tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

エゼキエル書 29.

エゼキエル書

 

 

 

 

 第44章

 

 

 

 門の掟

 

彼は東に向いた聖所の外の門のとこに私を連れ戻した。

それは閉じられていた。

ヤハウェは私に言った。

 

 「この門は閉じられたままにし、開かれることがあってはならない。

誰もそこに入ってはならない。

なぜなら、イスラエルの神ヤハウェがそこに入ったからである。

それは閉じられたままにしておかなければならない。

但し、指導者、彼だけは指導者としてヤハウェの前でパンを食べるために、

そこに座ることができる。

彼はその門の通廊を通って入り、その通路から出ることができる。」

 

 彼は、北門を通って神殿の前に私を連れて来た。

私が見ると、なんと、ヤハウェの栄光がヤハウェの神殿に満ちていた。

私はひれ伏した。

ヤハウェは私に言った。

 

 「人の子よ、ヤハウェの神殿のすべての掟について、

またそのすべての律法について、

わたしがあなたに語ることすべてをあなたの心に留め、目で見、耳で聞け。

あなたは神殿の入口と聖所の出口に心を留めなければならない。」

 

 

 

 

 レビ人とレビ人祭司

 

 「あなたは、反逆の家、イスラエルの家に言わなければならない、

ヤハウェがこう言ったと。

 

 『イスラエルの家よ、お前達のすべて忌まわしい行為はもう充分である。

お前達は異国の子等、心に無割礼の者達、肉に無割礼の者達を連れて来て、

わたしが聖所に入らせ、脂肪と血によるわが食物を供えることによって、

それを、わが神殿を冒涜した。

こうして、お前達はそのあらゆる忌まわしい行為によって、

わが契約を破った。

 

 お前達はわが聖所のつとめを守らず、

自分達のために、彼等をわが聖所でわがつとめを守る者とした。』」

 

 また、主ヤハウェはこう言った。

 

 「すべて異国の子等、心に無割礼の者、肉に無割礼の者は、

わが聖所に入ってはならない。イスラエルの子等の只中にいるすべて異国の子等も。

 

 レビ人は、イスラエルの民がその偶像の後を追って

わたしのもとから迷い出たイスラエルの迷いの時、

実に、わたしのもとから遠ざかったがゆえに、

※①彼等は自分達の咎を負わなければならない。

彼等はわが聖所で使える者となるが、

神殿の門衛のつとめをもって神殿に仕えるのである。

彼等は民のために全焼の供犠、また供犠一般を屠り、

民の前に立って、彼等に仕えるのである。

彼等は民の偶像の前で彼等に仕え、

イスラエルの家にとって咎の躓きになったがゆえに、

それゆえ、わたしは彼等に対し手を挙げて誓った。

 

 彼等は自分達の咎を負わなければならない。

彼等がわが祭司としてわたしに近づくことは出来ない。

わが聖なるものすべてに、また聖にして聖なるものに近づくことも出来ない。

彼等は自ら行ったその恥辱と忌まわしい行為の責任を負わなければならない。

わたしは彼等を、神殿のあらゆる雑役とそこで行われるあらゆる仕事をもって

神殿のつとめを守る者とする。

 

 ツァドクの子等であるレビ人祭司は、

しかし、イスラエルの子等がわたしのもとから迷い出た時も、

わが聖所のつとめを守ったがゆえに、

彼等は、わたしに仕えるためにわたしに近づき、

わたしに脂肪と血を供えるためにわが前に立つことが出来る。

彼等はわが聖所に入り、わたしに仕えるため、

わが卓台に近づいて、わがつとめを守るのである。

 

 祭司達が奥の中庭の門に入るときは、

亜麻布を衣服にまとわなければならない。

彼等が奥の中庭の門と神殿で使える時に、彼等は羊毛を身に着けてはならない。

彼等の頭には亜麻布の頭巾が、腰には亜麻布の腰覆いがなければならない。

汗の出る衣服をもって身にまとってはならない。

彼等が民のもと、※②外の中庭に出る時には、

彼等が神殿に仕える時に身に着ける衣服を脱ぎ、

それらを聖なる部屋に置き、別の衣服をまとわなければならない。

彼等の衣服によって、聖なるものを民に触れさせてはならない。

 

 祭司達は自分の頭髪を剃ってはならない。

乱れ髪を垂らしてもならない。

彼等は頭髪をきちんと整えておかなければならない。

祭司は誰でも、奥の中庭に入る時、葡萄酒を飲んではならない。

彼等はイスラエルの家出身の乙女以外には、

寡婦も離縁された女性も妻として娶ってはならない。

ただ、祭司の死によって寡婦となった寡婦は娶ることができる。

 

 祭司達はわが民に聖と俗の間の区別を教え、

汚穢(おわい)と清浄の間の区別を彼等に知らせなければならない。

※③係争(けいそう)に関して、彼等は裁くために立ち上がり、

わが公正をもってこれを裁かなければならない。

わが祝祭の時はすべて、わが律法とわが掟を守り、

わが安息日を聖別しなければならない。

 

 ★祭司は死人のいるところに入って穢れてはならない。

但し、父と母、息子と娘、兄弟、結婚していな姉妹の弔いのためには、

自ら穢してもよい。しかし、彼の浄めの後、

彼のために※④7日間を数えなければならない。

再び聖所で使えるため、聖所に、奥の中庭に入る日、

彼は自分のために浄罪の供犠を供えなければならない。

 

 これが彼等の嗣業となる。すなわち、わたし自身が彼等の嗣業である。

あなたがたは、イスラエルにおいて、彼等に所有地を与えてはならない。

わたしこそが彼等の所有地なのだから。

 

 ★穀物の供物、浄罪の供犠、償いの供犠は供えられた後、

彼等がこれを食べることが出来る。

イスラエルにおける奉納物はすべて彼等のものである。

あらゆる初物のうちで最上のものはすべて、

また、あなた方のあらゆる献納物のうち、

あらゆる種類の献納物はすべて、祭司達のものである。

 

あなた方が初めて挽いた麦粉の供物は祭司達に与えなければならない。

あなた方の家に祝福がもたらされるためである。

鳥であれ、獣であれ、屍や噛み裂かれたものを祭司達は食べてはならない。」

 

 

 

 

 

❖補足文

※①彼等は自分達の咎を負わなければならない。…以下レビ人が下級祭司とされた理由づけ。レビの子孫であったコラの反逆<民数記16:1>以下等が念頭に置かれているらしい。

※②外の中庭に出る時には…一般民衆が入ることが許されるのは外の中庭までであった。

※③係争に関して…70人訳、「血をめぐる係争。」

※④7日間を数えなければならない。…広く古代西アジアでは、浄めの期間は7日間である。

 

 ★の部分ですが、これを偶像崇拝の祭司達である、たとえば仏教でいえば坊主達は、

 聖書とは反対に、通夜、葬式共に死人に近づきお経(いわば呪文)を唱え、墓にも近づき同じようなことをしますね。

これは、坊主達は穢れた神である偶像神に仕えているからであり、死人崇拝もしているからですね。

そして、ヤハウェの祭司達は、神に供えられた供犠や奉納物を、後に食すことが許されていますが、他の人間はそれを許されていないことが書かれてありました。

神の選ばれた者とそうでない者達を聖別しているためですね。

ところが、偶像崇拝をしている宗教の教えは、坊主だろうと、死者の家族であろうと、供えられた物を後に食すことを良しとしています。

死んだ霊が食べたものだから、と嫌な人には捨てることも許していますが、

どちらかと言えば、ありがたがって食べるように勧めることが多いように思います。

「初七日」についても、聖書からパクッて偶像崇拝的な意味合いを後付けしたように思いますね。

「初七日」の意味を調べてみると、故人が三途の川のほとりに到着する日とされているようです。そして、故人が激流か急流か緩流かのいずれかを渡るかが、神の裁きで決まる大切な日で、緩流を渡れるように法要するための日なんだそうです。

神の裁きで激流を渡る人ってどんな人?法要すれば緩流を渡れるなんておかしいですよね。