tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

シュメール文明や世界の歴史年代表と聖書の年代表の差 3.

 二ムロドの誕生年代と322の関係性

 

 

 二ムロドはハムから数えて3代目にあたる人物で、クシュの息子です。前回にセムからその子孫の出生年代と寿命を参考にして、ハムの子孫も同じような年で子を産み、生きて死んだと仮定してみましたが、ハムはセムと違い性欲の強い人物だった(ノアの箱舟に40日間住んでいる間は神の命令により、性行為は禁止されていたのに、ハムはこれを破ってしまったといいます。)ようなので、セムの息子等が30代で第一子を生んだよりも早く、20代で第一子を設けた可能性もあります。

 

 これは、あくまでも推察の域なので分かりませんが、この世の支配層である悪魔崇拝の連中が数秘術にこだわり、とくに"322”という数字にこだわっているのに注目して、もしかしたら、二ムロドの出生年代は BC2322年 なのではないか?

 

と考えてみました。洪水が2370年で、セムの息子たちがそれぞれ30歳代で第一子を設けているので、単純に30×2で2310年に3代目のシェラハが生まれたと仮定するように、例えばこれを24×2という風に仮定してみると、2322年に3代目に当たる二ムロドが誕生しても不思議ではなくなります。

(だいたい悪魔崇拝者たちは、性的に奔放で淫らなことに終始執着しており、それが神への崇拝行為とみなしているのです。)

あくまでも私の推察の域ですが、以下にそう考える根拠があります。

 

 

 

 

 322(プリンプトン)とピタゴラス

 スカル・アンド・ボーン

 

 

 

 ● 322(プリンプトン)

 

 

 322は、※「バビロニア数学」について記された粘土板の最も有名なものの1つです。

バビロニア数学とは、古代メソポタミアのシュメールからバビロニアを中心とした数学全般を指す。)

 

 

 この呼び名の由来は、コロンビア大学にあるG・A・プリンプトンの収集の粘土板の322番目のものを指しています。

 

 およそ50万ものバビロニアの粘土板が19世紀のはじめより発掘されてきましたが、その内の数千のものが「数学の性質」についてのものでした。

 

 この粘土板はBC1822年~1784年に書かれたものとされ、4列15行の表にその時代の楔形文字の数字で記されています。これは60進法です。この60進法による「位取り記数法」を作り上げ、バビロニア数学の発展の基となりました。

BC2000年頃に「-」と「+」を表す記号によって60進法記数法が用いられるようになりました。これにより、星の運行計算などを行う天門学の分野が発展した他、分数の簡潔な表現も可能になり、少数の概念も存在しました。

 

 1951年にこの表の数がピタゴラス数をなしていることが指摘されました。しかし、2002年、アメリカ数学協会は、これを否定し、「322の作者はプロの数学者でもアマチュアでもない。作者は教師で、322は練習用の課題であると思われる。」としました。

 

 

 

 ● ピタゴラス

 

 

 ピタゴラス(BC582ー496)は古代ギリシャ数学者・哲学者であり、「サモスの賢人」と呼ばれた人物で、現代のギリシャ文化圏の東辺に位置する、現在のトルコ沿岸にあるイオンァ地方のケモス島で、宝石細工師の息子として生まれました。

近くの町には著名な数学者タレスが住んでいたようです。

 

 ピタゴラスは若い頃から、オリエント世界の各地に旅したり、エジプトの幾何学と宗教の密儀を学んでいました。

フェニキアでは算術と比率カルデア人からは天文学も学びました。

ポリピュリオスなどの伝記によれば、ピタゴラスは「ゾロアスター教司祭の下で学んだと言われています。更にイギリスやインドまで旅をしたとも言われています。

 

 また、ピタゴラスは、BC6世紀にあらゆる事象には、数が内在していること、そして宇宙のすべては人間の主観ではなく、数の法則に従うのであり、数学と計算によって解明できるという思想を確立しました。

 

 更に、彼はこの思想に基づいたピタゴラス教団」を立ち上げ、古代で最も著名な数学研究機関となりました。この教団(学派)は、10を完全な数と考え、10個の点を三角形の形にしたテトラクテュス(三角形のピラミッド)を紋章としていました。

 

 そして、この教団はあの有名な「ピタゴラスの定理」の発見を祝い、定理の重大性を記念して、100頭の牡牛を生贄に捧げて盛り上がったといいます。

ゾロアスター教の神に捧げたかどうかは分かりませんが、ゾロアスター教はニ言論の悪魔崇拝と言われており、もちろん「輪廻転生」も教えています。

 

 また、彼は数の調和や整合性を不都合なほど重視し、完全数友愛数を宗教的に崇拝していました。そのために教団の1人が無理数を発見した時、その存在を認めようとするかわりに発見者を死刑にしてしまうという残忍な行為を行っていました。

 

 

 

 ● スカル・アンド・ボーンズ「頭蓋骨と骨」

 

 

 スカル・アンド・ボーンズは、アメリカのィェール大学にある秘密結社です。

1832年にウイリアム・ハンティラッセルと、従兄弟のサミュエル・ラッセルが設立しました。(表向きは)構成員同士が協力し合いアメリカで経済的・社会的に成功することを目的としています。

この会は、当初は「※エウロギアクラブ」という名前であったようです。

 

※エウロギアは、ギリシャ神話の弁舌の女神であり、デモステネスの死後パンテオンに祀られたといいます。)

 

 322の数字に関して彼等は意味付けをしていることでも知られています。

それは、デモステネス(古代ギリシャBC384-322没)の政治家・弁論家・アッティカ十大雄弁家の一人。アテナイの指導者としてギリシャ諸ポリスの自立を訴えて反マケドニア運動を展開したが叶わず、自殺へと追い込まれたとされる人物です。

このデモステネス没年であるBC322年を基本とし、会員ボーンズマンは、同年を紀元1年とするカレンダーを使うなどと言われています。

他にもいろいろな322の数字の意味づけの説があります。

 

 いずれにせよ、このスカル・アンド・ボーンズが様々な陰謀論の中でも有名な悪魔結社であることは有名なので、説明は必要ないかと思います。

 

 

 

 以上の理由で考察してみると、彼等支配層達が大昔から、悪魔崇拝の最大の起源となる二ムロドの誕生の地である、シュメール文明を今も絶賛し、その起源のあらゆることを伝統として受け継ぎ、「数秘術」、「記念」として彼の誕生日である12月25日にこだわってきているように、"322“の数字においても二ムロドの誕生年代であったために、これにこだわり続けているのではないでしょうか?