tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『ヨベル書』11

旧約偽典『ヨベル書

 

第49章

 

 過越しについて主が君に命じられた掟、その決まった時、すなわち1月14日にこれを祝い、それ過越し祭用の羊を暮れる前にほふり、日没時からはじめて、夜、15日の夕方にこれを食すべきことを覚えよ。この日が祭りのはじめであり、喜びのはじめである。

 

 君達はエジプトで過越しを食べていたが、マステマの全軍はエジプトの地にいるすべての長子を、パロの長子から俘虜(ふりょ)の粉ひき女中から長子にいたるまで、はては家畜の長子をも殺すために派遣された。

 

 主が彼等に与えた徴はこれである。門に当歳の羊の血をつけている家にはどれにも殺しに入ってはならず、門に血の徴が付いているのであるから、家の中にいる者が皆助かるように、その家はやり過ごすべきである、というのであった。主の軍勢は主が彼等に命ぜられた通りに全てのことを行い、イスラエルの全ての子等をやり過ごし、彼等に懲らしめが及んで彼等の魂は人間はもちろん、家畜、犬のそれすら滅ぼされることはなかった。

 

 このエジプトに対する懲らしめは甚だ激しく、エジプト内で屍体のない、人の泣き悲しんでいない家はなかった。全イスラエルが座して過越しの肉を食らい、酒を飲み、その父祖の神、主を賛美し、これに感謝し、これを褒めたたえ、エジプトの軛(くびき)と彼等に対する隷従をあとにしようとしていた。

君は一生ずっとこの日を覚えて、年々1年に一度、決まった日にそれに関する一切の掟に従ってこれを祝い、1日も、1月もずらしてはならない。これは永遠の定めに刻み込まれている。これには時の制限はなく、永遠に向けて定められている。

身は清くありながら、定まった日に来て主の喜ばれる供物を祭りの日に献げず、祭りの日に主の前で飲み食いしてそれ、祭りを祝わない者、身は清く、近くにいるそういう者は絶ち滅ばされるべきである。

……イスラエルの子等は来て、その定まった日、1月14日の夕暮れに、昼の第3区分から夜の第3区分まで過越しを祝うべきである。昼の2区分は光に、第3区分は夕方に属する。これが主が君に夕暮れにそれを祝うように命ぜられたことなのである。明るい時にほふってはならず、夕方の終わりごろでなくてはならない。また、夕刻に、夜の第3区分までこれを食し、その肉のうち夜の第3区分以後にまで残った物は火で焼き捨てなくてはならない。これは水で煮ても生で食べてもならず、火で焼いて入念に食べるべきである。その頭を内蔵および足とともに火で焼かなくてはならない。その骨は一切折ってはならない。イスラエルの子等のうち、絶対骨を砕くものがあってならない。

……それは主の喜ばれる、記念となり、あらゆる点で掟通りに、決まった過越しを祝ったならば、その年には災いが彼等に臨んで殺したり、撃ったりすることはないであろう。

 

……モーセよ、君が命じられたようにイスラエルの子等に過越しの規定を守るように君から命じたまえ。…君達がエジプトを脱出した時、この祭りを慌てて祝い、海を渡ってシェルの荒野に入ってしまった。君達がこれを完全に終えたのは紅海の岸においてであった。

 

 

第50章

 

 

 この律法の後エリムとシナイの間にあるシナイ砂漠で、わたしは君に安息日を知らしめた。わたしはその土地の安息日シナイ山上で君に語り、ヨベルの年を安息日の年を単位として君に語ったが、君達が領有することになっている土地に君達が入るその年は君に言わなかった。その地も彼等がそこに留まっている間は安息日を守るであろうし、彼等はヨベルの年を知るであろう。

……アダムの時から今日までは49ヨベルと1年週と2年であり、彼等がヨルダンを西に向かって渡って、カナンの地の方へ移って来るまでに、主の戒めを学ぶ時がまだ40年ある。イスラエルが全ての淫行、咎、穢れ、汚れ、罪、過ちから清められて全地に安らかに住むようになるまではヨベルは移り変わるであろう。その時には彼等には中傷者も悪しき者も誰一人おらず、その時から地は永遠に清くなるであろう。

 

 見よ、安息日に関する掟とその規定の詳細の全てをも、わたしは君のために書き留めた。仕事は6日間し、7日目は君達の神なる主の安息日であり、その日には君達自身も君達の子供、男女の奴隷、家畜および君達の所にいる客人も一切どんな仕事もしてはならない。その日に何らかの仕事をした者は死刑に処すべきである。またこの日を穢し、女と寝る男、何かの売買によそに出掛けようという者、第6日に準備しておかなかった水をその日に汲む者、また何かの荷を持ち上げて自分のテントまたは家から運び出す者は死刑に処すべきである。

食い、飲み、休息し、その日に安息日を守って君達に祭日と聖日を賜ったところの、君達の神なる主を褒めたたえるために第6日に準備しなかったようなことは、安息日に一切やってはならない。この日は永久に、君達の生涯を通じて全イスラエルのための聖なる王国の日である。

 

……イスラエルの子等が、土地の安息日に関する掟に従って、わたしが時期に関する律法、年月の区分のそれぞれに応じた時期を君に書いてやるようにと、彼がわたしの手に渡された天の板から書き写したその通りに、安息日を守るようにすべきである。

これをもって時代区分の書は終わりとする。

 

 

 

 

 

 

 

◆補足文

 

ここで、旧約聖書旧約聖書翻訳委員会訳)の<申命記>32:1~の

モーセの歌を書いておきますね。

 

 「 モーセの歌 」

 

モーセイスラエルの全会衆の耳にこの歌の言葉をあますところなく語り聞かせた。

 

 

 

 天よ、耳傾けよ、私は語ろう。地よ、私の唇の言葉を聞け。私の教えは、雨のごとく降り注ぎ、私の言葉は、露のごとく滴る。若草の上に降り注ぐ小雨のように、青草に降りしきる夕立ちのように。まことに、私はヤハウェの名を呼び求める。あなたたちは、偉大なる栄光を我々の神に帰するように。

 

 

 岩よ、ヤハウェの業は全きもので、まことに、その道のすべてが義しい。真実の神にして、不正がなく、義にして、真っ直ぐな方。ひねくれ、ねじけた世代よ、自ら堕落し、その汚点のゆえに、もはや神の子らではない。愚かで知恵のない民よ、これがヤハウェに対しあなたたちが行う報復なのか。ヤハウェこそあなたを創造したあなたの父、あなたを造った方で、あなたを堅く立てたではないか。

 

 

 あなたは古の日々を思い起こし、あなたたちは過越し代々の年を心に止めよ。あなたの父に問い質(ただ)してみよ、そうすれば彼があなたに答える。あなたたちの長老たちに問い質してみよ、そうすれば彼らがあなたに語る。至高なる方が、異邦の国々に嗣業を受け継がせ、人の子らにそれを割り振った時、イスラエルの子らの数に従って、諸々の民の境界を定めたのである。まことにヤハウェの分け前は、その民、ヤコブがその嗣業の割り当て。ヤハウェは荒野の地で彼を見出し、獣の吠える荒れた不毛の地で彼を見つけ、彼を抱いて、いたわり、自分の瞳のように、彼を見守ってきた。鷲がその巣を揺り動かし、雛鳥の上を羽ばたき漂い、その翼を大きく拡げてこれを乗せ、自分のに乗せて舞い上がるように、ヤハウェのみが、この民を導き、異国の神はこの民と関わりがなかった。ヤハウェはこの民を丘陵の地に導き上らせ、民は野の作物を食べた。ヤハウェは民に野蜜を吸わせ、堅い岩から油を搾らせた。牛の凝乳、小家畜の乳を、子羊の脂身と共に、雄羊、バシャンの雄牛、雄山羊、その脂身と共に、最良の小麦をあなたは食べ、あなたは泡立つ深紅の葡萄酒を飲んだ。

 

 

 しかし、※エシュルンは肥え太り、後足で蹴るようになった。あなたは肥え太り、尊大になった。彼は自分を造った己の神を、棄て去り、己の救いの岩を、彼は軽んじた。彼らは、異国の神々のことで、ヤハウェの熱愛を呼び覚まし、忌み嫌うべきことによって、ヤハウェを怒らせた。彼らは、神ならぬ悪霊どもに犠牲を献げている。自分たちの知らぬ神々で、最近になって新たに現れたもので、あなたたちの先祖も関知しなかった神々である。あなたはあなたを産んだ岩を顧みず、産みの苦しみをもってあなたを産んだ神を、あなたは忘れた。ヤハウェは見て、彼らを退けた、その息子と娘への怒りから。そして、ヤハウェは言われる、わたしは、わたしの顔を彼らから隠す。彼らの行く末がどうなるかを、わたしは見るだけだ。彼らは、つむじの曲がった世代だ、彼らの内に、真実さのない子らだ。彼らは神ならぬものをもって、わたしの熱愛を呼び起こし、その空しいものをもって、わたしの怒りを引き起こした。それゆえ、わたしは民ならぬものをもって、彼らの妬みを引き起こし、愚かな国民をもって、わたしは彼らの怒りを引き起こさせる。

 

 

(※エシュルンは「正しい者」の意。イスラエルヤコブの尊称あるいは詩的な呼び名。ここでは皮肉を込めて言及され、尊称や愛称の意味では使われていない。)

 

 

 わたしの怒りに、火がつき、火は下なる陰府まで燃え広がり、地とその実りをなめ尽くし、山々の基を焼き焦がす。わたしは、彼らに災いを積み重ね、彼らに向かって、わたしの矢をくまなく射尽くす。飢えによる衰弱、熱病と烈しい悪疫による壊滅、野獣による牙を、わたしは彼らに送る、地を這うものの毒と共に。外では、剣が胎の子を失わせ、家の中では、恐怖が、若い男も若い女も、乳呑み子も白髪の人も襲う。わたしは誓って言った、彼らをこなごなにし、人々から彼らの記憶を消し去ると。もし、敵の苛立ちについて、彼らの仇なす者らが誤解し、われわれの手が、高く崇められるべきで、このすべてのことを為したのは、ヤハウェではないと言うのを、わたしを恐れなかったならば。

 

 

 まことに彼らは思慮の失せた国民、彼らには叡智がない。知恵ある者であれば、彼らはこれを悟り、自分たちの行く末を理解したであろう。どうして一人が千人を追い払い、二人が一万人を敗走させうるだろうか、彼らの岩なる方が彼らを売り払わず、ヤハウェが彼らを引き渡さなかったならば。まことに彼らの岩はわれわれの岩のごとくでなく、われわれの敵は裁判人ではない。彼らの葡萄の木は、ソドムの葡萄の木、ゴモラの畑からのもの。彼らの葡萄は毒葡萄、苦い葡萄の房がついている。彼らの葡萄酒は蛇の毒、毒蛇の猛毒。

 

 

 さらにヤハウェは言われる、それは、わたしのもとに蓄えられ、わたしの宝物倉に封印されているではないか。わたし自らが報復し報いを降す、彼らの足がよろめくときに。彼らの滅びの日が近づき、すみやかに到来する、定められた通りに。まことにヤハウェは己の民に裁きを降し、その僕たちの上に、憐れみをかける。権力は消え失せ、隷属する者も自由な者もいないのをヤハウェが顧みるからである。ヤハウェは言われる、彼らの神々は、どこにいるのか。どこにあるのか、彼らが避けどころとした岩は。その神々は、彼らに献げられた犠牲の脂を食し、彼らに注がれた葡萄酒を飲んだという。立って、彼らがあなたたちを助け、あなたたちを庇う楯となるがよい。。

 

 

 今こそ見よ、わたしなのだ。、わたしこそそれであり、わたしの他に、神はいない。わたしは死に至らしめ、また生かす、わたしは撃ち、また癒す。誰もわたしの手を逃れえない。わたしはわたしの手を天に上げ、誓って言う。わたしは永久(とこしえ)に生きている。わたしは、きらめく剣を研いで、裁きの時、わたしの手がそれを携えるなら、わたしは必ずわたしに敵する者に報復し、わたしを憎む者に、わたしは報いる。わたしは、わたしの矢を血で酔わせ、わたしの剣は、肉を喰らう。斬り殺された者の血と囚われた者の血で酔わせ、また長髪の敵の首の肉を喰らう。

 

 

 国民よ、ヤハウェの民に喜びの声をあげよ。ヤハウェはその僕たちの血に報復し、敵する者に仇を返し、己れの民の土地を贖われる。