tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』8

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第46章

 

 

 そこに私は高齢の頭をもった者を見た。その頭は羊の毛のように白く、もう一人人間のような顔をした者を従えていたが、この者の顔は、聖なるみ使い達の一人のように憐れみに満ち溢れていた。私に同行して全ての秘密を示してくれたみ使いの一人に、その人の子について私は尋ねた。

「彼は誰なのですか。彼はどこから来ているのですか。またなぜ高齢の頭と一緒に歩いているのですか。」

 

 彼は私に答えて言った。

これが人の子であり、彼は義をもっており、義が彼に宿っている。また、全ての秘密の倉を彼は開く。それは、霊魂の主が彼を選ばれたからである。また、彼の分は、正義の故に、霊魂の主の前にあって、他の全てのものを凌駕する。

 

 あなたが見たこの人の子は、王者、権力家達をその座から、力ある者達をその席から引きずり下ろし、力ある者達の手綱をほどき、罪人達の歯を粉々に砕くであろう。

また、王達をその座から、その領土から放り出すであろう。彼等は彼を誉めも崇めもせず、腰を低くして、自分達の領土をどこから授かったのかを考えてもみないからである。

 

 彼は、力ある者達の顔を避け、彼等はさんざん恥をかかされ、暗闇が彼等の住居(すみか)、蛆虫(うじむし)がその褥となり、霊魂の主の名を崇めることをしない彼等の病の床から起き上がれる望みはない。

これは、地上を歩み、そこの住まう分際で空の星を裁き、至高者に対して手を振り上げ、成すことはいずれも暴虐で、その行為は暴虐を表し、富を力と頼み、自分の手で造った神々に信を置き、霊魂の主の名を否定してはばからない輩である。

彼等は、彼のもとに集まり、霊魂の主の名によりすがる信者たちの家から放逐されるであろう。」

 

 

 

 

 第47章

 

 

 その時、義人達の祈りと義人の血が地上から霊魂の主の御前に達した。

その時、天上に住む者達は声を一つにして、流された義人達の血と義人達の祈りの故に、懇願し、祈り、霊魂の主の名を褒めたたえ、賛美するであろう。

義人達の祈りが霊魂の主の前に途絶えないように、彼等義人の義人達のために裁きが行われるように、永遠に汚名をこらえなくてもよいように祈るであろう。

 

 その時、私は高齢の頭がその栄光の座に着席するのを見た。続いて、「生ける者達の書」が彼の前に開かれ天上にあって、彼を取り囲む全ての軍勢が彼の前に立っていた。義の数がめぐって来、義人達の祈りが聞き入れられ、義人達の血が霊魂の主の前に償われたことによって、義人達の心は喜びにあふれた。

 

 

 

 

 第48章

 

 

 その所に、汲めどもつきせぬ義の泉を私は見た。また、そのまわりに知恵の泉がいくつもあって、渇ける者はみなそこで飲み、知恵に満たされ、義人達、聖者達、選ばれた者達と住居をともにしていた。

 

 その時、かの人の子が霊魂の主のところに呼ばれ、彼の名は高齢の頭の前にある。

※太陽と徴(しるし)が創造される以前、空の星が作られる以前から、彼の名は霊魂の主の前で呼ばれた。

 

 彼は、義人達や聖者達が倒れないように寄りかかる杖、諸々の民の光、心◯える者の希望である。

 

 全て乾いた大地に住まう者は彼の前にひれ伏して拝み、彼を褒めたたえ、霊魂の主の名を寿(ことほ)ぐであろう。

これがために、※世界が創造される前から彼は選ばれ、彼、霊魂の主の前に隠され、永遠に彼の前にあるであろう。

 

 この暴虐の世を忌み嫌い、霊魂の主の名によってそこに行われる一切のこと、その道を憎んだ義人達の分を譲って下さった霊魂の主の名に知恵が、聖人達と義人達に彼の姿を現した。

彼の名によって彼等は救われるのであり、彼は彼等の命を奪った者に報いて下さるのである。

 

 その時、いま乾いた大地を治める地の王達、力ある者達は、その手の業ゆえに面をあげえないであろう。患難苦難のその日、命拾いが出来ない故。

私の選民達の手の中に彼等を放り込んでやろう。彼等は火に投げ込まれた枯草のように義人達の眼前で燃え尽き、水に投じた船のように聖人達の眼前で沈み、跡形もなく消えてしまう。

 

 彼等の苦難の日、地上には休息が訪れるであろう。

彼等は彼の前に倒れたまま立ち上がれない。手を差し伸べて引き起こしてくれる者もいない。

霊魂の主とその脂注がれた者メシアを否定したが故に

霊魂の主の名は褒めむべきかな。

 

 

 

 

 第49・50章(略)

 

 

 第51章

 

 

 その時地は、預かったものを返し、黄泉は預かりものとして受け取った者を返し、

地獄は借りた者を返すであろう。

彼メシアは、その中から義人達、聖人達を選び出す。彼等が救われる日は近づいた故。

 

 その時、選ばれた者、メシアはその席に座し、ありとあらゆる知恵の奥義をその口は注ぎ出す。霊魂の主が彼に知恵を授けて、栄誉を賜ったのである。

 

 その時、山々は雄羊のように踊り、丘は乳をたらふく飲んだ子羊のように跳ね回る。※※そして、みな天使になる。彼等の顔は喜びに輝く。

 

 その時、選ばれた者が立ち上がる故に。地は喜び、義人達がそこに住まい、選ばれた者達がそこを縦横に闊歩してまわるであろう。

 

 

 

 

 

◆補足文

※太陽と徴が創造される以前、空の星が作られる以前から、彼の名は霊魂の主の前で呼ばれた…これがために、世界が創造される前から、彼は選ばれ、彼、霊魂の主の前に隠され、永遠に彼の前にあるだろう。は、メシアであるイエスのことを話しており、

<創世記1:26>にある、神は言った。「我らの像(かたち)に、我らの姿に似せて、人を作ろう。」という創造主ヤハウェの言葉からも理解できます。(つまり、この「我ら」は創造主の傍に仕えていた大天使のイエスのことを指しているのです。創造主が3次元宇宙を創造されるよりも前にイエスは既に存在していたということです。)

 

また、<ヨハネ1:1>にも「初めに言葉がおり言葉は神と共におり言葉は神であった。すべてのものは彼を通して存在するようになり、彼を離れて存在するようになったものは一つもない彼によって存在するようになったものは命であり、命は人の光であった。」とあるように、エスは創造主の言葉の誕生としても表されているのです。

そこで、イエスの名を通してでなければ、つまり最初の人、アダムはイエスに似せて作られたのですから、(アダムは蛇に騙され、神に対して罪を犯してしまいました。)神によって人の子として誕生し、罪を犯さなかった人間(アダムの罪の子孫達の贖いとなる完全なる人間)として死んだイエスに信仰を置く者でなけらば救われないということになるわけです。最後の審判の後、※※そして、みな天使になる。は、選ばれた義人達は天使と同じ永遠の命を得るという意味であり、反対の者達は永遠の地獄へ下るのです。