『エゼキエル書』
第11章 (省略)
神殿の東門にて
第12章
捕囚の象徴預言
ャハウェの言葉が私に臨んで言った。
「人の子よ、あなたは反逆の家の只中に住んでいる。
彼等は、見る目があっても見ない。聞く耳があっても聞かない。
実に、彼等は反逆の家である。
あなたは、人の子よ、自ら捕囚の荷物を造り、日中、彼等の眼前で、捕囚となって行け。彼等の眼前で、あなたのいる場所から別の場所に捕囚となって行くのである。
おそらく彼等は見てとるであろう。実に、彼等は反逆の家である。
あなたの荷物を捕囚の荷物として、日中、彼等の眼前で運び出すがよい。
あなた自身は、夕方、彼等の眼前で捕囚民の出立のようにして、出て行くがよい。
彼等の眼前で、あなた自ら壁に穴を穿て。そして、そこから荷物を運び出すがよい。
彼等の眼前で、肩に荷物を背負い、暗闇の中、荷物を運び出すのである。
あなたは顔を覆え。この地を見てはならない。
というのも、わたしはあなたをイスラエルの家の予兆としたからである。」
そこで、私はすべて命じられたまま、そのように行った。
我が荷物を、日中、捕囚の荷物として運び出した。
また、夕方、自ら手で壁に穴を穿ち、暗闇の中、荷物を運び出し、肩に背負った。
ャハウェの言葉が、翌朝、私に臨んで言った。
「人の子よ、イスラエルの家、反逆の家はあなたに向かって、お前は何をしているのか、と言わなかったか。彼等に言え、主ャハウェがこう言ったと。
『※①指導者がこの重荷、エルサレムにおいて。
その中にいるエルサレムの全家もまた。』
彼等に言え、
『※私(エゼキエルのこと)があなた方の予兆である。
私が行ったように、彼等に行われよう』と。
彼等は捕囚へと連行されて行くであろう。
彼等の中の指導者は、暗闇の中、肩に荷物を背負い、
運び出すために穴を穿った壁から出て行こう。
彼は、顔を覆うであろう。それは、彼が見ることのないため、
彼がこの地を見ることのないためである。
わたしは彼の上に網を広げ、彼はわが狩網に捕らえられる。
わたしはカルデアの地、バベルに彼を連れて行くが、
彼はそれ(バベル)を見ないで、そこで死ぬであろう。
援兵として彼を取り巻く者や彼の全部隊をわたしはあらゆる方角に散らす。
わたしは彼等の後ろから剣をふるう。こうして、わたしが彼等を諸国民の間に散らし、彼等を国々に追散らす時、彼等は知るであろう、わたしがャハウェであると。
わたしは彼等の中から少数の人々を残し、
剣から、飢餓から、疫病から彼等を守る。
それは、彼等が捕囚として赴いた諸国民の間で、
彼等自身の忌まわしい行為の数々を語り伝えるためである。
こうして、彼等は知るであろう、わたしがャハウェであると。」
地の荒廃
ャハウェの言葉が私に臨んで言った。
「人の子よ、震えながらあなたのパンを食べ、身震いしつつ、不安の中であなたの水を飲むがよい。そして、この地の民に言わなければならない、主ャハウェがエルサレムの住民に向かって、イスラエルの地に向かってこう言ったと。
『彼等は不安の中で自分のパンを食べ、怯えながら自分の水を飲む。
それは、その地とそこに満ちるものが、そこに住む全ての者達の暴虐ゆえに、荒れ果てるからである。人々の住む町々は廃墟となり、地は荒廃する。
こうして、彼等は知るであろう、わたしがャハウェであると。』」
ャハウェの言葉は実現する
ャハウェの言葉が私に臨んで言った。
「人の子よ、イスラエルの土地について、『日々は長く続き、※②幻はすべて廃れゆく』と言う、この諺(ことわざ)はお前達にとって何なのか。
それゆえ彼等に言え、主ャハウェがこう言ったと。
『わたしはこの諺を消滅させる。もはや、彼等がイスラエルでそれを諺として口にすることはないであろう。むしろ、彼等に語れ、その日々とあらゆる幻による言葉の成就の時は近づいたと。
実に、イスラエルの家の中には、もはや、空しい幻やへつらいの託宣はすべてなくなろう。というのも、わたしャハウェが語ろうとすることを語り、その言葉は成し遂げられるのだから。
もはや決して引き延ばされることはない。
実に、反逆の家よ、お前達の時代にわたしがこの言葉を語ったのである。
わたしがこれを実行する。』」
とは、主ャハウェの御告げ。
ャハウェの言葉が私に臨んで言った。
「人の子よ、なんと、イスラエルの家は言っている。
『彼の視た幻は、多くの日々を経た将来に関すること、はるか遠い時期ついて彼は預言したのだ。』と。
それゆえ、彼等に言え、主ャハウェがこう言ったと。
『わたしが語るすべての言葉は、
もはや決して引き延ばされることはない。
その言葉は成し遂げられる。』」
とは、主ャハウェの御告げ。
❖補足文
(※①指導者がこの重荷…原語ナーシー。正規に認められた集団の長。「族長」、「君主」、「首長」など。本書では原則として「指導者」と訳す。
「重荷」の言語マッサー、は「神託」をも意味するもので、「指導者」の前に前置詞を加えて「この託宣は指導者の上に下された」といった類の理解も古くからある。