tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』11

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第63・64章(略)

 

 

 

 第64章

 

 

 その頃、ノアは地がへこんで、その滅亡が近くなったのを見た。

彼は足を上げて、そこから大地の果てまで行き、祖父エノクに三度、

「聞いてください。聞いてください。聞いてください。」

と苦しそうな声で呼びかけた。

 

 彼、エノクは言った。

「これ、私に言うがよい。地の上で何事が起こっているのだ。大地はこんなに喘ぎ、揺れ動いているではないか。まさか、わしまで巻き添えくっておさらばじゃあるまいな。」

 

 その後、もの凄い地震があり、続いて天から声が聞こえ、私は地面にひれ伏した。

私の祖父エノクが来て私の傍らに立ち、

「どうしてあんな苦しそうな泣き声を出して私を呼んだのだ。」

と私に語りかけた。

 

 

 「乾いた大地に住む全ての者に対して、これが彼等の最期だ、という命令が主のところから下った。それは、彼等のみ使い達の一切の秘密、サタン共の一切の不法、彼等の秘密の力の一切、魔術を行う者達全ての力、悪魔祓いの全ての力、全地の鋳造の偶像を造る者全ての力を知ったからである。

また、銀がどのようにして地の塵からでき、軟金属はどのようにして地上に生成するのかも知った。鉛と錫(すず)は前者、銀のようにして地からできるのではなく、それらを生み出すのは泉であり、その中に立つみ使いである。このみ使いは最も際っている。」

 

 それから祖父エノクは私を手でつかんで立たせて言った。

「行くがよい。この地震については霊魂の主にお尋ねしたからな。彼は私に仰せられた。

彼等の不法故に彼等の裁きは終わった。彼等が魔術師を探し求め、地が、そこに住む者と共に滅亡することを聞き出してきたゆえに、刑の執行はもはや差し止めることは出来ない。』

隠されてあったことを見せられ、裁かれた彼等には、永久に悔い改めの可能性はない。しかし、我が子たるお前だけは別で、霊魂の主は、お前が潔(きよ)く、秘密についてのこの咎を免れていることをよくご存じであられる。彼はお前の名を聖人達の間に確立し、乾いた大地に住む者の中からお前だけを生き残らせ、お前の種、末裔を義をもって王位及び大いなる栄光の地位に定め、お前の末裔から無数の義人達と聖人達が泉が永久に湧き出るように定められた。」

 

 

 

 

 第66章

 

 

 この後、彼エノクは懲罰のみ使い達を私に見せてくれた。

彼等は、乾いた大地に留まり、住むところ全ての者の裁きと滅亡となるであろう地下水全ての力を解き放つべく到来する準備が出来ていた。霊魂の主は、繰り出しかけていたみ使い達に、手を上げず、暫く様子を伺うように命じられた。

このみ使い達は水力を司っていた。私はエノクの所を辞した。

 

 

 

 

 第67章

 

 

 その頃、主のお告げが私にあって、彼は言われた。

「ノアよ、見よ、君の分の※くじがわたしの所にのぼってきた。傷のない、愛と公正の

くじ。今み使い達が木で何かこしらえている。彼等がその仕事を終えたら、わたしは手でその木製のものにかけて、これを守り、それから生命の種が生ずるようにしよう。

乾いた大地は、空っぽになってしまわないように。ある変化を経るであろう。わたしは君の子孫をわたしの前に永久に固うし、君と共に住む者達を乾いた大地の面に散らし、彼等は地上で、主の名によって祝福され、子孫の数が増えることであろう。」

 

 彼等は不法を見せたあのみ使い達を、燃え盛るあの谷、以前祖父エノクが私に見せた西のかた、金銀、鉄と軟金属と錫の山の所に閉じ込めておくであろう。その谷を見ると、それは激しく震動し、水が波立っていた。

これらのことがことごとく成された時、あの炎をあげる軟金属とあの震動から、その場所に硫黄の臭いが生じ、これはあの水と混合して、人を迷わせたみ使い達の谷は、その地の下で燃え出した。その谷から火の河が流れ出し、そこで乾いた大地の住人達を惑わしたあのみ使い達は裁かれる。その時、その洪水は王者達と権威家達と貴人達、及び乾いた大地の住人達にとって肉体の癒しとなるが、霊にとっては裁きとなるだろう。

彼等の霊は欲情に溢れ、その肉体を裁かれるであろう。

 

 霊魂の主を拒んだ故に。彼等は自分達の裁きを日に日に見せつけられながら、尚も彼の名を信じることをしない。彼等の身体が燃えれば燃えるほど、それに応じた変化が彼等の霊に永久に生じる。霊魂の主の前では、無意味な言葉が語られることはないのである。

 

 自分の肉体の欲情に信頼を置き、主の霊を拒んだ故に、彼等には裁きが望むのである。その水だが、その時にはこれも変化する。み使い達が裁かれるその時、その水の泉の温度が変わる。み使い達が地下の火の水から上がれば、泉の水は変化して冷える。

 

 私は聖ミカエルが答えて言うのを聞いた。

「み使い達に下されるこの裁きは、王者達、権威家達、及び乾いた大地を治める者達に対する証言である。」

 

 この裁きの水は王達の肉体の癒しと彼等の肉体の欲情のためのものであるが、彼等は、この水が変じて、永久に燃え続ける火となることを見ようとも、信じようともしない。

 

 

 

◆補足文

※くじに関する深い考察。

「くじ」というと「おみくじ」が連想され、占いの一種であるという見方が一般的です。占術は堕天使から人間に教えられた邪悪なものですから、この場合のくじは当然意味が違っています。

ヨベル書・第8章においても、ノアが自分の子等に彼の相続分として土地を分割するにあたって「くじ」を用いています。この「くじ」の本来の意味は原語の意味からして「分け前」や「分」という意味を示しており、占いとは関係ないものなのです。土地の分配に関してヨシュア14:2に『9部族半のためにヤハウェモーセを通して命じた通り、土地はくじによって分配された。』とあります

 

 では、いつから、「くじ」が占術と変わったのでしょうか。調べてみると、日本の場合、平安時代天台宗の僧侶・元三大̪師(元三慈恵大師良源上人 912年~985年)が観音菩薩より(お告げ)霊訓を受け取り、五言四句の偈文(げぶん)100枚の内の1枚を引かせて、偈文から進むべき道を訓えたのが源型とされています。良源は「厄除け大師」ともあだ名されていたようです。

観音菩薩はインドの女神の由来、又、ゾロアスター教のアフラ・マスダーの娘、アナ―・タヒなどと関連付けられています。これらはサタン宗教ですから、そこからヤハウェのものであった「くじ」を占術として変えてしまったということになります。ノアの時代においてもくじを引く時はヤハウェに祈って行っていたようですから、そこから偶像崇拝のサタン宗教もマネをして「おみくじ」として悪魔の神々に祈らせ引かせるという形にしたということですね。)

 

 

 

 

 第68章

 

 その後、私の祖父エノクは、本の形で、全ての奥義の解釈と彼が授かったところの譬えを私に伝授してくれ、私のためにそれを「譬えの書」の言葉の中に挿入してくれた。

 その日、聖ミカエルはラファエルに答えて言った。

「霊の力は私をさらい、苛立たせる。奥義に関する裁き、即ちみ使い達の裁きと厳しさ、執行された後にまで影響が残るその裁きの厳しさに、一体誰が骨身をやせ細らせずに堪えることができようか。」

 

 聖ミカエルはまたラファエルに答えて言った。

「これを聞いて胸の痛まない者、はらわたの煮えくり返らない者があろうか。彼等をこのように法廷に引き出した者の口から裁きの宣告が彼に対して発せられた。」

 

 聖ミカエルは、霊魂の主の前に立つと、次のようにラファエルに言った。

「私は主の目の前で彼等に味方はしない。✱霊魂の主は、彼等が主のような振舞をしたことを憤っておられるのだ。それ故、これまで隠されていた裁きが永久に彼等の上に下るであろう。み使いも人間も彼等の分に預かることはなく、彼等だけが独りその裁きを永久に受けるのである。」

 

 

 

 

 

◆補足文(✱霊魂の主は、彼等が主のような振舞をした事を憤っておられるというのは、堕天使や悪霊共が神でもないのに、神に成りすまして神のような振舞を人間達の前で行い続けている事を意味しています。それは、現在にまでいたって変わっていません。