ノアの大洪水から二ムロドまで
前回の続きで、実際の現在の世界史年表と聖書の年代表との差について、聖書の年代表が絶対正しいと考えておりますので、単純に計算すると、世界最古の文明とされるシュメール年代表を代表に考えると、BC8000年の石器時代に始まるシュメールと、聖書のアダム創生からACまで4026年の差年は3974年になります。つまり、世界史は3974年分も歴史年代を水増しているのです。文字を最初に使ったとされるシュメール文明を元に歴史を紐解いているようですが、
『シュメール神話の世界』中央新書によれば、「(ノアの大洪水2370年)「大洪水以前」の5都市は文化の発展を示す神話時代であるが、洪水以降の各王朝はシュメル人にとっていわば「世界史」、つまり「史実」であり、現実であった。」
と書かれています。これはつまり言い換えるならば、
「洪水以前」はシュメル人にとって言えば、神話時代であるので各王朝は「世界史」でもなく「史実」でもないと認めていることになるのです。
前回話したように、アダムからノアの洪水までは1656年です。その間にアダムからノアまでの家系図は9代になっています。人類で生き残ったのはノアの家族だけなので、洪水後からは、ノアの家族から人類は出発し、世界に広がったことになります。
さて、1656年間に生きていたのはアダムの子孫だけではありませんでした。
(何回も同じ説明をしておりますが、)
この期間の途中から、天の子等、いわゆる人間の女を見てよこしまな欲望を抱いた「見張りの天使達」とその堕天使となった天使と結婚して子供を産んだ女達とその子供(巨人)達が生きていました。その巨人がいた時代はエノクの父ヤレドの時代には既に存在していました。
ヤレドはアダムから数えて5代目の長子になります。因みにアダムは930歳まで生きて死にました。そのヤレドから数えてノアまでは4代目になります。
巨人が世界中を破壊し、又人間達の心やその行動が全て悪に染まっているのを神がご覧になり、
<創世記6:7>
ヤハウェは言った。「わたしは自ら創造した人を大地から拭い去ろう。人だけでなく獣までも、這う生き物までも、空の鳥までも。これらを造ったことが実に悔やまれる。」
と言われ、神による大洪水が起こされたのです。
しかし、ノアだけが神の恵みを得ることが出来て神による指導の下、箱舟を作り逃れることが出来たのです。
ノアの時代の始まりはBC2370年ですから、ここからアダム時代の最初の頃のように、狩りや農耕に始まり、牧畜その他へと徐々に発展していきました。
ノアは現代の教える原始人のはじめではないので、洪水以前の時代のあらゆる教育や技術を身に着けていた文明を初めから持った人物でしたし、その息子たちに至っても同様でした。
ですから、短期間で農耕から始まった文明が発達して、人口の増加と共に発展し、都市化していったことも不思議なことではありません。だいたい元々頭のいい人間が、農耕から都市化に至るまで1000年も掛かるという方が不思議です。
実際、聖書でもアダムの最初の子供のカインの子孫について、
<創世記4:21>
そして、その兄弟の名はユバルと言った。彼は、すべての竪琴と笛を扱う者の始祖となった。一方、チラの方もトバル・カインを産んだ。これは銅と鉄のあらゆる道具を鍛造(たんぞう)する者であった。
と前回も書きましたが、現代のような文化の始祖があり、技術があったことが伺えます。
ということは、シュメール文明は人類最古の文明ではあるけれど、既に最初から高い技術を洪水以前の時代からノアが既に受け継いでいたので、巷で言う都市伝説の「シュメール人は初めから高い建築技術や計算術を知っていた。」というのは当たり前なのです。そして、聖書では
<創世記10:8>
クシュはまた、二ムロドを設けた。彼は地上で最初の勇士となった。彼はヤハウェの前に狩猟の勇士となった。そこで、「ヤハウェの前に狩猟の勇士たること、二ムロドのごとく」と言われるのである。彼の王国のはじめは、※シンアルの地の※バベル、※エレク、アッカド、※カルネであった。その地から※アッシュルが出た。
彼はニネべ、レホボト・イル、カラハ、ニネべとカラハの間のレセンを建てた。
◆補足文
※シンアル=南メソポタミア
※バベル=バビロン
※エレク=ウルク・シュメール以来の都市
※カルネ=北シリア
※アッシュル=古代アッシリアの都市
と書かれてあります。二ムロドはノアの3人の息子のハムの孫にあたります。
だいたいこの時代の寿命は長かったので、例えばアダムは930年生き、セトは920年、飛んでヤレドは862年生きて死にました。
ノアは600歳の時に洪水が起きて、950歳で死んでいます。しかしノア以降はだんだん寿命が縮んでいきます。ノアの息子は、セム、ハム、ャぺテの3人ですが、残念ながら聖書で年齢が書かれているのはセトの子孫だけです。(ノアの一番大切だった子供の家系のみ)
セムは600歳まで生きて死に、セムの息子アルパクシャドは438歳まで、その息子シェラハは433歳まで、次の息子エベルは464歳まで、その次は更に縮んでペルグは239歳、彼の息子レウも239歳で亡くなっています。
このセムの家系の寿命を参考にしてみれば、ハムもセムの600歳に近いがそれより短い寿命、(罪深いと長生きできなかった可能性あり)そしてその息子クシュは438歳より短いか同じくらいの寿命、その息子である二ムロドも433歳より短いかそれと同じくらいの寿命だったと推察しています。
あくまでも推察なので、本当のところは分かりませんが、ここで二ムロドが聖書でいう世界最初の勇士であり王だったというのであれば、シュメール文明の王名では誰に当たるのかということになります。
上記のように、シュメール、メソポタミア全土を支配したと考えられる二ムロドは、私の勝手な憶測ですが、やはりBC2800年頃に誕生したとされるキシュ第一王朝のギルガメッシュが二ムロドではないかと考えています。
なぜなら、知っての通り、ギルガメッシュ王は、古代メソポタミアにおいて最も有名な英雄とされているということと、「ギルガメシュ叙事詩」の神話の内容からして、二ムロドの伝承を神話として美化して残したのであろうことが想像に難くないからです。
聖書の世界最初の王である二ムロドは、古代メソポタミアの英雄ギルガメッシュである可能性
二ムロドが古代の英雄ギルガメッシュであると仮定してみるなら、この美化されたギルガメッシュの英雄武勇伝の神話「ギルガメシュ叙事詩」の中で、聖書と同じような世界の創造と大洪水の物語が展開されていたとしてもなんら不思議でも何でもない。ということになります。
なぜなら、ノアの子孫である二ムロドが祖父であるハムから、子供の頃からノアの洪水伝説を聞いていないはずはないからです。
そして、世界中にある「洪水伝説」が似たり寄ったりであるのも、これも当然のことになります。ノアの子孫が世界中に増えて散らばっていったのだから、そのノアの時代に起きたこと、またはその人類の最初であるアダムからその時代までを、祖父から、父へ、その子供達へと伝承されていったはずならば似ていて当然ではないでしょうか?
ただ、一つだけ違うのは、宗教であり、その信仰の神は誰なのかということだけなのです。
ノアの子供達3人の子孫が、ノアと同じ神、つまり「ャハウェ」を信仰し続けたのか、それともャハウェ以外(創造主以外の)を神と崇めたかです。
分かり易いですよね。
聖書に書かれている通り、ハムの子孫はノアに呪われています。
ですから、ハムの子孫はヤハウェ信仰を辞めてしまっているのです。
ヤハウェ以外の神といえば、堕天使の頂点となっている「ルシフェル」と「見張りの天使達」とルシフェル側に付いたその他の天使達がそれにあたります。
数で言えば天上界の3分の1が堕天使となったと記されていますので、相当の数の神々といえます。
世界中にたくさんの神々の名前が存在して、その宗教が生まれるのも頷けます。
ハムの子孫、そして残念ながらャぺテの子孫も後にヤハウェ以外の神、悪魔崇拝に加担していっていますから古代から戦争が絶えないのはもはや当たり前ですね。
少し脱線してしまいましたが、[ノアの洪水伝説]がシュメールよりも後に書かれたという理由だけで、聖書の「大洪水」伝説が『ギルガメシュ叙事詩』のマネであるというのは全く間違った論述であると考えています。
もし、聖書の「ノアの洪水」と『ギルガメシュ叙事詩』の両方を読んだことがあるならどちらが歴史的史実に近いのかは直ぐに分かると思います。
『シュメル神話の世界』によれば、シュメールの「洪水伝説」は、神々が人間を滅ぼすために大洪水を引き起こすことを決定したのだけれど、なぜ神々は労働を肩代わりさせるために造った人間を滅ぼさなければならなかったのか?についての理由は直接語られていない。と述べています。実に辻褄の合わない物語の展開といえますね。
ところが、聖書の「ノアの洪水穿設」はストーリーの展開に矛盾がなく神の意図も明確です。
そして更に、「ノアの箱舟」については実在した証拠もあるのです。
●参考動画
ドキュメンタリー「ノアの箱舟」
驚くべき発見!「恐竜、ノアの箱舟」ロス・パターソン
トルコにあるアララト山頂に「ノアの箱舟」に間違いないとされる木片の構造物が発見されています。この構造物は、聖書の記述通りにぴったりと一致した形と寸法であることと、炭素年代測定においてもノアの時代と一致しており、ほぼ間違いないと言われているのです。
因みに、洪水伝説の「創世記」を書いたのはモーセです。
モーセは神による霊感によって執筆を始めました。そして、その「創世記」を書き終えた年代はBC1513年でした。
「民数記・申命記」は1473年に書き終えられた事が判っています。
この時代のシュメールではバビロン第一王朝王滅亡後(BC1595年後)からカッシート朝バビロニア、メソポタミア北部に中期アッシリア王国があった時代になります。
BC1400年にアマルナ時代に入っています。
(※現在残っているシュメル語版はBC2000年期前半の古バビロニア時代に書かれた粘土板で、ニップル市から出土しました。物語の4分の1しか残っていなくて、分からない部分も多いようです。これは、アッカド語で書かれた「ギルガメシュ叙事詩」の中で語られている内容とほぼ同じであるとしています。)
しかし、注目してほしいのは、その後BC1200年になって初めて『ギルガメッシュ叙事詩』が標準版成立されたのです。
これは、BC1473年にモーセが創世記~申命記までを執筆し終えたよりも273年も後なのです。この事実も意味があるように思えます。(どちらがマネしたのか?)
それに、この『ギルガメシュ叙事詩』をまとめ上げた人物は、シン・レキ・ウンニンという呪術祭司であることが判っています。神の忌み嫌う呪術祭司が、真実の神話や歴史史実を書くとは到底考えられません。
二ムロドの名前の意味
二ムロドの名前の意味は、ヘブライ語で「我等は神に反逆する」という意味であり、彼の都バベル(バビロン)も「神の門」もしくは「混乱する」という意味です。
因みに、ギルガメッシュの名前の意味は、ビルガ=祖先・老人、メシュ=英雄・若者という意味です。これは冥界と関わりのある祖先崇拝を暗示しており、『ギルガメシュ叙事詩』第11書版で、ギルガメッシュは、若返りの草=不死の草の存在を教えられてています。この草の名前こそがギルガメッシュなのです。
(この時代から「不老不死」は後の「錬金術」とも繋がり、呪術・魔術と共に現代に至るまで悪魔崇拝の定番となっています。)
バビロンには50以上の神殿があったといわれており、おびただしい占術・降霊魔術、富と悪徳で栄える資本主義、偶像崇拝の象徴とされていました。
それに『ユダヤの古代史』を書いたフラウィウス・ヨセフスは、「バベルの塔」について、この物語は、人々が大洪水を引き起こしたか神への復讐のために塔を建てたと解釈していました。
そして神に対し、このような侮辱的な行為に出るように民衆を扇動した者はハムの孫で、強壮な体力を誇る鉄面皮人の二ムロドだったとしています。
二ムロドは、神のおかげで都市が繁栄したのではなく、自分達の知恵と力によるものであるとして民衆に訴えました。そして神が再び洪水を起こすというのなら、水が達しないような高い塔を建てて、父祖達の滅亡の 復讐をしようと考えたのです。
人々も二ムロデの「神に従うことは奴隷なることである」という考えに賛同し、塔の建設に取り組んだのです。
また、ラビ伝承でも、「ノアの子孫二ムロド王は、神に挑戦する目的で剣を持ち、天を威嚇する像を塔の頂上に建てた。」と言われています。
二ムロドが神を呪っていたとするなら、ャハウェによる地球創世や人類創世を全否定することも、ノアの洪水伝説を歪曲したとしてもなんら不思議なことではありません。
やはり二ムロドが、それらをわざとすり替えて、自分の英雄武勇伝として残したのではないでしょうか。