【魔術】
■ 魔術の役所ー古の日本の魔術ー
日本の伝統的な神道では、万物、木、川、山、あるいは建物さえにも神が宿っているとされた。そうした聖霊は専門家の手によって、操ったり怒りを鎮めたりすることができた。
狐使い(狐の霊に取り憑かれた者。飯綱(いづな)・管狐などと言われる。)はとりわけ強い形で神が出現したものだ。狐使いは変幻自在。姿を隠し、時には他人に憑くこともできた。
紀元前5、6世紀には、仏教、道教、そして中国の5行、陰陽などの信仰が日本に入ってきて神道と融合する。これら全ての影響に対し、あるいは神の意志を確認するために、日本人は複雑な予知の体系をつくりあげた。
魔術を行う者は陰陽師と呼ばれ、占いの儀式を取り仕切ったり、星や日食月食などの異常現象から吉凶を読み解いたりした。更には悪魔祓いも行っていた。まず悪魔に取り憑かれた者の身体に精霊を入り込ませ、取り憑いた霊に尋問させて正体を暴く。そうすることで招かれざる霊を取り除く最適な儀式を見極めたのだった。
陰陽師は宮廷官史となり、彼等が実践する陰陽道は広く受け入れられ、陰陽寮という役所が陰陽師を任命するようになった。
陰陽師の占いの結果によって、訪問者を受け入れるかどうかを決める物忌(ものい)みや、貴族が外出する際に守護を受け入れるための儀式である反閇(へんばい)は、1868年に明治天皇が即位しこれを禁止するまで続いた。
魔女、魔除け札、大衆魔術
陰陽師は魔術師に近い仕事も行っていた。その多くには、霊の側近ともいうべき式神がついていた。式神はしばしば動物となって現れ、儀式がきちんと執行されないと恨みを持つとされた。陰陽師はお礼と呼ばれる護符を吊り下げて邪鬼を追い払った。
呪禁道(じゅごんどう)を行い、妖怪を退治して病気を治すのもいた。こうした大衆魔術において、陰陽師の壮大な神託は民間伝承にもなっていった。人々は、黒犬の皮を燃やせば嵐を鎮められるとか、雷に打たれた木の削りくずを噛めば臆病心が治るなどといった事を信じたのである。
本流の魔術
最も高名な陰陽師である安倍清明は、不可思議な出来事を分析し悪魔祓いを行うことに長けていた。占術書を何冊も著している清明は、貴族の赤子が生まれる前に男か女かを占って宮廷に気に入られ、陰陽寮の長となる。以後、彼の一族は19世紀までこの寮を束ねた。安倍清明はその魔力によって名を成した。
母は狐使いであったということを、ライバルである芦屋道満(非官人の陰陽師とされる)との魔術対決に関する壮大な回想録の中で自ら記している。
そのエピソードの1つに、道満が箱の中に15個のミカンを隠し、何が入っているか当ててみろと清明に言うと、清明はミカンをネズミに変身させ、その数を正しく答えたという。
■ 宇宙のサイクルーマヤの魔術ー
マヤ人、メキシコおよび中央アメリカの土着の人々は、豊かな精霊の世界に生きていた。ありとあらゆるもの、曜日までもが神聖であると考えられ、儀式や魔術は、神と交信するための手段だった。
精霊と暮らす
マヤ文明は250-900年頃の古典期に最盛期を迎える。何十もの都市国家に巨大なピラミッド、神殿、広場がつくられた。その宗教的な生活は秩序だっており、かつ、あらゆるものを対象としていた。
主な神には、雨の神チャクや、トウモロコシ神がいる。トウモロコシ神の具体的な名前についてはまだ論議が続いているが、その死(収穫)と再生(種)のサイクルはマヤ人の人間性を象徴していたとされる。
神々は神殿や碑文を通じて崇拝され、曜日や方向、岩にさえも精霊が宿っていると信じられていた。こうした多様な世界との折り合いをつけるため、マヤ人はアーキン(シャーマン、および神官)に頼った。アーキンは、呪文や幻覚剤を使って聖霊の世界に入ることができた。最も効果のある仲裁者は王族であったが、王族はすでに半神であり、神と語って自分達の都市を守護してもらう力があると見なされていたのだ。
血で神を鎮める
マヤ人は、人間は神に創造されたものであり、故に神に借りがある。そして、生贄を捧げることでその借りを返せると信じていた。その際に最も強力な供物は血であった。神殿前の階段で戦争捕虜の首を切り落としたりしたのはそのためと考えられる。もっと良いのは、王がトゲ状の骨で自らの肉体を刺し、その血液を儀式用の紙で受け止め、燃やす事だった。その煙を吸えば霊界が見えると信じられていたのだ。人々はこうした犠牲を払うことで、病気を治してもらおうとしたのだった。
また、マヤ人は、自分の中にはいくつもの魂が宿っており、その1つを損なうことで病気になると考えていた。そうした魂の1つには、オオリスという閃光があり、創造神があらゆるものの中に閉じ込めたものだとされた。
またウェイオブという、すべての人の魂に寄り添う動物もいた。王の魂に仕えるのはジャガーだが、それ以外のウェイオブも仕えていた。王族や神官などの魔術師達には、最大13ものウェイオブがいたという。
予 言
時、場所、そして神性は複雑に絡み合い、数字や色、方位器の針などと結びついていた。マヤ人は、天は地上に13層に重なっていると考えていた。大半の魂が死後に辿り着く地下世界は9層である。
神は各々4つの化身を持っており、それぞれが色と方位に結び付けられてた。
マヤの1年は祭祀歴が260日、太陽暦が365日であった。
つまり、この2周期を組み合わせた「カレンダー・ラウンド」は52年一巡していた。
マヤの神官は、こうしたシステムを司るのに必要な知識の守護者であった。彼等は金星や月などの天体を注意深く観測し、天宮図や暦を作成。そうした観察から、特定の活動を控えるべき忌み日を決めた。
また、生贄の動物の内臓や、土の上に放り投げた穀物の模様を読んだり、魔法の鏡に映る像を見たりして吉凶を占った。
魔術や神が常在する世界においては、神託を理解することがマヤ人にとって何より重要だったのである。
■ 杖を持つ者ー北欧魔術ー
北欧の人々のキリスト教への改宗は8世紀に始まるが、その数世紀前には、彼等は豊かな神話と異教信仰を生み出していた。その世界は、運命を牛耳る超自然の女の精霊ノルンに支配されていた。そして、その他にも2組の敵対する神族がいた。
オーディン神とトール神が支配するアース神殿と、フレイ神とフレイヤ神を擁するヴァン神族だ。ノース人達(古代北欧の人々)は、世界は神秘的精霊、つまり巨人やエルフ、小人などであふれ、木や岩、川、家さえも、ヴェッティルという精霊や悪魔が宿っていると信じていた。こうしたすべての存在に呼応するように、魔術的要素を伴った複雑な信仰が生まれたのだ。
古代北欧魔術の伝承が、その時々に文字で記されたことはほとんどない。後世に、主にサーガ(叙事詩)として生き残るのだが、それは恐らくキリスト教の観点から着色されているのだろう。また、わずかながらルーン文字などの考古学的遺物の中にも残っている。
予言者と魔法
古代北欧魔術の核にはセイズという、主に女性が行った魔術で、ヨーロッパの魔女の概念の起源と見られるものの1つがある。
男も魔術を行いはしたが、それはエルギ(女々しく恥ずかしいもの)だと見なされた。
セイズはシャーマニズムであり、幻視の旅や霊界との交信も行った。
ノルンは運命を支配するとされていたが、それを予見し、再構築する力を与えてくれるのはセイズであった。セイズを実践する者は、集会に招かれ、人々の未来を占ったりした。
また、詠唱や呪文を使って神と交信することもあった。最も崇拝されたのが、セイズに長けていたヴォルヴァ(杖を持つ者)だ。彼女達は長い青色上衣をまとい、そのフードは白猫の毛皮と黒羊の毛で縁取られている。
人の心と記憶を操ったり、形を変えたり、ものを見えなくしたり、あるいは敵に呪いをかけることも出来た。更には、愛、セックス、美の神フレイヤと繋がっていた。北欧神話の最高神で戦争と死の神とされ、かつ詩文の神としても知られるオーディンに「男らしくない」セイズ術を教えたのはフレイヤだといわれている。
運命の支配者
北欧の人々は多くのノルンを信じていた。いずれも女神だ。その中にはエルフや小人もいるが、主な3人のノルンは、神の家アスガルドにあるウルズ(運命)の井戸に暮らす。この3人は、井戸から水を運び、偉大なる世界の木ユグドラシルに注ぐ。神、人間、巨人、そして死者の世界をつなぐ木だ。3人はその木の根元に座り、命の糸を紡ぎ、生きとし生ける者の運命を編む。運命を支配することで、彼女等は神よりも大きな力を持つことになったが、それは善にも悪にも作用した。
ノルンは赤子が誕生すると必ず傍にいて、その運命を定めるという。母親にはノルンの粥が与えられた。母親は一口味見して、残りはノルンに捧げ、赤子には素晴らしい人生が与えられるように祈るのだ。
この3人のノルンは、シェイクスピアの『マクベス』に出て来る魔法使いのモデルだと考えられている。マクベスは魔法使いの占いによって悲劇に見舞われるのだ。
ノース人は魔法使いに未来を占ってもらうと同時に、吉凶の前兆を追い求めた。ロット占いは普通に行われた。例えば、果物の木の枝を細かく切って、白布の上にバラバラに放り投げた時にできる模様から未来が占えると言われていた。
自然の魔術
ノース人は、自然現象の中に何らかの兆候を見定める卜占を行った。極端な自然現象、例えば嵐や日食などは神からのメッセージであり、動物もそのメッセージを運んで来ると信じられた。白い馬は崇拝の対象であり、聖なる森の中で飼われた。神が手綱を取れるようにと、空のままの馬車を白馬につないで走らせると、その轍(わだち)の跡が神の意思の表明として解釈された。
カラス、大カラス、あるいは鷲の飛び方もなんらかの吉凶を表すとされ、戦いの前にカラスを見ることは吉凶であった。867年にノース人で初めてアイスランドで船で目指したフローキ・ビルガリズソンは、その案内のために3羽の大カラスを連れて行った。それは1度に1羽ずつ放ち、その飛ぶ方向を見て船を進めたという。
生 贄
オーディンをはじめとする神々を味方につけておくことは大変重要なことだった。そこでノース人はブロット(生贄)を捧げて神の機嫌をとることにした。儀式で動物を捧げたが、人間も生贄となったという証拠も残っていた。
1072年、ドイツの修道士ブレーメンのアダムの記録によると、スゥェーデンのウプサラにあるトール、オーディン、フレイヤの神殿に、生贄の伝統があったとされた。9年ごとに、人間も含めたあらゆる種類の生き物の雄を9体ずつ用意し、神殿近くの聖なる林で殺し、その死体を木に吊るしたという。
このような人間の生贄の話は、キリスト教によるプロパガンダではないかと考えられていたが、スゥェーデン、トレルボルグの遺跡発掘現場から、残忍な真実が見つかった。5つある井戸の全部から、人間や動物の骸骨が一緒に出土したのだ。5体あった人間の生贄のうち4体は、4歳から7歳の子供だった。
だが、これほどおぞましい生贄の儀式はそう多くはない。(?)
ごく一般的だったのは、人間や動物ではなく、貴重な宝石や道具、武器などを湖に投げ入れることだ。デンマークのジーランド地方にあるティソ湖はテュール神の聖地であるが、ここからはそうした供物が山のように見つかっている。
印の力
シジル(特殊な記号。シンボル)には、口に出す呪いの言葉と同じほどの魔術が宿っていた。シジルは、お守りや、魔力が潜むとされる特定の木や金属に彫り込まれた。
中にはトールの鉄槌や、オーディンの矢のように、神に捧げられた魔法の道具を再現したものもあったようだ。トールの鉄槌はミョルニルと呼ばれ、この神の最も重要な武器であり、敵に投げつけても必ず手元に戻って来ると信じられていた。
雷は、この鉄槌が敵を切り裂く音だと信じられていた。この鉄槌の印を身に着けていれば、加護と力を与えられるという。スワスティカと呼ばれる古代の鍵十字の印と似ていて、太陽の輪とともに描かれることが多い。また、幸運と繁栄をもたらすという。
最も謎めいていて強力な印は「ヘルム・オブ・オー畏怖の兜」であろう。光を放つ腕のような、鋭利な3叉の矛が8本描かれているものだ。これを身に着けた者は必ず勝利し、敵に恐怖を植え付ける。…
■ ルーン文字
ノース人などのゲルマン系民族が最初に書いた文字は、角形に彫られたルーン文字と呼ばれるものだ。起源3世紀頃に登場したこの文字は、16,17世紀まで使われていた。アルファベット同様の機能を持ち、その最古の形態であるエルダー・フルサクには24文字、新しいヤンガー・フルサクには16文字がある。
どちらのルーン文字も、文字以上の役割を持っていた。つまりシンボルないし象形文字だったのである。「ルーン」自体が「文字」や「謎」を意味しており、ルーンは力と魔術の秘密の言語だった。例えば、英語のTにあたるTiwaz、つまり天の神を表現し、矢が空を指しているように見える。矢は方向を支持するだけではない。Tiwazは戦いの神でもあったことから、確実に勝利を収めたい時にはこの文字が彫り込まれた。
また、Uにあたる文字はUruz。これは、今は絶滅したが、かつてヨーロッパの森に生息していた巨牛オーロクスを指す。「意思の強さ」を象徴する文字だ。
ルーン文字の中には、魔法の呪いと考えられるものもある。したがって、ガルドララグ(特殊な韻律)とともに唱えて、その力を引き出した。こうしたルーンの音は文字が生まれる遥か昔から存在していたと考えられる。伝説によると、ルーン文字はずっと昔から存在していたが、戦いの神オーディンが、世界の木ユグドラシルから吊るされて苦しみもがいていた時に初めて発見したという。その文字は3人のノルン(運命の女神)が木の幹に彫ったものだった。ルーン文字は、あらゆるものの運命を削り出すノルンの力を示すものでもあった。
◆補足文
(ルーン文字は現在でもよく使われています。主に占いにですが、スピリチュアル系の人達はこのルーン文字に惚れこむ方が多いようで、その文字形態が可愛らしいイメージがあるせいなのか、これをファッション感覚でイニシャル文字のペンダントにしたり、もちろん意味を付けたお守りにする小物を使っております。
(木片や、小石、もしくは宝石類に彫られたものなどが普通によく売られています。)
また、ルーン文字を解説する書籍やカード類なども結構出ております。これらは、キリスト教の天使達ともよく結び付けられています。『天使カード』なんか数秘術も入っておりますし……。カード類はすべて吉凶占いです。魔法使いや魔女に興味がある人達はむろん知っていることでしょう!)