tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』20

 

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 

  第101章

 

 

 君達天の子等よ、こぞって天と至高者の全ての業を観察し、彼を畏れ、彼の御前に悪を行うなかれ。

彼が、君達の故に天の窓を閉ざして雨露が地上に降らないように差し止められたら、君達はどうしようというのか。もし彼が君達の行いに対して怒りを発せられたら、彼に懇願も出来なくなるだろう。

 

 君達は彼の義について不遜なことをまくしたてたから、君達に平和はない。

君達は船を操る者を見たことがないのか。船が波に揺られ、風にもまれてどんなに難儀するかを。彼等は貴重な商品を全部海に持って出かけるのだが、海が彼等を飲み込み、そこで命を落とすのではないかという不吉な思いが胸をよぎって恐れる。

 

 海とその水とその運動は全て至高者の業であり、彼がその運動を全て封じ、砂をもって全体を縛られたのではないか。彼が諫められると海は畏れをなして乾き、魚を含めてその中にいる全ての物は死に絶える。

それなのに、地上にある君達罪人は彼を畏れることをしない。

 

 彼が天地とその中にある全てのものを造られたのではないか。

誰が地上と海中にうごめく全てのものに教えと知恵を授けたのか。

船を操る者達は海を恐れるではないか。

それなのに罪人達は至高者を畏れない。

 

 

 

 

 第102章

 

 

 彼が君達に火の苦しみを投げつけられるその時、君達は何処に逃れようというのか。何処に助けを求めようというのか。

彼が君達にその怒りの言葉を投げつけられる時、君達は恐れ、震えないだろうか。

 

 全ての光は大いなる恐怖の故に揺らぎ、全地はぐらぐら震動して大混乱に陥る。

全てのみ使い達は命ぜられたことを成し遂げ、栄光において大いなるお方から身を隠そうとするであろう。

地の子等は震えおののき、君達罪人は永久に呪われており、君達に平安はない。

 

 

 君達義人の魂よ、恐れるな。義のうちに死ぬその日を望むがよい。

君達の魂が悲しみのうちに黄泉に下ったとて嘆くことはない。

君達の肉体はこの世で君達の善良に相応しい報いを受けなった。

それどころか君達が罪人のようになる日、呪いと懲らしめの日には。

 

 君達が死ぬとき、罪人達は君達について言うだろう。

「義人だって俺達と同じように結局死んだじゃないか。彼等の善き行為の報いは何だったろうか。見ろ、奴等だって俺達同様、悲嘆と暗黒のうちに死んだではないか。

向こうの方が俺達より何か得したとでも言うのか。俺達は勝ち負けなしだ。

何を彼等は得、何を永遠に見るというのか。見ろ、彼等だって死んだ以上これから決して光を見ることはないのだ。」と。

 

 

 罪人達よ、私は君達に言おう。

飲み食いし、人の衣類をはぎ取り、略奪し、罪を犯し、財産を積み、人生を楽しむのもいい加減にしたらどうだ。

君達は義人達の最期がどうだったか、あの安らかさを見たか。

死のその日まで彼等には不法のこれっぽちも見当たらなかった。

 

 

 だが君達は言うだろう、

「しかし彼等は滅び、まるでこの世は初めからいなかった人間のようになり果て、彼等の魂は苦しみのうちに黄泉に下っていった。」

 

 

 

 

 第103章

 

 

 さて、義人達よ、私はその栄光と威光において大いなる方によって君達に誓う。

また、彼の支配の威光と彼の偉大さによって君達に誓う。

私はこの奥義を知っている。私は天の書板を読み、聖者達の書を見、その中に彼等について書き記してあるのを見出した。

 

 ありとあらゆる幸せと喜びと栄誉が彼等の為に備えられており、義のうちに死んだ者達の霊魂のために書き記してあり、君達には苦労の報いとして幸せが豊かに授けられるであろう。

 

 君達の分け前は生ける者達の分け前よりも多い。

義のうちに死んだ君達の霊魂は救われて喜ぶ。彼等の霊魂は滅びず、彼等は大いなるお方の前に世々代々に渡って覚え、めでたい。

よって彼等の中傷を恐れるな。

 

 

 災いなるかな、君達罪人は。

君達が罪のうちに死ぬ時、君達の同類は君達のことを言うであろう。

「幸いなるかな罪人達は。彼等は天寿を全うした。

今彼等は幸福と富とうちに死に、存命中悲惨や殺戮を我が身に経験しなかった。

また栄誉のうちに死に、存命中罰を被ることもなかった。」

 

 

 だが知るがよい。

彼等の魂は黄泉に引き下ろされ、大変惨めな悲惨な目にあうであろう。

君の霊は暗闇と網と燃え盛る炎の裁きの中に入り、大いなる裁きは永久に世々に続くであろう。

 

 

 災いなるかな、君達は。君達に平安はない。

 

 

 また存命中の義人達と善人達に向かって言うな、

「難儀の時に我々は散々苦労し、ありとあらゆる難儀を経、幾度か辛い目にあい、精魂尽き果て、数は減り、気力も萎えた。

我々は滅びた。言葉と行いをもって我々を助けてくれる者はなかった。

 

 もうどうにもならなかった。なんの方策も見つからず、意気消沈し、これでお終いという気がし、いつかまた救われるという望みをもったことは一日だになかった。

頭になるつもりだったのに尻尾になってしまい、難儀して働いたのに苦労の目的は達せられず、罪人の食いものにされ、乱暴者は我々の軛を重くした。

 

 我々を憎み、いじめる者に威張り散らされ、我々を憎む者に頭を下げたが、彼等は情をかけてはくれなかった。彼等の手から逃げ出してほっとしたいと思ってはみたものの、彼等の手を脱して逃げて行く先が見つからなかった。

 

 悲惨の中から我々を食いものにしている者達について官憲に訴え、声を大にして叫んでみたが、彼等は我々の叫ぶ声による訴えは無視し、我々の声を聞いてくれる気配もなかった。

かえって彼等は我々のものをかすめ、我々を食いものにし、我々の数を減らした者達を助け、彼等の不法をかばい、我々にかけられた軛を外してはくれず、我々を食いものにし、散り散りにちらし、我々を殺してその事を隠し、彼等が我々に手を振り上げたことを思ってもみてくれなかった。」