tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』10

旧約偽典『エノク書

 

 

 

 第57~59章(略)

 

 

 第60章

 

 

 エノクの生涯の第500年7月、その月の14日。あの譬えの中で私は天の天がどんなに激しく震え、至高者の軍勢、幾千、幾万の天使たちがどんなにはげしく動揺したかを見た。その時私は、高齢の頭がその栄光の座に坐り、み使い達と義人達がまわりに立っているのを見た。

 

 ひどいおののきが私を襲い、恐怖が私を捉え、腰は萎えて立たず、身体中がとろけて、へなへなと前にのめった。聖ミカエルがもう一人の聖なるみ使い、聖なるみ使い達の中の一人を遣わして、私を立たせてくれた。このみ使いが私を立ちあがらせてくれると、私は元気を取り戻した。その軍勢とあの鳴動、天の激動は私が見るに堪えられなかった。

 

 聖ミカエルが私に言った。

「こんな幻のせいでぶるぶる震えているのか。今日までは彼の憐れみの時だった。彼は乾いた大地に住まう者達に対して憐れみ深く、怒るに遅い方である。

霊魂の主が、正義の裁きを重んじない者、正義の裁きを否定する者、彼の名をいたずらに唱える者に対して備えられたところの日と力と刑罰と裁きとがやって来る時、その日は既に整えられた。

 

 選民には裁判の席での弁護、罪人達には詰問。

その日、2匹の怪獣は分かれ、✽レヴィヤタンという名の雌の怪獣は海のどん底、水の源の上に住み、名を✱ベへモットという雄は胸で眼に見えない荒野を掴んでいる。その名はデダインと称し、霊魂の主が造られた人間の最初のアダムから7代目にわたる私の曾祖父(エノク)がさらわれていった、選民と義人達とが住む園の東にある。」

 

 私はあの別のみ使いにこの怪獣の力がどういうふうにして一日で分かれ、一方は海のどん底に、他方は乾燥した荒野に投げ出されたのかを示してくれるよう頼んだ。

彼は私に言った。

「君は人の子でありながら、隠されたことをここで知りたがる。」

 

 同行のもう一人のみ使いで、隠されたこと、はじめのことと、終わりのこと、天上にあることと、地上の深みにあること、天の果てにあることと天の基にあること、風の倉にあることを見せてくれた者が以下のことを私に語った。

 

 どのようにして風は分かれて、量られるのか、風の源は風力に関して、月の光力に関してどのように測られるのか。

義の力はどうなのか、星の一つ一つの名前に応じた分割、それぞれの部分がどう分割されるのか、雷鳴をそれぞれ落雷地点に応じて。また稲妻が光るように稲妻の中に設けられる全ての区分、またそれらが直ちに聞き従うようにと準備されているその一隊。

 

 雷鳴には休憩所があって、その音を出すのを待つようになっている。雷鳴と稲妻は不離不足の関係にあり、一体ではないにも関わらず、霊によって両者一緒に進み、別れない。稲妻が光ると雷鳴が轟き、霊はその時は休み、二者の間を等分に区分する。

雷鳴の倉は砂で出来ていて、その一つ一つがその鳴る時、手綱で押さえられていて、霊の力によって向きを変えさせられたり、地の数ある区域へあちこちと追いやられる。

 

 海の霊は男性的で力強く、力任せにその手綱で海を引き戻し、また同様に、海は地上のあらゆる山々へ送り出されたり、散らされたりする。霜の霊はそれ自身のみ使いであり、雹の霊は善いみ使いである。それは雪の霊をその力故に見放し、それ独自の霊を持っている。それから昇ってくるものは煙のようで、名を霜という。

 

 霧の霊は彼等と倉の中で一つにならず、それだけの倉を持っている。その径は輝き、光、闇、冬、及び夏の中にあり、その倉は光であり、それ、霊がそのみ使いである。

露の霊は天の果てに住居があり、雨の倉にへばりついていて、その径は冬と夏にあり、その雲と霧の雲は結び合わさっていて、互いにやりとりをしている。

 

 雨の霊がその倉からたたき起こされると、み使い達がやって来て、倉を空けてやる。乾いた大地の全面にまき散らされ、全ての時に乾いた大地の上にある水と一つになるときも同様である。

水は乾いた大地の上に住む者達のためのもので、天の至高者が乾いた大地に賜う滋養である。それ故、雨には秤があり、み使い達がそれを引き受ける。私はこれらすべてのものが義人達の園まで続いているのを見た。

 

 私についていた平和のみ使いが私に言った。

この2匹の怪獣は神の大きさに従って備えられ、神の刑罰が無駄にならないように飼育されている。息子等は母親と、子供等は父親と共に殺められるであろう。霊魂の主の刑罰が彼等の上に留まる時、それは、霊魂の主の刑罰が彼等にいたずらに加えられないように留まるのである。その後、彼の裁きが憐れみと忍耐をもって行われるであろう。」

 

 

 

◆補足文

✽レヴィヤタン……ヨブ記41:1に神とヨブの会話から「あなたは釣り針でレヴィヤタンを引き出すことができるか。また、綱でその舌を押さえつけることが出来るか。」

イザヤ27:1「その日、神はその堅く、大きく、強い剣を持って、滑るように動く蛇レヴィヤタンに、曲がった蛇レヴィヤタンに注意を向け、海の中にいるその海の巨獣を必ず殺されるであろう。」、詩編74:14「あなたご自身がレヴィヤタンの頭を打ち砕かれました。」、104:24~「神よ、あなたの御業は何と多いのでしょう。あなたはこれほど大きく、広いこの海、そこには無数の動くものがいます。生き物が、小さいものも大きいものも。そこを船が通ります。レヴィヤタンについては、あなたはこれをその中で戯れるように形造られました。」

と幾つか記述されています。

 

ベヘモット……ヨブ記40:15「さあ、見よ、わたしがあなたと同様に造ったベへモットがいる。これは青草を雄牛のように食べる。さあ、見よ、その力はその腰にあり、その活動力はその腹の腱にある。これはその尾を杉のように垂れる。その股の筋は絡み合っている。その骨は銅の管であり、その強い骨は打って造った鉄の棒のようである。

というように記述されています。

 

 共に、ウイキペディアの説明によれば、神が天地創造の5日目に造り出した存在で、この2つの怪獣はジズというもう一つの怪獣を合わせると3頭一対を成すとされています。しかし、ジズはユダヤの伝説に登場する架空の怪物、怪獣で、旧約聖書には登場してきません。(神が天地創造でこのレヴィヤタンとベへモットを創造されたのは正しい解釈です。)ユダヤの伝説によれば、レヴィヤタンが海でベへモットが陸の怪獣なので、ジズは空の怪獣であるという設定のようです。

ジズは巨大な鳥で、大地に立った時、その頭は天にまで届き、翼を広げると太陽を覆い隠すという。世界の終末には、この3体の怪獣は食べ物として終末を生き残った選民達に供給されることになっているらしい。いずれにしても、このジズは中世ゾロアスター教の影響で3頭1対などという組み合わせを考えられたようなので、この辺りは却下するべきでしょう。)

 

 

 

 第61章

 

 

 その頃、あのみ使い達が長い紐を与えられ、翼をつけて、北の方へ飛んで行くのを見た。私はみ使いに問うてみた。

「なぜあの者達は長い紐を掴んで行ったのですか。」

 

 彼は私に言った。

「測量に行ったのである。」

 

 同行のみ使いが私に言った。

「彼等は義人達の秤、義人達の綱を持ってきて、義人達が霊魂の主の名に永遠にすがれるようにするのである。選民達は選民と共に住み始めるであろう。これが信仰に与えられて義の言葉を強めるところの秤である。

これらの秤は地の深みに隠された全てのもの、荒野によって滅ぼされたもの、海や魚や獣に飲み込まれたものをあらわにするであろう。彼等が戻ってきて選ばれた者、メシアの日により頼むためである。霊魂の主の前で滅びる者はないし、滅びることのできる者はないのだから。

 

 天上にある全ての者は命令を受けた。同じ一つの力、一つの言葉、火に似た一つの光が彼等に与えられた。まず何よりも、彼を褒め称え、崇め、知恵をもって賛美する。

彼等の言葉にも、生命の霊にも知恵が表れている。

 

 霊魂の主はその栄光の座に選ばれた者、メシアを坐らせ、メシアは天上の聖人達のすべての行いを裁き、彼等の行為を秤で測る。彼が、霊魂の主の名の言葉によって彼等の道を、また至高者なる神の義の裁きの道によって彼等の行状を裁こうと顔を上げられるや、彼等はみな声を一つにして語りだし、彼を褒め称え、賛美し、崇め、霊魂の主の名を寿ぐであろう。

 

 彼は天の全軍勢、上なる全ての聖者達、神のぐんぜい、ケルビム、セラピム、オパ二ムに呼びかけられる。すべての力のみ使い、すべての権威のみ使い、選ばれた者、乾いた大地の上、水の上にある別な軍勢、これらすべてがその日には、一体になって声をあげ、褒め称え、賛美し、寿ぎ、信仰の霊により、知恵と忍耐の霊により、憐れみの霊により、裁きと平安の霊により、善の霊によって崇め、彼等すべてが声を一つにして、

「彼こそはほむべき、霊魂の主のみ名は永遠に、永遠までに褒めてしかるべし。」と言うであろう。

 

 全て上なる天にあって眠ることをせぬ者達は彼を褒め称える。また、天にある全ての聖者達は彼を褒め称える。命の園に住む全ての選民、あなたの聖なるみ使いの名を褒め称え、賛美し、崇め、潔めることの出来るすべての光の霊、あなたのみ名をとこしなえに力一杯賛美し、褒め称えるところのすべて肉なる者も、これに加わる。

 

 霊魂の主の憐れみは豊かで、怒ることに遅く、すべてのその業、すべての力を、即ち彼の創られたものすべてを、義人達、選民達に霊魂の主の名によって啓示された。

 

 

◆補足文

ケルビム……智天使(ちてんし)

天使の階級では上から2番目の位階。

「炎の剣=稲妻」を武器にエデンの園の東門を護衛しているとされる。

ヘブライ語で「知識・仲裁する者」を語源とする。神に仕え記録係を担っている。彼等は太陽・月・星のエネルギーを持っていて、その運行を司っているという。

また、「神の聖なる計画」を実行するために、どんなことを遂行するか考え出す役割をもっている。

 

ケルビムの姿はエゼキエル20:21によると、4つの顔を持ち、4つの翼を持っていて、その顔は人間のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔を持っているとされています。そしてケルビムの全身においては、背中、両手、翼、そして彼の傍らにある車輪にもすべてには一面の目がつけられています。この目は知恵の象徴と言われています。また、翼の下には人の手のようなものもあります。

 

セラピム……熾天使(してんし)

天使の階級では最上位の位階。

創造主に最も近くに存在する天使。ヘブライ語で「燃える」を語源とする。

神の炎・愛と純粋な光と思考をもつ天使。

 

イザヤ6:2には、6枚の翼を持ち、2つで顔を覆い、2つで足を覆い、2つで飛び回るとされています。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える)天使と言われています。

 

オパニム……座天使(ざてんし)

天使の階級では第3位の位階。

名前は「玉座・車輪」の意。神の玉座を運ぶ天使。

神の意志を天使達に示す「意思の支配者」でもある。

オパニムも燃える天使、車輪の姿で描かれるようです。   )

 

 

 

 

 

 第62章

 

 

 主は王者達、権勢家達、貴人達、及び地に住まう者達に次のように言って命じられた。

 「眼を開き、選ばれた者をこれと見定めうるかどうか、角をあげてみよ。」

 

 霊魂の主はその栄光の座に彼を坐らせられ、義の霊がその上に注がれ、彼の口の言葉はすべての罪人、不法の者を殺し、彼等は彼の前から滅び去ってゆく。

その日、すべての王者達、権勢家達、貴人達、乾いた大地を支配する者達は彼の前に立たされ、彼がその栄光の座に坐り、義人達が正義をもって彼から裁かれ、彼の前で無意味な言葉は語られないのを見て彼を知るであろう。

 

 胎児が胎の入口に差し掛かって産み出すのに難儀する陣痛中の女のように、彼等の上に苦しみが襲い掛かるであろう。彼等は互いに顔を見合わせ、恐怖し、色を失い、その女の子が栄光の座に坐るのを見て苦痛に捉えられるであろう。また、王者達、権勢家達、地を治める全ての者達が、すべて隠されている事を支配するお方を賞賛し、褒め称え、崇めるであろう。

 

 人の子ははじめから隠されていて、至高者がその力によって護っておられたのを、選民達に顕示されたものである。聖人達と選民達の教団の種がまかれ、選民はすべてその日彼の彼の前に立つであろう。また、全ての王者達、権勢家達、貴人達、及び乾いた大地を治める者達が彼の前にひれ伏して彼を拝み、その人の子に希望をつなぎ、彼に慈悲を乞い求めるであろう。

 

 かの霊魂の主がしきりとけしかけられれば、彼等は慌てふためいて彼の前から退り(さがり)、彼等の顔は恥に満ち、彼等の顔には暗い影が増し加わる。懲罰のみ使いが彼等をもらい受け、彼等は彼等の子等、彼の選民をいじめたことに対する報いを受けるであろう。彼等は義人達と選民の見世物となる。彼等後者は霊魂の主の怒りが彼等の上に留まり、霊魂の主の剣が彼等の血に酔いしれたことを喜ぶであろう。

 

 義人達と選民はその日救われ、罪人や不法者達の顔をもはや見る事はないであろう。霊魂の主は彼等の統治者として住まい、彼等はこの人の子と共に住み、食事や寝起きを永遠に共にするであろう。義人達と選民は地から立ち上がって、顔を伏せることを止め、生命の衣をまとうことであろう。それは霊魂の主から(賜るところ)の生命の衣であって、君達の衣は古びることはなく、君達の栄誉は霊魂の主の前に尽きることがない。