tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

魔術 3.

【魔術】

 

 

 

 ■神々の意思の解読ー古代ギリシャの占術ー

 

 

 古代ギリシャ人達は、自然現象や動物、物体を解読したり、直接交信を試みることで神々の意思を理解しようと努めた。神々はたやすく怒り、そうなると限りある命の人間には凄惨な罰が下されるこの世界で、なんとか神々の意向を占い、機嫌をとる方法を知ろうと執心したのだ。

 

 

 

 占い師と宣託

 

 占術が最初に記載されたのはトロイ戦争を詩にした『イーリアス』だ。そこで英雄アキレスは、アポロ神はなぜギリシャ人に怒っているのか尋ねようと夢占い師に提案する。

 神々の意思を問う方法は色々あった。専門の呪術師は、鳥を観察して(オルニトマンシ―:鳥占い)、鳥が空高く飛び、翼を大きく広げているのを吉兆とし、あるいは、生贄の動物の肝臓を見て(へパルトマンシー)、少しでも異常があれば凶兆とした。

またくじを引いたり、獣の趾骨(しこつ)を投げて問うたりした。糸で吊るした指輪をアルファベットが書かれた文字盤にかざすと神々が応じてくれることもあった。神々と身近に交信するために、ある神聖な場所で眠った人の夢、それは例えばエピダウロス古代ギリシャの都市)にある癒しの神アスクレピオスの神殿などだったのだが、そこで見た夢のお告げを解釈することもあった。

ギリシャ語魔術パピルスには、少なくとも30種類以上の夢占いの儀式が記されている。

 

 最も直接神々に接する方法は、神託(通常は神官を通じて得る神々の助言)を介することだ。ギリシャの世界の神殿ではどこでも、質問者には神官が神々の答えを伝えた。  

 神官はしばしば聖なる狂乱状態(その状態は「マンティケ」と呼ばれ、ギリシャ占術の呼称ともなった)に落ちた。中でも有名なのがデルポイの神殿で、そこではアポロの巫女ピュティアが、地下洞窟から吹き出す煙を浴びてトランス状態となり、神託を伝えた。彼女の元には、多くの都市から国家の重大に関わる答えを求める参拝者が訪れた。ただ、その神託の内容は不可解だった。

紀元前546年、リディア王クロイソスが、侵攻してくるペルシャ軍と戦うべきかどうか尋ねた際、彼女は、戦えば帝国が破壊されると託宣した。クロイソスはこれを攻撃するべきだと捉え、終える者帝国を破壊するべく戦いに打って出るのだが、散々に打ち負かされ、自らの「帝国」が破壊されてしまったのである。

 

 

 

 ■ ピタゴラス数秘術

 

 

 紀元前6世紀のギリシャの数学者ピタゴラスとその弟子達は、宇宙は数字と密接に繋がっていると信じていた。数字を理解することで過去の出来事が理解でき、未来も占えるだろうと。

 数字に特別な特徴を持つものがあった。2と3は男と女と考えられ、両者を足した5は結婚に関係する。1,2,3,4を足すと完全数の10(天体と同じ数)となり、これは特に吉兆となる。

 ピタゴラスが発案した新たな技法により、後にアルファベットの各文字に数字が割り振られた。そして個人の名前の数字を合計するとその名前に関する魔術的な洞察が得られるようになった。

 

 

 

 ■ 国力・科学・迷信ーローマ魔術ー

 

 

 ローマ人は独自の魔術信仰を持ちつつも、魔術は神に近づく術であると言う古代ギリシャ人の思想も受け継いでいた。しかし、ローマの法の下では、公式の宗教と魔術は厳格に区別されるようになり、魔術を行う者はあからさまな迫害を受けた。

 

 

 

 国家と魔術

 

 ローマ魔術の多くは、ローマ帝国以前の古代イタリアの住人達から受け継がれたものだ。例えば、腸卜師(動物の肝臓の状態を見て占う神官)が重要な役割を持っていたことからも、初期のローマ魔術の伝統にエルトリア人(イタリア半島の先住民)が強く影響していたことが分かる。

公式に生贄を捧げて都市の安全を願う儀式は、紀元前8世紀から7世紀にはすでに行われていた。卜占(天候、鳥の飛翔、生贄の動物の内臓による占いなど)も同様である。紀元前509年から始まるローマ共和国では、両方が国家の正式な儀式となった。

 

 紀元前2世紀にローマがギリシャを征服してからは、ギリシャの「拘束魔術」への信仰がローマ文化にも浸透し始めた。例えば、競技や恋愛の競争で勝つために呪いの石板が使われるようになり、お守りも広く普及した。(特にブラという陰茎型のお守りは、ローマの少年達が邪視を避けるために身に着けた。)

皇帝達でさえも、魔術の恩恵にあずかろうとしたようだ。西暦180年、皇帝マルクス・アウレリウスが現ドイツのドナウ川沿いにいたクアディ族と戦った際、皇帝の部隊は、エジプト人魔術師アルヌフィスが起こした大雨のおかげで喉の渇きを癒し、脱水で死滅することを免れた。皇帝達はまた、『シュビラの書』も参考にした。……

 

 

 

 人気の魔術と占星術

 

 魔術は哲学と融合し、裕福なローマ人の間では、深遠な教義を持つ神秘主義集団への関心が高まりを見せた。これらの信義の中にはピタゴラス教団、イシス(古代エジプト豊饒の女神)の崇拝、ヘルメス主義、そして肉体世界の創造をヘカテという女性の力に帰する新プラトン主義という哲学思想の一流派などがあった。

 とはいえ、1世紀頃の初期のローマ帝国ではまだ、100万もの市民が住むような活気ある通りでは、他流派の魔術も隆盛していた。全ての貴族階級のオカルト学者には、何百人もの占い師、プレカントリシス(媚薬を売り、簡単な癒しの儀式を行った女魔術師)、あるいは人気の占星術師などがいた。

 

 

 ◆補足文

(※上記文は全く現代と変わらない様子を表しています。イルミやフリーメイソンに詳しい人ならこの辺りは常識ですが、彼等支配層達がエジプトの神々や、この時代のギリシャ、ローマ時代の神秘主義を受け継ぎ、信奉し、世に広めていることは明白です。

彼等の宗教の全て(あらゆるカルトとそれにおける建造物)において古代の魔術的なシンボリックが認められています。

 参考に、

YouTube

古代エジプト文明の秘密がヤバすぎた!

 (2021年7月24日公開)

  大人の学び直しTVさん配信

 

「快楽に溺れながら生きていた古代ローマの~物語」

 (2021年12月10日公開)

「愛人を守るため戦う。古代ギリシャの神聖隊。(ゲイで構成された特殊部隊)」

 (2021年9月3日公開)

  僕らの知らない物語さん配信

 

の中で、古代エジプト、ローマ、ギリシャの文化がどのようなものだったかが分かるのですが、私達が学校や歴史文書などで美しいだの、素晴らしいだのと習うものとは全く別物の世界観だったということが理解出来ます。そして更にプラスして、魔術が生活に深く浸透していたことも本当に驚きです。)

 

 

 

 占星術は、大衆の魔術と貴族社会の魔術との間をつないだ。

高名な学者であり、政治家でもあるキケロの友人、ニギディウス・フィグルスがエジプト占星術の本を著したが、それが多くのローマ魔術の土台となっている。

新進気鋭の天文学者クラディオス・プトレマイオス(天動説と地球中心の太陽系説を唱え、それがルネサンス期まで受け継がれた)さえも、月が潮の満ち引きに影響を及ぼすように、天体の動きも本能的に人の行動に影響を及ぼしうることを指摘している。

 

 現存するローマ占星術に予言はあまり残っていないが、それを行ったのは占星術師だった。これは、魂は人として生まれるために地球に降りてきたが、天界のなにかしらの特徴を受け継いでいる、という説に基づく。

例えばサトゥルヌス(土星)のずる賢さ、マルス(火星)の武勇、メルクリウス(金星)の雄弁さ、ユピテル木星)の支配力などだ。

しかし予言は占星術師達の没落を招いた。

西暦16年、人脈は広いが素行の悪い貴族ドルスス・リボは、星占いでいずれ皇帝になれると予言されたために逮捕された。(彼は裁きを受ける前に自害する。)

この一連の騒動後、占星術師は全員ローマから追放された。紀元前139年と33年にも同様の迫害は起きたが、西暦69年と89年にはより大規模に繰り返された。

 

 

 

 交霊術

 

 ローマ人の中には、もっと恐ろしい魔術を実践する者もいた。ティベリウスの養子ゲルマ二クスが西暦19年に突然死亡した際、それは魔術のせいだとの噂が立った。検視官達によると、彼の部屋には、呪いの石板、呪文、焼け焦げた遺体で溢れかえっていたという。焼死体は交霊術の証だ。それは死者を取り込んだ魔術であり、死者が神にメッセージを伝え、未来を透視するのだと言われていた。

残酷なことで有名な皇帝達にも、交霊術を使っているという噂があった。ネロは、自ら殺した母の亡霊を呼び出し、許しを乞うのだとか。

 

 

 

 

 ■ 秘密のベールの中でー神秘的異教ー

 

 

 古代ローマの庶民達は、神殿での公の儀式への参列が禁じられていた。そのため多くが神秘的異教、つまりは自分達を受け入れてくれる非公認の宗教を信仰するようになった。神秘的異教は神と直接つながることが出来、より幸福な死後への希望や、社会的絆も与えてくれたのだ。

 

 神秘的異教が繫栄した理由の一つに、ローマ人が異国の宗教に格段に寛容だったことが挙げられる。そうした異教の主な特徴は、転生のための謎めいた儀式として、入信をはじめとした儀式が神秘的であることだ。中でも長い歴史を誇るのが「エレシウスの秘儀」だった。収穫、多産、生死の輪廻を司る女神デメテルを崇拝し、アテネ付近のエレシウスという町を中心に広まったが、その主な儀式は、毎年8日間かけて開催される祭りだった。その期間、入信予備軍達は暗い森を抜け、ハデス(黄泉の国)への旅を疑似体験する。そこへ、松明を持った司教達が現れるのだ。

 

 

 

 ワインと月の歓喜

 

 イタリアの異教「ディオニシス」の入信者達は、このギリシャのワイン神を奉り、大密儀テレタイにいそしんだ。松ぼっくりの先端につけたフェンネルを蔦で覆ったティルソイという杖を持ち、恍惚となる踊りや、歌唱を繰り広げる儀式だ。

同異教の活動に対し、ローマ当局はとりわけ懸念を抱き、紀元前186年に禁止を試みている。

「マグナー・マーテル」という異教に対しても同様の懸念が持たれていた。

これはアジアの月の女神キュベレーとその伴侶アッテイスを崇拝する宗教だ。コリュバンテスと呼ばれる信者達が、シンバルを使って張り裂けるような音を出し、自分達を幸福感の狂気の中に追い込む。最も熱狂的な男性信者達は自ら去勢するほどだった。

 

 

 

 打楽器と生贄

 

 西暦65年にはエジプトの女神イシスの異教が、ローマに神殿を建設する。その神官達は儀式の清廉さをいたく重んじ、剃髪し、麻の服をまとった。

とはいえ、シストルム(打楽器風の楽器)を使った騒々しい儀式に没頭したのが「ミトラ教」だ。西暦1世紀に誕生したこの異教は、ペルシャの宗教から間接的に派生した。その主要な儀式はトーロクトニー(牡牛供犠)であり、死に瀕した牛の血が純潔と再生の象徴となった。

信者は全員男性で、コラックス(カラス)からパーテル(父)まで7階級に分かれ、崇拝するミトラ神の儀式を、洞窟を模した四角い地下神殿で執り行った。

ローマ帝国の隅々まで浸透したミトラ教だが、それも他の神秘異教同様、帝国が4世紀にキリスト教を取り入れるまでだった。それ以降は、迫害されるようになったのである。