〖呼びかける〗
第6章
6つの封印の解除
それから、私は子羊が7つの封印の一つを解くのを見たが、その時、4匹の生き物のうちの一つが、雷の轟きのような声で、
「出て来い。」
というのを聞いた。
私は見た、すると※白い馬が現れたではないか。
その上にまたがった騎士は※①弓を持っていた。
そして彼に※②冠が与えられ、彼は勝利しつつ、なおも勝利を重ねるために、出て行った。
(※以下、4頭の馬の表象は、<ゼカリヤ6:1>の借用である。しかし、ゼカリヤには終末的患難との結びつきは見られない。)
子羊が第2の封印を解いた時、第二の生き物が
「出て来い。」
というのを聞いた。
すると、もう一頭の※③真っ赤な馬が出て来て、その上に乗っている者に、地上から平和を奪い、人間が相互に殺し合うようにする権限が与えられた。
そして、彼に大いなる剣が与えられた。
子羊が第3の封印を解いた時、私は第三の生き物が、
「出て来い。」
というのを聞いた。
私は見た、すると※④真っ黒な馬が現れたではないか。
その上に乗っている者は、片方の手に※⑤天秤を持っていた。
そして、私は声とおぼしきものが4匹の生き物の只中から、こう言うのを聞いた。
「※⑥1デナリオンで※⑦1コイ二クスの小麦、1デナリオンで3コイ二クスの
※⑧大麦、しかし、※⑨オリーブ油と葡萄酒とは損なわないように。」
◆補足文
(解説より…
※①弓…は次に出る「太刀」と共に、戦いのための代表的な武器。この騎士が何を象徴しているか明確ではないが、終末的に帝国主義的侵略者の象徴とする解釈が最も有力。
※②冠…勝利の徴としての冠。
※③真っ赤な馬…赤は戦争によって流される血を象徴する。先の騎士が侵略戦争を擬人化したものとすれば、第二の騎士は内戦のそれである。
※④真っ黒な馬…黒は不吉な色とされ、しばしば死を象徴していたため、戦争に続いて起こる死と飢饉を象徴する為に選ばれたもの。
※⑤天秤…ここでは穀物を量るための道具として、<エゼキエル4:16>では、食物の窮乏(きゅうぼう)の徴として天秤が挙げられる。
※⑥1デナリオン…労働者のおよそ1日分の労賃。この賃金で労働者は家族全体の生計を立てたわけであるから、ここでは相当の物価の高騰が意味されている。
※⑦1コイ二クス…コイ二クスは個体、特に穀物を量る単位で、約1,1リットル。
普通、1コイ二クスの穀物が成人一人の1日の消費量とみなされていた。まる一日の賃金でたった1リットルの小麦、という意味。
※⑧大麦…大麦は飼料として用いられた他、貧乏人、奴隷の食物であった。
※⑨飢饉などの災害を引き起こす際にも、危害を加えないように、という意味。人間が生存するための必需品の一部は残されるという考え。
※⑩蒼白い馬…色は草木の緑の他、死体の色として病気や死との関連で用いられるから
、悪疫と死を象徴している。)
そして、子羊が第4の封印を解いた時、私は第四の生き物の声が、
「出て来い。」
と言うのを聞いた。
私は見た、すると※⑩蒼白い馬が現れたではないか。
その馬に乗っている者、その者の名前は「死」と言い、彼の後に、別の馬に乗った黄泉の主が付き従っていた。
そして、地上の4分の1を支配し、太刀と飢饉と悪疫と地上の野獣とでもって、人間を殺す権能が彼等に与えられた。
子羊が第5の封印を解いた時、私は※⑪祭壇の下に、神の言葉を宣べ伝え、また自分達が立っていた証言に忠実であり続けたために殺された者達の魂を見た。
それらの魂は大声でこう叫んだ。
(※⑪祭壇の下…殉教者の魂は生贄として屠られたために、<フィリポ2:17・テモテ4:6>祭壇の下にあるとされる。)
「聖にして真実なるご主人様、一体いつまで、あなたは地上に住む者達に対して裁きを行わず、私達の流した血の復讐をしないでおられるのでしょうか。」
すると、それらの魂の各々に※⑫白い衣が与えられ、そして彼等と同じように、まさに殺されようとしている彼等の僕仲間と彼等の兄弟達との数が、予定された数に達する時まで、なお暫くの間静かに待っているように、と彼等に告げられた。
(※⑫白い衣…彼等が将来天上界に受け入れられることの約束が与えられたことを意味する。)
私は子羊が第6の封印を解くのを見たが、その時、大地震が起こった。
太陽は毛でできた※⑬粗い布のように黒くなり、
月は、全体がまるで血のように真っ赤になり、
また天の星は、まるでいちじくが青い実のまま強風に揺さぶられて振り落とされるように、地に落ちた。
そして天は、まるで小巻物が巻き取られるように消え失せ、
また山や島も、皆もとあった場所から動かされた。
地上の王達、高官達、千人隊長達、富める者達、権勢ある者達、
それに、全ての奴隷民達や自由民達は、ことごとく※⑭洞穴や山の岩陰に身を隠した。
◆補足文
(この箇所以下は、<アモス8:9参照>
「また、その日。と主権者なる主ャハウェはお告げになる。
『わたしは真昼に太陽を沈ませ、晴れた日にその地に闇をもたらす。
そして私はあなた方の祭りを喪に、あなた方のすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に粗布を、すべての頭に禿を来たらせる。
わたしはそれを一人の息子のための喪のように、その結末を苦渋の日のようにする。』
他、<ヨエル1:11,2:10参照>
主の日に起こる世界の激変や神的裁きを表現している。
※⑬粗い布…山羊、時としてらくだの毛で織った粗い織物。
※⑭洞穴や岩陰…パレスチナにおいては、山や洞穴は戦火や官憲の追求を逃れるために好んで用いられる「隠れ家」であった。)
そして山々や岩山に向かってこう叫ぶ。
「私達の上に落ちて、玉座に座っておられるお方の顔と子羊の怒りとから
私達を隠しておくれ。あの方達の復讐の怒りに燃える大いなる日が来たからだ。
一体誰が、それに耐えることができようか。」
第7章
幕間劇ー信徒の保護
この後に、私は地の四隅に、4人の天使が立っているのを見た。
彼等は、地の上にも海の上にも、またどんな樹木の上にも風が吹きつけないように、
地の四方の風を押し止めていた。
また私は、別の天使が※⑮生ける神の刻印を持って、
太陽の昇る方角からのぼって来るのを見た。
その天使は、地と海とに危害を加える権限を与えられた4人の天使達に向かって、
大声でこう叫んだ。
(※⑮刻印を押されることは、その印章の所有者の所有物となることを意味する。)
「私達が私達の神の僕達の額に、その印としての刻印を押すまでは、
地にも海にも樹木にも危害を加えてはならない。」
私は刻印を押された者達の数を聞いたが、それは14万4千人で、イスラエルの子孫のあらゆる部族の中から選び出されて刻印を押されていた。
ユダ族の中から1万2千人が刻印を押され、
ルベン族の中から1万2千人、
ガド族の中から1万2千人、
アセル族の中から1万2千人、
ナフタリ族の中から1万2千人、
マナセ族の中から1万2千人、
シメオン族の中から1万2千人、
レビ族の中から1万2千人、
イッサカル族の中から1万2千人、
ゼブルン族の中から1万2千人、
ヨセフ族の中から1万2千人、
ベニヤ民族の中から1万2千人が刻印を押された。
その後に、私は見た、すると多数の群衆がいたではないか。
その数は誰一人として数えることは出来ないほどであって、ありとあらゆる民族、部族、国民、あらゆる国語の違う民からなり、白衣を身にまとい、
その手には※⑯なつめ椰子の枝を持って、玉座の前と子羊の前に立っていた。
そして彼等は大声でこう叫ぶ。
(※⑯勝利と凱旋。ないしは勝利と喜びの徴。)
「救いは、玉座に座りたまう私達の神と子羊とのものである。」
そして、すべての天使達が玉座と、長老達と、それに4匹の生き物を取り巻いて立っていたが、彼等は玉座の前で顔を地につけるようにして平伏し、神を礼拝した。
次にように言いながら。
「アーメン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、そして強さが、
我々の神に世々永遠にあれ。アーメン。」
そして、長老達の中の一人が私の方を向いて、
「これらの白衣を身にまとった者達は誰なのか、また彼等は何処から来たのか。」
と尋ねた。私は彼に、
「我が主よ、知っておられるのはあなたです。」
と答えた。すると彼は私に言った。
「これらの人達は※⑰大きな患難をくぐり抜けて来た者達で、
彼らの衣を子羊の血で洗って白くしたのである。
それゆえ、彼等は神の玉座の前に座り、神の神殿で昼も夜も神に仕えるのである。
(※⑰終末時に体験すると考えられていた迫害のこと。)
そして、玉座に座っている方は彼等を庇護なさる。
彼等はもはや飢えることも、渇くこともない。
また太陽も、或いはいかなる暑さも、もはや彼等を襲うことはない。
何故なら、玉座の真中におられる子羊が彼等を牧し、
彼等を※生命の水の湧き出る泉へと導きたまうのだから。
そして、神は彼等の目から流れる涙を一滴残らず拭い去って下さるのだから。」
(※生命の水の湧き出る泉…北極・エデンを指している?)
◆補足文
(ここからは、私的な考察ですが、前回の第5章にて、イエスがこの世でのサタンとの対決において、勝利を得て、天においてャハウェの玉座の右に座り、地上の救世主として、また王として君臨しておられる様子が描写された内容となっていましたが、
今回の第6章からは、イエスが天において、王として即位された後に、彼が神の裁きの御計画の実行(7つの封印の小巻物を開く)を一つずつ行う様子が語られてゆきます。
そして、以下に抜き出した箇所について、その者の名前については、個人的には「ビル・ゲイツ」と言っているかのように思えました。
彼がコロナウイルスを開発した張本人であり、それらを世界中にばらまき、大勢の国々の人々を死に至らせたことは、お花畑の住人以外の皆さんは知っていますよね。
もちろん、ビル・ゲイツも、仲間である支配層のトップの計画(人口削減)および、命令に従ったにすぎないでしょうが、しかし、ビル・ゲイツは現在まで、世界中の穀物市場を乗っ取るための土地買収を盛んに行っております。これは次なる災厄を起こす準備に他ならないのでは?と思ってしまいます。
それゆえ、この第6章の「預言の成就」と見なすのは、いささか単純すぎるのかもしれないのですが、(なにせ、過去においても同じような歴史が繰り返されているので)現在の世での戦争や、世界中の物価の高騰の現象も、災害も、この第6章と被っているように見えてきます。
その馬に乗っている者、その者の名前は「死」と言い、彼の後に、別の馬に乗った黄泉の主が付き従っていた。
そして、地上の4分の1を支配し、太刀と飢饉と悪疫と地上の野獣とでもって、人間を殺す権能が彼等に与えられた。
ところで、聖書の中で神は、この世の悪人、つまりサタン側の人間を自分の御計画の中で活用することをしばしばなされています。
それは古代から、世の民が神の教えに従わず、サタン側を神と崇めて従うからであり、そのため、イザヤ書などでも神がイスラエルの民に対して罰を与えるために、もしくは真の神の存在を知らしめるために、サタン側の支配者を用いて裁かれてきました。
ならば、ビル・ゲイツも、神が用意したのだ。ということになるやもしれないのですが、この世の支配者階級の連中が、聖書の預言通りの役割を演じているのは間違いないことなので、あえて悪役は、そのままやるという事なんじゃないかと思っています。
それに、彼等の父、悪魔もそれをあえて望んでいるということもあるでしょう。
彼等のやり方は、反キリストの状態でありながら、表向きは「聖人」もしくは「善人」として振舞い、世を常に騙すことです。
そして、聖書を曲解し、間違ったキリスト信奉を民衆に教えることで、神やイエスを嘲笑っているのです。
一番分かり易い例は「イエズス会」ですが、もう随分裏側がバレバレになってきていますから、悪魔信仰そのまんまのファリサイ派ということですよね。
(結局、イエスの時代と全く同じ状態にしているのです。)
ところで、カトリックが、「三位一体(父と子と霊は一体)」を唱えているのは、どうしてか考えた事があるでしょうか?
というか、創造主=(父)ャハウェ=(子)イエスだと信じている人が多いんじゃないかと思いますが、これは、カトリックが広めた大嘘なのです。
聖書を最初から最後までよく読めば、
つまり、三位一体ではないということが分ってきます。
黙示録の、
「わたしは、アルファであり、オメガである。
すなわち最初の者であり最後の者であり、
万物の初めであり終わりである。」
の、この言葉は、創造主が最高な霊的な存在(熾天使)として、イエスを最初に創造されたことを意味しています。
<黙示録・3:14参照>においても
「アーメンである者、すなわち、忠実にして真実なる証人、
神の被造物の初めである者が、次のように語っている。」
となっています。
つまり神が、この3次元世界の万物をお造りになった時もイエスと一緒におられ活動されたように、また神が新しく万物を造り変える時も、再びイエスと共に活動されることを意味しているのです。
時々、混同してしまいそうですが、
<黙示録・4:8~11>は、創造主のことを指して言っています。
……「私達の主、また神よ、
あなたこそ、栄光と誉れと力とをお受けなさるに相応しいお方。
なぜなら、あなたは万物を創造したまい、
万物はあなたの御意思に従って存在したのであり、
また創造されたのであるゆえに。」
そして、
<黙示録21:22>では、
「全能者にして神なる主と子羊とが、都の神殿だからである。その都は、太陽も月も、それを照らすのに必要としない。」
とあることも注目してください。
「全能者にして神なる主と子羊とが、」と描写されていることからも一人称を指してはいません。それに、イエス自身が一度も自分自身のことを「神だ」「創造主である」とは言ってはいないのです。
ただ、イエスが我々人間の立場からしたら、創造主ではなくとも、神に等しい存在であるということは否定できません。
そして、天上界においても、他の長老と呼ばれる天使達よりも最高位の地位であるイエスの存在は、神の右に並ぶ、まさに神に等しい存在であると言える、ということにもなります。
また、加えて説明するなら、イエスは主(創造主)の命令を受けて、この世を救うために人間として生まれ、そして世の為に死なれました。
その大業を成就されたので、天において、神の玉座の右に座り、
主に代わって世の裁き人(審判者)となったわけです。
ところが、先ほども言ったように、カトリックは創造主=イエス・キリストだと言っています。これは聖書の内容をわざと捻じ曲げており、創造主の存在と地位を曖昧にしています。
これは何故かというと、おそらく、ルシフェルの考えが反映されているからです。
彼は、「わたしは神になろう。」と宣言したわけですから。
ャハウェと同等の神のつもりであるルシフェルは、
世の救世主・キリストとも一体でなければなりません。
イエスがやがて再臨する時も想定すれば、ルシフェルが偽のイエスの再臨をやるでしょうから、その方が都合が良いということもあります。
実に、彼等の理論的な解釈としては合っているわけですよね。
いずれにせよ、彼は世においては様々な国や地域で「神」として崇められていますし、サタンが天においての神ではなく、世の神、「事物の体制の神」と呼ばれる意味もわかりますね。世の神など所詮、偽物なのですから。
それに、ルシフェル自身もよく理解していることですが、彼が神になることは決して叶わず、彼は永久に堕天使の地位のままで、やがて、創造主とイエスによって、永遠の地獄の底に仲間の霊達と共に閉じ込められる運命です。)