旧約偽典『エノク書』
第96章(略)
第97章
さて、私は君達賢者と愚者に誓う。
※君達は多くのことを地上で見るであろう。
君達は男でありながら、女達よりも化粧に凝り、うら若い娘も顔負けするような長袖の衣をまとい、豪華、絢爛(けんらん)、権勢、金銀、紫、威厳などに浸り、馳走を湯水のように浴びている。※
これがために、彼等には教えも知恵もなく、その財産と名誉と栄華と共に一緒に滅びることは必定である。
彼等の霊魂は、恥と殺戮と赤貧のうちに火の炉に投げ込まれることであろう。
罪人達よ、私は君達に誓った。
山が独りでに奴隷になったのではなく、丘が独りでに婦人の腰元になったのではないのと同じように、罪も地上に送られてきたのではなく、人間が自分で生み出したものであり、これを犯すものは大いなる呪いを受ける。
女の不妊も生まれつきのものではなく、彼女の手の業故に、彼女は子なくして死ぬのである。
罪人達よ、私はあなた方に聖にして大いなる方によって誓った。
君達の悪行は天上にことごとくにさらけ出されてあり、君達の不法行為で、覆われ隠されているものはない。
全ての罪が日ごとに天上の至高者の前に記録されているなどとは分かりもしないし、
見えもしないなどと勝手に思いなしたり、心中そう決めこんだりしてはならない。
今より後、君達が犯す不法は一々、日ごとに、君達の裁きの日まで記録されているのだと心得るがよい。
災いなるかな、君達愚者は。
君達は自らの愚かさ故に滅びる。君達は賢者の言うことを聞かない。
君達は幸福はめぐってこないであろう。
今こそ知るがよい。
君達は滅びの日に備えられているのだ。
罪人達よ、助かる望みはないと思え。
お前達は、大いなる裁きの日とお前達の霊魂の患難と並々ならぬ困窮の日に備えらえれたのであるから、贖いなどということもなく、この世を去り、死に赴く他ないのだ。
災いなるかな、君達心の頑なな者。
※※君達は悪事を行い、血を食らう。
どこから美味いものを見つけてきて食らい、飲み、腹を満たそうというのか。※※
至高者なる主が豊かに備えられたものの中からではないのか。君達に平安はない。
災いなるかな、暴虐の行いを好む君達は。
何故幸せなどを望むのか。君達は義人達の手に引き渡され、情け容赦なく首切られ、殺される運命にあると知るがよい。
災いなるかな、義人達の患難を嬉しがる君達は。
君達の墓は掘られないであろう。
災いなるかな、義人達の言葉をないがしろにする君達は。
君達には救いの望みはないのだから。
災いなるかな、偽りの言葉と不義の言葉を書き連ねる君達は。
彼等は、人が愚かさを聞いて忘れないようにと偽りを書き連ねる。
彼等に平安はない。いな、突然死ぬであろう。
第99章
災いなるかな、不義を行い、偽りの言葉を誉めそやす君達は。
君達は滅び、救いも幸福も得られない。
災いなるかな、真理の言葉を曲げ、永遠の掟にもとり、
自分は無罪だと思い込んでいる君達は。
君達は地上で踏みにじられる定めにある。
義人達よ、その時祈りを捧げて要求する備えをせよ。
それ、祈りを証言として天使達の前に提出し、彼等に罪人達の罪を至高者の前に提示して訴えてもらうがよい。
その時諸々の民は動揺し、滅亡の日に民の輩は立ち上るであろう。
その時、胎児が生まれ出てくるやいなや、人々は我が子なのにこれをひったくって放り投げ、そのお陰で子は自らの親の手にかかって死ぬ。また、がんぜない乳呑み児をも放り出したまま顧みず、愛する我が子に憐れみを掛けようともしない。
私は君達罪人に再び誓う。
罪は止まる事を知らない流血の日に向けて備えられている、と。
★★石を拝む者、金銀、木石粘土の象を拝む者、
穢れた霊、悪霊、その他各種の偶像を知識によらず拝む者は、
これらから何の助けも得られないであろう。
彼等は理性の愚かさの故に不敬虔になり、✽心の恐怖と夢に見た幻の故に目がかすむであろう。✽この故に彼等は不敬虔になり、恐怖に憑りつかれるであろう。
彼等の成す事、全て偽りに基づき、石を拝んだ故にたちどころに滅びるであろう。★★
その時、知恵の言葉を受け容れ、それを悟り、至高者の道を行い、
彼の義の道を歩み、不敬虔な者に交じって不敬虔な人間にならない者は幸いである。
彼等は救われるであろう。
災いなるかな、悪を隣人にまで広める君達は。
君達は黄泉で殺されるであろう。
災いなるかな、罪と偽りの秤をこしらえる君達、
また地上の人々に苦々しい思いをさせる者達は。
この故に彼等は、抹殺されるであろう。
災いなるかな、他人の苦労で家を建てる君達は。
その建築材は全て罪のレンガと石ではないのか。
私は君達に言う、君達に平安はない、と。
★★災いなるかな、割り当てられた先祖代々の遺産を棄てて
偶像を一心に追い求める者達は。
彼等には心の休まる時がないであろう。★★
災いなるかな、暴虐を行い、不法を助け、
隣人を殺して最後に大いなる裁きの日に辿り着く者は。
彼、神は君達の名誉をこぼち、君達の胸中に苦悩を投じ、怒気を発し、剣を持って君等を全滅させられるであろう。
また、義人達、聖者達は皆君達の罪を思い起こすであろう。
第100章
その時、あるところで、父が子と共に刺殺され、兄弟が隣人と共に斃(たお)れ、その血が川のように流れるであろう。人は我が子、我が孫をすら平気で殺め、罪人は敬愛する自分の兄弟をすら平気で殺め、明け方から日暮れまで殺し合いが続くであろう。
馬は胸まで血に浸って進み、馬車は屋根まで血に没するであろう。
その時、み使い達は密かな所に下り、罪を助ける者達をみな一ヵ所に集めるであろう。その日、至高者は、全ての罪人に対して大いなる裁きを施行すべく立ち上がられる。
彼は聖なるみ使い達の中から守護者を任命して、全ての義人達と聖人達を瞳のように護られる。それは全ての悪、全ての罪が始末される時までである。
義人達は長い眠りを経なくてはならないとしても、恐れる事は何もない。
その時賢者達は見、地の子等はこの書の全ての言葉を悟り、彼等の罪がこぼたれる時、彼等の持てる富は彼等を救いえないことを知るであろう。
災いなるかな、義人達を激しい難関の日に苦しめ、彼等を火で焼く時の君達は。
君達は自分達の行いに応じて報いられるであろう。
災いなるかな、君達心のひねくれた者。
君達は悪事をたくらもうと伺っている。
恐怖が君達に臨んでも、助けてくれる者はいない。
災いなるかな、君達罪人は。
君達の口の言葉の故に、また君達の手の不義の行い故に、
君達は燃え盛る火の炎で焼かれるであろう。
今や知るがよい。
み使い達は天上で太陽から、月から、また星から、君達の行状を、君達の罪について調べ上げるであろう。
君達は地上で義人達に対して裁きを行っているそうではないか。
彼は全ての雲、霧、露、雨を喚問して君達に対して証言を求められるであろう。
なぜなら、これら全てのものは差し止められて、君達の上に降りてこないてあろう。
彼等が君達の罪を心に留めないとでも思うのか。
さあ、雨に贈り物でもして、君達の上に降るのを止めないようにしてもらうがよい。
君達から金銀を受け取った露はどうだ。
ひんやりする霜と雪、様々な災難をもたらす吹雪が君達の上に臨む時、
その時は君達は到底耐えられないであろう。
◆補足文
(※は、古代から現代においても男性が女性のような化粧を施し、振る舞う様は見られてきています。人類の最初の時代にはそうしたことはおそらく無かった事でしょうが、堕天使達や悪霊の活動や、指導によってそうなっていきました。
神が禁じた「同性愛」も彼等サタン側が神に反抗させるために、人間達を洗脳してきたものと考えられています。(古代ギリシャの時代においては、もう当たり前のように世間では「同性愛」は認知済みでしたから。)
※※悪事を行い、血を食らう。という部分も、あらゆる血に対して神は食することを禁じています。「血」は神聖であり、「命」であること、
<創世記>9:4~ ただし、その魂、つまりその血を伴う肉を食べてはならない。更にわたしは、あなた方の魂の血の返済を求める。人の手から、その兄弟である各人の手から、わたしは人の魂の返済を求める。誰でも人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。」
とノアに告げています。
また、<レビ記>17:10~ いかなる者であれ、血を食べる者がいれば、わたしは必ず自分の顔を、血を食べている者の魂に敵して向け、その者を民の中から正に絶つであろう。わたしは、あなた方が自分の魂の為に贖罪を行うようにとそれを祭壇に置いたのである。血がその内にある魂によって贖罪を行うからである。
それ故にわたしはイスラエルの子等に言った。
『あなた方の内のいずれも魂の血を食べてはならない。』
17:14~ あらゆる肉なるものの魂は血であり、魂がその内にあるからである。
その為わたしはイスラエルの子等にこう言った。
『あなた方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない。あらゆる肉なるものの魂はその血だからである。全てそれを食べる者は絶たれる。』
とあります。
しかし、悪魔側は動物の生肉どころか、人肉を食する「カニバリズム」さえ行ってきているのです。
最近の話題になったものとして、「アドレナクロム」の話がありました。
これもアメーバ0012jのブログでも話していますが、ずいぶん皆さんの知るところとなってきました
この世の支配者層、エリート達による、ペドフィリア犯罪と悪魔崇拝儀式による幼児や赤子の「吸血儀式」、そして「不老不死(永遠の若さ)」を得る為に、彼等は「アドレナクロムの血」を食べているのです。非常に残忍で恐ろしいことです。
★★部分は、もちろんあらゆるこの世の「偶像崇拝」に対する警告が語られています。
しかし、何回も言いますが、この世のほとんどの宗教は「偶像崇拝」をやっています。また、多数の新興宗教が教祖による啓示「霊媒」によって、もしくは「超常現象」のような不思議な力を見せては信者を得ているということが多いのです。
たとえ、キリスト教や他の名だたる宗教が奇蹟を起こしたとしても、それは偽りの奇蹟、私達の目をくらます為の偽善の奇蹟なのです。
(はっきり言って聖書時代以降、神やみ使いの天使による啓示はありません。ですから「聖書啓示」以降の霊媒、予言者なども全ては悪霊、もしくは堕天使によるものだと知って下さい。✽心の恐怖と夢に見た幻のゆえに目がかすむであろう。と書かれている通りです。)たいがいは、その啓示のエピソードは怪しく、冷静に考えれば可笑しなものが多いものです。つまり、これらも、悪魔側が仕掛けたことに間違いはないのです。
そして、神社、仏閣、キリスト教だろうが、イスラムだろうが、何だろうが必ずと言ってよいほど、何らかの神を祀る象徴のシンボルマーク、あるいはあらゆる物質で造られた神像があるものです。
これらは全て拝んではならないものなのです。神は何度も何度も、幾世紀もかけて同じ警告を発しているのです。「偶像崇拝」は神の忌むべきものであると。)