tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『エノク書』1

 

 前回に引き続きまして、旧約聖書偽典の『エノク書』を紹介していきます。『エノク書』は神ヤハウェが認め愛した義人エノクに、神が与えた「啓示書」であり、神の世界に関する驚くべき内容を人類に初めて明かした貴重な開示書でもあります。また、天における神に仕える天使達の働きや、違反した天使達に対する処罰など、大変内容の濃いものとなっています。なので、聖書外典として最も有名であり、貴重な書と言われています。第1章から第108章まであり、大変長い文書のため、全部を紹介するのは無理なのですが、かいつまんで出来るだけ紹介できたらと思っております。

この書は、海外のネットにおいては随分と紹介されておりまして、特に今の世紀末末期に入っている現代では、この書を読んでおくことは貴重であると思われます。是非、読んで、この書が意味するものを深く考察されることをお勧めします。

そして、いかに我々の現世界が、悪魔による、神の本当の世界の偽装であるか、古代からある無数に作られた宗教がどれもすべて悪魔を崇拝するように仕向けられてきていることが理解できるようになってきます。その上、彼ら悪魔の霊達は、世界中で自分達を神と祀らせ、偽りの神話をも数多くそれぞれの国ごとに作り出しました。それも、このエノク書のように本当の神からの啓示や、神の住まわれる天の世界観を人類に信じ広めさせないようにする為にです。彼等は、神の本当の世界によく似た、捻じ曲げられた悪魔教の世界観を、今日まで延々と人類に教え広めてきたのだということも解かってくるのです。

 

 

 

 

 

旧約偽典『エノク書』村岡宗光訳

 

 

 

 エチオピアエノク書概説

 

1、内容

 

 1:1-5:9 エノクは幻の中で神を見、またみ使い達が悪人にそなえられてあるところの未来の審判の日と選民・義人にそなえられてあるところの平安と至福について彼に教示したところを語る。

 

 6:1-36:4 天使に関する教説。このうち6ー11はみ使い達の堕落、巨人達の誕生を述べ、またノアによってみ使い達の懲罰が宣告される。12ー16ではエノクが同じ宣告を繰り返す。17ー19、20ー36は天上、地上、地下の世界を幻のうちに巡回した、エノクの見聞記である。その途中、彼は悪しきみ使い達が火あぶりになる場所、義人達と悪人達の霊魂が各々行きつくところ、エデンの園、知恵の木、生命の木のあるところなどを訪ねる。

 

 37:1ー71:17 メシアに関する教説。そのうち、37は序章で、38ー44は義人達の居所とみ使い達の働きについて述べられ、またエノクによる自然観察の内容も報告される。続いて、45ー57で、エノクは選ばれた者、すなわちメシア、その性格、審判者としてのその役割についての啓示を受ける。58ー69は義人および選民達に備えられてある至福について、稲妻と雷鳴の秘密について、またメシアによって行われる裁きについて語る。70ー71は昇天し、人の子として任ぜられたエノクについて述べる。

 

 71:1ー82:20 天文学および暦法に関する教説。83ー84で、ノアは堕落した地上に大洪水が起こるであろうことを、幻を通して知り、人類が全滅しないように祈る。続いて85ー90では、最初のアダムからメシアの時代までのイスラエル全史が牛、羊、牧者、その他の悪しき動物になぞらえて物語られる。

 

 91:1-105:2 子孫に残す訓戒。91:1-11、18~19でエノクは義の道を歩むように子孫にいさめる。93:1~14、91:12~17では審判と救いの時代に至る世界史全史が10週に分けて述べられる。92、94-95は罪人に対する罰と義人に対する報いを述べ、義人には忍耐を勧める。

 

 106:1-108:15 エピローグ。106-107はノアの奇蹟的出生について語り、最後の108でエノクは悪人の霊魂にはゲヘナの火が、義人には祝福が待っていることを語って敬虔な者に今しばらくの忍耐を促す。

 

 

2、成立年代、伝承

 

 ヨベル書と同様、本書も近年クムラン文書の発見によってにわかに脚光を浴びることになった。現在のところクムラン第4洞穴出土の文書中に、エノク書の断片が11、本来のエノク書の1部を成していたと考えられる、いわゆる「巨人の書」の断片が第4洞穴から6つ、その他の洞穴から4つないし6つ出土している。(以下の論考は右断片の公刊を依嘱されているクムラン研究の第一人者 J・T・ミリクによる研究に負うところが多い。末尾の文献表参照。)

 

 クムラン断片出土以前は、本書はエチオピア語訳においてのみの全体が伝えられていた。前世紀末にエジプトのアクミムでギリシャ語訳の断片が発見され、また1930年にミシガン大学が入手したチェスター・ビーティ・パピルスの中に97:6~104,106,107の各章を含む断片が見いだされ、C・ボナーによって1937年に公刊された。これらはその他の12の断片をも加えてM・ブラックによって1970年にまとめて出版された。

 

 本来のエノク書が、セム語で書かれたであろうことについて疑義をはさむ者はなかったが、近年(1959年)、E・ウレンドルフが語彙(ことに誤訳)および構文論に基づいて、本書の大部分がギリシャ訳を媒介とせず、直接にアラム語原文から訳されたものである、と主張するまでは、ヘブル語言語説、ないしはチャールズに従ってヘブル語・アラム語混合説がほぼ一致した見解であった。チャールズは6-36はアラム語、1-5,37-104はヘブル語が原語である、と主張した。しかし、クムラン第1洞穴からは8:4-9:4を含むヘブル語断片が出土し、37-104の多くの部分に第4洞穴出土のアラム語断片が現存する以上、チャールズ説は完全に覆された、としなくてはならない。しかも、これら第1洞穴出土のヘブル語断片はエチオピア語、ギリシャ語いずれの訳ともかなり相違しており、アラム語原本の改作とみなすのが妥当であろう。M・ブラック(1974年)も同様の見解を表明している。クムラン断片の中に保存されていない「37-71に対して、チャールズはヘブル語原典を想定し、他方、ミリクはこれらを後2世紀の改作と区分に帰しているが、これも等しくヘブル語本文説を支持するものであろう」というロストの論理は理解しがたい。(『旧約外典偽典概説』荒井・土岐訳149頁)。

 

 本書は、内容概観からも明らかな通り、明瞭に、少なくとも5つの主要部分に区分されるし、また内容上の各部分の矛盾、繰り返しなどからしても本来一人の筆者によるものでなく、時代も著者も異なるいくつかの層から成ることはつとに認められていた。ユダ遺訓(18:1)、オリゲネスは「エノク書」と複数形を用い、8世紀に活躍したビザンティンのシュンケッルスも「エノク書第1書」について語っている。……ミリクは、前1世紀にすでにアラム語の「エノク5書」が存し、これは2つの別々な巻物に書き写される習慣ができており、その一つは天文の書(72-82)のみ、他は残りの4書を含んでいたということを、クムラン断片の保存状況から結論している。ミリクに従えば、クムランに流布していたアラム語エノク書は以下の5部から成っていたという。

 

                ▷成立時代 

① 天文の書(72-82)    ペルシャ時代、遅くともヘレニズム時代初期

② 寝ずの番人の書(1-36)  前3世紀

③ 巨人の書(37-71)    前2世紀末

 〔たとえの書(37-71)〕  後270年頃

④ 夢幻の書(83-90)    前164年

⑤ エノク書簡(91-108)  前100年頃

 

 

 ②④⑤は7つ、①の部分は4つのアラム語断片がクムラン第4洞穴から出土しているが、これらは古文書学上の証拠により前2世紀初頭から後1世紀中葉にかけて書写さたものである。

 

……(中略)

 

 エノク書は、ギリシャ語、エチオピア語の訳で伝わっている他、106:1~18のラテン語断片も残存している。その他、第1洞穴出土のヘブル語断片の他に、中世のへブル語による※ミドラッシュ集のいくつかにも酷似の「伝承」が見いだされる。これは「巨人の書」について妥当するが、マニ教正典としての「巨人の書」ラテン語ギリシャ語、中世ペルシャ語などで存在した。

 

 

 

◆補足文

(※ミドラッシュ…ユダヤ教における聖書解釈の方法及びその内容をもつ著作のこと。

マニ教サーサン朝ペルシャのマニ(9216-276,277年)を開祖とする2言論的な宗教で、ゾロアスター教キリスト教、仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。(つまりごちゃまぜの悪魔教ですね。)マニ自身がバビロニアを故郷としていましたので、そのバビロン思想を持っていました。マニ教グノーシス主義とも言われ、物質二元論です。そのマニの神話は聖書を完全に歪曲した造作となっております。

故に「巨人の書」もエノク書からパクったものであるのは内容を見れば明白であり、実際そのようにいわれております。)

 

 

 

3、思想

 

 前述のような本書成立の過程からして、そこに首尾一貫とした思想を求めることはそもそも無理である。

エノク書は神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」(創世記5:24)と述べられているエノクなる人物は、聖書の読者の好奇心を強く揺さぶったに違いない。神と共に歩んだエノクは神の使いに案内されて天界、地下の世界をも見ることを許され、天使の世界のこと、死後の世界、未来の歴史、ことに地上における人間の行為が将来において神からどのように扱われるかについての教示を受け、これを同時代の者、未来の人類に伝達し、かつ警告するのである。著者(編集)の悪の起源に対する関心は、彼をして創世記6章冒頭の「神の子らと人の娘らの婚姻」にまつわる物語に向かわしめ、また、それに続く大洪水による神の処罰の記事は、「ノア物語」の断片が本書の一部を公正するにふさわしいものと編者の目には映じたのであろう。彼はまた現在の悪、社会的不正にも鋭い関心をもち、不義の富を積む者が栄え、正直者が一見損をするような現実に直面して、貧しい義人達に忍耐を勧め、未来における公平な審判を説く。「たとえの書」はそこに人の子、メシア像を導入する。

 

 天界を巡回したエノクは自然現象、なかんずく天文学、気象学に著しい関心を寄せる。このような天文学的関心は、本書に前提されている世界地図がペルシャ帝国時代の世界に合致するというグレロ、ミリクらの指摘と合う。グレロはエノク書エッセネ派教団との間に終末論に関して共通性が著しいことを示したが、本書に採用されている1年364日の太陽暦クムラン教団独自のものであり、本書の思想とクムラン教団の運動との密接なつながりを証拠だてている。しかし、前述のような本書の各部の成立年代が正しいとすれば、その著者を同教団内に求めることは勿論不可能である。

 

 

4、本訳について

 

 本訳の低本としては、5つの写本に基づいてA・ディルマンが1851年に刊行したものを用いた。その後、J・フレミングが15の写本に基づいたテキストを再刊し、更に1906年には23の写本を元にチャールズが新しい版を刊行した。フレミングの研究によれば、エノク書エチオピア語写本は基本的に2つの主なグループに分かれ、ディルマンの用いた写本は比較的新しい、vulgarなタイプのテキストを代表している、とされる。しかし、ヨベル書の場合と同様、チャールズの校訂本を用いることには訳者は少なからぬ躊躇を覚え、あえてディルマン版を用いることにした。ただし、チャールズのテキストとあまりに食い違う場合は、その旨、訳注にしるし、場合によってはチャールズ版に従って訳した。

…以下(略)

 

 

 

 

 

次回より本文となっていきます。