tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

『イザヤ書』14.

イザヤ書

 

 

 

 【第44章】

 

 

 

 そして今聞け、ヤコブ、わが僕よ。

わたしの選んだイスラエルよ。

ャハウェがこう言われる。

あなたを作り、母の胎内から形造り、あなたを助ける方が。

 

 「恐れないように、わが僕ヤコブよ。

わたしの選んだエシュルンよ。

(※イスラエルの愛称ないし詩的な呼び名。「正しい」「真っ直ぐな」という意味するヤーシャール、あるいは『ヤーシャールの書』と関係するかもしれない。)

 

まことにわたしは干からびた地に水を、渇いた地に流れを注ぐ。

わが霊をあなたの子孫に、わが祝福をあなたの裔(すえ)に注ぐ。

こうして彼等は青草の中にあって、水のほとりの柳のように芽生える。

 

 ※この者が言うには、『私はャハウェのもの。』と、

またこの者はヤコブの名を名乗り、

更にまたこの者は手に『ャハウェのもの』と記して、名をイスラエルとする。」

 

(※この者とは、イスラエル内部の背教者、もしくは異邦人。霊的改宗が述べられていると解する。)

 

 ャハウェがこう言われる。

イスラエルの王、これの贖い主、万軍のャハウェが。

 

「わたしは初めであり、わたしは終わりである。

わたしの他に神はいない。

誰が、わたしのように宣言できるのか。

わたしに対してそれを告知し、それを並べ立てよ。

わたしが永久の民を定めた時から、

これから生起する事ども、来るべき事どもに至るまでを、

それらを告知するがよい。

 

 恐がらないように、怯えないように。

前々からわたしがあなたに聞かせ、告げてきたではないか。

あなた達はわたしの証人。

わたしの他に神があろうか。

他に、はない。

(※岩は「隠れ場・暑さを避ける陰・清水を湧き出させる」等、確固不変の象徴として、しばしば救いの神を象徴する。)

わたしは知らない。」

 

 

 

 偶像に対する嘲笑歌

 

 

 偶像を形造る者達、彼等はみな虚ろで、

彼等が慕う者どもは役に立たない。

彼等の証人は、彼等だ。

彼等は見ることも出来ず、知ることも出来ず、

結局恥じ入るだけだ。

 

 誰が、神を形造り偶像を鋳たのか。

役に立たぬことのために。

見よ、その仲間達はみな恥じ入ることとなる。

職人達、彼等も所詮人間から出た者。

彼等はみな集まって立つがよい。

共々に怖がって恥じ入るだけだ。

 

 彼は鉄を手斧で細工し、炭火を使って仕事をする。

また槌(つち)でもってそれを形造り、力ある腕でその仕事をする。

彼は飢えれば力が無くなり、水を飲まねば疲れてしまう。

彼は木に細工し、量り縄を張り、鉛筆でそれに印をつけて、

それを小刀で作り上げ、またコンパスでそれに印をつけ、

人の形に似せ、人間の美しさに似せて仕上げ、そして神殿に安置する。

 

 自分のために杉を切り、彼はまた松や樫を取って、

自分のために林の木々の中で強く育てる。

彼が月桂樹を植えると、雨がそれを育てる。

それは人間の薪になり、彼はそれから取って暖まり、

更には燃やしてパンを焼く。

更には神を造っては拝み、偶像を作り上げてはこれにひれ伏す。

 

 その半分は火で燃やし、

その半分で肉をあぶって食べ、あぶり肉で満腹する。

更には暖まって言うには、

「ああ、暖まった。炎を見た。」などと。

その残りを神に作り上げ、自分の偶像とし、

それにひれ伏して拝み、それに祈って言うには、

「私を救って下さい。あなたは私の神様だから。」などと。

 

 彼等は知りもせず、悟りもしない。

まことに粘りついて、見ることが出来ないのは彼等の目。

悟ることの出来なのは彼等の心。

彼等は心に留めることをせず、知識もなく、悟りもないので。

「その半分を私は火で燃やし、その炭火の上でパンを焼き、肉をあぶって食べた。

その残りを忌むべきものに作り上げ、木の切れ端に対してひれ伏すのだろうか。」

とすら言えない。

 

 灰を食らう者は、心欺かれ、惑わされて、

自分を救い出すことが出来ず、

「私の右の手に偽りはないのだろうか。」

とすら言う事が出来ない。

 

 

 

 罪の贖いとその歓喜

 

 「これらのことを覚えよ、ヤコブ

イスラエルよ、まことにあなたはわが僕。

わたしがあなたを形造った。

あなたは、わたしにとって僕だ。

 

 イスラエルよ、あなたがわたしに忘れられることはない。

わたしは拭い去った、雲のようにあなたの不義を。

霞のようにあなたの罪を。

わたしに帰れ。

わたしはあなたを贖ったから。」

 

 喜び歌え、天よ。

まことにャハウェは成し遂げられた。

鬨(とき)の声をあげよ、地の底よ。

喜びの歌声を上げよ、山々よ。

林とその中の総ての木よ。

まことにャハウェはヤコブを贖い、

イスラエルのうちに栄誉を現された。

 

 

 

 クロスによる捕囚解放

 

 ャハウェがこう言われる。

あなたを贖い、あなたを母の胎内から形造った方が。

 

「わたしこそャハウェ。

万物を作り、ひとりで天を張り巡らし、地を押し広げた者。

誰がわたしと共にいたか。

わたしは占い者等の印を破り、易者達を混乱させ、

知者達を後ろに退けて、その知恵を愚かにする者。

わたしはわが僕の言葉を成就させ、

わが使者達の計画を成し遂げさせて言う者。

エルサレムについて『そこは住まれるようになる』と。

またユダの町々については『それらは再建され、その廃墟をわたしは復興させる』と。

 

 わたしはまた言う者。

淵について、『干上がれ、わたしはお前の川々を涸らす』と。

わたしは言う者。

クロスについて『わが牧者、わが望みを総て彼は成し遂げる』と。

更にエルサレムについて言うには、

『それは再建され、神殿は基を据えられる』と。」

 

 

 

 

【第45章】

 

 

 

 ャハウェはこう言われる。

その油注がれた者クロスについて。

「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、

王達の腰から帯を解き、彼の前に両の扉を解放し、

諸々の門を閉ざさせないようにする。」

 

 わたしはあなたの前を歩み、険しい地を平らにし、

青銅の扉を打ち破り、鉄の閂をへし折る。

わたしはあなたに与える。

闇の中にある財宝と密かに隠された宝を。

それは、わたしャハウェ、あなたの名を呼ぶ者、

イスラエルの神であるとあなたが知るためである。

 

 わが僕ヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために。

わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。

わたしはあなたに肩書を与えるが、あなたはわたしを知らない。

私はャハウェである。他にはいない。

わたしの他に神はいない。

 

 わたしはあなたに力を帯びさせるが、あなたは私を知らない。

これは、わたしの他には空であると、

日の上る方からも、暮れる方からも人々が知るためだ。

わたしがャハウェである。他にはいない。

 

 わたしが光を造り、闇を創造する者。

平安を作り、災いを創造する者。

わたしはャハウェ、これら総てを作る者。」

 

 

「天よ、上からしたたらせよ。

雲よ、義を降らせよ。

地よ、開いて救いを実らせよ。

正義も共に芽生えさせよ。

わたしはャハウェ、わたしがこれを創造した。」

 

 

 禍だ、自分を造った者と言い争う者。

土の陶器どもの中の一陶器にすぎぬのに、

粘土が自分を形造る者に向かって「あなたは何を作るのか。」とか、

「あなたの作品、それには手がない。」とか言うであろうか。

 

 禍だ、こう言う者。

父に向かって「なぜあなたは生むのか。」とか、

母に向かって「なぜあなたは産みの苦しみをするのか。」などと。

 

 ャハウェがこう言われる。

イスラエルの聖なる方、これを形造った方が。

「生起する事どもについて、彼等はわたしに要求するのか。

わが子等について、またわが手の作品について、

あなた達はわたしに命じるのか。

このわたしが地を作り、人間をその上に創造したのだ。

わたしはわが手で天を張り巡らし、その万象に命じたのだ。

 

 わたしは義をもって彼(クロス)を起こし、

彼の道をみな真っ直ぐにする。

彼こそはわが町を建て、わが捕囚の民を解放する。

代価をもってでもなく、賄賂をもってでもない。」

と万軍のャハウェが言われる。

 

 

 

 隠れた神の顕現

 

 ャハウェはこう言われる。

「エジプトの産物とクシュの収入と、そして背の高いセバ人達とが、

あなたのもとに渡って来て、あなたのものとなる。

彼等はあなたの跡に従い、鎖につながれて渡って来る。

彼等はあなたに向かってひれ伏し、あなたに向かって祈りを捧げる。

『ただあなたのところにだけ神は在(いま)し、他にはなく、他の神々は空しい。』と。」

 

 

 まことに、あなたはご自身を隠し通す神。

イスラエルの聖なる救い主よ。

みなは共に恥じ、辱められ、

辱めの中歩むのは神像の職人ども。

イスラエルはャハウェによって救われる、それは永久の救い。

永久に至るまであなた達は恥じることなく、

辱めを受けることがない。

 

 まことにャハウェがこう言われる。

天を創造した方、すなわち神。

地を形造り、これを作った方、すなわちこれを堅く立てた方。

これを空虚に創造したのではなく、これを住むために形造った方が。

 

「私はャハウェである。他にはいない。

わたしは隠れた所や、闇の地にある場所では語らなかった。

ヤコブの子孫に向かって、『空しく私を求めよ』とも言わなかった。

わたしはャハウェ、

義を語り、和睦を告げる者。

 

(※闇の地は黄泉を指している。ャハウェは赫々と姿を顕す神ではないとはいえ、

バビロニアの密儀宗教の神々のように占いによって、隠れた黄泉にその意志を問わねばならぬ神でもない。)

 

 

 

 集まって来て、共に近づけ、

諸国からの逃亡者達よ。

何も知らないのは、偶像の木を担う者ども。

救えもしない神に祈る者達。

告げよ、証拠を出せ。

更には共に謀るがよい。

誰がこのことを昔から聞かせ、以前からそれを告げたのか。

わたし、ャハウェではなかったか。

わたしの他に神はいない。

義なる神、救い主はわたしをおいて他にはいない。

 

 わたしの方を振り仰いで救われよ。

地の果ての総ての者よ。

まことにわたしが神である。

他にはいない。

 

 わたしは自分にかけて誓った。

わが口から出るのは正義と、消え去ることのない言葉。

まことに私に向かって

総ての膝は屈(かが)み、総ての舌は誓う。

『ただャハウェだけ』とわたしに向かって人は言う。

『正義と力がある』と。

 

 彼ャハウェのもとに来て恥じ入るのは、

総て彼に向かって怒りを燃やす者ども。

ャハウェによって義とされ誇るのは、

イスラエルの総ての子孫。」

 

 

 

 

◆補足文

(この第43章~44章のイザヤによる預言と、イザヤによって神ャハウェのイスラエルに対する心の葛藤ともいえる語り掛けは、切々と読む者の胸にせまってきます。

特に、上記の44章「偶像に対する嘲笑歌」を読んで、こんなにシンプルで分かり易い説明、真実が他にあるだろうか。というか、ャハウェが真実の神であると認めない方がヤバイと私は思っています。

ところが、神のおっしゃる通り、この世は相変わらず古代より偶像崇拝をしております。「私を救ってください。あなたは私の神様だから。」と、見ることも出来ない目と、悟ることの出来ない心で神に祈って生きています。

 

 実は私も、聖書でこの「イザヤ書」に出会うまでは、偶像崇拝者でしたから偉そうに言える立場ではないのですが、この第44章を読んだ時は、本当にこの通りだと思いました。

神の立場で考えたら本当に情けなくて、腹立だしい、とんでもない事を人間どもはやっている、まさに「生ける神を馬鹿にするのもいい加減にしなさい。」ですよね。

 

 私達はみな、子供の頃から親とか周りの人達に神・仏はどういう存在なのか、宗教とはどういうものなのかをしっかりではないにしろ、少しずつ刷り込みによって学び、もちろん国によっても大きく違いますが、ほとんどは長年の慣習、受け継がれた刷り込みの知識によってそれらの概念を植え付けられてきています。

実は子供はみな、そうした周りからの知識を植え付けられるまでは、実にシンプルで、真実に近い感覚で神を感じているものなのです。

ところが、子供の頃に感じた漠然とした神様と、周りから植え付けられた「神感」のギャップがいつの間にか間違った知識で埋められて大人になってしまっているわけです。

 

 この世は何でも刷り込み教育で成り立っています。しかもほとんどがとんでもない「嘘」の刷り込みです。これは陰謀論でも何でもない事実ですが、実際「聖書」に出会い神というものを真剣に学ぼうとしない限りなかな解けない難問になっているのです。

 

 神は生きていて、私達を本当にご覧になっている。

愛して、手招いていらしゃる。

人間の手で作った木や岩や、石造の神像になぞ宿ってはいない。

そして、山や川や海、空や星々も神ではなく、広大な宇宙が神とかでもなく、

それは全て神の創造物であるということ。

つまり、自然神など存在しないということ。

 

まずは、この当たり前の真実をしっかり認識出来ないと

私達は神との関係においてのスタートラインには立てないということです。)