tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

魔術 1.

【魔術】

 

 

 

 前回の内容を踏まえまして、ここからは悪魔崇拝に欠かせない「降霊術」によって行われるようになった【魔術】について、専門書などから深堀りしてみようと思います。

 

 当然のことながら、魔術(占術)は人間が自分の知識やエネルギーを使って誕生したものではありません。特に占術関連は「統計学」だと言っている人達もいますが、根本は違います。その起源は「降霊術」による霊との交信による知識がはじまりです。

天文学、医術も同じですが、全ては堕天使や悪霊共による教えで生まれたものです。

そして、神を馬鹿にし、逆らうための多くの「嘘」を練りこんで教えているのです。

ここら辺を知っておくと、古代においても現代においても、いかに支配層連中がこれまで人類に何を行ってきたのかということが見えてくるかと思います。

いつの時代においても、世の支配層である彼等こそ、こうした「降霊術」のスペシャリストであり、長年の信奉者なのですから。

 

 

 

『魔術の書』スザンナ・リップスコム著・Dk社より引用。

 

 はじめに

 Intoroduction

 

  魔術は、人類と同じくらい古くから存在している。古代の人々は、周囲の環境を認識し始めるとすぐに、そこは精霊が満ちており、その力を借りれば、自分達も直接、あるいはシャーマン(精霊の世界を行き来できると信じられていた)もしくは芸術を通じて周囲をコントロールできると考えるようになった。古代人は土偶を作ったり、洞窟の壁に動物の絵を描いたりしたのは、そうすることで魔法の力が手に入ると信じていたからだという。

 社会が発達するにつれ、人類が想像する精霊の世界にも上下関係や秩序が形成されていった。紀元前4000年頃、古代エジプト王国やメソポタミア都市国家シュメールにおいて、神々は、統治者や神官、貴族らと同等の存在として扱われていた。

文字の発達によって、こうした地域の公の宗教については、新石器時代の祖先達のそれに比べてはるかに多くのことが分っている。

魔術に関しては更に良きにつけ悪しきにつけ、詳細が明らかになっている。

例えば、偶像の足を折ることで、さまよう霊や魔女を追い払った古代バビロニア人や、マルドゥク神をそそのかして敵を病気にした魔女などは、意図的な害意をもってそうしたのだとされる。

また、家の中に邪気が入り込まないよう土偶を敷居の下に埋めるといった行為は、精霊界に悪の力が存在することを認め、それを鎮めなくてはならないと信じていた行動だ。 

 

 後世に使われた魔術道具の多くは、驚くほど早い時代から登場していた。古代バビロニア人やエジプト人は、護符を身につけ、呪文書も記していた。エジプトでは墓碑に呪文を刻み、危険をくぐり抜け、死後の世界に無事に辿り着けるようにと、死者の魂を魔術で守ろうとした。

話したことも、書いたものも、言葉は魔力をはらむと長い間信じられてきた。

古代ギリシャ人やローマ人は、呪いの石板に悪の願いや呪文を書き込むと、それが叶うと信じていた。

 

 やがて魔術師は、独自の秘儀や理念を持つようになる。古代エジプト人は、

類感呪術(Sympathetic  magic)、治療薬は、その素材・色・形などが魔術で治療する対象となる病気そのものの部位や症状と類似しているはずだという考え方(だから黄疸は黄色の薬が効く)を知っていた。

 ギリシャ人は束縛の概念を生み出した。つまり、魔術師は適切な儀式を行えば、月ほどの大きなものであっても、他人や対象物を物理的もしくは精神的に支配できるというものだ。……(略)

 

 多くの文化が、魔術に関し、具体的かつ規律ある規則を生み出している。その最たる例が日本で、陰陽寮という役所まであった。それ程ではないにしても、精霊の永遠の力はどの文化でも意識されていた。

マヤ文明では、宇宙観測が行われ、壮大な時間のサイクルが認識されている。そして、神経を興奮させる煙を吸い込むことで精霊の世界に入ることができた。これは、太古の石器時代の魔術信仰を踏襲したものだ。

 

 古代の世界においては常に混沌と死がつきまとい、決して遠ざけることは出来なかった。だから人々は、たとえ一瞬でもそこから逃れることを切望したのだ。

つまりそれは、魔術が人の傍らにずっと存在し続けたことを意味する。

 

 

 

 ■ 古代のルーツ

 

 霊 界

 

 周囲に存在する数多くの霊と良好な関係を維持することは古代人にとっては死活問題だった。そこで登場したのが、精霊と交信し、それらに影響を与えるための儀式を取り仕切る専門職だ。(シャーマンと呼ばれることが多い)

シャーマン達は、呪文や太鼓のリズミカルな音、あるいは幻覚作用や神経刺激作用のある薬草の薬を吸い込むなどしてトランス状態となることで、霊界に行くことができた。

……

 

 

  ここから国別の魔術の説明。

 

 

  ■ 偏在する魔術ーメソポタミアの魔術ー

 

 

 古代メソポタミアは、チグリス・ユーフラテス水系に恵まれ、現在は主にイラクの土地となっている。当時、そこの住む人々の暮らしには魔術があふれていた。

シュメール人アッシリア人、そしてバビロニア人はいずれも、悪魔祓い師(エクソシスト)や占い師の助けを借りて、悪意ある超自然現象から逃れ、未来を知りたいと欲した。紀元前4000年頃に初の都市国家を建設したシュメール人から、その300年後に反映したバビロニア人の時代に至るまで、メソポタミアでは魔術が日常の隅々まで浸透していたのだ。……

 

 

 

 魔術返しと前兆

 

 不幸や病気は、しばしば魔女や悪魔のせいにされ、魔女は呪いをこっそりかけるとも思われていた。神官達は悪影響を和らげるための儀式を編み出し、9枚のマクルーの石板にまとめて記した。

最初に編纂されたのは紀元前1600年ごろで、その後長きにわたり、アーシプ(神殿の神官で、魔術を司る者)の間で代々受け継がれていったのである。そのうちの8枚の石板には100種類の呪文が記されており、いずれも災いをもたらす魔術を見分け、操るためにアーシプが用いたものだ。9枚目の石板には、呪いを解く儀式の方法が説明され、呪いをかけた魔女の小像は焼き払うようにとも書かれている。

悪魔祓い師は、医術者を兼ねていることも多かった。

この石板には、健康の女神グーラを呼び出す呪文も記されている。病気を引き起こしている悪霊を追い出してもらうためである。

 

 バールと呼ばれる占い師達は、羊の内臓の形を読み解いた。(extispicy:内臓占い)

また、日食や太陽の光輪(都市の破滅の予兆となる)、金星の不規則な動き、雲の様子といった天空の状態も観測した。その他の異常の前兆としては、奇形動物や合体双生児の誕生、あるいは赤犬が男に向かって放尿する(これは幸運のしるし)などがある。

メソポタミア人は、※物体には命が宿っており、とてつもなく強い魔力を受け止めることが出来ると信じていた。 

それらは邪気を払ったり弱体化させたりでき、悪を追い払う助けとなる神の庇護をもたらしてくれるのだ。

 

 王宮は、翼のある牡牛ないしはライオンの胴体に人の頭がついているラマスの像に守られていた。ラマスは門や回廊、王の間への入口を守護している。こうした境界は「潜みて待つもの」を意味するラビスをはじめとする、下界からの悪鬼の侵に対して特に脆弱な場所だと思われていたのだ。

貧しい人々は神をかたどった人形や、とがった帽子をかぶり、ウロコのような服を着た半人半獣の像を、入り口や窓の下に置いていた。

 

 ※魔術の儀式は「黒魔術」に対抗する為にも重要だった。そしてその原則として身代わりが使われた。例えば、子ヤギに病人の服を着せ、履物をはかせ、死の女神に生贄として捧げることで、女神がその病人の代わりにヤギを死の世界に連れて行くようにした。

同時に幽霊の像もつくり、死人がさまよったり、口を聞いたりできないようにした。通常は粘土人形に使者の名前を刻み、足を折り、犬の歯を口に押し込んで口が開かないようにした。

 悪の魔術の大半は、魔女が神々をそそのかして行うものだと信じられていた。したがって、神への祈り、特に魔術と深く結びついていたマルドゥクメソポタミアの神々の最高神)に祈るのは、強大な父エアの怒りをなだめてもらうためだ。エアこそは、アーシプが悪魔祓いの儀式において利用する究極のエネルギーの源なのだ。

 

 

 ◆補足文

※物体に命が宿っており…についてと、魔術の儀式は黒魔術に対抗するためにも重要だった…について

聖書の中で、神は「物体には命など宿っていない」ことを教え、何度も訴えています。

つまり、これは悪霊による嘘の教えです。

 

 また、「白魔術」と「黒魔術」というように、魔術には良いものと悪いものがあると悪霊達は勝手な理論を作って人々に教えています。しかし、彼等の教える魔術に良いものなどありません。実に「白魔術」も悪い魔術なのです。

(現代でも騙されている人が多い。)

堕天使達は人間に偽善的な魔法を教えることで、自分達は人間のために役に立つ良い神であるということを古代からアピールしているのです。

しかし実際は、悪い事象を起こすのもそれを正す、もしくは治療する事象を行うのも同一の霊の仕業であるのです。

堕天使や悪霊達は、こうした霊的なトリックをすることで、占術や魔術は効果があると人々に信じさせることが出来たのです。

簡単に云えば、一方では悪魔の神を演じ、その一方では善霊の神を演じるというやり方です。

つまり、ということは、この時代から悪魔祓いは「悪霊が悪霊を祓う儀式」だったのは疑いようがありません。

(※因みに、現代のエクソシストは悪魔教であるカトリック司教がやっています。)

 

第一、神御自身が忌み嫌う「魔術師」に呼ばれて出てくるはずもありません。

少し考えたら分かることです。他の天界のまともな天使も同じです。

神がそんなことを許すはずなどありません。

 

 聖書の中で、イエス・キリストが悪霊に取り憑かれた者を何人も癒している場面がありますが、<マルコ1:24>イエスは、悪霊を完全に追い払うことは容易ではないことを後に弟子達に伝えています。悪霊は追い払っても、また再び元の体に戻ってくるからです。)

 

 

 

 ■ 大いなる力ーエジプト魔術ー

 

 

 紀元前4000年にはエジプト人の信仰の中心にすでにヘカ(魔術)があった。ヌー(水の神)をはじめとする創造の神々は、ヘカを用いて原初の混沌から世界を創造した。その過程で、神々は混沌の力を抑え込んだのだ。しかし、混沌の力は常にその復活を狙っており、それを抑えられるのはヘカだけだった。

古代エジプト人にとって、魔術を行うのは神々だけではない。より小さな超自然の存在やファラオ、そして死者も、ヘカを何かしら持ち、呪文を使って悪霊の気をそらすことで、それを行使できると信じられていた。

 

 

 

 宇宙の調和の維

 

 古代エジプト人は、アークと呼ぶもう一つの魔術の力も信じていた。これは悪の力を持ち、地下世界の存在と深い関係を持っていた。「生命の家」、エジプトの神殿内にある文書保管所には、神官をはじめとするアーク魔術師による被害を免れるために、スヌ(医者)やサウ(お守りを作るもの)が、ヘカの呪文、儀式、魔法の道具を使ったと記録されている。

 

 実際ヘカ信仰は、古代エジプト人の間に深く浸透し、生活のあらゆる場面で登場し、国家の問題から、神託の告知、更にはお見合い結婚や出産時における守護、ちょっとした病気の治療など、村の日常の出来事、いたるところにその信仰を見ることができる。

 また、抽象的な力の存在として、魔術を擬人化したヘカと呼ばれる神もいた。ヘカ神は、宇宙の調和を保つためにヘカを貸してくれた。また、祈るのもヘカの神の手引きによって神の加護を得ることが出来た。ヘカ神に相対する女神ウレト・ヘカウ(偉大なる呪術師)もおり、コブラの姿で描かれていた。

古代エジプト呪術師がよく用いた蛇頭の装飾物はヘカウを表したものだと考えられる。

 

 

 

  超自然の力

 

 古代エジプトにおいて、魔術と宗教は互いに密接な関係にあった

神官達は、神殿における儀式を司り、ファラオを通じて神の力を橋渡しし、毎朝太陽が昇るとともに、ナイルの氾濫が大地を肥やしてくれるようにと祈りもしたが、それよりもずっと個人的な目的のために、呪文を唱え、お守りを祝福することもあった。

彼等は『アぺプ滅亡の書』といった呪文書の保護者でもあった。アぺプは、エジプト神話における混沌の力の化身である蛇で、その悪の力はとりわけ恐れられていた。神々はいずれもヘカを持つと信じられていたが、獅子の女神セメクトはとりわけ強大で、その「7つの矢」は疫病をもたらした。……

 

 古代エジプトの神官や魔術師達は、あの手この手で悪神達を追い払おうとした。呪文を唱える際も、その悪神の名を呼ぶことで彼等よりも強い力を得ようとした。あるいは悪神ををたぶらかし、弱い女性とその赤ん坊ではなく、女神イシスとその子ホルスを攻撃していると思い込ませたり、更に恐ろしい砂漠と混沌を司る殺戮の神セトの怒りを買ったと脅したりしたのだった。

人々は加護の呪文をパピルス古代エジプトの紙の一種)に書いて身に着けたり、入れ物に隠してお守りにしたりした。あるいは呪文を鉢に書き、その鉢で水を飲むことで守護を得ようとした。また、ホルスが蛇などの危険な動物を退治しているところを描いたチッピ(彫刻版)を室内に飾ることで、噛まれたり刺されたりするのを防ぎ、傷を治してもらおうとした。

 

 

 

 敵を呪う

 

 呪いは魔術の特殊形である。「呪文書」を読むと、人々は魔術を使って敵を弱らせようとしたようだ。呪う相手の名を壺に書き、それを儀式で粉々に壊して穴に埋めた。

標的とする人物に見立てた男女の像を縛って生贄にすれば、その人物はあの世へは行けない。しかしながら、現世と来世との間に閉じ込められた人間はミュート(生きている人々に復讐しようとする厄介な死人)になると信じられていた。

 

 呪術師が遺体の髪を切って墓に埋葬し、その髪を生きている人の髪に結び付けるという呪いもあった。するとその人は気が狂うという。パピルスを鉄輪に結び付けて墓に埋めるという呪いもあった。パピルスが死者を永久に墓の中に閉じ込めてくれるのだ。

墓の中に直接書き込まれる呪いは、聖なる墓室を冒瀆する侵入者に向けられたもので、永遠の苦痛を味あわせると警告している。こうした呪いは古王国時代(紀元前2575ー2150年)の埋葬においてさらに普及した。ピラミッドの場合も同様で、それは埋葬が大掛かりになるにつれて埋葬品が豪華になり、それが墓を荒らす盗賊たちの標的になったからだ。

 

 

 

 医療と魔術

 

 古代エジプトでは医療と魔術の境界は曖昧であり、荒ぶる女神セクメトを鎮める神官達は、医師を兼ねることが多かった。

多くの病気は治療法が定まておらず、人々は呪文や儀式に頼らざるえなかった。魔術の中には、病気の原因と推定される者と似た物質を治療に用いる「類感呪術」があった。例えば、糞を使って腸の病気を治療するなどだ。

 

 魔術師達は、のどに刺さった骨に向かって、抜けろと「命令する」など呪文を直接的に使うこともあれば、病気を起こして病人から離れるように話しかけるなど、間接的に使う事もあった。また、患部に護符を直接押し当てて病気を抑えることもあった。

死は最大の関心事で、少なくともエリート階級において、死者の見守りは手の込んだものとなり、魂を構成する2要素である「カ ka」と「バ ba」を死に際して結び合わせることが求められた。呪文を施してミイラにし、地下世界へと旅する死者の生命の源となる「カ」を守り、その死者の人格が収まっていた「バ」を解き放つのだ。

 

 紀元前27世紀に書かれた『ピラミッド・テキスト』では、国王の魂は悪魔と闘い、あの世行きの船頭に船賃を渡し、来世へとたどり着くとされていた。社会のより広範な人々に魔法の加護を与える書物が登場するのは、この600年後のこととなる。

 

 

 

  秘術の担い手

 

 

 エジプト神話にも登場する知恵と書物を司る※神トト(Thoto)は、魔術と強く結びついている。トト神は、ヒヒ、もしくは朱鷺の頭を持ち、ヒエログリフ文字の発明者だとされている。トトはその文字で42の秘密の書物を記して神殿に保管した。また、セトに傷つけられたホルスの右目(月)を復活させたともされている。

トトはまた、広大な砂漠に入り込んで、神々の王が見たいと望んだラーの目を取り戻してきた。更に地下世界の記録者ともなり、死者の扉の軽重の測定結果を記録したと言う。

 

 後のギリシャ神話やローマ神話の「3重に偉大な」魔術師であるヘルメス・トリスメギストスはトトが由来だと言われている。

 

 

 

◆補足文

※神トトは、堕天使ではルシフェルのことを指していると言われています。

ルシフェルは国や時代によって様々な神の名前をもっています。

最もポピュラーなものは太陽神と月神です。一般的に、太陽神は男神を指し、月神は女神を指すのですが、天使はもともと性別はありません。ですから、性別を両性と捉えることもあるのです。天体において、最も身近で美しい星の太陽と月を、堕天使の中でもトップの自分になぞらえているという辺りが味噌でしょうか。

しかし、月は女神を表すことが多いので、他の神々、ルシフェル以外の堕天使や悪霊の名前にもなっています。

因みに土星(サターン)もルシフェルが基本、神となっています。カッコいい天体は全部自分です。

 

 あのバフォメットも悪魔の神であり、その性別は両性具有の姿をしています。

世の支配層等が両性具有、つまりセクシャルマイノリティLGBTに対して優しい、むしろどんどんその活躍の場を提供しているのは意味があるわけです。

聖書においては、同性愛者を禁じていますし、悪魔の子等と位置付けています。

しかし、この問題については色々な彼等のたくらみも発覚しているので、神が後に判断されると思っています。

(ホルモン異常の子供が生まれてくるように仕掛けられた薬害の事実

「ODD TV Presents PHARMAKEIA(Part One):youtube Edition」をご覧ください。)

ヘルメス・トリスメギストスが書いたとされる『エメラルドタブレット』の中にも、このエジプトのトト神のことがふんだんに書かれています。)

 

 

 

 

 ■ 死後の世界の呪文

 

 

 古代エジプトでは、「バ」(死者の魂が入っていた魂の要素)は、黄泉の国に下る際に幾つもの試練に打ち勝たねばならないと信じられていた。その試練に耐えられない者は再び死ぬ。つまり、地上での記憶を失い、幽霊として永遠にさまよい続けなければならない。この2度目の死を避けるため、エジプト人は死者の墓を、魂を守る呪文が書かれた死者の書で覆った。

壁画には、「バ」(白装束のもの)に、ジャッカルの頭をした神のアヌビスが付き添っている。死者の罪が羽根と天秤に掛けられて測られるのを見守るのがアヌビスの役割だ。罪の方が重ければ「バ」はワニ頭の悪魔アメミトに貪り食われてしまう。

 

 「死者の書」は多数存在するが、まとまった書として編纂されたことはなく、2つと同じものはない。それぞれが依頼主のために作成され、その個人の死後の世界で救われるための祈りが記される。

死者の書」が書かれ始めたのは紀元前1700年頃で、それまでの書物に取って代わった。呪文は更に追加され、紀元前1500年頃になると200種類ほど記されるのが普通となった。一般人の場合は最大約20メートルの巻物に記し、貴族の場合、墓碑に刻まれた呪文を死出の旅路を行く「バ」が要所要所で唱えたという。

4番目の呪文を唱えると、「バ」は蛇になり、89番目では夜半に墓に戻り、98番目で船に乗って地下世界に渡ることが出来た。

古代エジプト人はこの巻物の効力を固く信じており、紀元前30年にローマに征服されるまで慣習となっていた。

 

 

 例・『死者の書』呪文第9番

 

 「我は高貴であり、我は精霊である。…

 すべての神々よ、すべての精霊たちよ、我に道を与えよ。」