tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

シュメール文明や世界の歴史年代表と聖書の年代表の差 4.

1. 「世界は初め一つの言語だった。」

 

 

 シュメール言語の出自については謎だと言われているのですが、聖書の説明からすると、シュメール、メソポタミア一体を強力に支配下に置いた最初の人物としては、この二ムロド以外いないので、シュメール語自体は二ムロドに関係している語源になるかと思うのですが、洪水後の人類の始まりは、ノアの子孫達であるので、当然聖書の説明にあるように「世界は初め一つの言語だった。」というのは当たり前の話になります。

それと、「文字」についても、

ヨベル書』第4章で、エノクが人として初めて文字を書いたとしています。

 

 『ヨベル書』第4章

 

「地上に生をうけた人類の中で、ものを書く技術と知識と知恵を学んだのは彼をもってこう矢とする。彼は天のしるしをその月の順序にしたがって本に書きしるし、人類が一年の季節をそれぞれの月の順序にしたがって知ることが出来るようにした。…」

 

と書かれているので、ノアの生まれる以前から「文字」は存在していたことになりま す。

 

(※但し、シュメール人は魔術や占星術を盛んに行っていたことが伺えるので、堕天使や悪霊達と霊的な交信をしていたことが予想されます。何しろ二ムロドはサタン信仰の祖と言われていますから、シュメール人が発明した文字の「楔形文字」が、エノクが書いていた文字、つまり、後の子孫であるノアが書いていた文字とは違うものかもしれません。以下のエノク書には次のように書かれています。

 

 『エノク書』第69章

 

「1番目の者の名は、ィェクンと言い、すべての聖なるみ使い達を迷わせ、乾いた大地に連れ降し、人の娘等によって迷わせた者である。2番目は名をアスべエルと言い、聖なるみ使い達の子等に悪知恵を授け、人の娘等達の間で身を滅ぼすように迷わせた者である。…4番目はペネムと言い、この者は人の子等に苦みと甘みを見せ、また彼等の知恵の秘密をことごとく見せた。この者はまた墨と紙でものを書くことを人間に教え、それがために、永久に道を踏み外す者が多数にのぼり、今日に及んでいる。……」

 

 

 

 ともあれ、その一つだった文字と言語が別れるようになったのは、「バベルの塔」の事件からになるので、この時期が一体いつ頃に起きたのかを調べてみました。

 

 

 

 まず世界年代表のシュメール語の消失した年代は調べると、BC1830年でした。

この時代ではシュメール語は死語となっていたようです。

「シュメール」という呼称も実はアッカド語で、シュメール人は自分の国を「※キエンギ」と呼んでいました。

(※「キ」は大地、「エン」は主人という意味を表し、「ギ」は「葦」の絵文字から発達した楔形文字の意味は文明を表す「ギ(-ル)」とする説もあります。)

 

 しかし、この時代にまでになると、メソポタミア周辺の言語はセム語やハム語、アッカド語など、出て来ていますし、様々な民族も現れています。

ウイキペディアの説明でも、シュメール語の死語化については、軍事征服による虐殺や言語の強制化といった兆候は発見されていない。シュメール都市への移住者が速やかにシュメール化されたが、ある時期から比較的短期間にセム語系民族が大量に流入し、(別調べ:BC1894ー1595にセム語化する)

シュメール人が逆に吸収されたものと推測されている。と書かれています。

 

 シュメール人と古くから共存してきたアッカド人はというと、セム系語族で、アッカド語シュメール人が歴史舞台から姿を消した後も、アッカド語バビロニアから北方のアッシリアまで方言として拡散され、BC600年に新バビロニア帝国がアケメネス朝ペルシャに敗北するまで、丁度現代の英語のように国際語の一つとして通用していたと言います。

 

 ということで、語源の多様化から考えると、少なくとも、世界年代表においては、アッカド王朝が始まるBC 2334以前に「バベルの塔」が破壊されていないと成立しない話になります。

 

(また、元々、メソポタミア、シュメール地域にはセムやハムの一族が入り乱れて住んでいましたし、その近くにャぺテの一族もいました。これは、ノアがそれぞれにくじで与えた土地に住むように言い伝えていたのにも拘わらず、ハムの一族がそれを違反し、勝手に移り住むようになったためのようです。) 

 

 

 

 

2.「バベルの塔」が破壊された年代について

 

 

 前回は、セムから3代目に当たるシェラが生まれたのをBC2310年と仮定しましたが、他のキリスト教の年代表を見つけたので、それによればシェラの誕生はBC2333年生まれだったことが判りました。

残念ながら、二ムロドの誕生年は分かりませんでしたが、二ムロドはハムの6人の息子の並べ順から見ると最後なので、私が勝手に推察したBC2322年だとすれば、つまりシェラよりは11歳年下になります。

それほど予想年齢と違ってなかったのかな?などと思いつつ、勝手な推察年齢ですのでそこはあしからず。

 

 シェラの孫であるぺルグはBC2269年に生まれました。

 

ヨベル書』によると、「バベルの塔」は43年間かかって完成しているとなっているので、ぺルグが結婚して子供を授かった年齢は30歳なので、この時代に「バベルの塔」の事件が起きたことになります.

その根拠は、『ヨベル書』第10章に次のようにあるからです。

 

 

 ヨベル書』第10章

 

「第33ヨベルの第2年週の第1年にペルグは妻を迎えたが、その名はロムナと言い、シナル(※シュメール)の娘であった。彼女はその年週の第4年に彼に男児を産み、彼はその名をリウと呼んだ。

 

 彼(神)は言ったものである。

「見よ、人の子等はシナルの地に自分達の都市と塔を建てようというそのふとどきなはかりごとの故に邪悪になった。」

 

 彼等はアララテの地を去って東の方シナルへ移った。彼の時代に彼等は「これをつたって天に登ろう」と言って塔のある都市を建てた。こうして彼等は建設にかかった……

 43年間かかって建てた。

 

 我々の神、主は我々に言われた。

「見よ、一つの民、彼等が一旦ことを起こしたからには彼等に不可能ということは一つとてない。さて、降りて行って彼等の言語をかき乱し、互いに話が通じないようにしてやるか。また、各地の都市や民族の間に散らばらせて、裁きの日まで意図の一致をみることないようにしてやろう。」

 

 そこで主は彼等の言語を何もかもかき乱されたので、彼等は互いに話が通じなくなり、都市と塔の建設を中止した。この故に、神がここで人の子等のすべての言語をかき乱されたことから、シナルの全土は「バベル」と名付けられた。

また、そこから彼等は各々その言語、民族にしたがって彼等のすべての都市に分散していった。…

 第34ヨベルの第4年週の第1年のはじめに彼等はシナルの地から分散していった。

 

 

 

 

 つまり『ヨベル書』を参考に計算すると、ぺルグが74歳で、子供のリウが43歳の時に「バベルの塔」が建設されたことになります。そして、完全に完成に至る前に、神の怒りにあい、「バベルの塔」は崩壊しました。そこから、人類の言語はばらばらになり、各地に分散していったのです。そして、その年は第34ヨベルとあるので、計算してみると、約20年間かけて分散したことになります。

 

 ヨベル年数と、現代の共通した聖書年代グラフとはまた年代数が違っているのですが、ヨベル年数の期間部分を現代の聖書年代に合わせてみますと、BC2239年、ぺルグ30歳で計算して、「バベルの塔」の建設43年を足すとBC2196になります。

つまり、この時期に神が天より地上に降りて来て、崩壊させたということになります。

そこから、約20年間の間に、BC2176頃にばらばらになり各地に分散していったということになるようです。

 

 

 

 

3.ノアの洪水から「バベルの塔」までは何年? 

 

 

 次に、私の勝手な推察の年齢を充てると、この時二ムロドの年齢は「バベルの塔」を建て始めた年が推測の83歳で、43年後の126歳で神の怒りに遭って塔を崩壊させられたことになります。126歳というと、この時代の寿命は400年ほどありましたから、まだまだ青年期と言っていいのかもしれません。ジャスト400歳で亡くなったとしても、その後274年も生きていたことになるからです。

 

 ちなみに、シェラは433歳、BC1900年で亡くなっています。二ムロドがシェラの死亡した時期よりも早いか遅いかはわかりませんが、BC1900年代であるなら、世界年代表の古代バビロニア時代のBC2000年~1600年に入る時期となります。

 

 また、二ムロドは、死んだ後にも、その名が伝説的に語り継がれ、後には神格化されて、バビロンの守護神メロダク(マルドゥク)として崇められています。

ハムラビ王のBC 2000年頃には世界最高の神として祀られているのです。

 

 

 ここで、どういうわけか、この辺りは聖書の年代に近づいているような?

やはりシュメール紀元8000年~初期王朝時代の年代がかなり水増しされている??としか個人的には思えないですね。古代ほど歴史事実を変えて伝えてもバレないというか、操作しやすいでしょうから……。

(巨人の骨や恐竜の骨の年代測定も詐欺られていますから。これも最近バレてきています。)

 

 なにせ支配層の目的(世の教科書を作った連中)は、聖書記述、特に「旧約聖書」を単なるおとぎ話や神話として扱うようにしたいのです。それは、彼等の大好きな「ギリシャ神話」と同等のようにしたいのかもしれません。

(実に支配者層の多くのエリート達は「ギリシャ神話」にこだわりをもっているのです。)

そのくせ、二ムロドを英雄として二ムロドの神話『ギルガメシュ叙事詩』こそが、年代数として世界最古なのだから、後からモーセが書いた「洪水伝説」は「モーセがマネしたのだ」ということにしているのです。

最近は特にあちら側に付いた学者や専門家を使い、こうしたことをやたらと強調して宣伝し続けています。

これは、いわゆる洗脳(刷り込み)です。

「嘘は100回つけば本物になる」という、悪魔理論をやっているのです。

 

 

 

 少し話がそれましたが、ともかくこうして調べてみてみると、

BC2370年に「大洪水」が起きてから、「バベルの塔」の崩壊まで(あくまでも個人調べですが)174年しか経っていないことが判明しました。

これは聖書記述の歴史的事実としては、実にしっくりくる年代数だと改めて感じた次第です。