tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』13

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第71章

 

 

 この後、私の霊は隠されて天に昇った。そこに私はみ使い達の子等が火の炎の上を歩いているのを見た。彼等の着物と衣装は白く、顔の光は水晶に似ていた。

 

 私は2つの火の河を見た。

その火の光はヒヤシンスのように輝いていた。私は霊魂の主に平伏した。

み使い達の頭の一人、み使いミカエルが私の右手を掴んで引き起こし、あらゆる秘密の隠されている所へ私を連れ出し、憐れみと義の秘密の全てを私に見せてくれた。

 

 彼は天の果ての全ての秘密、星と全ての光の倉を見せてくれた。

そこから光が義人達の前に発射されてくるのである。

霊はエノクを天の天に隠した。私はそこにその光の間に水晶石で建てられたようなものを見た。その石の間に生きた火の舌があった。私の霊は火がその家を取り巻いている様を見た。

 

 その四方に生きた火の溢れる河があって、その家を廻っている。

その周囲にセラピム、ケルビム、オパニムがいる。

これは不眠で彼の栄光の座を警護している。

 

 私は数えることも出来ない、数千、幾万のみ使いた達がその建物を取り囲んでいるのを見た。ミカエルとラファエル、ガブリエルとぺヌエル、及び天上にある聖なるみ使い達がその建物に出入りしていた。

 

 その建物からミカエルとガブリエル、ラファエルとぺヌエル及び数えきれないほど多数の聖なるみ使い達が出て来た。彼等と共に高齢の頭が現れた。

その頭は羊毛のように白く、清らかで、その衣は形容を絶する。

 

 平伏した私の身体全体から力が抜け、霊は変化した。私は心をこめて大声で叫び、褒め称え、賛美し、崇めた。私の口をついて出たこの祝福は、その高齢の頭のよみされるところとなった。その高齢の頭はミカエルとガブリエル、ラファエルとぺヌエル及び数えることも出来ないほどの幾千、幾万のみ使い達と共にやって来られた。

 

 そのみ使いは私の所に来て、その声で挨拶して私に言った。

「君は義のために生まれた人の子である。義は君の上に宿り、高齢の頭の義は君を離れることはない。」

 

 彼は私に言った。

「彼は来るべき世界の名において君に平和を呼びかける、平和は、この世の創造の時以来、あそこに由来するのである。君にとってはこの状態が永遠に続くであろう。義が決して君を離れない時、君の道を歩む者は全て、君と住居を供にし、君と分を共にし、永遠に君と離れ離れになることはない。このように、その人の子は長寿を賜り、義人達は平安を賜り、彼の道は義人達に対して、霊魂の主の名によって永遠に公平である。」

 

 

 

 第72章

 

 

 天の「発光体の運行の書」。それらが、種類、主従の関係、季節、名称、起源、月に関して、互いにどう関係するかを記した書。これは私に同行してくれたこれら発光体の案内人、聖なるみ使いウリエルが私に見せてくれたもので、彼はまたそれらの実際の姿、この世の全ての歳と永遠に、永遠に続く新しい作品ができる時までどのように関わるかを私に示してくれた。

 

 発光体の第一の法則はこれである。発光体太陽は東の天門から出て西の天門に没する。わたしは、そこから太陽が昇ってくる6つの門と太陽がそこに没する6つの門を見た。

 

 月もその門から昇って沈む。星の先導を務めるものとそれに導かれるものにも東に6つ、太陽に沈む西に6つ門があり、いずれもきちんと順序を追っている。また、その門の左右には多くの窓がある。

 

 最初に出て来る大きな光は名を太陽といい、その球は天球に似ていて、全体が光輝き、熱する火で充満している。それを乗せた車を風が吹き送り、太陽は没して天から姿を消し、北を通って東の方へ戻って行き、例の門に入って天の表面を照らせるように導かれてゆく。

 

 このようにして、それは最初の月に大門から出て、太陽の昇る東の方にある例の6つの門のうちの第4のものから出てゆく。最初の月に太陽が出て行くその第4の門には、開くようになった12の窓があり、その時が来て開くと、そこから炎が出て来る。

 

 太陽が空に昇ってくる時には、この第4の門から30朝出て来て、正確に空の西の第4の門に降りて行く。この期間には、日は日ごとに長く、夜は夜ごとに短くなって第30日目の朝に至る。この最後の日には昼は夜より2区分だけ長く、昼はきっかり10区分、夜は8区分になる。

 

 太陽はこの第4の門から出て第4の門に没し、東の方にある第5の門に戻ること30朝に及び、そこから出て第5の門に没する。この時から昼はさらに2区分長くなって、昼が11区分、夜は更に短くなって、7区分になる。

 

 太陽は東に戻って第6の門に入り、第6の門から昇り、そこに没し、その徴(しるし)故に31朝に及ぶ。その日、昼は夜より長く、昼は夜の2倍の長さになり、昼は12区分となり、夜は縮んで6区分となる。昼が短くなり、夜が長くなるように太陽は体を起こして、東に戻り、第6の門に入り、そこから昇り、そこの没して30朝に及ぶ。

30朝が終わると昼は正確に1区分だけ減って11区分になり、夜が7区分になる。

 

 太陽はこの第6の門を通って西の空から姿を消し、東に進んで第5の門から昇ること30朝に及び、再び西の方にある第5の門を通って西に没する。この日、昼は夜に対して2区分減って10区分となり、夜が8区分になる。

 

 太陽はこの第5の門から出て西の第5の門に没し、その徴故に第4の門から昇って31朝に及び、西に没する。その日、昼は夜と等しくなり、同じ長さになり、夜が9区分になり、昼が9区分になる。

 

 太陽はこの門から出て西に没し、東に戻って第3の門から出て30朝に及び、西の第3の門に没する。その日、夜は昼より長くなり、第30朝に及び、日ごとに昼が短くなて第30日に及び、夜が正確に10区分、昼が8区分になる。

 

 太陽はその第3の門から出て西の第3の門に没し、東に戻って第2の門を出ること30朝に及び、同様に西空の第2の門に没する。その日、夜は11区分となり、昼は7区分となる。

 

 その日太陽はその第2の門から出て西の第2の門に没し、第1の門を通って東に戻る事31朝に及び、西の第1の門に没する。その日、夜は長くなり、昼の2倍になり、夜がちょうど12区分になり、昼が6区分になる。

 

 これをもって太陽はその行程を終わり、再びその行程を回転し、例の門から入って0朝に及び、西の方のそれと相対する点に没する。その日夜は1分、即ち1区分だけ長さを減じて11区分となり、昼が7区分となる。

 

 太陽は戻って東の第2の門から入り、その行程に戻ること30朝に及び、昇りまた没する。その日、夜は長さを減じ、夜は10区分となり、昼は8区分となる。

 

 その日、太陽は第2の門から出て西に没し、東に戻って第3の門から昇ること31朝に及び、西の空に没する。その日、夜は短くなって9区分となり、昼も9区分となって夜と昼が等しくなり、1年がちょうど364日になる。

 

 昼と夜の長さ、及び昼と夜の短さは、太陽の運行によって差ができる。この故にその運行、軌道は日ごとに長くなり、夜ごとに近く、短くなる。

 

 これが太陽の法則であり、運行である。

60回戻って来て、また出て行く。

太陽と呼ばれる永遠に大きな光のこの運動は永遠に続く。

こうして昇ってくるものが、主の命ぜられたところに従ってその外形の故に大きな光と名づけられているものである。

 

 このようにそれは昇りまた没し、減ることなく、休むことなく、昼夜その車で駆けめぐり、※※その光は月より7倍明るく輝くが、大きさにおいては2つは同等である。

 

 

 

 

補足文

上句の第72章を読むと、太陽が地球の上をどのように神の定めた通りに運行しているかを詳細に述べられています。地球が太陽の周りを廻っていると教えられて私達は育っており、それがこの世の常識とされているのですが、実に聖書は反対なのです。クリスシャン以外(現在のクリスチャンでも間違っている人は砂の数ほどいます。)の読者はこの辺りを是非、考えてもらいたいと思います。聖書は間違っているのでしょうか?

そして、ここにも注目してほしいと思います。一年が364日である。というのと月と太陽の大きさは、同じであると聖書では言っています。

果たして、本当に現在のこの世の科学は正しいのでしょうか?

 

 YouTube「フラットアースと北極」part1~3edenMediaさん配信(2019/11/30~公開)の中で、映画『メン・イン・ブラック』のエージェントK(トミーリー・ジョーンズ)だったかな?のセリフで、「1500年前、皆地球が宇宙の中心だと知っていた。500年前、皆球が平らだと知っていた。」というのを紹介し、今ネットでも話題になっている"フラットアース”問題を取り上げてその内容を論証しています。(edenMediaさんは、このシリーズの前説にも「フラットアース入門上・中・下」も配信されていて、それも興味深く面白い内容となっています。)つまり、言いたいことは現在私達が教えられてきた"地動説“が正しいのではなく、"天動説"が本当は正しいという話です。

 

 紹介した動画の中においてもそうした聖書からの聖句がたくさん引用されています。

それは聖書の「創世記1:6」に始まり、「イザヤ書40:19~22」「ヨブ記1:6、26:10」「箴言8:27」「出エジプト24:10」「エゼキエル書1章・6章」「黙示録4章・15章」と、上記の「エノク書18章他」の至る箇所に、神がこの地球をどのように創造されたかが書かれているのです。

 

 もちろん、私も"天動説“支持者です。

宇宙に地球のような奇蹟の星の存在は他にはないと信じています。

そう信じる根拠が聖書の中にあるからであり、この世の支配者層のやっていることを調べていくと更に納得できてくるからです。この世の歴史から科学から思想、その他全てにおいて虚偽が練り込まれているからです。

 

 「フラットアースと北極part2」の中で、いつから間違った宇宙観の教えが始まったかについて、それはあのピタゴラスからだったと言っています。確かにピタゴラス悪魔崇拝者でした。彼は悪魔崇拝の教祖として当時精力的に活躍していました。

ビデオの中でもピタゴラスは、「フリーメイソン」、「薔薇十字団」、「ドルイド教」の生みの親でもあると言っています。

 

 当然、この世の支配者であるイルミナティのメンバーはこの世の全ての真実を知っています。聖書に書かれた聖句が正しいということも充分に分っているのです。彼等は、あえて間違った情報を我々に教えているのです。それは自分達に都合よくこの世を支配し、我々から神を遠ざけるためです。ビデオ中でもそのことを語っています。

そして、彼等はあの『国連の旗』のデザインこそが本当の地球の姿を描いており、この

地球は球体ではなく、フラット(平ら)であるという隠された証拠であると言っています。支配層だけが真実を知っている。

国連の国のメンバーはすべてイルミナティ配下の者達であり、それはネットで調べればすぐにでも理解できるでしょう。

 

 そして彼等は、もう一つ重大な秘密を我々から隠してきています。それが「北極の地理」であり、その正しい地図です。

現在、北極は地図から姿を消していますが存在しています。

北極は4つの大陸からなっています。

 

 16世紀~17世紀に描かれた世界地図にはちゃんとその北極の4つの大陸が描かれていました。最も有名なものが1595年の「メルカトルの地図」です。しかし、17世紀半ば頃から北極の存在はあいまいになり、だんだん地図上から消えていってしまうのです。

 

 つまり、これは完全に何者かに意図されたものなのです。

なぜなら、実は北極は、聖書中に数多くの聖句が見られているのです。

それは「聖なる山」が北極には存在しているからです。

 

 <詩編48:2~>

私達神の都にある聖なる山は高く美しく全地の喜びだ。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。

 

 <イザヤ14:12>

かつてお前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂きに登って、いと高き者のようになろう」と。

(この聖句は勿論サタンのルシフェルのことを言っています。)

 

 <ヨブ記26:5~11>

亡霊は、水及びその中に棲む者の下に震う。神の前では陰府も裸である。滅びの穴も覆い隠すものはない。彼(神)は北の天聖なる山を空間に張り、地を何もないところに掛けられる。彼は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。神はご自分の雲を広げて、王座を覆い隠される。水の面に円を描いて、光と闇との境とされた。彼が戒めると天の柱は震い、かつ驚く。

 

  など、北極を示していると思われる聖句が数多く出てきます。

 

 そしてその中心に聳え立つ聖なる山は世界最高峰と言われているあのエベレストよりも高く、いわゆる本当の世界一の山であると言われています。しかも文献によれば、真中に渦巻き状の海に囲まれた「ルぺス・ネグラ」という黒い岩山があり、そこから4つの河が流れているといいます。その河によって4つの島になっているのです。

しかもこの岩山は強い磁気を発生しており、何処にでもあるコンパス(磁石)の北はこの北極の場所を指していると言われているのです。

  

 世界の中心の世界一高い山であり、山の周りは渦を巻いており、その黒い岩山は強力な磁力を帯びている。なんだかミステリアスで、いかにも都市伝説のような話だと思ってしまいますが、17世紀までは本当にそうした形で地図上に描かれていたようです。しかも、聖書の聖句の示す「聖なる北の山」とも一致する姿でもあるのです。)