tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

『イザヤ書』1.

 【イザヤ書

 

 

 旧約聖書Ⅶ・イザヤ書』関根 清三訳(岩波書店)より、イザヤ書を紹介していきたいと思います。この『イザヤ書』は、私が聖書を初めて読んだ時に特に心惹かれた預言書です。そして、旧約聖書の中でも3大預言書、イザヤ・エレミヤ・エゼキエルの書の順番に書かれた預言書の中でも、高い位置づけをされている正典でもあります。

なぜなら、時代的にも一番古く、量的にも最も大きい書であり、また、メシア預言を中心とするその予言の質も理由の一つに挙げられています。

また、新約聖書でも『イザヤ書』は、どの預言書よりも多く引用されているのです。

 

 

 

 ■ イザヤの時代背景

 

 『イザヤ書』の構成については、全66章からなっており、研究者達の発表では、イザヤという一人の人物が全て書いたものではないことになっています。

少なくとも、40章から55章まで、56章から66章は別の預言者によるものであると云われています。しかし、残念ながら作者名は不明です。このため、「第一イザヤ」「第ニイザヤ」「第三イザヤ」と呼ぶことは、1829年のB・ドゥームの註解以来、学会の定説であり、一般慣行となっているようです。しかし、なぜ全てをまとめて『イザヤ書』としたのかは、このドゥーム以来の宿題であり、未だ解答はないようです。

 

 「第一イザヤ」は、預言者イザヤ本人の著書と認められています。(他の箇所においても彼の筆であると認められている部分もあるようです。)

イザヤはBC8世紀後半に活動した預言者です。イザヤの預言活動はユダの王「ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」に及んでいます。このうち、ウジヤ王逝去の年に神より預言者としての召命を受けました。

ヒゼキヤ王晩年のアッシリア来寇(らいこう)により後の預言はないようです。したがって彼の活動期間は約40年間といわれています。そして活動場所としては、ダビデ以来王国の首都であり、ソロモン以来神殿の所在地であったエルサレムと、それを囲む南王国ユダでした。

 

 この時代のユダ王国は、ウジヤ、ヨタム両王のもとで隆盛を極めていました。しかし、外敵の難が起こり、次第に民心に動揺が広がりはじめます。その外敵とは残忍な征服者として当時オリエント全域に脅威を与えていたアッシリアでした。

 

 ティグラト・ピレセル3世率いるアッシリアは、BC743年以降シリア・パレスティナへの遠征を繰り返し、これを侵略して貢物を取り立てていました。これに対してこの地方の小国は結束して反アッシリアの同盟を結ぼうとしました。北王国イスラエルの王ぺカや、アラムの王レチンは、そこで指導的役割を果たし、南王国ユダ王のアハズ(BC744ー729)にも同盟に加わることを要請しました。しかし、アハズはこれを拒んだために両王はユダに戦いを仕掛けたのでした。

 

 王アハズはイザヤの反対にも拘わらずアッシリアに援助を求めて助かります。

アラムは732年に、また一旦もちこたえたイスラエルも722年にはアッシリアに滅ぼされてしまいました。(イザヤ書7章~9章7節以下、17章1以下等の叙述)

こうして、アハズの政策は成功したかのように映り、イザヤはアハズの存命中は隠退を余儀なくされてしまいます。

 

 イザヤは、ユダの王国は対外的な脅威に対して、強国の傘下に降ることなく、ただ神ヤハウェにのみ拠り頼むことを一貫して訴えていたのです。

アハズの死後、ヒゼキヤの治世(BC728ー700)にイザヤは復帰を果たします。

しかし、国の危機は幾度となく再び訪れます。

BC710年に、ペリシテ諸都市を中心とする反アッシリア運動において、アッシリアはシャルマネセル5世の時代(BC726-722)を経てサルゴン2世の治世(BC721-705)に代わっていました。

このサルゴン2世に対して、アシュドドをはじめとするペリシテの諸都市が、エジプトのエチオピア人シャバカによる新しい第25王朝の支援を受けて反乱を起こしたのです。この反乱にユダも参加を求められ、イザヤは18章でこれに希望を抱いていますが、最終的には20章にあるように反対し、この時若いヒゼキヤはイザヤの助言に従いました。これは、サルゴンが勝利を治め、ヒゼキヤにとって、イザヤの助言は功を奏します。

ところが、アッシリアがBC704年に、センナケリブの治世に代わった時、ヒゼキヤがバビロニアのメロダク・バルアダン2世と共謀して反乱を起こします。

ここでもイザヤは反対の助言を王に伝えますが、ヒゼキヤは聞かず、彼等の起こした反乱は703年に挫折してしまうのです。

 

 ヒゼキヤは今度はエジプトのシャバカに助けを求めます。このエジプトの同盟にもイザヤは反対をします。(30章)

結果、アッシリアは反アッシリアの動きを制するために、BC701年にセンナケリブはユダに来寇し、ユダは破滅に瀕する結果を被ることになったのです。

 

 イザヤ書においてはこのアッシリアとの戦いにおいてユダが奇蹟的な勝利をもたらした場面も描かれています。これは神ヤハウェに拠り頼んだことによる、普通では絶対あり得ない勝利でした。(37章36-37)

 

 

 

……と、ここまででイザヤ書の歴史背景を短く説明しました。

 

ここからは、第一イザヤ書から、出来うる限り、紹介させていただきますね。

 

 

 

 

  イザヤ書

 

 

   表 題

 

 【第1章】

 

 

 アモッの子イザヤが見たもの。これを彼は、ユダとエルサレムについて、ユダの王達、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たのである。

 

 

  罪の裁きと残りの者

(BC701年のアッシリアの来寇によって破滅的状況にあるユダの国に向けてイザヤの最期の預言。)

 

 天よ聞け、地も耳傾けよ。

まことにャハウェが語られる、

「子等をわたしは育て養った。だが彼等はわたしに背いた。

牛はその飼い主を、ろばはその主人の飼い葉桶を知っている。

だがイスラエルは知らず、わが民は悟らない。」

 

 災いだ、罪を犯す国、咎の重い民、

悪を重ねる者共の子孫、堕落の果ての子等。

彼等はャハウェを捨て、イスラエルの聖なる力をうとんじ、

背を向けて離反した。

なぜお前達は、尚も打たれようとするのか、

背きを重ねて。

 

 頭は余す所なく病み、心残す所もなく疲れ果てている。

足の裏から頭まで健やかなる所とてなく、

傷と鞭の跡、また生々しい打ち傷。

それらは膿を絞り出されることもなく、包まれることもなく、

また油で和らげられることもない。

 

 お前達の土地は荒廃し、お前達の町々は火で焼かれ、

そしてお前達の眼前の、お前達の畑はと言えば、

異邦人達が食い荒らし、異邦人どもの壊滅の時のように荒廃している。

 

しかし娘シオンは残された、

葡萄園の小屋のように、瓜畑の番小屋のように、

包囲された町のように。

 

 もしも万軍のャハウェが我等のために少しでも残りの者を残さなかったら、

我等はソドムのようになり、ゴモラと等しくなっていたであろう。

 

 

 

 緋のような罪も雪のように白く

 

 ャハウェの言葉を聞け、ソドムの司達よ、

我等の神の教えに耳傾けよ、ゴモラの民よ。

「お前達の多くの生贄はわたしにとって何になろうか。」

とャハウェは言われる。

 

「わたしは雄羊の全焼の供犠や、肥えた家畜の脂に飽きた。

雄牛、子羊、雄山羊などの血も喜びもしない。

お前達はわたしの顔を見にやってくるが、誰がこのことをお前達に求めたか、

わたしの庭を踏みつけろなどと。

 

 お前達は二度と空しい捧げ物を持って来てはならない。

犠牲を焼く煙、それはわが忌み嫌うもの、

新月祭と安息日、祝祭の集いなど、不義と聖なる集会など、

わたしは我慢ならない。

それらは私の重荷となり、わたしはそれらを負うに堪えない。

お前達が手を差し伸べてきても、

わたしはお前達から目をそらす。

 

 どんなに祈りを繰り返しても、わたしは決して聞きはしない。

お前達の手は血にまみれている。

身を洗い、清くなれ。

わたしの眼前からお前達の悪行を除き去れ。

 

悪いことを辞めよ。

善を習え。

公正を求め、虐げられた者を助けよ。

乞食のために正しい裁きをし、寡婦(やもめ)の訴えを取り上げよ。」

 

 

 「さあ、来たれ、我々は共に論じよう。」

とャハウェが言われる。

 

「たとえお前達の罪が緋のようでも、雪のように白くなる。

たとえ紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

もしお前達が進んで聞き従うなら、この地の良い物を食べることが出来よう。

しかし、もしお前達が拒み逆らうなら、剣に呑まれるであろう。」

まことのヤハウェの口が語られたのだ。

 

 

 

 娼婦と人殺しの都

 

 どうして娼婦になり下がったのか、貞節の都が。

そこには公正が満ち、義が宿っていたのに、

今は人殺しばかりだ。

お前の銀は金かすとなり、お前の上等な酒も水で割られている。

お前の高官達は頑なな反逆者、また盗人の仲間。

みな賄賂を好み、贈り物を追い求める。

 

 孤児の為に正しい裁きをすることもなく、

寡婦の訴えが彼等のもとに達することもない。

「それゆえに、」

と主なる万軍のャハウェ、イスラエルの力強き方の御告げ。

 

「ああ、わたしはわが敵に思いを晴らし、わが仇に復讐しよう。

そしてわたしは手を再びお前に向け、

お前の金かすを灰汁のように溶かし、お前の総ての浮きかすを除き去ろう。

こうしてわたしは再びお前の裁判官達を初めのように、

お前の議官達を昔のようにする。

 

 そうして後、お前は義の町、貞節の都と呼ばれるだろう。

シオンは公正によって、その中の立ち帰る者は正義によって、贖われる。

しかし背く者と罪人とは共に滅び失せ、

ャハウェを捨てる者は衰え果てる。

 

 まことに彼等はお前達の好んだ大樹によって辱めを受け、

お前達はお前達の選んだ園によって恥を受けるであろう。

 

◆補足文

(※カナンの豊饒の祭儀では大樹のもとで淫らな行為がなされ、園ではエジプトやフェ二キアの神々が崇拝されました。ユダの支配階級はこうした異教徒崇拝に走った当然の報いを受けるのです。実際の話、現代のイルミなどの支配階級も全く同じ宗教を行い、崇拝行為をやっております。カナン他等のサタン崇拝の詳細は別口でまたお伝えするつもりです。)

 

 

 まことにお前達は葉の枯れた大樹のように、水のない園のようになるであろう。

そして強い者も麻屑(あさくず)と、その行為は火花と、成って、

二つながらにして共に燃え、これを消す者とてないであろう。