tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

フリーメイソンと共産主義 4

 ⑧神秘学派の祖ピタゴラスから連綿と続く系譜

    陰で世界を支配するメイソンの原理はプラトンから

 

 

 

 人間至上主義の長い歴史を検証し、更には古代世界から現代に至るまでの発露を追求すると、どの時代にも共通して見られることがあるのに気づく。

第一は言うまでもなく、悪魔崇拝の儀式に重きを置くバールとアシュトレトのカナン人の世界。第二は、世間から大きく抵抗されたためか、「知的」外観という保護衣をまとったこと、即ちバール神がフォースタス博士(伝統的錬金術師)となったことだ。

哲学めいた話を徐々に前面に打ち出すことで、血しぶきを上げるカナン人の祭壇を靄の中に隠したのである。

 

 

 こうした「人間至上主義学派」の開祖がピタゴラス(紀元前582-507)で、ピタゴラス学派はクロトナを拠点に「神秘学派」として役割を果たした。

 

つまり、その哲学の「神秘学的」側面は、慎重に選ばれた「参入者」の集団に対してだけ説かれたということだ。また、ピタゴラス方程式は2言論の第一原則、即ち、限りあるもの(有限の源)と限りないもの(無限の源)に基盤を置いていた。

事実上、これは最古の弁証法学派であり、その教えはヘーゲルや、有名なその門下生カール・マルクスの19世紀の活動において頂点に達した。

 

 

 ピタゴラスの一派は更に、何世紀かの後、『ゾハール書』の中に表れる教え、つまりカバラ思想を大々的に扱っていた。

その一つが数霊術で、彼は宇宙を数学的等式として凝縮し、それを支配する秘術めいた公式を算出、発見しようと試みた。また、この一派は四列数を取り上げ、1から教えて4つの数字を足すことで得られる10を聖なる数とした。クロトナのピタゴラス一派は今日、私達の時代に興味深い関連を残している。

1930年代、神智学協会のアメリ支部が置かれた場所がカリフォルニア州クロトナだった。この町の名がピタゴラス学派の町にちなんで付けられたものかどうかは今もって不明だが。

 

 

 ピタゴラスの定理、あるいは数字についての形而上学は※プラトンに大きく影響を与えた。

 

 私達はプラトンを哲学者として認識しているが、成人してからの彼はかなりの政治力を行使し続け、ペルシャ帝国の拡大に反対する地中海派の政治的集団の指導者と目されていた。彼はまた、地中海地方における政治支配権をギリシャに取り戻すために、エリート層の育成に主導的役割を果たした。

ピタゴラスの影響から、今日のフリーメイソンのそれにも似たプログラム、即ち背後で影響力を行使しつつ、隠された計画に従事する秘密のエリート集団を組織し、その計画原理は彼等だけにしか知らせないといったプログラムを作り上げたのだった。

 

 

 

◆補足文

プラトンは同じ時代に生きたピタゴラスと実際に交流し、仲の良い友人関係を築きあげました。ピタゴラス悪魔崇拝者であり、彼はピタゴラス教団の教祖でもありました。オルぺウス教、古代ギリシャ世界における密儀(秘密の儀礼)を旨とする魂と肉体の2元論、輪廻転生を教える宗教の流れを汲んでいるとも言われていますが、彼は元々ゾロアスター教を学んでいます。ピタゴラスの定理を発見した時には、教団の成果として、100頭の雄牛を神に生贄に捧げて祝ったとされています。その上、この教団のシンボルマーク(紋章)は、10を完全な数と捉え、10の点を三角形の形に配置したテトラクテュスとなっています。三角形と云えばピラミッド…まんま、悪魔教ですから。)

 

 

 プラトンは、ギリシャの連合勢力の指導者として、シラクサの支配者ディオニュシオスを支持した。ディオニュシオスプラトンにとって、後の哲人王の手本となった。一方、ディオニュシオスの義弟ディオンは哲学学園の設立資金『アカデメイアの森』として歴史に知られることになる一連の建物の為の資金をプラトンに提供した。

アテネ郊外に建設されたその建物の一つで、プラトンは国家を、将来の「人間至上主義者」がその社会全体を支配する為の手引きとして著し、デルフィに対する神聖戦争(この戦いでアポロン神殿がそこに蓄えられた莫大な金もろとも占領された)にあってはディオニュシオス2世に進言した。また晩年には、師ソクラテスを偲んで対話術篇『ティオマイオス』を著した。

 

 

 プラトンピタゴラスも、神秘思想に好まれる魂の転生を信じていたプラトンが人間至上主義の発展に寄与した重要人物の一人であり続けているのは、ピタゴラスの後を受けて、人間至上主義をバールという邪心崇拝に基づく教義から立派な「哲学の一派」に、ほとんど一人で変容させたからである

変容させたとはいえ、それが自らを特別に「選ばれた者」、知らない者に対して「知っている者(グノースティック)」と見なす秘密のエリート層によって、人類に仕掛けられた奴隷化を目指す教義であることに変わりはなかった。

 

 

 人間至上主義は社会の世俗側面にいよいよ深く関わりながら、その基本的な考えに忠実であり続けた。その基本的教えとは、汎神論、自然崇拝、グノーシス主義(紛れもなくその拠り所となっているサタン主義の化身ともいうべきもの)、更には神秘主義といった主たる「秘教」カルトの教義を混ぜ合わせて成立したものである。

 

 このような教義の脅威ゆえ、キリストは有名な警告を発した。

「偽預言者を警戒しなさい。彼等は羊の皮を身にまとってあなた方の所に来るが、その内側は貪欲な狼である。あなた方は、その実で彼等を見分ける。茨から葡萄が、あざみからイチジクが採れるだろうか。」<マタイによる福音書7:15~16>

 

 

 人間至上主義は羊の皮をまとった狼なのである。

人類への思いやり、ホームレスや貧しい人々への関心を宣伝しながら登場するが、キリストの言葉にあるように、その実で見分ける必要がある。彼等が何をしようとしているかを尋ねるのではなく、彼等が何をしているかを見出すのである。

そうすれば、茨から葡萄を、あざみからイチジクを採ろうとすることもないはずだ。

 

 

 神秘主義思想はヘルメス・トリスメギストス、つまりエジプトの知恵、学問の神トトに与えられたギリシャ語名に由来する。

この名の本来の意味は「3倍武装する」であり、他より多くの情報を持つ者はより大きな保護を受け取ることを意味している。フランセス・イェーッは、その著書『ジョルダーノ・ブルーノと神秘主義の伝統』に以下のように記している。

「宇宙の生気についての理論は魔術の基礎であり、錬金術は優秀さにおいて神秘主義と同等である。錬金術師の聖典とも言うべき、有名なエメラルド・タブレットはヘルメスによって刻まれたものとされている。」

 

 それ故、キリスト教指導者による撲滅努力にも拘わらず、中世にあっては様々な形の迷信、黒魔術が流布した錬金術師は卑金属を金に変えようと躍起になり、ヨーロッパ中で神秘主義という新たな弁証法、つまりカバラ思想が大きな力を持つようになった。カバラとはずばり、伝統を意味する。それは『ゾハール書』として明確な形をとったが、同書は紀元1280年、ユダヤ神秘主義モーセス・ベン・シュムトーブ・デ・レオンによって、基本法に関する註解書「ミドラシュ」として記された。

 

 伝説によれば、神がモーセに掟を与えた時、その掟の秘密の意味に関する第二の啓示も同時に与えたとされている。この秘密の意味は、何世紀もの間、書き記してはならないとされてきたから、参入者の選ばれた一団に口伝するという形で残されていた。

「秘密の意味」は「秘教」カルトの基本である。神智学も秘密の意味に基づいていて、その教義はカバラ思想から直接採用されている。

とはいえ、アメリカのカルトに関して最も広く読まれている研究書『カルトの王国』ウォルター・マーティン著の神智学の章にもカバラ思想のことは一切言及されていない。

 

 

 

 

 ⑨メディチ家の支援によって燗熟した新プラトン哲学

 

 

 『ゾハール書』は、10のセフィロト(神性からの流出)と神の名を構成する22文字のヘブライ語アルファベットを基盤とする神智学的体系として記されている。

1492年、ユダヤ人がスペイン期から追放されたことで、カバラ思想の導師がヨーロッパ中に散り、その教義がルネサンス期の主流哲学、新プラトン学派を生み出した。

その新プラトン主義が更に、その他の哲学の発展の源となって、宗教改革啓蒙主義運動、革命の時代を直接導き出した。

 

 

 『ゾハール書』は、この世の悪魔は、人間と魔性なる者との間の性的交わりに由来し、よく知られているリリスのような悪魔もそのようにして誕生したとするタルムードの伝説を力説している。それ故、悪魔儀式では常に性行為が重要視される。

★新プラトン学派の徒が大きな非難を浴びたのは、その師と弟子が同性愛行為を行うことを広く知られたためだった。プラトンも当然可愛い幼い弟子と同性愛の関係をもっていました。この時代は珍しいことではなかったようです。)

 

 

 新プラトン主義は神秘主義の著作をカバラ思想を背景にまとめられたグノーシス主義と結び付け、内なる光明(ドイツのイルミナティの発展を生じさせる直接の誘因となった教え)、忘我の状態及び秘教思想と合理主義思想の関連を強調した。

神秘的体験による「自我の解放」は信奉者を惹きつけて離さず、この鉄飽く体系はほどなくルネサンスをヨーロッパにおける主流文化勢力にした。

 

 

 新プラトン主義はピコ・デラ・ミランドラの学説の中で結実した。それによれば、魂は天界内に明確な親和力を持ち、その実体は火の天空の上部に存在する4元素から成る同心球層一帯に記されると唱えられた。

プラトンの場合のように、この一派の思想も支配層を引きつける力をもっていたらしく、実際それはやがて利用された。

ルネサンス期に最高権力を有した銀行家であり、イタリアの「黒い貴族」ゲルフの長コジモ・デ・メディチは15世紀、フィレンツェにアカデミア・プラトニカを設立するための資金を提供した。こうした経済的、政治的支援を得た新プラトン主義は急速に認知され、1486年には、ピコ・デ・ミランドラが新たな思想に関する900の論文(うち72の論文が概念的には紛れもなくカバラ思想だった)をアカデミア・プラトニカに提出した。

 

 

……人間が中心に置かれる宇宙を強調することで、彼はまた、実存主義という20世紀の哲学を予感させたともされる。

また、ヨハン・ロイヒリンはクリスチャン・カバラ」、つまりカバラ思想のキリスト教的解釈を発展させたことで有名となったが、アカデミア・プラト二カにおいてデラ・ミランドラの後継者となり、新プラトン主義の教義を広めた代表的人物でもある。