tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』22

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第107章

 

 

 私は、何世代にもわたって人々が咎を犯し、ついには義の世代が起こって咎が滅び、罪が地表から姿を消し、あらゆる善がそこに現れる様がその書に書いてあるのを見た。

 

「だから息子よ、お前の子ラメクの所へ行って、今度生まれたあの子は真実彼の子であり、偽物ではないことを知らせてやれ。」

 

 メトセラは父エノクの言葉を聞いて、(彼は全ての隠されたことを彼に示した)戻り、ラメクに示し、その子の名を、彼が地を全ての滅び免れしめ、喜びをもたらすというので、「ノア」と名づけた。

 

 

 

 

 第108章(最終章)

 

 

 エノクが、メトセラと、彼の後に続き終りの時に掟を守る者達のために著した別な書。

 

 この掟を行い、悪をなす者共が消され、咎を犯す者達の力が滅ぼされる時を待ち望む君達よ、罪が過ぎるまで待つがよい。

彼等の名はいずれ聖者達の書から削られ、彼等の子孫は永久に滅び、その霊魂は殺され、人里離れた荒野で泣きわめき、この地上ならぬ火に焼かれるであろう。

 

 私は、はっきりとではないが、雲らしきものをそこで見た。

ただ、奥行きがあってよく見極められなかった。

私は赤々と燃え盛る火の炎を見た。

それは、きらきら光る山のようにぐるぐる回転し、また前後に揺らめいていた。

 

 私は同行の聖なるみ使いの一人に尋ねた。

「この光輝くものは何ですか。天ではなくて、燃え盛る火の炎にすぎないではありませんか。それと叫び声、泣き声、嘆きと激しい苦悩の声。」

 

 彼は私に言った。

「あなたがご覧になっておられるこの場所に、罪人達、冒瀆者達、及び悪を行い、来るべき事柄について、主が預言者達の口を通して語られたことを曲げる者達の霊魂が投げ込まれるのです。その中のある者は、天上に書き記してあり、み使い達がそれを読んで、罪人達と謙遜な者達、自分の肉体を痛めつけて神から報いを受け、悪人達に辱められた人達の霊魂にどういう事が起こるかを知ることが出来るようになっています。

 

 彼等後者は、神を愛して、金銀あるいはこの世のどんな良きものをの愛さず、自分の身体を拷問に委ね、この世に生まれて以来、地上の食い物を慕い求めず、むしろ己を過ぎ去る風と見なし、このような生き方に徹し、主は彼等を様々な試みに遭わせられたが、彼等の霊魂の潔さは証明され、彼等は彼の名を褒め称え続けた。

 

 

 彼等に対する賛辞を全てわたしは書に書き留めた。

そして主は、彼等が彼等の現世での命よりも天を愛する者であることが判ったので、彼等に賞を授けられた。悪人共から足蹴にされ、悪口、冒瀆の言葉を聞かされ、辱められながらも、彼等はわたしを褒め称えた。

 

 今わたしは光の世代の中から善人達の霊魂を呼び、暗闇の中に生まれた者、肉の姿にあった時その信仰に相応しい栄誉を受けなかった者達を変えよう。光の中に移そう。

わたしの聖なる名を愛する者達をわたしは輝く光の中へ導き出し、一人一人その栄誉の座に坐らせよう。彼等は、いついつまでも燦然(さんぜん)と輝くであろう。

 

 

 神の裁きは義であり、彼は正しい道の住まうところでは、真実な者には信仰を賜る。彼等は、義人達が燦然と輝く一方で、闇の中に生まれた者達が闇の中に投げ込まれるのを見るであろう。

罪人達は喚き立て、彼等が輝く様を見るであろう。そして、彼等の処罰の日と時とが書き記されている場所へ立ち去るのである。」

 

 

 

 

 

 

  以上、旧約偽典『エノク書』を紹介しました。

 

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』21

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第104章

 

 

 義人達よ、私はあなた方に誓う。

天上ではみ使い達が大いなる方の栄光の前で君達のことを覚えていてくれ、

君達の名は大いなる方の栄光の前に書き留められている。

 

 希望を持つがよい。

かつては不幸や難儀で恥かしい思いをしたであろうが、これからは、君達は空の光のように輝き、(みんなの前に)姿を現し、天の門は君達のために開くであろう。

君達の叫びは裁きを求める叫びとして続けよ。それはきっと実現する。

あの官憲どもを及び君達のものをかすめる者に手を貸した全ての者は、君達に難儀をかけた報いを受けるであろう。

 

 希望を持て。希望を捨てるな。

君達はみ使い達のような大きな喜びに浸るであろう。

君達は何を成すべきか。大いなる裁きの日には逃げ隠れする必要はない。

また罪人扱いをされることもないであろう。

永久の裁きは永遠に渡って君達とは関わりがない。

 

 

 さて、義人達よ、罪人達が威勢よく、自分の好きなようにうまくやっているのを見ても恐れるのではない。彼等に組することなく、むしろ彼等の不法からは遠ざかれ。

君達は天の軍勢にこそ組すべきなのである。

 

 君達罪人は言うであろう、

「取り調べなど受けるものか、我々の罪が一々記録されたりしてたまるか。」と。

しかし事実、君達の罪は全部毎日記録されているのである。

今私は、光と闇、昼と夜が君達全ての罪を目撃していることを君達に示そう。

 

 心の中で不義を犯すな、嘘をつくな、真理の言葉を変えるな、聖にして大いなるお方の言葉を虚偽などと言うな、君達の偶像を有難がることを辞めよ。

君達の偽り、君達の不義は義に至るものでなく、大いなる罪に至るものである。

 

 

 さて、私はこの奥義を知っている。

多くの罪人達が真理の言葉を変えて道を踏み外し、よからぬことを口にし、嘘をつき、とんでもないことをでっち上げ、自分の教説について書を表すであろう。

しかし、彼等が私の言葉を彼等の言葉で全部正確に書き取り、私の言った言葉を変えも削りもせず、私が先に彼等について述べたことを全部正確に書き取った時には。

 

 私は別な奥義を知っている。

即ち、義人達と賢者達には、書が与えられて、喜びと真理と豊かな知恵の基となろう。彼等に書が与えられ、彼等はそれを信じて、それを喜び、それによって真理の道を知るに至った全ての義人は報いを得るであろう。

 

 

 

 

 第105章

 

 

 その時、と主は言われる。

 

「地の子等を呼び寄せて知恵のついての教えを聞かせてやるがよい。

彼等に見せてやるがよい。君達は彼等の案内役ではないか。

全部の報いを見せてやれ。

わたしとわたしの子は彼等の生きながらえる間、真理の道において永久に彼等と一体となる。君達には平和があるであろう。」

 

 喜べ、真理の子等よ、アーメン。

 

 

 

 

 第106章

 

 

 しばらくの後、私の子メトセラはその子ラメクに嫁をとってやったが、彼女は彼によって孕み、男子を出産した。

 

 彼の身体は雪のように白く、またバラの花のように赤く、頭髪ことに頭のてっぺんの髪は羊毛のように白く、眼は美しく、彼が眼を開けると、それは太陽のように家中を隈なく照らし、家全体がいよいよ明るくなった。

彼は、産婆の手を離れて立ち上がると、口を開いて義の主を賛美した。

 

 父のラメクはこれに恐怖を覚えて逃げ出し、父メトセラの所を訪ねた。

彼は言った。

「風変わりな子が生まれました。人間には似ても似つかず、天使達の子に似ていて、とにかく造りが尋常ではなく、私達とは違って眼はお天道様の傘みたいで、顔はきらきら光っております。あれは私の子ではなく、み使いが父親ではないかという気がします。あれが生きている間に地上に異常があるのではないかと思うと怖くてなりません。

ところで、お父さん、私のたっての願いですから、私共のご先祖エノクを訪ねて本当のところを聞き出していただきたいのです。あのお方はみ使い達とお住まいだというではありませんか。」

 

 メトセラは彼の子の言葉を聞いて、地の果てにいる私の所に来た。

私がそこに居るということを聞き込んだのであろう。彼が大声を出したので、私はその声を聞き、彼の所へ行って言った。

「さあ、お前が訪ねて来たというから、こうして会ってやるのだ。」

 

 彼は私に答えた。

「大事なことで参上いたしました。どうも気になる幻のことでやって参りました。さて、お父さん、聞いて下さい。私の子ラメクの子供が生まれたのですが、これが並みの子ではなく、その造りも人間のようではなく、肌の色は雪のよりも白く、バラの花よりも赤く、頭髪は白い羊毛よりも白く、眼はお天道様の傘のようで、あれが眼を開けると家中が明るく輝くといった有様です。

産婆の手を離れて立ち上がると、口を開いて天の主を褒め称えました。父親のラメクは怖がって私の所に逃げて来て、あれが我が子だとは信じられず、ああいうのは天使の子に違いないと言ってききません。そういう次第でお父さんの所へこうしてまかり出、本当のところを教えていただきたい、とこういうわけです。」

 

 私エノクは答えて彼に言った。

「主は地上に新しいことを成さろうとしておられる。それを私ははっきり分っているし、幻でも見た。

 

 お前に話した通り、私の父さんのャレデの時代に、天使の中のある者達が主の言葉に背いた。見ろ、彼等は罪を犯し、掟に背き、女達と交わり、これと一緒になって罪を犯し、その中から妻を娶って、子を設けた。彼等は地上に、霊の者ならず、肉の者なる巨人を産むであろう。

 

 

 地上には大いなる刑罰が臨み、地は全ての穢れから清められるであろう。

大いなる滅亡が全地に臨み、大洪水が遅い、大いなる滅亡が一年間臨むであろう。

お前達の所に生まれたその子は地上に生き残り、彼の3人の子も一緒に助かるであろう。地上の全人類が死ぬ時、彼とその子等は助かるであろう。

 

 ところで、お前の息子ラメクには、生まれた子は正しく彼の子だ、と知らせてやれ。そして、その子の名はノアとせよ。というのはお前達にとっては彼が生き残りとなり、彼とその子等が彼の時代にあって、その絶頂に達するありとあらゆる罪と暴虐の故に地上に臨むであろう滅亡から救われるのだ。

 

 

 この後、以前に地上にはびこったものよりももっと酷い暴虐が行われるであろう。

私は主ご自身が私に見せて下さり、知らせて下さり、また天の書板を読んだことがあるので、聖者達の奥義を知っている。」

 

 

 

 

 

 

 

◆補足文

解説によると、この第105章からはいよいよ「エノク書」のエピローグへと入っていきます。第106~107はノアの奇蹟的出生について語り、最終章第108章でエノクは悪人の霊魂にはゲヘナの火が、義人には祝福が待っていることを語って敬虔な者に今しばらくの忍耐を促しています。

 

 実は第106章で、ノアの名前を名づけたの主であり、それを息子のメトセラにエノクが伝えたのだということは、聖書の「創世記」には書かれていません。

 

 <創世記>5:28「そしてレメクは182年の間生き、その後一人の父となった。そして彼はその名をノアと呼んでこう言った。『この者はャハウェが呪われた地面から来る私達の仕事と慰めをもたらしてくれるだろう。』」

 そして、この後の

 <創世記>6:1「さて、人が地の表に増え始め、彼等に娘達が生まれると、その時にまことの神の子等は人の娘達を見、その器量の良いことに気づくようになった。そして彼等は自分達のために妻を、全て自分の選ぶところの者を娶っていった。

6:4~その時代、またその後にも、ネフィリムが地に居た。それはまことの神の子等が人の娘達と関係を持ち続け、その娘達が彼等に子供を産んだことで、それらは昔の力ある者達、名のある人々であった。」

と続いています。

 

 読んでいると、なんだか不自然などこか文脈に抜け落ちた箇所があるように思えます。多分この<創世記>5章と6章の間に、本来ならこの「エノク書」が入っていなければいけなかったのです。これは多分「聖書」と「エノク書」を読んだことのある者なら感じずにいられないのではないでしょうか。もし、入っていたのなら、ごく自然なものになっていただろうし、霊的な事実ももっと受け入れやすいものになっていたでしょう。それに、世界中で発見されてきた巨人達の骨が、実はスミソニアン博物館(ロックフェラー財団)によって隠蔽されてきた事実も恐らく無かったはずです。恐竜たちもこのネフィリムの時代に誕生したものだと言われているのです。

 

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』20

 

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 

  第101章

 

 

 君達天の子等よ、こぞって天と至高者の全ての業を観察し、彼を畏れ、彼の御前に悪を行うなかれ。

彼が、君達の故に天の窓を閉ざして雨露が地上に降らないように差し止められたら、君達はどうしようというのか。もし彼が君達の行いに対して怒りを発せられたら、彼に懇願も出来なくなるだろう。

 

 君達は彼の義について不遜なことをまくしたてたから、君達に平和はない。

君達は船を操る者を見たことがないのか。船が波に揺られ、風にもまれてどんなに難儀するかを。彼等は貴重な商品を全部海に持って出かけるのだが、海が彼等を飲み込み、そこで命を落とすのではないかという不吉な思いが胸をよぎって恐れる。

 

 海とその水とその運動は全て至高者の業であり、彼がその運動を全て封じ、砂をもって全体を縛られたのではないか。彼が諫められると海は畏れをなして乾き、魚を含めてその中にいる全ての物は死に絶える。

それなのに、地上にある君達罪人は彼を畏れることをしない。

 

 彼が天地とその中にある全てのものを造られたのではないか。

誰が地上と海中にうごめく全てのものに教えと知恵を授けたのか。

船を操る者達は海を恐れるではないか。

それなのに罪人達は至高者を畏れない。

 

 

 

 

 第102章

 

 

 彼が君達に火の苦しみを投げつけられるその時、君達は何処に逃れようというのか。何処に助けを求めようというのか。

彼が君達にその怒りの言葉を投げつけられる時、君達は恐れ、震えないだろうか。

 

 全ての光は大いなる恐怖の故に揺らぎ、全地はぐらぐら震動して大混乱に陥る。

全てのみ使い達は命ぜられたことを成し遂げ、栄光において大いなるお方から身を隠そうとするであろう。

地の子等は震えおののき、君達罪人は永久に呪われており、君達に平安はない。

 

 

 君達義人の魂よ、恐れるな。義のうちに死ぬその日を望むがよい。

君達の魂が悲しみのうちに黄泉に下ったとて嘆くことはない。

君達の肉体はこの世で君達の善良に相応しい報いを受けなった。

それどころか君達が罪人のようになる日、呪いと懲らしめの日には。

 

 君達が死ぬとき、罪人達は君達について言うだろう。

「義人だって俺達と同じように結局死んだじゃないか。彼等の善き行為の報いは何だったろうか。見ろ、奴等だって俺達同様、悲嘆と暗黒のうちに死んだではないか。

向こうの方が俺達より何か得したとでも言うのか。俺達は勝ち負けなしだ。

何を彼等は得、何を永遠に見るというのか。見ろ、彼等だって死んだ以上これから決して光を見ることはないのだ。」と。

 

 

 罪人達よ、私は君達に言おう。

飲み食いし、人の衣類をはぎ取り、略奪し、罪を犯し、財産を積み、人生を楽しむのもいい加減にしたらどうだ。

君達は義人達の最期がどうだったか、あの安らかさを見たか。

死のその日まで彼等には不法のこれっぽちも見当たらなかった。

 

 

 だが君達は言うだろう、

「しかし彼等は滅び、まるでこの世は初めからいなかった人間のようになり果て、彼等の魂は苦しみのうちに黄泉に下っていった。」

 

 

 

 

 第103章

 

 

 さて、義人達よ、私はその栄光と威光において大いなる方によって君達に誓う。

また、彼の支配の威光と彼の偉大さによって君達に誓う。

私はこの奥義を知っている。私は天の書板を読み、聖者達の書を見、その中に彼等について書き記してあるのを見出した。

 

 ありとあらゆる幸せと喜びと栄誉が彼等の為に備えられており、義のうちに死んだ者達の霊魂のために書き記してあり、君達には苦労の報いとして幸せが豊かに授けられるであろう。

 

 君達の分け前は生ける者達の分け前よりも多い。

義のうちに死んだ君達の霊魂は救われて喜ぶ。彼等の霊魂は滅びず、彼等は大いなるお方の前に世々代々に渡って覚え、めでたい。

よって彼等の中傷を恐れるな。

 

 

 災いなるかな、君達罪人は。

君達が罪のうちに死ぬ時、君達の同類は君達のことを言うであろう。

「幸いなるかな罪人達は。彼等は天寿を全うした。

今彼等は幸福と富とうちに死に、存命中悲惨や殺戮を我が身に経験しなかった。

また栄誉のうちに死に、存命中罰を被ることもなかった。」

 

 

 だが知るがよい。

彼等の魂は黄泉に引き下ろされ、大変惨めな悲惨な目にあうであろう。

君の霊は暗闇と網と燃え盛る炎の裁きの中に入り、大いなる裁きは永久に世々に続くであろう。

 

 

 災いなるかな、君達は。君達に平安はない。

 

 

 また存命中の義人達と善人達に向かって言うな、

「難儀の時に我々は散々苦労し、ありとあらゆる難儀を経、幾度か辛い目にあい、精魂尽き果て、数は減り、気力も萎えた。

我々は滅びた。言葉と行いをもって我々を助けてくれる者はなかった。

 

 もうどうにもならなかった。なんの方策も見つからず、意気消沈し、これでお終いという気がし、いつかまた救われるという望みをもったことは一日だになかった。

頭になるつもりだったのに尻尾になってしまい、難儀して働いたのに苦労の目的は達せられず、罪人の食いものにされ、乱暴者は我々の軛を重くした。

 

 我々を憎み、いじめる者に威張り散らされ、我々を憎む者に頭を下げたが、彼等は情をかけてはくれなかった。彼等の手から逃げ出してほっとしたいと思ってはみたものの、彼等の手を脱して逃げて行く先が見つからなかった。

 

 悲惨の中から我々を食いものにしている者達について官憲に訴え、声を大にして叫んでみたが、彼等は我々の叫ぶ声による訴えは無視し、我々の声を聞いてくれる気配もなかった。

かえって彼等は我々のものをかすめ、我々を食いものにし、我々の数を減らした者達を助け、彼等の不法をかばい、我々にかけられた軛を外してはくれず、我々を食いものにし、散り散りにちらし、我々を殺してその事を隠し、彼等が我々に手を振り上げたことを思ってもみてくれなかった。」

 

 

 

 

 

 

悪魔の選別

 「悪魔の選別」

 

 

 悪魔の選別の本題に入る前に「毒」について話します。

 

①毒の起源と歴史

  

 <古代>

 「毒」の起源を調べると、考古学の成果によれば、原始人達は斧や棍棒の時代から下がって剣を武器とし、それよりも強力で容易に命を奪う方法として「毒」を用いるようになりました。初期の人々が様々な効果を持つ「毒」を発見し、それを武器としていたのは明らかです。そして、この奇妙なる毒物の存在とその使用方法は、部族や氏族の長老達によって秘蔵されるとともに、偉大な力の象徴とみなされていたという考え方もありました。それは典型的な「呪医」「魔女」という概念の誕生でもありました。

 

 毒の危険性とその扱い方が理解されるようになったのは、その危うさを味わった人間がいるからです。ポントス(ヘレニズム時代のアナトリア北方の古王国)に君臨したミトリダテス4世は毒による暗殺に怯えながら一生を過ごしました。

彼は解毒の方法を求めて奔放した先駆者と言われています。在位中のミトリダテス4世は死刑囚に毒を盛りつつ解毒薬の治験を行い、自分があらゆる毒への耐性を得ることが出来るように、なかば偏執的なまでに毎日幾つもの毒を試したのです。ついに、彼はわずかな量のハーブを幾つも調合することで、この時代の最も有名になった治療薬を発見しました。それは『ミトリダティウム』と名づけられ、彼の王国がローマのグナエウス・ポンペイウスによって征服されるまで極秘の扱いを受けていました。

ポンペイウスが勝利した後は、ミトリダテス王の解毒薬の製法、及び薬草の研究所はローマ人のものとなりました。小プリニウスは7000以上のもの毒について記述しています。彼によれば、「ポントスの一地方で毒入りの餌を与えられていたとおぼしきアヒルの血、それが後にミトリダティウムの調整に用いられた。なぜならアヒルは毒入りの餌を食べても、全く健康であったのだ。」と。

 

 

 古代インドにおいても、毒を塗った武器は用いられ、戦術にも使われました。

カウティリヤ(紀元前350~283年頃)は、マウリヤ朝初代チャンドラグプタ王の相談役であり、首相でもありました。カウティリヤは国益を得るために秘密の武器、すなわち毒を使うよう王に誘いかけました。また暗殺の警戒と、毒見役の設置も急ぎ、毒を検出するための方法も洗練させたのです。更に王命に逆らった者を毒によって死刑としました。

 

 

 また、古代エジプトでは最初期のファラオ、メネス王が毒性のある植物や毒液の分析を進めていたと考えられる記録があります。

その後のプトレマイオス朝エジプトでは、毒に関する知見が存在したという証拠が、古代の錬金術アガトダイモン(紀元前100年頃?)の著作に見つかっています。彼はある種の鉱物とナトロン(ソーダ石)が混ざると「猛毒」が生み出されると語っています。

 エジプト人は、アンチモン、銅、鉛、天然の砒素、アヘン、更にはマンドレイクといった素材への知識も継承されていたと考えられています。他にもこのような秘密がパピルスには蔵されています。

今では、初めて毒を高度に抽出して巧みに操ったのはエジプト人であると考えられているようです。あのクレオパトラの時代も、コブラの毒以外に、ベラドンナやヒヨス、ストリキニーネの木の種などいくつもの毒を試したと伝えられています。

 

 

 次にローマでは、毒殺は晩餐の席や公共の飲食スペース等実行でされ、紀元前331年には既に確認されています。このような毒殺は、社会のあらゆる階層で私利私欲の為に広く行われていました。

 リウィウスは、ローマの上流階級や貴族達のうちで毒殺された人間を記録しています。ローマの皇帝ネロもまた、側近に毒を与えることを好んでいたことでも有名で、私設の毒殺者さえ置いており、お気に入りの毒は「シアン化物」だったようです。ネロの先帝であるクラウディウスは毒キノコか、それに代わる毒草で暗殺されたという説があります。

 

 

 <中世>

 

 中世ヨーロッパでは毒の性質が知られ、それが単なる魔法や奇蹟ではないことが理解されるようになると、「薬」と「毒」を販売し、供給するアポセカリーと呼ばれる商店が現れてきました。毒を持つ医学的な側面については殆ど知られていなかったのですが、そのせいか実用的でも合法的でもない目的から人々は公然と毒を買い求めたといいます。それらアポセカリーで働く錬金術達は、直に毒を扱う為、いつ健康を損なうかもしれず仕事をしていました。この頃の時代では世界中で毒を扱う技術が進んでいて、アラブ世界においては、飲み物に砒素を入れ、透明化し、しかも無味無臭にする事にも成功していました。この手法は、その後少なくとも100年間は検出されなかったようです。

 

 当時、中世のイギリスをはじめとするヨーロッパには毒への妄想症が蔓延していました。毒を使えばたやすく殺人が行える上、痕跡が気づかれずに済む。大衆が毒素に対する対策を求めたとしても、それに関する本は不安を煽るだけか、完全に間違っていたりもしていました。当時の冴えた書店員は、この問題を本を販売するための手とし、人々がありもしない安全策を求めて本を買うために、危険を誇張しました。

 宝石商なども毒素を弱めるアミュレットを販売し、傷薬を扱う医師は、この疑惑によって大いに利益を得ました。

大衆が待ち焦がれていた情報は、結局学徒と科学者だけのものであり、一般大衆はその妄想を確かめることは出来ませんでした。

 

 

 ルネサンス期>

 

 ルネサンス期頃は、違法かつ卑劣な目的で毒を用いることが隆盛を極めていました。それが殺人や暗殺に必須の道具となっていたのです。犯罪結社などで毒が人気を得たのは、毒そのものに新たな発見がされ続けていたことに理由がありました。

 14世紀から15世紀に生きたイタリアのある錬金術は、毒性を持った物質を掛け合わせることで強い効果を生み出すことに気づいていました。学問としての体系も整えられ、今日の『毒性学』として知られるものに近づいていきました。こうして人を殺すための毒は社会に根付いていき、夜会に訪れる人間は、主賓あるいは客の誰かが食事に毒を盛りはしないかと恐れるようになったのです。

 

 この15世紀には、錬金術と毒殺者によるギルド、Council  of  Tenが組織されています。

 

 

 16世紀には、毒がある種の学問にすらなっており、ヴェニスやローマ、イタリアのいくつかの都市では毒の使い方及び、学問としてのそれを教える学校が誕生しました。

「Neopoliani  Magioe  Naturalis」(1589年末)という本は学問としての毒と、実践に役立つ技術とを詳細に解説したものです。この著作によれば、最も効率のよいのは狙った人間のワインに毒を混ぜることであり、この手法は当時大変普及しました。

 

 16世紀の末期には、技術としての毒の中心地はイタリアからフランスに移り、

1570年代にはパリだけで3万人もの人々が何らかの形で違法かつ道徳的でない毒の使い方をしていたという数字もあり、この現象そのものが、「悪疫」或いは「伝染病」と呼ぶに相応しいものになっていました。この伝染病は、幾つもの弔いの鐘を響かせる一方で、犯罪とは何のかかわりもない人々に大きな影響を与えています。とりわけ貴族の多くは毒の恐怖におびえるばかりでした。

 

 

<20世紀>

 

 1900年代に入ると、毒に対する技術もまた改良され、効果的なものとなっていき、毒を使って悪事をなすことは前世紀に比べて非常に難しくなっていきました。

また、教育を受けた層が広がることで、毒の使い方を理解することの出来る人間も増え、結果限られた一部の人間だけが殺人を実行できる知識を持っていた、というのが、全く過去のことになってしまいました。

とはいえ、現在でも殺人の道具として毒は使われています。20世紀のはじめには砒素がよく使われ、半ば頃にはシアン化物がポピュラーとなりました。

また、世界大戦時中には自殺の道具としてエージェント達がシアン化物を使用しました。

 

 

 

 ……ということで、「毒」の起源と歴史を書かせていただきましたが、

本題は「悪魔の選別」です。「神の選別」、もしくは「選民」という言葉はきっとよく聞かれると思います。それは最後の審判で選ばれた人々であり、審判後に神と共に永遠に幸せに暮らすことの出来る約束された人々を指しています。

神に自分が選ばれるのかどうか、選民になれるのかどうかは誰もわかりません。

自分が望んでも、選ぶのは神なので誰もわかりません。

 

 さて、反対の悪魔も実は、神が人間を創造されたはじめの頃から自分達の選民を選んできています。それは、自分達と同じように神に反抗し、自分達を神と崇めて付き従う人間を集めているのです。

人間は神に選ばれるかどうかは、死ぬまでが勝負です。死んでもまだ生きられる、来世がまたあるのだから生まれ変わればいいという、悪魔が永年に渡り人類に教えてきた嘘のシナリオを信じる者には、今世限りの命を受け入れられない話かもしれませんが、

本当に聖書を理解している人達は、1度きりの今世限りの生き方で、神から選ばれるか、悪魔側に選ばれるかが決まってしまうということを知っています。

 

 悪魔は当然、一人でも多くの人間どもを自分達の仲間として引き入れ、自分達の地獄行きの選民とならせたいのです。

悪魔の最も近しい人間、この世の支配層の連中(ネフィリムの血統・堕天使と人間の女との子供)と、それに付き従っている仲間のことですが、彼等はそうした自分達の父であり、神の望みを叶えることを生きがいとしています。

その見返りに、悪魔サタンも自分達の子供達を愛し、守り、この世での最高の栄華と望む全てのものをを与えているのです。

 

 この世の支配層である彼等はそうして、自分達の父の命令(霊媒による指令)に常に聞き従い、この世を一つに束ねて牛耳りながら、世界を支配し続けているのです。

 

 彼等の仕事はこの世の人間を一人でも多く、自分達と同じように悪魔を神と崇め、悪魔の選民となるように教育し、殺していかなければなりません

その為には当然、この世が天国のような善良で誰もが不平不満のない世界にすることはありません。己の欲の為に常に他人のものを奪い合う世界でなければならないのです。

そして、憎しみを生んで、神の教えの愛から人々を遠ざけようとするのです。

 分かり易いのが戦争です。常に国と国、隣国と隣国、大国と大国が争い、血を流す世界にしておかなければなりません。そうしておかなければ、隣国同士がどんどん仲良くなり、助け合い、与えあい、平和で豊かな世界を作ってしまうかもしれないからです。

幸せで善良な人間ばかりになってしまっては彼等の目的には合わなくなってしまうでしょう。

 

 彼等はよく、世界的な組織を作り、偽善の慈善事業を推し進めたりしていますが、本気で取り組む気など毛頭ないのです。本物の慈善団体が出来ようものなら、取り込むか潰して監視し、決して世界平和などへは導きません。(募金団体などは要注意です。)

 

 

 そしてもう一つ彼等の仕事は、自分達と同じような悪魔の性格、霊性を育てることです。生まれもって邪悪な人間はそのままにし、それ以外の人間を悪魔向きに変えようというのです。

分かり易く言えば、聖書に書かれた、神が忌み嫌う人間性に私達を育てたいということです。この世を見渡せば、彼等の選民となるべく宗教、教育や環境が全て整っているのが分かるはずです。

 

 

 上記に書いた「毒」について、彼等は古代よりそれを様々に利用してきています。

毒の起源についての最初の概念が「呪医」「魔女」であり、歴史を下がって次に

錬金術師」が現れます。

錬金術とは、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属、特に金を精錬しようとする試みの事を指しており、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象としてそれらをより完全な存在にする試みのことです。その思想は「賢者の石」を創り出すことであり、人間を不老不死にすることができる究極の物質であると考えられていたのです。神にも等しい智慧を得るための過程の一つが「賢者の石」の生成だったと言います。

錬金術の守護神はヘルメス・トリスメギトス=神秘主義悪魔崇拝)となっています。)

 

そして毒から生まれた「薬」の誕生です。しかも錬金術が薬を販売していたのです。

もちろん、化学・科学とも密接に関係しています。宗教ではカトリックと深い関わりがあります。

つまりこれら、一つ一つの言葉が悪魔サタンと密接に繋がっているということが調べると判ってきます。

そして、現代に移り考えてみても全てが一致してくるのです。

 

 

 考えてみなくとも、この世は既に毒だらけです。衣・食・住、自然に至るまで、彼等支配層によって汚されてしまっています。あの有名な「モンサント」もそうですし、水質問題、大気汚染も問題になっています。「ケムトレイル」もあります。

人類は「毒」まみれの悪魔世界に住んでいるわけです。

 

 そしてもう一つ、彼等悪魔の血統を受け継ぐ者達は、上記の歴史が物語るように、自分達が毒殺されないようにしてきています。彼等は「毒」を少しずつ体に慣らすという方法を使い「毒に対する耐性」を獲得するという方法を見出してきたわけです。

それに、イルミナティの血統に入る被害者であり、告発者のフィオナ・バーネットさんの話によれば、元々イルミの血統はIQも高く、体力的スキルも通常の人よりもかなり強いと言っています。ということは、彼等は「毒」に対する耐性も通常よりも強い可能性があると言えます。

 

 ここで、「毒の耐性」といくと、薬の「ワクチン」も同じ考え方で作られていますね。このワクチンを作っているのは彼等イルミの配下にある製薬会社です。

知らない人はいないと思いますが、世界中の医療を牛耳っているのはロックフェラーであり、そのバックには大元締めのロスチャイルドがいます。

これは既に陰謀論ではない事実であり、その配下にビル・ゲイツもいるわけです。

 

 

  ●お勧め動画YouTube

「Revelation: Bill Gates & ID 2020 / Microchips for a Cashless Society」

 ODD TVさん配信(2020/4/5公開)

 

 

 

 

 ちょっと考えてみて下さい。私達はこの世に誕生して間もない赤ん坊の頃より、政府によって、半ば強制的にあらゆる「ワクチン」を受けさせられてきています。

その理由は常に「あなたを病気から守ってやるんだ。」という彼等側の押しつけがましい親切です。本当に政府はそういう親切心があると思いますか?

この押しつけがましい親切の「ワクチン」は時代を経るにつれ、その毒性もまた強まってきているのです。元は毒であり、ワクチンは「薬」でしょうか?

やはり混入されている成分を聞けば「毒」以外の他に何があるんでしょうか?

 

 今、世界中の政治家は「コロナのワクチン」を人類に打たせようとしています。

彼等はどうして「ワクチン」をそんなに打たせたいのでしょうか。

既にいくつかの「ワクチン」を受けた人々の中では、副作用が現れた者、また死亡した者も出てきています。

そもそも彼等は死亡した人を悼む気持ちなど毛頭ありません。「人口削減」か?とか叫ばれていますが、それもその通りでしょう。彼等は幾ら人々がコロナにかかり世界中で沢山死んでも、ワクチンを打った後に死んだとしても初めから一向に構わないのです。 

 

 

 

 私は「悪魔の選別」について話しています。

もしかしたら、彼等支配層が永年やっているかもしれない「毒」を体に慣らして身体的スキルを作ること、それに生き残ることの出来る人間が、彼等と同じ仲間として相応しという「悪魔の選別」を行っているのかもしれません。

 

 

 もう一つ有益な動画を紹介します。

●「Pharmakeid / Drugs,  Black Magic & the End Times / Part one」

 ODD TVさん配信(2021/1/24公開)より

 

 この動画の内容は「薬と魔術」について詳しく話しています。

 また、聖書<ガラテア>5:16~21

      <啓示>  18:21~2 を引用しています。

 

 製薬会社が新しいワクチンを作成する時、彼等のWebサイトのCdcによってリストされているワクチンの幾つかの成分について教えてくれています。

 

アルツハイマー病を引き起こすアルミニウムを含む。

・49.6水銀を含むホルムアルデヒド、別名防腐処理液チメローサル。

・ネイルポリッシュリムーバーの溶剤であるアセトン。

・中絶された人間の胎児の細胞WI-38および、動物の細胞、鶏・豚・犬・猿・馬・兎・牛なども含みます。

 

 となっており、非常に疑わしい化学物質、つまり毒物が入っていると伝えています。

基本的に薬局は、様々な種類の毒物特許を混ぜ合わせ、それをパッケージ化し、特定の病気を治療出来ると彼等は主張しているのです。

 

 この動画では、「薬」の歴史を紐解き、やはり毒物学の父パラケルスス(1493~1541年)を挙げ、パラケルススが医者でありながら、哲学と治金学者であり、筋金入りの錬金術師であったこと、オカルト学者であったことを詳しく説明しています。

パラケルススは、水銀を金に変えて普遍的な病気の治療法を見つけることを考えていました。(彼はしばしば、水銀・鉛・錫などの金属は人々を病気から浄化させることが出来るとしていたのです。)

しかし、その普遍的な溶液は、あらゆるものを破壊する可能性があったのです。

そして、また彼のオカルト思想により、その錬金術は寿命を延ばす為の秘薬「賢者の石」として知られるものでもあったのです。

 

 この、パラケルススの普遍的な治療法として定義されている「アゾット aZOth」と呼ばれる薬は、普遍的な溶媒として求められていたといいます。

これは偶像化された別の錬金術と同じ物質アルカへストアゾットが目標でした。

 

 錬金術作品のビジョン、そのシンボルは「̚カドゥケウス

      これはオカルト式用語です。

 

 薬のシンボルマークはどこでも共通しているデザインが多い

 (杯の形に蛇が巻き付いているデザイン)

 

 これはギリシャ神話では「ハイジア」はエスカラピアの娘で助手。薬の癒しの神ヒジアのシンボルは「知恵の蛇が飲んでいる薬用ポーションであり、知恵の蛇は、エスカラピアの棒にも現れる。医学の象徴であるエスカラピアは、ギリシャの医学の神である。

 

 そして、アメリカのアポロの息子はカドゥケウスがヘルスケア業界のシンボルとして一般的に使用されています。

 

 

 また、悪魔の像バフォメットには「カドゥケウス」が確かにあります。

バフォメットの両腕に書かれた文字、片方には「SOLVe」、もう片方には「CoACuLA」

これは、錬金術のプロセスである「解決」と「凝固」であり、分解して再構築することを意味しています。

 

そして、バフォメットは「両性具有」であり、

    雄と雌の合体をとは、 hermaphrodie(n.) と書きます。これは、エルメスの息子であり、アフロディーテとして知られる愛の女神を意味し、更に水銀および、金星ヘルマプロヂュース(夫婦合体にして体を作った?)としても知られています。

ヘルマプロディート症は男女病の意味です。

 

 

 つまりまとめると、雄雌胴体は、「カドゥケウス」が置かれている。

  (オカルト文学には雄雌合体と蛇)

錬金術で重要な水銀、「水銀」という名前としても知られている「エルメス」。

パラケルススの時代から私達が身体の中で経験してきたことは全てギリシャ神話とオカルト的な伝統に由来しているということです。

 

 

 悪魔の支配階級は、社会をセックスレスにし、男女を一緒(両性化)にし、家族単位を徐々にバラバラに破壊することであると言っています。その為に彼等は日常の薬品類である製品を通してこの目標を達成しようとしています。

 

 私達が普段家庭内でよく使う洗剤製品や化粧品類?その他にはホルモン撹乱物質が含まれています。(内分泌撹乱物質) 

これは体の内分泌系を妨げる化学薬品であり、不利な発達生殖を生み出すのです。それはホルモンを破壊し、体を混乱させるものなのです。

そして、ワクチンも同じことが言えるのだと伝えています

 

 

※※上記の私の訳理解よりも

Edeen Mediaさんが、本日同じODD TVさんの動画の訳文の動画をさっき2時間前に出してくれておりましたので、そちらの方のが分かり易いと思いますので、是非ご覧くださいませ。

 

 

 

 

※※また、もしこのワクチンがDrキャリー・マディの告発のようなDNAワクチンであり、ナノテクノロジーワクチンであるとするなら、正に聖書の黙示録である「666」を意味しています。

<啓示>13:16~「またそれは、全ての人、すなわち、小なる者と大いなる者、富んだ者と貧しい者、自由な者と奴隷を強制して、その右手や額に印を受けさせ、またその印、つまり野獣の名もしくはその数字を持つ者以外には誰も売り買い出来ないようにする。……聡明な者は野獣の数字を計算しなさい。それは人間の数字なのである。そしてその数字は666である。」

 

 

 

 

 ということで、あなたは、この世のあらゆる「毒」を喜んで身体と心に受け入れてもいいのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』19

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第96章(略)

 

 

 

 第97章

 

 

 

 さて、私は君達賢者と愚者に誓う。

※君達は多くのことを地上で見るであろう。

君達は男でありながら、女達よりも化粧に凝り、うら若い娘も顔負けするような長袖の衣をまとい、豪華、絢爛(けんらん)、権勢、金銀、紫、威厳などに浸り、馳走を湯水のように浴びている。※

これがために、彼等には教えも知恵もなく、その財産と名誉と栄華と共に一緒に滅びることは必定である。

彼等の霊魂は、恥と殺戮と赤貧のうちに火の炉に投げ込まれることであろう。

 

 

 罪人達よ、私は君達に誓った。

山が独りでに奴隷になったのではなく、丘が独りでに婦人の腰元になったのではないのと同じように、罪も地上に送られてきたのではなく、人間が自分で生み出したものであり、これを犯すものは大いなる呪いを受ける。

女の不妊も生まれつきのものではなく、彼女の手の業故に、彼女は子なくして死ぬのである。

 

 罪人達よ、私はあなた方に聖にして大いなる方によって誓った。

君達の悪行は天上にことごとくにさらけ出されてあり、君達の不法行為で、覆われ隠されているものはない。

全ての罪が日ごとに天上の至高者の前に記録されているなどとは分かりもしないし、

見えもしないなどと勝手に思いなしたり、心中そう決めこんだりしてはならない。

今より後、君達が犯す不法は一々、日ごとに、君達の裁きの日まで記録されているのだと心得るがよい。

 

 災いなるかな、君達愚者は。

君達は自らの愚かさ故に滅びる。君達は賢者の言うことを聞かない。

君達は幸福はめぐってこないであろう。

 

 今こそ知るがよい。

君達は滅びの日に備えられているのだ。

罪人達よ、助かる望みはないと思え。

お前達は、大いなる裁きの日とお前達の霊魂の患難と並々ならぬ困窮の日に備えらえれたのであるから、贖いなどということもなく、この世を去り、死に赴く他ないのだ。

 

 

 災いなるかな、君達心の頑なな者。

※※君達は悪事を行い、血を食らう。

どこから美味いものを見つけてきて食らい、飲み、腹を満たそうというのか。※※

至高者なる主が豊かに備えられたものの中からではないのか。君達に平安はない。

 

 

 災いなるかな、暴虐の行いを好む君達は。

何故幸せなどを望むのか。君達は義人達の手に引き渡され、情け容赦なく首切られ、殺される運命にあると知るがよい。

 

 災いなるかな、義人達の患難を嬉しがる君達は。

君達の墓は掘られないであろう。

 

 災いなるかな、義人達の言葉をないがしろにする君達は。

君達には救いの望みはないのだから。

 

 災いなるかな、偽りの言葉と不義の言葉を書き連ねる君達は。

彼等は、人が愚かさを聞いて忘れないようにと偽りを書き連ねる。

彼等に平安はない。いな、突然死ぬであろう。

 

 

 

 第99章

 

 

 災いなるかな、不義を行い、偽りの言葉を誉めそやす君達は。

君達は滅び、救いも幸福も得られない。

 

 災いなるかな、真理の言葉を曲げ、永遠の掟にもとり、

自分は無罪だと思い込んでいる君達は。

君達は地上で踏みにじられる定めにある。

 

 義人達よ、その時祈りを捧げて要求する備えをせよ。

それ、祈りを証言として天使達の前に提出し、彼等に罪人達の罪を至高者の前に提示して訴えてもらうがよい。

 

 その時諸々の民は動揺し、滅亡の日に民の輩は立ち上るであろう。

その時、胎児が生まれ出てくるやいなや、人々は我が子なのにこれをひったくって放り投げ、そのお陰で子は自らの親の手にかかって死ぬ。また、がんぜない乳呑み児をも放り出したまま顧みず、愛する我が子に憐れみを掛けようともしない。

 

 

 私は君達罪人に再び誓う。

罪は止まる事を知らない流血の日に向けて備えられている、と。

★★石を拝む者、金銀、木石粘土の象を拝む者、

穢れた霊、悪霊、その他各種の偶像を知識によらず拝む者は、

これらから何の助けも得られないであろう。

彼等は理性の愚かさの故に不敬虔になり、✽心の恐怖と夢に見た幻の故に目がかすむであろう。✽この故に彼等は不敬虔になり、恐怖に憑りつかれるであろう。 

彼等の成す事、全て偽りに基づき、石を拝んだ故にたちどころに滅びるであろう。★★

 

 その時、知恵の言葉を受け容れ、それを悟り、至高者の道を行い、

彼の義の道を歩み、不敬虔な者に交じって不敬虔な人間にならない者は幸いである。

彼等は救われるであろう。

 

 

 

 災いなるかな、悪を隣人にまで広める君達は。

君達は黄泉で殺されるであろう。

 

 災いなるかな、罪と偽りの秤をこしらえる君達、

また地上の人々に苦々しい思いをさせる者達は。

この故に彼等は、抹殺されるであろう。

 

 災いなるかな、他人の苦労で家を建てる君達は。

その建築材は全て罪のレンガと石ではないのか。

私は君達に言う、君達に平安はない、と。

 

 

 ★★災いなるかな、割り当てられた先祖代々の遺産を棄てて

偶像を一心に追い求める者達は。

彼等には心の休まる時がないであろう。★★

 

 

 災いなるかな、暴虐を行い、不法を助け、

隣人を殺して最後に大いなる裁きの日に辿り着く者は。

彼、神は君達の名誉をこぼち、君達の胸中に苦悩を投じ、怒気を発し、剣を持って君等を全滅させられるであろう。

また、義人達、聖者達は皆君達の罪を思い起こすであろう。

 

 

 

 第100章

 

 

 その時、あるところで、父が子と共に刺殺され、兄弟が隣人と共に斃(たお)れ、その血が川のように流れるであろう。人は我が子、我が孫をすら平気で殺め、罪人は敬愛する自分の兄弟をすら平気で殺め、明け方から日暮れまで殺し合いが続くであろう。

馬は胸まで血に浸って進み、馬車は屋根まで血に没するであろう。

 

 その時、み使い達は密かな所に下り、罪を助ける者達をみな一ヵ所に集めるであろう。その日、至高者は、全ての罪人に対して大いなる裁きを施行すべく立ち上がられる。

 

 彼は聖なるみ使い達の中から守護者を任命して、全ての義人達と聖人達を瞳のように護られる。それは全ての悪、全ての罪が始末される時までである。

義人達は長い眠りを経なくてはならないとしても、恐れる事は何もない。

その時賢者達は見、地の子等はこの書の全ての言葉を悟り、彼等の罪がこぼたれる時、彼等の持てる富は彼等を救いえないことを知るであろう。

 

 災いなるかな、義人達を激しい難関の日に苦しめ、彼等を火で焼く時の君達は。

君達は自分達の行いに応じて報いられるであろう。

 

 災いなるかな、君達心のひねくれた者。

君達は悪事をたくらもうと伺っている。

恐怖が君達に臨んでも、助けてくれる者はいない。

 

 災いなるかな、君達罪人は。

君達の口の言葉の故に、また君達の手の不義の行い故に、

君達は燃え盛る火の炎で焼かれるであろう。

 

 

 今や知るがよい。

み使い達は天上で太陽から、月から、また星から、君達の行状を、君達の罪について調べ上げるであろう。

君達は地上で義人達に対して裁きを行っているそうではないか。

彼は全ての雲、霧、露、雨を喚問して君達に対して証言を求められるであろう。

なぜなら、これら全てのものは差し止められて、君達の上に降りてこないてあろう。

彼等が君達の罪を心に留めないとでも思うのか。

 

 

 さあ、雨に贈り物でもして、君達の上に降るのを止めないようにしてもらうがよい。

君達から金銀を受け取った露はどうだ。

ひんやりする霜と雪、様々な災難をもたらす吹雪が君達の上に臨む時、

その時は君達は到底耐えられないであろう。

 

 

 

 

◆補足文

は、古代から現代においても男性が女性のような化粧を施し、振る舞う様は見られてきています。人類の最初の時代にはそうしたことはおそらく無かった事でしょうが、堕天使達や悪霊の活動や、指導によってそうなっていきました。

神が禁じた「同性愛」も彼等サタン側が神に反抗させるために、人間達を洗脳してきたものと考えられています。(古代ギリシャの時代においては、もう当たり前のように世間では「同性愛」は認知済みでしたから。)

 

 ※※悪事を行い、血を食らう。という部分も、あらゆる血に対して神は食することを禁じています。「血」は神聖であり、「命」であること、

<創世記>9:4~ ただし、その魂、つまりその血を伴う肉を食べてはならない。更にわたしは、あなた方の魂の血の返済を求める。人の手から、その兄弟である各人の手から、わたしは人の魂の返済を求める。誰でも人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。

とノアに告げています。

 

 また、<レビ記>17:10~ いかなる者であれ、血を食べる者がいれば、わたしは必ず自分の顔を、血を食べている者の魂に敵して向け、その者を民の中から正に絶つであろう。わたしは、あなた方が自分の魂の為に贖罪を行うようにとそれを祭壇に置いたのである。血がその内にある魂によって贖罪を行うからである。

それ故にわたしはイスラエルの子等に言った。

『あなた方の内のいずれも魂の血を食べてはならない。』

17:14~ あらゆる肉なるものの魂は血であり、魂がその内にあるからである。

その為わたしはイスラエルの子等にこう言った。

あなた方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない。あらゆる肉なるものの魂はその血だからである。全てそれを食べる者は絶たれる。』

とあります。

 

 しかし、悪魔側は動物の生肉どころか、人肉を食する「カニバリズム」さえ行ってきているのです。

最近の話題になったものとして、「アドレナクロム」の話がありました。

これもアメーバ0012jのブログでも話していますが、ずいぶん皆さんの知るところとなってきました

この世の支配者層、エリート達による、ペドフィリア犯罪と悪魔崇拝儀式による幼児や赤子の「吸血儀式」、そして「不老不死(永遠の若さ)」を得る為に、彼等は「アドレナクロムの血」を食べているのです。非常に残忍で恐ろしいことです。

 

 ★★部分は、もちろんあらゆるこの世の「偶像崇拝」に対する警告が語られています。

しかし、何回も言いますが、この世のほとんどの宗教は「偶像崇拝」をやっています。また、多数の新興宗教が教祖による啓示「霊媒」によって、もしくは「超常現象」のような不思議な力を見せては信者を得ているということが多いのです。

たとえ、キリスト教や他の名だたる宗教が奇蹟を起こしたとしても、それは偽りの奇蹟、私達の目をくらます為の偽善の奇蹟なのです。

(はっきり言って聖書時代以降、神やみ使いの天使による啓示はありません。ですから「聖書啓示」以降の霊媒、予言者なども全ては悪霊、もしくは堕天使によるものだと知って下さい。✽心の恐怖と夢に見た幻のゆえに目がかすむであろう。と書かれている通りです。)たいがいは、その啓示のエピソードは怪しく、冷静に考えれば可笑しなものが多いものです。つまり、これらも、悪魔側が仕掛けたことに間違いはないのです。

 

 そして、神社、仏閣、キリスト教だろうが、イスラムだろうが、何だろうが必ずと言ってよいほど、何らかの神を祀る象徴のシンボルマーク、あるいはあらゆる物質で造られた神像があるものです。

これらは全て拝んではならないものなのです。神は何度も何度も、幾世紀もかけて同じ警告を発しているのです。「偶像崇拝」は神の忌むべきものであると。

 

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』18

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第92章

 

 

 学者エノクが著したもの。この知恵の教えは全ての人から賞賛され、全地を裁く規範であり、地上に住まう私の全ての子等及び正義と平和を行うであろうところの未来の世代のために書かれたものである。

 

 時勢に心を悩ませぬがよい。聖なる、大いなるお方が全てのことに日を定められたのだから。義人は眠りから醒めて立ち、義の道を歩む。その全ての道と道程は永遠の慈悲の中にある。彼は正しい者に対して慈悲深く、そういう者に永遠の公正を施され、支配権を賜い、恵みと義の中にあって、永遠の光の中を進む。罪は永久に暗闇に葬られ、この日から永遠に現わされることはない。

 

 

 

 

 第93章

 

 

 その後エノクは書物に基づいて語り始めた。エノクは言った。

「私の子等よ。私エノクは、義の子等について、この世から選ばれた者達について、また義と公正の木について、天の幻によって私に示され、聖なるみ使い達の言葉から私が学び、天の板から私が悟ったことを君達に語りかつ知らせよう。」

 

 そこでエノクは書物に基づいて語り始めて言った。

「私は、裁きと義がまだ引き続き行われつつあった第1週に7番目に生まれた。

私の後に、第2週に甚だしい悪が起こり、欺瞞が芽生え、最初の滅亡が訪れ、ある者は救われ、この滅亡の後暴虐がはびこり、罪人に対して法(おきて)が定められるであろう。

その後第3週に、その終わり頃、正義の裁きの木となる一人が選ばれ、彼の子孫は以後永遠に義の木となる。

その後、第4週にその終わり頃、聖人と義人達の幻が現れ、続く世代のための法と囲いが定められる。

その後、第5週にその終わり頃、栄光の家と王国が建てられて永遠に至るであろう。

その後、第6週に、その時代に生きる者は皆盲人になり、全ての者の心は知恵を忘れる。その時一人の人が起こり、その終わり頃、王国の家は火に焼け崩れ、選ばれた根に繋がる全ての者は散らされるであろう。

その後、第7週に背教の世代が起こり、その所行は多岐に渡るが、その所行はいずれも背教的である。

その終わり頃、義なる選民は永遠の義のひこばえから報いを受け、彼の創造の全てについて7通りの教えを授けられるであろう。

 

 

 ※およそ人の子の中で聖なるお方の声をおののかずして聞ける者は誰か。

あの方の思いを思う事の出来る者は誰か。

また、天上に行われる全てのことを観察しつくせるのは誰か。

天の作用を知ることが出来ると言うが、一体何を知ることが出来るのか。

霊あるいは息を見られるというのか。そしてそれについて語ると言うのか。

あるいは昇ってその果てを見尽くし、それについて考察したり、あるいはそれに類したことが出来ると言うのか。

 

 およそ人間の中に、大地の縦横の大きさを知ることの出来る人間はあるか。

その高さはいくらか。何の上に固定されているのか。

星の数はいくつで、全ての光はどこに憩うのか。※

 

 

 

 第94章

 

 

 さて、お前達に言っておく。

私の子等よ。義の道を愛し、その中を歩め。義の道こそは受け入れられるに値する。暴虐の道はたちどころに滅び、廃る。未来の世代のある人々には不法と死の道が啓示され、彼等はこれから遠ざかり、それに従うことはないであろう。

 

 さて君達義人等に言っておこう。

悪しき道、不法の道、死の道を歩むな。滅びたくなかったらこれに近寄るな。むしろ、義と神のよみとされる生き方を求めよ。平和の道を歩んで繁栄の日を送るがよい。私の言うことをしっかりと肝に銘じ、これが君達の念頭を離れることがあってはならない。

 

 罪人共が人々を惑わして、知恵を悪しざまに言い、知恵の入る場所が見当たらないようになるであろうことを私は知っている。惑わしはどれも一つとして減ることはないであろう。

 

 災いなるかな、暴虐と不法を築き、欺瞞を土台に据える者。

彼等はあっという間に覆され、心の安まる時がない。

 

 災いなるかな、その家を罪で建てる者。

それは土台から覆され、彼等は剣に倒れるであろう。

金銀を手に入れる者は裁きにあってたちどころに滅びるであろう。

 

 災いなるかな、君達富める者。

君達は自分の富を頼みとした。しかし、君達はその富を失うであろう。

富んでいた時、至高者の言葉に心を留めなかったからだ。

 

 君達は瀆神と暴虐を行い、血が流される日、暗闇の日、大いなる裁きの日にこそ相応しい者になった。

 

 このように私は君達に言い、かつ知らせる。

君達を創造なさったそのお方が君達をひっくり返されるであろう。

君達が倒れようと同情もされず、君達の創造者は君達の滅亡を喜ばれるであろう。

君達の中の義人等は、その時、罪人と悪人共に嫌われるであろう。

 

 

 

 

 第95章

 

 

 私の目が水の雲であればいいのに。そうすれば君達のことを泣き、私の涙を水の雲のように注ぎ、私の胸中の悲哀も少しは和らげられようというもの。

 

 誰が君達に憎むべき悪事を行うことを許したのか。

裁きが君達罪人に臨むであろう。

義人達よ、罪人を恐れるな。主は、いつか彼等を君達の手に返されるから、そうしたら好きなように奴等を裁いてやるがよい。

 

 災いなるかな、元に戻せないような呪いをかける君たちは。

自分の所行に応じた仕返しを君達は受けるであろう。

 

 災いなるかな、君達偽りの証人、また不正の秤を用いる者。

君達はただちに滅ぼされるであろう。

 

 災いなるかな、災いなるかな、君達罪人は。

君達は義人を迫害する。

君達こそは渡され、迫害されるであろう、暴虐の徒輩(やから)よ。

君達の軛(くびき)は君達の肩に重くのしかかるであろう。

 

 

 

 

 

◆補足文(※~※までの文を読んでいると、いかにサタン側が神の創造されたものを調べ尽くしてそれを人間に教えること、それを「人類の知恵」、もしくは「科学」と呼び、しかも真実さえも彼等の人類支配の為に捻じ曲げることもしてきたのだということが理解できます。

そして、サタン側が「神秘主義」を古代より教え、これを「宗教」もしくは「学問」とし、汎神論を広めてきた理由もここに集約されていると思います。彼等が主の創造された全てのものを、自分達が創造したかのように教え諭すことで、間違った創造論(「進化論」)とあらゆる思考(哲学や○○主義、○○思考等)を生み出し、人類の支配権を握ってきたということです。

 

 本文「聖書外典偽典「旧約偽典」解説。第91・93章は「審判と救いの時代に至る世界史全史が10週に分けて述べられる。」第92・94・95章は罪人に対する罪と義人に対する報いを述べ、義人には忍耐をすすめる。」となっています。

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』17

旧約偽典『エノク書

 

 

 第88章

 

 

 私ははじめに出て来たあの4人の内の一人を見た。

彼は天から落ちたあの最初の星を捕まえ、手足を縛って谷に投げ込んだ。

この谷は狭くて深く、身の毛もよだつような、真っ暗な所だった。その中の一人が刀の鞘を払って、例の象とらくだとロバに渡した。すると互いに入り乱れての斬り合いとなり、これがために大地全体がガタガタ揺れた。

 

 私が幻に見たところでは、出て来たあの4人の中の一人が天から石を投げつけ、馬のような性器をぶら下げた巨星を全部集めて連れて行き、どれもこれも手足を縛って地の裂け目に放り込んだ。

 

 

 

 第89章

 

 

 その4人の中の一人が例の白牛の所に行って、こっそりと何か教えを授けたが、彼はガタガタ震えていた。彼は牛に生まれたのだが、後に人間になり、大きな箱舟を造り、それに住んだが、他に3匹の牛が一緒に住み、彼等の上には蓋が被さった。

 

 再び目に天をあげると、屋根が高く引き上げられ、その上に7つの水門があり、この水門から多量の水を一つの囲いに注ぎ込んでいるのが見えた。

私がまた見ると、地上のあの大きな囲いの所に泉が口を開け、その水はこんこんと湧き出し、地上に、嵩を増し、あの囲いは地上から見えなくなり、やがて全域が水に覆われた。その上に水と暗闇と霧が増し加わり、水嵩はと見てみたところ、水はあの囲いの高さを越えており、囲いからあふれ出し、地上に溜まっていた。

 

 その囲いに集められた牛は全部その水に溺れ、のまれて滅びていくのを私は見た。

箱舟は水の上に浮かんだが、牛も象もらくだもロバも他の全ての地上の獣と共に全部溺れ、もはや私の目には入らなかった。

彼等は水の中から出て来ることが出来ず、淵にはまって滅びた。

 

 私はまた別な幻で、例の水門が高い屋根から取り払われ、地の泉が干上がり、他の淵が開くのを見た。水がその中に流れ込みはじめ、やがて大地が姿を現し、箱舟は地上に止まり、闇は退いて、光が現れた。

 

 人間になった例の白牛は3匹の他の牛に伴われて箱舟を出た。

3匹の牛の中の一匹は先の牛に似て白く、その内のもう一匹は血のように赤く、他の一匹は黒かった。その白牛は彼等と別れた。

 

 ②彼等は野獣や鳥を産みはじめ、彼等全部から色んなものが生まれた。

獅子、虎、犬、狼、ハイエナ、猪、狐、兎、豚、鷹、ハゲタカ、鳶(とび)、鷲(わし)、鳥。その中に白牛が生まれた。

彼等は互いに噛みつき始め、彼等の間で生まれた先の白牛は野ロバと、またその中に白牛を生み、野ロバは数を増した。これから生まれた牛は黒い猪と白い羊を生み、この猪は多数の猪を生み、その羊は12匹の羊を生んだ。

この12匹の羊が成長した時、その内の一匹を彼等は野ロバに渡した。

野ロバはまたこの羊を狼に渡したので、羊は狼の中で育った。

 

 主は11匹の羊を連れて来てそれ、先の一匹と一緒に狼の中に住み、草を食むように仕向けられた。彼等は数を増し、いくつもの羊の群れとなった。

狼は彼等を恐れはじめ、彼等を圧迫し、彼等羊の子を滅ぼし、水を満々とたたえた河にその子を投げこんだので、羊達は自分の子のことを泣いて主に訴えた。

狼の手から救出された羊は逃げ出して野ロバの所に身を寄せた。

 

 私は羊達が声を限りにその主に向かって泣き叫び、懇願しているのを見た。

ついに羊達の主は彼等の声に応じて高い所から降りて彼等の所に来て、彼等の有様を目にされた。主は狼の手を逃れたあの羊を呼んで、狼のことについてこれと語らい、羊に手を付けないよう諫めさせることにされた。

 

 羊は主の命を体して狼の所に出掛けて行った。ところで別な羊がこの羊に出くわし、一緒に出掛けた。彼等は2匹一緒にその狼達の集まりに出席し、彼等と語らって、以後羊達に手を付けないように諫めた。

その時、私は狼を見たが、羊達に対していよいよ辛くあたり、乱暴の限りを尽くす有様で、羊達は泣き叫んだ。

主は彼等羊の所にやって来られ、狼共を殴りはじめられたので、狼共は嘆きはじめ、羊達は泣き止み、以後もう泣き叫ばなくなった。

 

 私は羊達が狼の手に脱するのを見た。

狼は眼が曇りながらも、全力でこの羊達を追跡すべく出て行った。

羊達の主は彼等と歩みを共にして、これを導き、羊はみな彼の後に従った。

彼の顔は輝かしく、その姿は恐ろしく、威厳があった。

 

 狼と言えば、羊を追い始めたが、とある海のところでやっと追いついた。

この海は2つに割れて、彼等の前で水は両側に立ち上り、彼等を導いてこられた主は彼等と狼の間に立ちはだかられた。

狼共は羊がまだ見えないので、この海の中に入って行き、その海の中を羊を追って走った。羊の主が見えた時、逃げ出そうと引き返しかけたが、その海は一塊になり、突然本性に立ち戻ったかのようになり、水は辺り一帯にあふれ、嵩を増し、ついに狼共を覆いつくした。私は羊を追って来た狼が溺れて全滅するのを見届けた。

 

 ③羊達はこの水も草もない砂漠へと出て行った。

彼等は目を開いて見始めた。私は羊達の主が彼等を養い、水と草を供し、あの羊が彼等を導いて進んでゆくのを見た。

その羊は高い岩山の頂に登り、羊達の主は彼を彼等のところに遣わされた。

それから私は羊達の主が彼等の前に立たれるのを見た。その姿は恐ろしく、力強く、羊達は皆彼を見て恐れた。

彼等はみな彼を恐れ、おののき、彼等の間にいるあの羊に叫んだ。

「我々は主の前に立っていることも、主を見つめることも出来ない。」

 

 彼等の導き手たるあの羊は再びあの岩山の頂に登って行ったが、羊達は目がかすんで、彼から示された道を踏み外しはじめたのに、その羊はこれに気づかなかった。

羊達の主は彼に対してカンカンに怒られた。

あの羊もこれに気づいて岩山の頂を下りて羊達の所へ来たが、大多数が目をくらまされ、自分が教えてやった道を踏み外しているのを見出した。

 

 彼等はこれ、(モーセ)を見て恐れおののき、もとの囲いに戻りたいと願った。

あの羊は、他の何匹かの羊を連れて道を踏み外した羊達の所へ行って、これをぶち殺しはじめたので、羊達は彼を恐れた。その羊は、迷い出した羊達を連れ戻し、彼等は自分達の囲いに戻った。

 

 私はそこで幻を見たが、あの羊が人間になって羊達の主のために家を建て、その家で全ての羊を奉仕させた。

私は羊達を導いてきたあの羊に出くわした羊が死の床につき、全て大きな羊達が死に絶えて、小さいのが代わりに起こり、草原に至り、川に近づくのを見た。

彼等を導いてきた、人間に変わったあの羊は彼等と別れて死の床についた。

全ての羊が彼を訪ね求め、彼の死を激しく泣き悲しんだ。

 

 私は、彼等がその羊のことを嘆くのを止めて、例の川を渡るのを見た。

そこで死の床についた者に代わる指導者として2匹の羊が立って、彼等を導いた。

私は、羊達が素晴らしい場所、快適で見事な土地に入るのを見た。

また、この羊達がたらふく食べるのを見た。

あの家はその快適な土地でも彼等と共にあった。

 

 ④彼等の目は開いている時もあれば、曇っている時もあったが、やがて別な羊が立って彼等を導き、皆を悔い改めさせる。そうするとまた目が開くのだった。

犬や狐や医の志位がこの羊達を食い荒らしはじめたので、羊達の主は別な羊、一匹の雄羊を彼等の中から立てて皆を導かせられた。

この雄羊は犬や狐や猪を右に左に突きまくって、とうとう全滅させてしまった。

その羊は目が開いて、羊達の中に居る雄羊を見ると、栄誉をかなぐり捨ててその羊達を突き始め、これを踏みにじって、何ともいただきかねる乱行となった。

 

 羊達の主はその羊を別な羊の所に遣わし、これを立てて、名誉をかなぐり捨てた羊に代わって、羊達を導く雄羊とされた。

この羊は出掛けて行ってその別な羊と膝をつきあわせて語り合い、これを雄羊に昇格させ、羊達の君、また指導者としたが、この間ずっと犬どもは羊達を悩まし続けた。

 

 第1の雄羊は第2の雄羊を追い廻し、第2の雄羊は起って逃げ出した。

私は犬どもが第1の雄羊をやっつけるのを見届けた。

第2の雄羊はたって小羊達を導いた。この雄羊は多数の羊を生んで死の床についた。

その代わりに子羊が雄羊になり、羊達の君または指導者になった。

この羊達は成長、繁殖し、犬や狐や猪は一様にこれを怖がって逃げ出した。

その雄羊はあらゆる野獣を突き殺し、羊達に対する野獣の権威は失墜し、何一つ奪い取る事は出来なかった。

 

 その家は拡大、拡張され、その家の上に羊の主のための高い塔が建てられた。

この家は低かったが、塔は際立って高かった。羊達の主がその塔の上に立たれると、盛沢山の犠牲(いけにえ)が彼の前に運ばれてきた。

 

 ⑤再び私は羊達を見たが、彼等は迷い出して思い思いの道に行き、彼等のこの家を棄てた。羊達の主は羊達の中から何匹かを召して、羊達の所に遣わされたが、羊達はこれを殺し始めた。

その内の1匹は助かり、殺されずにすんだが、すっ飛んで逃げながら羊達のことを喚(わめ)き散らした。羊達に殺されようとしたところを、羊達の主が羊の手から助け出して下さり、主は彼を私の所に引き上げ、そこに坐らせられた。

 

 他にも多数の羊を彼はこれらの羊の所に遣わし、彼等を諫め、彼等のことを嘆かしめられた。その後、彼等が羊達の主の家とその塔を棄てて、すっかり道を踏み外し、目がくらんでしまうのを私は見た。

 

 私はまた、羊達の主が彼等の群れの一つ一つを散々に殺しまくられるのを見た。

ついには、彼等羊達は他から殺される運命を自ら招き、彼の聖所を明け渡す始末となった。彼は彼等を獅子、虎、狼、ハイエナ、狐、その他ありとあらゆる獣の手に渡して顧みず、これらの野獣はその羊達をさらい始めた。

 

 私は、彼が彼等のこの家と塔を棄てて、彼等をことごとく獅子の手、ありとあらゆる獣の手に餌食として投げ与えられるのを見た。

私は力一杯に叫んで羊達の主に呼びかけ、彼等がありとあらゆる野獣に食われているのを見てもらおうとした。

彼はこれを見ても動じず、むしろ彼等が散々に食い荒らされ、さらわれるのを楽しんでおられた。そして、彼等をありとあらゆる獣の餌食になるがままに放置された。

 

 彼は70人の牧者を召し寄せてこの羊達の所に遣わし、これを牧させようとされた。彼は牧者達とその配下の者に言われた。

「これから君達は各々この羊共を牧し、わたしが君達に命じることを全て行え。

わたしがきちんと数を数えて渡し、その内のどれが滅びなければならないのかも君達に言うから、それだけを滅ぼすのだ。」

 

 彼はその羊達を彼等に引き渡された。彼はまた別の者を召し寄せて言い渡された。「いいか、心して牧者達が、この羊達に対してすることを一々見定めるのだ。

わたしが命じた以上に滅ぼすに違いない。牧者達によってもたらされる被害に行き過ぎがあったら残らず書き留めよ。わたしの命令によっていくら滅ぼしたか、また自分勝手にいくら滅ぼしたか、牧者一人一人について滅ぼした全ての数を書き留めよ。

どれだけ自分勝手に滅ぼし、どれだけ殺される方にまわしたかを数字を挙げてわたしの前で読み上げよ。これで彼等に突き付ける証拠が出来、わたしは彼等牧者達のやることが一切判り、彼等を裁きに引き渡すことも出来、彼等がやっていることを見て、わたしが出した命令に則っているかどうか判ろうというものだ。

だが、彼等に悟られるな、見抜かれるな。また彼等をとがめるな。牧者達が滅ぼすのを一人一人につき1回1回書き留めて、一切をわたしに報告するのだ。」

 

 私が見たところ、その牧者達はその時羊を飼っていたが、やがて、命じられたよりも多くを殺し、滅ぼし始め、羊を獅子の手に放置して顧みなかった。

獅子と虎はその羊の大多数を食い荒らし、それに猪まで加わり、また例の塔に火をつけ、あの建物の土台を覆した。私はあの塔のこと、あの羊の家が破壊されたことを非常に悲しんだ。それ以降私は、羊達がその家に入っていくことがあるかどうかを見ることが出来なくなった。

 

 ⑥牧者とその手下の者達はこの羊達をありとあらゆる獣に引き渡して餌食とさせた。その内の1匹1匹が決まった時、決まった数だけ引き渡され、もう1匹の獣はそれぞれ何匹ずつ殺したかを記録に取った。どれも指定された以上に殺し、滅ぼし、私はこれらの羊のことを激しく泣き悲しんだ。

このように私は幻の中で、記録係の者が毎日あの牧者によって殺される1匹1匹の記録をとる有様を見たが、彼は彼等牧者達が行い、1匹1匹消し、滅びに引き渡していった一切を記録した書を、羊達の主のところに携えのぼり、献じ、お見せした。

その書は羊達の主の前で読み上げられ、主は書を手に取って読み、封をしてそこに置かれた。

 

 ⑦その後私は牧者達が12時間牧するのを見たが、あの羊達の中の3匹が戻って来て内に入り、あの崩れた家の建設にかかった。

猪共が妨害したので、仕事が出来なかった。彼等は以前のように再度建築にかかり、あの塔を建て起こし、高き塔と名づけ、その塔の前に再び祭壇を設け始めたが、そこに並べられたパンはすべて穢れていて、清くなかった。

 

 これら一切のことについて、羊達の目は曇って見えず、彼等の牧者達も同様であった。彼等は牧者達に多数引き渡されて滅ぼされ、彼等は羊を足で踏みにじり、食いものにした。

羊達の主は、全ての羊が野に散り散りになって彼等獣達の中に紛れ込んで、彼等牧者達が獣の手から救い出さなくても平然としておられた。

あの記録書をまとめた者がこれを携えのぼり、彼、主にお見せし、羊達の主の家で読み上げ、彼等のことを執り成し、牧者達の所業を一々示して嘆願し、牧者達全てを彼等に告発した。彼はその本を取り上げ、彼の傍らに置いて退出した。

 

 

 

 第90・91章(略)

 

 

 

 

 

◆補足文

エノクのこの幻が動物で表現されているため、(私の個人的かもしれませんが)非常に分かりにくいので、『旧約聖書外典・下』関根正雄訳による説明を参照して下さい。

 <エノク書

第88章のタイトル

「大天使達、堕天使を罰する」

第89章の各タイトル

1~9「大洪水とノアの救い」

10~27「ノアの死後、出エジプトまで」

28~40「イスラエルの荒野の旅、律法の授与、カナン入境」

41~50「士師時代から神殿建設まで」

51~67「南北2王国とエルサレムの滅亡」

68~71「天使の支配第一期、エルサレムの滅亡から捕囚民の帰還まで」

72~77「第ニ期、クロスからアレクサンドロス大帝まで」

となっています。