tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』6

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第22章

 

 

 そこから私は別な所へ行ったが、彼は、西方に大きな、高い、堅い岩から成る山を見せた。その中に、深くて、幅が広く、平坦な窪地、4つの場所があった。あまり滑らかで、ころころ転がりそうだった。覗くには深く、暗かった。

 

その時、私についていた聖なるみ使いの一人ラファエルが、私に向かって口を切った。

「この窪地は、霊魂、死者の魂が集まってくるようにと、彼等のために造られたのです。全ての人間の魂はここに戻ってきます。これは、彼等を住まわせるためにしつらえられた場所であり、彼等の裁きの日まで、彼等に定められた時まで、そこに留まる。定められた時は、彼等の大いなる裁きの日、遠い先のことである。」

 

 私は死んだ人の子等の霊魂を見た。彼等の声は天に達して、告発していた。その時私は、私についていたみ使いラファエルに尋ねた。

「こんなに天に向かってその声を発し、告発し続けているこの魂は誰のものなのですか。」

 

彼は私に答えて言った。

「この魂は兄のカインに殺害されたアベルから出ているものです。彼は彼の兄の子孫が地の面から滅び、彼の子孫が人間の子孫の中から姿を消すまで告発し続けているのです。」

 

 

そこで、私はその時、彼のついて、また全ての者の裁きについて尋ねてみた。

「なぜこれらの窪地は、一つ一つ区切ってあるのですか。」

 

彼は私に答えて言った。

「この3つの区切り、窪地は死者の霊魂をより分けるもので、同様に、義人の魂も別にしてあり、これはその上に光がきらきらする水の泉である。」

 

 同様に、罪人が死んで地中に埋められる時のために、区切りが出来てている。彼等は在世中に裁きに合わなかった。ここに、この大きな悲痛の中に、彼等の魂は別にして隔てられ、大いなる裁きと刑罰の日を迎える。

 

呪いを発する者には悲痛が永遠に降りかかり、彼等の魂には復讐が降りかかる。彼は彼等をここに永遠に繋いでおかれるだろう。もしそれが永遠の昔からだったとしたら、同様に、告発している者、罪人の時代に殺されたような場合、その殺害について証拠を見せようという人のためにも仕切りが出来ている。

 

同様にして、義人ではなく、罪人であった者、悪行をさんざんに働いた者の魂にも仕切りが造られている。彼等は悪党どもと一緒に、悪党並な扱いを受けるであろう。裁きの日に殺される事もなく、ここから連れ出してももらえない。

 

 その時私は栄光の主を褒めたたえて言った。

「我が主、栄光と義の主はほむべきかな。全てを永久に治めたもうお方。」

 

 

 

 

 第23章

 

 

 そこから私はまた進んで、西の方のある地点まで、地の果てにまで達した。私は、燃え盛る、また休みもなく駆けめぐる火を見た。それは夜昼をわかたず走り続けて止まなかった。

私は「休むことを知らないこのものは一体何なのだろう。」と問うてみた。

 

この時、私についていた聖なるみ使いの一人、ラグエルが答えて言った。

「あなたが西の方に見た燃え盛りながら駆けめぐる火、これは天の全ての発光体です。」

 

 

 

 第24章(省略)

 

 

 

 第25章

 

 

 彼は私に言った。

「エノクよ、なぜこの木の香りのことを私に尋ね、また見極めようとするのか。」

 

その時私エノクは彼に答えて言った。

「全てのことについて知りたいのです。なかんずくこの木について。」

 

彼は私に答えて言った。

「あなたが見た主の御座に似た頂上をもつあの高い山は、聖なる、大いなる栄光の主、永遠の王が、祝福をもって地を訪ねて降りて来られる時におかけになるはずの御座である。見事な香りのするこの木には、神が全ての者に復讐し、彼等が永遠に滅ぼされる大いなる裁きの時まで、それに触れることは肉なる者には許されていない。その裁きの時には、この木は義人とへりくだった者に与えられるであろう。その実から選ばれた者に生命(いのち)が与えられ、それは北の方、永遠の王なる主の住居の近くの聖なる場所に植えられるであろう。その時彼等は大いに喜び、聖所で狂喜し、骨の一つ一つにその香りを染みとおらせ、君の先祖達のように長生きし、彼等の生きている間、悲しみ、苦しみ、難儀、災難が彼等に触れることはない。」

 

私はその時、このようなものを義人に備え、このようなものを創造して彼等に授けると約束された永遠の王、栄光の主を褒め称えた。

 

 

 

 第26章(省略)

 

 

 

 第27章

 

 

 彼は私は言った。

「この一面に木の生い茂る祝福された土地と、その真ん中にある呪われた地は何のためなのですか。」

 

 

その時、私についていた聖なるみ使いの一人ウリエルが、私に答えて言った。

「この呪われた谷は、永遠に呪われた者のためのものである。神に対してけしからぬことを口にする者はことごとくここに集められ、また彼の栄光に対して聞くに堪えないことを言う者が集められ、ここが彼等の仕置き場になるのである。終わりの日に、彼等に対する正義の裁判は、義人達に対する永遠の見世物にされる。憐れみを被をった者は、栄光の主、永遠の王をここで褒め称えるであろう。また彼等の裁きの日には、憐れみによって彼等にその分を分かって下さったとして神を褒め称えるであろう。」

 

 

その時私も栄光の主を褒め称え、彼に語り掛け、その偉大さにふさわしく、神を褒めまつった。

 

 

 

第28~31章(省略)

 

 

 

 第32章

 

 

 私は山の向こう、その北東に見事な甘松、芳香樹、肉桂、胡椒のいっぱい生い茂る別な山々を見た。そこから私はこれらの山を越えてはるかに東の方へ進み、エリテリアの海の上を過ぎ、そこから遠く離れ、暗黒の上を過ぎた。

 

 義の園に辿り着いてみると、ありとあらゆる樹木、多くの巨木がそこに生えているのを目にした。その香りは素晴らしかった。ともかく見事な、堂々たる大木であった。

また、それの実を食べると大いなる知恵を知れるという木もあった。その知恵の木はいなご豆の木に似ており、その実は葡萄の房のようで、非常に美しく、その香りは遠くまで達する。

 

 私は思わず言った。

「この木はなんと見事で、その形はなんと美しく、魅力的なことよ。」

 

私についていた聖なるみ使いラファエルが私に答えて言った。

「これこそは君の先祖、老いたる父母がそれの実を食らい、知恵を知り、眼が開いて自分達が裸でいることを知って、園から追放されたあの木である。」

 

 

 

 

 第33章

 

 

 そこから私は進んで地の果てに達し、そこに大きな獣を見た。一匹一匹が互いに違っていた。また鳥もいたが、これもその形、美しさ、声が、一羽ごとに違っていた。

これらの獣の東の方に、そこで天が憩うところ、地の果てを見た。天の門は開いていた。

 

 空の星がどのようにして出てくるかを私は見、その出てくる門の数を数えた。

また、私についていたみ使いウリエルが示してくれるままに、全ての出口を一つ一つ、その星の数と名、連結の仕方および位置、時刻を月にしたがって記録した。彼は私に全てのことを示して書いてくれ、更にその名、その法則と実際の運動とを書いてくれた。

 

 

 

 第34章

 

 

 そこから私は北の方へ地の果てを進み、そこに、全地の果てにある大きな素晴らしい不思議を見た。そこに天の門が空に3つ開いているのを私は見た。

その一つ一つを北風が吹き抜けて出ていった。それが吹くと、寒さ、雹、霜、雪、露、雨になる。門一つから吹き出すときは、快い吹き加減であるが、他の2つの門からも同時に吹き出すときは、地上では難儀するほどに、激しく吹きまくるのである。

 

 

 

 

 第35・36章(省略)

 

 

 

 

◆補足文1.

エノクはみ使いの天使達、それぞれに案内されて引き続き霊界を探訪してゆきますが、前回までは、堕天使達とその子供である巨人達の(最期の審判後に)仕置きされる場所とその説明がされていましたが、次にエノクが案内されたところは人間達の死後の魂の行き場でした。

そして人間の魂が審判後にどのように仕分けされて、どうなるのかという説明が天使達によって明かされています。やはり、義人な者は天国へ、悪人は地獄のような場所へ送られるということになっています。

そして、この第22章で書かれているように、人間の魂は死後、死者の集まる場所に留め置かれていますが、定められた時までは裁かれないままの状態で置かれています。

それは悪人であっても同様のようです。しかし、仕切りで魂の判別が行われている通りに、最後の審判の時にはその人間の罪の罪状に見合った裁きが下ることになっているのです。罪人である、「彼等は在世中に裁きに合わなかった」と書かれているように、既にどんな赦しも神から得られないと決まった人間ほどこの世においては、罰が与えられないまま死んでゆくようになっているようです。生きているうちに(神からの懲らしめ)罰が与えられて改心する者は、まだチャンスがあると言えるのです。

 

 霊界の神の園、神の業の結集ともいえるその他の場所については、補足する必要はなく、文面通りの畏怖の念を起こさせるような素晴らしい場所ですよね。

そして、第32章において、あのエデンの園にあった「知恵の木の実」をエノクは見せられていますが、知恵の実の表現がいわゆるリンゴではなく、葡萄のような形をしていたのは意外でした。)

 

 

 

◆補足文2.

(ここ第22章の説明において更なる考察をしてほしいのですが、この章を読むと、人間は死後、人間界に生きている者達へ会いに来るという事が神から許されていないというか、出来ない状態でいるということも理解できるのです。

聖書全体を読んでいても、死後に人間の霊魂が家族に会いに来るという場面はありませんし、あらゆる文面からもそうした考えはサタン側から生まれたものであるということが研究すると分かってきます。ところが、ここらへんは、世の宗教界は間違って教えています。もちろん、世の宗教界はほぼサタンの宗教となっていますから当たり前です。はい、つまり、この世に彷徨う霊はどれも人間の霊魂ではないのです。

私はこのことをアメーバブログの時でも何度も話しているのですが、全て堕天使達と巨人の霊、悪霊達だということです。これはキリスト教を信奉している者達においても、かなり間違った者が多いので困ったものです。そして当然ですが、世のスピリチュアリーな方々も全て間違っているのです。)