tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

悪魔を愛した者達 5.

『悪魔を愛した者達』

 

 

 次は女神です。「聖書大辞典」「図解・旧約聖書」より引用します。

 

 

■ 女神

 

 Gottin女神神。古代の諸宗教において、女神は多くの場合従属的な役割しか果たさなかった。パンテオンの最高位にある女神としては、ヒッタイト時代のアリンナArinna

の太陽女神が知られているのみである

大抵の場合、女神はその配偶神である男神を補うために考え出された神格であって、独自の神殿は持たなかった。地母神、豊饒女神などがそれである。このような女神達は種々の特徴や特殊性を帯びている。

 

 

 

 

■ アシタロテ

  

  神名〔Astarte〕 

asteret「婦人」とboset「恥ずべきこと」とが結びついてAstoretと母音が付された。

 

 西セム人の豊饒女神。バビロニアのイシュタルに相当する。<エレミヤ7:18、44:17「天后」>。アシタロテはもっぱら豊饒女神で、イシュタルのもつ戦争女神的、天体女神的性格は後退している。このことはウガリットにおけるアシタロテ崇拝からも、また、性的特徴が強調された数多くの女神像が出土していることからもいえる。これ等の女神像の少なくとも一部はアシタロテの象徴であるに違いない。

その祭儀は性的なもので、高き所<列王記下23:13>や売春(→神殿娼婦)と結びついていた。

 

 アシタロテはまた都市神でもあった。

例えばアシケロンないし、ガテ<サムエル上31:10、→ァキシ>、シドン<列王記上11:5,33>などにおいてもそうであった。

 

 ソロモンは政治的関心からオリブ山の南側で「シドン人の女神」に犠牲を捧げさせた。<列王記上11:5>。

しばしば用いられる複数形のアスタロトは、女神偶像を一般的に意味している。アシラ、アルテミス、女神。

 

 

 「図解・旧約聖書」より

 元来はメソポタミアの金星と戦争の女神を起源としており、武装して周囲に星を拝した姿で描かれたとされる。周辺地域の多くの女神と習合して扱われることが多い。

更に男神として扱われたり、よく似た男神と習合しているとされることもある。旧約聖書では、ティルス人やシドン人、ペリシテ人達の信じる女神であり、またバアル神の配偶神としても扱われている。

 

 

 

■ アシラ

 

  Ascheraフェニキア・カナン系宗教で広く崇拝された豊饒女神。ウガリット文書では至高神エルの妻、すべての大いなる神々の母として出ることが多い。他方、パレスチナのカナン宗教では、豊饒伸バアルの妻とされた。

 

 フェニキア南部でも、本来それと同じ地位を与えられていたらしい。※イゼベルが建立させたシドン直伝のサマリヤのバアル神殿には、アシラ像(またはアシラの柱)が安置されていた。<列王記下10:26>。これは当然、バアルとその妻が共にその神殿に住んでいたことを意味する。

 

 ヘブル人侵入以前のパレスチナカナン人も、アシラをバアルと一対にして崇拝していたので、旧約聖書でしばしば両神は一括して呼ばれた。

 

 カナンの高い所では、アシラの象徴物がバアル祭壇の傍らに立てられるのが常であった。また、※アハブ王の宮廷ではシドンのバアル祭司の他に、男女400人のアシラの「預言者」がいたとされる。<列王記上18:19>

 

 

<列王記上18:18~19>

「あなた方はャハウェの命令を捨て、諸々のバアルに従っている。さあ、今、人をやって全イスラエルと、イゼベルの食卓に着くバアルの預言者450人、アシェラの預言者400人を、カルメル山の私のもとに集めなさい。」

 

 

◆補足文

ユダの王アサの治世第38年、オムリの息子アハブイスラエルの王になりました。そしてオムリの息子アハブはサマリアで22年間イスラエルを治めました。

彼はシドン人の王(フェニキアのッロの王で、「バアルは彼と共にいます。」の意味の名)エトバアルの娘、イゼベルを妻に迎えました。そのため、アハブは進んでバアルに仕えました。

 

 また、アハブはアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王よりもャハウェを怒らせる事を行ったのです。また、このイゼベルの父であるエトバアルは、アシタロテ神とメルカルト神の神官でもありました。<列王記上16:29~>)

 

 

 

 彼等の一部は、乱痴気騒ぎを伴うアシラ祭の際には、聖娼(神殿娼婦)として現れたのであろう。同じように<列王記下23:7>にはアシラの娼婦が言及されている。

 

 

 

<列王記23:7>

 「彼はャハウェの神殿の中にあった神殿男娼の家を取り壊した。そこには女達がアシェラ(アシラ)のために布を織っていた所でもあった。」

 

 

 この女神の象徴物は元来、季節の変化に絶える生命力の表現としての、1本の常緑樹であった。その力がアシラという女神として崇拝されたのである。

パレスチナの樹木のない地方では、聖域に立てられた木柱が利用された。この場合、木柱は常緑樹と同じ呪術的な力を宿した代替物であった。

 

 呪術的な考え方によって、アシラの象徴物は常にこの女神の顕現したものとされたので、それもまたアシラの名で呼ばれた。聖所ごとに異なった象徴物が用いられたため、例えばサマリアのアシラなど、様々につけることが出来た。しかし、聖所それぞれに見られる顕現形態の背後には、同一の神の本質が存在する。

 

 カナンの地に侵入したイスラエル人のャハウェ信仰は、その多神教排斥(モーセの第一戒)の中でアシラ崇拝を拒否した。それはャハウェによって罰せられ、イスラエルの民を不幸に陥れる罪とされた。しかし、捕囚期までアシラに対する執着は消滅しなかった。ヨシヤの改革は神殿に巣食った聖娼に関するものであった。彼女達は余暇を利用してアシラ像のための掛け幕を織っていた。

捕囚期になるとようやく、他の外来宗教の慣習とともに、アシラ崇拝もまた聖書の民の間から姿を消した。

 

 

 「図解・旧約聖書」より

アシェラは本来はアシェラトといい、シュメール・アッカド系神話の主神エルの配偶神として崇められていた。豊饒を司る地母神であり、その象徴は「生命の樹」や「女性器」とされる。アッシリアの国名の由来ともされる。

このアシェラトが初期のャハウェ信仰に取り込まれていたと考える研究者もいる。

アシェラの象徴の多くは木製の像や柱だったようである。「出エジプト」や「申命記」では、神自らが直接アシェラなど他の神々を信仰しないこと、またアシェラの像を破壊することを推奨している。

 士師ギデオンが神に与えられた最初の仕事もバアルの祭壇とアシェラの像を切り倒すことだった。また、預言者エリヤもアシェラの預言者と対決している。

 

 

■ アナテ

 

 Anath。西セム系の女神。ウガリット文書では、「処女」、「諸国民の義姉妹(女保護者)」、フェニキア語では「生者の庇護者」と呼ばれている。彼女はカナンの家系の中では「恐るべき子」enfant terrible である。

闘争好きな彼女は兄弟バアルのために戦い、また雌牛の姿で彼に身を捧げもする。イシュタル女神のように、(ウガリット文書『バアルとアナト』)彼の死を悼んで泣いた。

 

 アナテは前13世紀以降エジプトでも崇拝された。ラメセス2世?は天后としての彼女の為に<エレミヤ7:18、44:17>ぺテシャンに神殿を建立した。恐らくこれがアシタロテの神殿<サムエル上31:10>であろう。

ぺテアノテやアナトテなどの地名からみても、パレスチナで他にもこの女神が扱われていたことがわかる。エレファンティネのユダヤ人達は彼女をャハウェの他に崇拝していた。

 

<エレミヤ44:17~>

「まことに我々は、我々の口から出た言葉をみな、必ず行う。我々も我々の祖父も、我々の王達も、我々の高官達も、ユダも町々やエルサレムの巷間で行っていたように、天后に生贄を焼き、彼女に注ぎの葡萄酒を注ぎたい。我々は、パンに飽きたり、幸せであり、災いにあうこともなかったのだ。」

 

 

 

 

◆補足文…

 (上記の女神の説明のように、彼等の女神とは、男神であるバアルの妻であり、

娼婦達の女神でもあった、その象徴でもあったということが理解出来ます。

そして霊的な説明をすれば、女神は豊饒の神の妻というよりも、

元々のルーツは、これは堕天使の妻を女神と表現して神格化したということだと思います。悪魔側としたら、娼婦こそ自分達に相応しい女神ということですから、ある意味納得ですね。

そして、堕天使の妻は魔女であり、占術を行う女達も同じ扱いです。

占術者達は必ずと言っていいほど、女神信仰を信じて崇拝しています。)