※の意味について…海のこれらの3つの怪獣については諸説あります。第一のものは流れの早いティグリス河流域のアッシリア、第二は曲折の多いユーフラテス河のバビロニア、第三の怪獣はナイル河のエジプトと解するのが定説のようです。)

 

 

 

 葡萄園の収穫

 

 「その日、葡萄酒の為の葡萄園、これについてあなたたちは歌え。

わたしャハウェはこの番をする者。

常にこれに水を注ぎ、人がこれを損なわないように

夜も昼もこれの番をする。

 

 わたしは憤りはしないが、

もし茨とおどろがわたしと戦おうとするならば、

それを踏み潰し、それをもろともに焼き払うだろう。

あるいはわたしの砦にすがり、

わたしと和を結ぶがよい。

和をわたしと結ぶがよい。

 

 時が来ればヤコブは根を張り、

イスラエルは花咲き、芽を吹き

大地の表を果実で満たす。」

 

 

 

 異教の排斥

 

 彼(イスラエル)を打った者の一撃のように、

ャハウェは彼を打っただろうか。

彼は虐殺された者達の虐殺のように、彼は虐殺されただろうか。

 

 彼女(敵国)を追い立て、彼女を追い払う際に、

あなた(イスラエル)は彼女と争った。

東風の日にャハウェはその激しい風をもって追い払った。

それ故、このことによってヤコブの咎は覆われる。

(※イスラエルとャハウェが異教を追い払うことを言っている。)

そして次のことが、罪が除かれて結ぶ実の全てだ。

 

 彼(イスラエル)が祭壇の総ての石を粉々の石灰のようにするならば、

アシュラの像と、香の台とは再び立たないということが。

 

 

◆補足文

(✱アシュラは異教の豊饒の女神のこと。カナン宗教ではバアルの妻であり、ウガリット文書ではエルの妻とされていました。性的競躁の象徴として祀られています。)

 

 

 寂れた町

 

 まことに防備ある町が独り寂れ、

放っておかれる牧草地となり、

荒野のように見捨てられる。

そこで子牛は草を食み、またそこに伏して

そこの小枝を食い尽くす。

 

 そこの大枝は枯れると折られ、女達が来てそれを燃やす。

これは悟りのある民ではないからだ。

それ故に、これを造った方はこれを憐れまず、

これを形造った方はこれに恵みを賜らない。

 

 

 

 終末のエルサレム

 

 その日になるとャハウェは、

ユーフラテス河からエジプトの谷川に至るまで脱穀する。

(※穀物の実を穂から分離し、シオンのユダヤ人という実を収穫し、加えて離散のユダヤ人という落ち穂からも実を集めるという意味。)

 

 そしてあなた達は

イスラエルの子等よ、

一つ一つ落ち穂のように拾われる。

 

 その日になると、大きな角笛が鳴り響き

アッシリアの地に失われていた者や、

エジプトの地に追いやられていた者がやって来て、

エルサレムの聖なる山で

ャハウェを拝するであろう。

 

 

 

 

 【第28章】

 

28:14~

 異なる業

 

 それ故に、ャハウェの言葉を聞け、嘲る者どもよ。

エルサレムにあって、この民を物笑いにする者どもよ。

まことに、あなた達はこう言った。

我々は死と契約を結び、黄泉と協定を定めた。

(※アッシリアに対抗して、死者と黄泉の神オシリスを戴くエジプトと同盟した。)

洪水があふれ、たとい氾濫しても我々のもとに達しはしない。

我々は嘘を避け所とし、偽りの中に身を隠したのだから。」と。

 

 それ故に、ャハウェはこう言われる。

「見よ、わたしはシオンに、一つの石を礎として置く。

これは、試みを経た石、礎を置かれた基礎の尊い隅石。

信ずる者は慌てることがない。

わたしは公正を計り縄に、正義を錘(おもり)にする。

雹(ひょう)は嘘の避け所を一掃し、隠れ家を水が押し流す。

 

 あなた達と死との間の契約は解消され、

あなた達と黄泉との間の協定は成り立たない。

洪水があふれ、もし氾濫するならば

あなた達はそれに踏みにじられる。

それは、氾濫するたびにあなた達を連れ去る。

まことに、朝な朝な、昼にまた夜に、それは氾濫する。

啓示を解き明かすことは、ひたすら戦慄すべきこととなる。」

 

 まことに、寝床は身を伸ばすのに短すぎ、

また毛布は身を縮めても狭すぎる。

まことにャハウェは、ペラッィム山の時のように立ち上がり、

(※エルサレムの南西に位置し、ダビデペリシテ人に大勝利を治めた土地。)

ギブオンの谷の時のように憤り、

(※エルサレムの北方の地で、これもダビデペリシテ人を打ち破った地の一つ)

その御業を成す。その御業は異なっている。

また、その働きをされる。その働きは特異である。

だから今、あなた達は嘲弄しないように。

あなた達の縄目がきつくならないためだ。

まことに滅びが定められていることを

万軍の主ャハウェから全地に関して聞いたのだ。

 

 

 

 

 【第29章】

 

 

 

 アリエルと諸国民への審判

 

 ああ、アリエル、アリエル。

ダビデが陣を張った町よ。

年に年を加えよ、諸々の祭りをめぐり来させよ。

私はアリエルを苦しませるので、そこは悲嘆と悲哀が生じ、

そこは私にとって神の炉のようになる。

 

 私は、あなたの周りに陣を張り、

あなたを歩哨兵(ほしょうへい)達で囲み、

あなたに対して砦を築く。

あなたは倒れて、地から語りかけるが、

あなたの言葉は、塵でくぐもらされる。

あなたの声は、地からの死霊のようになり、

あなたの言葉は、塵から囁きかけてくる。

 

 しかし、あなたの他国人達の群も、細かいほこりのようになり、

荒ぶる者どもの群も、吹き飛ぶもみ殻のようになる。

しかも、それは突然に不意に起こる。

万軍のャハウェからあなたは顧みられる。

雷鳴と地震と大声、

突風と暴風と焼き尽くす火炎をもって、夜の夢幻のようになるのは、

アリエルを攻める諸国民総ての、

またこれを攻め、これを取り囲み、これを虐げる者ども総ての群。

 

 飢えた者が夢の中で食べても、目が覚めれば腹はすいたままであるのと同じように、

あるいは渇いている者が夢の中で飲んでも、目が覚めれば依然干からびていて、

喉が涸れているのと同じように、

シオンの山を攻める諸国民総ての群もまたそのようになる。

 

 

◆補足文

(解説より、✤アリエルは、イザヤが用いるエルサレムの詩的な呼び名。元来エルサレム神殿の祭壇上部の、全焼の供犠を捧げる炉を指すものらしいです。

ダビデによる聖戦の時代に比べて、平和の中で「祭り」にほうけているこの時代の神殿祭儀は、ャハウェの審判に対して役に立たないという、イザヤの皮肉がこの呼称には込められているようです。犠牲を捧げる「神の炉(アリエル)」のように、エルサレムが多くの犠牲者を出すだろうと言っています。また、他国人の群も荒ぶる者共も、アッシリア人のことを指しています。)

 

 

  眠りこける民

 

 お前達は

愚図愚図し、おじ恐れよ。

自ら目を閉ざして盲目となれ。

彼等は酔うが、葡萄酒によってではない。

よろめくが、強い酒によってではない。

まことに、お前達の上にャハウェが眠りこける霊を注ぎ、

お前達の目、預言者達を閉じ、

お前達の頭、先見者達を覆われたのである。

こうしてお前達にとって、総ての啓示は封じられた書物の言葉のようになった。

これを親しんでいる人に与え、「どうかこれを読んで下さい。」と言っても、

「これは封じられているから読めません。」と言い、

またその書物を、書物などに親しんでいない人に与えて、

「さあ、これを読んで下さい。」と言っても、

「私は書物を読むことを知りません。」と言うであろう。

 

 

 

 不可思議な業

 

 そこで主は言われた。

「この民は口先で近づき、唇では私を崇めるが、

その心はわたしから遠ざかっている。

彼等がわたしを恐れるのは、人間達の命令を教えられてのことに過ぎない。」

 

「それ故、見よ、

わたしはこの民に対して再び不思議な事、

不可解で怪しむベき事をする。

彼等の中の知恵ある者の知恵は滅び、

彼等の中の悟りある者の悟りは晦(くら)まされるのだ。」

 

 

◆補足文

(✱については、福音書マタイ15:7~10・イエス・キリストがこのイザヤの言葉を引いて、パリサイ人・律法学者の偽善を指摘しました。)

 

 

 倒 錯 

 

 禍いだ、謀をャハウェから深く隠す者達。

彼等の業は闇の中にある。

彼等は言う、

「誰が俺達を見ていよう。誰が俺達を知っていよう。」と。

あなたたちは逆様だ。

陶器氏が陶土と同じに見なされてよいものか。

造られた者が、それを造った者に向かって、

「彼は私を造らなかった。」と言い、

陶器が陶器師に向かって、

「彼には悟りがない。」などと言えるだろうか。

 

 

 

 悟る日は近い

 

 もうほんの暫くではないか、

レバノンの果樹園が変わり、

果樹園が森と見なされるようになるまでに。

その日には聞くであろう。

耳の聞こえない者が書物の言葉を。

また暗黒の中から、闇の中から盲の目が物を見るであろう。

 

 低い者達は、ャハウェにあっていよいよ喜び、

人々の中でも貧しい者達は、イスラエルの聖なる方にあって楽しむ。

 

まことに、荒ぶる者は消え失せ、嘲る者は滅び、

寝ずに悪事を企む者どもは、みな断たれるからである。

彼等は、流言飛語をもって人を罪に陥れ、

城門で裁きをする者には罠をかけ、

義人を偽りをもって押しのける。

 

 それ故、アブラハムを贖われたャハウェは、

ヤコブの家について、こう言われる。

「今やヤコブは恥を受けることが無くなるであろう。

今や彼の顔は色を失うことが無くなるであろう。

彼が彼の子等、わが手の業を彼の中に見出す時、

彼等はわが名を聖とし、ヤコブの聖なる方を聖とし、

イスラエルの神を畏れるようになるからである。

心迷っている者達も悟りを得、

呟く者達も教えを学ぶようになるだろう。」