tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

聖書外典偽典(旧約偽典)『ヨベル書』1

 

 

<まえおき>

・偽典とは…

旧約聖書の正典・外典に含まれないユダヤ教キリスト教の文書のことをいいます。

 

外典(アポリクファ)とは…

ユダヤ教キリスト教関係の文書の中で、聖書の正典とされる「旧約聖書39巻」、「新約聖書27巻」以外の文書のことをいいます。

旧約外典、新約外典もあります。

アポリクファとはギリシャ語で「隠されたもの」を意味から由来しています。

 

 

  ヨベル書エノク書の両書(偽典)はその成立年代においてきわめて極めて近く、おそらく前3世紀末から後1世紀にかけて成立したものといわれています。

ただし、死海文書の最初の編集委員であったJ・Tミリクによると後3世紀後半の著作であるといいます。死海文書はユダヤ教クムラン教団の中のエッセネ派による著作群であると主に言われていますが、現在もパリサイ派、もしくはサドカイ派など他の意見があり討議されています。

 

聖書外典偽典(旧約偽典・エチオピア語訳)

 村岡 宗光 訳『ヨベル書エノク書より抜粋

 

ヨベル書概説

1⃣ 内容

 出エジプトの書の第一年に、モーセは主に命じられてシナイ山に登り、律法と掟をしるした2枚の契約の石板を受け取る。その時、主は御前の天使を通じて、世界歴史を創造の時からその時点まで、各49年からなる49ヨベルに分けて述べさせられる。この叙述は創世記1章から出エジプト記12章までを正典外の民話、著作が代表するエッセネ派的律法厳守の立場からする聖書の祭儀・倫理面の解釈などを所々に織り交ぜながら敷◯的にすすめられる。本書が別名「小創世記」と称せられる所以である。

序と第1章に、本書執筆の目的が語られているが、それによれば、神は、人間の罪性にも拘わらず、ご自分の民が神の定めに従った歩みをすることを忍耐強く待っておられ、ついには彼等の間に住まわれるに至る、ということを後代の人間に悟らせるために本書を書くようにモーセに命じられたのだ、と言う。

 

2⃣ 成立年代

 本書の執筆年代は前2世紀後半とするのが通説である。……(略)

 

3⃣ 伝承

 ヨベル書研究は、近年、クムラン出土の文書の中に、本書の断片が今日までのところ12発見されたことによって新しい展開を見せるに至った。これ等の断片のうちの半数は未発表であるが、少なくとも全断片がヘブル語で書かれていること、エチオピア語訳、ラテン語訳断片、いずれも極わずかの本文上の異同を別とすれば、これらヘブル語断片をきわめて忠実に伝えていることが明らかとなった。……(略)

 

4⃣ 著者

 クムラン断片発見前は、本書の著者はパリサイ派に属する祭司である、とするチャールズの代表する見解が広く行われていた。しかるに、クムラン研究に関する最高権威者の一人と目されているミリクによれば、本書は前2世紀末に近く、エッセネ派の一人によって書かれたものである、と言う。ある文書がクムランで出土したからといって、それがそのままクムラン教団の成員による著作を証明しないことは、ミリク自身が注意深く認めているが、他方、本書が主張する太陽暦採用、その他、祭儀、神学などの面で一般にクムラン教団独自の傾向と認められている要素を本書が共通に示しており、そこからして、本書がクムラン教団に代表されるエッセネ派そのものでなければ、少なくともこれに非常に近いユダヤ教の流れの中に位置するものであることは、ミリク以外の多数の学者の賛同を得ている。……さらにまた、チャールズらのパリサイ派著者説に関して言えば、いわゆるパリサイ派がひとつのはっきりしたグループとして登場してくるのがまさしく2世紀中葉であり、その観点からすれば、本書がパリサイ派の手になるものかどうか、という議論は多少的外れのところが無きにしも非ずである。……ここで我々は、聖書正典本文に対するミドラッシュ的敷◯の仕方において酷似する外典創世記を想起したい。これもクムラン文書のひとつであるが、その著者は一般に同教団員のひとりとは認められていない。…更に、私見によれば、第11洞穴出土のヨブ記アラム語訳断片も、クムラン(ないしはパレスチナ)ではなく、東方(バビロン)において完成されたもの、と考えられる。従って、聖書およびその翻訳以外の文書でクムラン出土のものを自動的にクムラン教団の成員の著作とする必要はないのであり、同教団の傾向に真正面から、直接的に矛盾しない限りにおいて、何らかの意味において同教団員の関心を惹いた文書は外から、エッセネ派の外からでも移入、吸収したとしても良いように思われる。

 

5⃣ 思想

 ①前述のとおり、1年364日(52週)から成る太陽暦を唯一の神聖なる暦法と主張する。そこから更に、天地創造から出エジプトに至る世界史を49年からなる49ヨベルに分け、各ヨベルは7年から成る7つの週年から成るとし、聖史に述べられている様々の事件をこの歴史の中に正確に位置づけることを本書は試みている。

 ②押し寄せるヘレニズム的世俗主義の影響を背景として、厳格な律法・祭儀規定の尊厳を唱える。✽✽この律法・規定はモーセシナイ山ではじめて啓示されたのではなく、アダム以来の先祖たちの全てが既に知っていて実践していた、永遠の、時間の制限を越えたものである、という。

 ③祭日は前記の太陽歴に則って固定した日に執り行わなければならない。

 ④異教徒とははっきりと一線を画すべきであり、雑婚は厳禁されるべし、とする。

 ⑤レビ人が特別に高い位置を与えられている。

……(略)

 

 

ヨベル書

 

 

本書は、山の上に登って来い、と仰せられた主のお言葉に応じて、律法と掟の石の板を受け取りにモーセが登ったときに主がシナイ山で語られたおりに、律法と証言の時代、太古の全期間の出来事をその7年期間とヨベル期間に区分して語ったものである。

 

 第1章

イスラエルの子らの出エジプトの第一年の第三月、その月の16日に主はモーセに語って言われた。

「わたしの山に登って来い。律法と掟の2枚の石の板を君に授けよう。わたしが書き記しただけ、彼等に教えよ。」モーセは主の山に登っていった。すると、主の栄光がシナイ山にとどまり、6日間にわたって雲がこれを覆い隠した。7日目に主は雲の中でモーセは呼ばれた。彼(モーセ)は、山の頂上に、燃え盛る火のような主の栄光を見た。モーセはそこに、山上に、40日40夜いたが、主は律法と証言の区分の過去ならびに未来の歴史を彼に示された。彼(主)は言われた。「わたしがこの山で君に語る全ての言葉を精神を集中し、今日シナイ山で彼等の子孫のためにわたしと君の間に、わたしが定めるところの契約に彼等がもとり、これを棄てることによって行った、ありとあらゆる甚だしい悪事にも拘わらず、わたしは彼等を棄てなかったことを彼等の子孫が悟れるように、本として書き取れ。

……わたしが彼等の先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『乳と蜜の流れるこの土地を君たちの子孫にやろう。彼等は飽きるほど食べられるであろう。』と言った土地に彼等を導き入れる以前の、彼等の反抗と頑固さをわたしは知っている。(わたしはまた言った。)彼等はわたしに背を向け、どんな苦境からも彼等を助け出すことの出来ない他神に走るであろう。彼等に対するこの証言は聞いておいてもらう必要がある。彼等は、わたしが命ずる掟をすっかり忘れ、異教徒とその汚れとその恥のあとを追い、彼等の神々に仕え、これは彼等にとって躓き、苦しみ、難儀、また罠となるであろう。多くの者が滅び、捕らわれ、敵の手中に陥るであろう。彼等がわたしの契約、わたしの掟、わたしの契約の祭日、私の安息日、わたしが彼等の間に聖別した聖なるもの、わたしの幕屋、わたしの名をそこに置き、留まらせるためにその地に、わたしが聖別したわたしの聖所を棄てたからである。彼等は高い丘や森や偶像をつくり、おのおの勝手なものを拝んで迷い、自分の子供を、悪霊や自分の心の迷いから、つくり出したものに生贄として捧げるであろう。わたしは彼等について証言させるために、証人を彼等のところに遣わすのだが、彼等は耳を貸さないのみか、証人たちを殺し、律法を求める者達を迫害し、すべての律法を廃棄して、私の目の前で悪事を行い始める。わたしは彼等から顔をそむけ、彼等を異教徒の手に渡し、彼等は捕囚のものとなり、戦利品として数えられ、食いものにされるであろう。わたしは彼等をその土地から追放し、異教徒の中に散らすであろう。彼等はわたしの律法、掟、規定をことごとく忘れ、新月安息日、祭日、ヨベルその他の定めについて誤るであろう。その後彼等は、その心と魂と力をつくして異教徒のところからわたしのところに戻り、わたしは彼等をすべて異教徒の中ら集める。彼等が心と魂をつくしてわたしを求めれば、わたしは彼等に見いだされるであろう。……わたしはわたしの聖所を彼等の中に建て、彼等と共に住み、彼等の神となり、彼等は真実と義をもとづくわたしの民になる。また、わたしは彼等の神、主であるゆえに、彼等を棄てたり、彼等に素知らぬ顔を見せたりはしない。モーセはひれ伏し、祈って言った。「主なるわが神、あなたの民、あなたの嗣業がその心の迷いのままに歩むのを見捨てないでください。彼等の敵、異教徒の手に彼等を渡さないでください。さもなくば、彼等(異教徒)は彼等を思うままにし、あなたに対して罪を犯すようにしむけるでしょう。主よ、あなたの憐れみをあなたの民に施してください。彼等にまっすぐな魂をつくってやってください。ベリアルの霊が彼等を自由に操って、彼等のことをあなたの前でそしったり、彼等を罠にかけてすべての義の道からそれさせ、彼等があなたに見放されて滅びることがあってはなりません。彼等はあなたが大いなる力をもってエジプト人の手から救い出されたところのあなたの民、あなたの嗣業ではありませんか。彼等に清い心と聖なる霊をつくってやってください。そうすれば今後決して罪の罠にはまることはないでしょう。」

主はモーセに言われた。「彼等の反抗心、彼等の思案、彼等の頑固さをわたしは承知している。彼等は自分自身の罪、また彼等の先祖の罪に気づくまでは聞きはしないであろう。この後、彼等は誠意をこめ、心と魂をこめてわたしに立ち返り、わたしは彼等の心の包皮と彼等の子孫の心の包皮切ってやるであろう。またその日から永遠に私に背を向けることのないように彼等に清い霊をつくってやり、彼等を清めてやろう。彼等の魂はわたしとわたしのすべての掟に従い、わたしのすべての掟を行い、わたしは彼等の父となり、彼等はわたしの子となる。彼等はみな生ける神の子と名づけられ、すべての霊、すべての天使は知るであろう。彼等がわたしの子であり、わたしが誠実と義にもとづく彼等の父であり、彼等を愛していることを知るであろう。律法と証言と7年期間とヨベル期間にはじまって、わたしが降りてきて彼等とともに永遠に住むまでの過去と未来にわたる全歴史の区分について、今日この山で、わたしが君に知らせることを君は書き取るのだ。」

彼は御前の天使に言われた。「創造のはじめから、わたしの神殿が彼等の間に永久に建てられるまでのところをモーセに書いてやれ。主はすべての人の眼前に姿を現し、すべての者が、わたしがイスラエルの神にしてヤコブのすべての子らの父であり、シオン山において永遠の王となることを知るであろう。シオンとエルサレムは聖なるところとなる。」イスラエルの陣営の先頭に立って歩いていた御前の天使は、創造の時から、7年期間ヨベル期間の各年、すべての数に応じた、律法と証言の時代、天地とその中にあるすべての被造物が天の力に応じて、地のすべての被造物に応じて一新される新たな創造の日から、エルサレムのシオンの山に主の聖所が創られ、癒し、平安、祝福をイスラエルの選ばれた者達すべてにもたらす、すべての光が一新されて、そのままこの日から地の歴史のある限り続くその時までの、時代の区分の書を彼はとりあげた。

 

 

第2章

 

 御前の天使は、主の言葉に従ってモーセに言った。「主なる神は自分が創造された全作品を6日間で完成され、第7日目は安息日とし、これをすべての時代にわたって聖別し、その作品すべてにしるしをつけられたという。創造の一部始終を書き記すがよい。

 

 彼は最初の日に上なる天、地、水、彼に仕えるすべての霊、御前の天使、清めの天使、火の霊の天使、風の霊の天使、暗闇と雪と雹と霜と雲の霊の天使、音と雷鳴と稲妻の天使、寒さと暑さと冬と春と秋と夏の霊の天使、天と地と深淵にある彼の作品すべての霊の天使、暗闇、光、暁および夕の霊の天使を理性でわきまえ、準備して創造されたのである。その時わたしたちは彼の作品を見て、彼を賛美し、そのすべての作品のゆえに彼を褒めたたえた。彼は最初の日に7つの偉大な作品をつくられた。

 

 2日目に彼は蒼穹を水の間につくられたが、その日、水は分かれて半分は上にのぼり、他の半分は蒼穹の下の地の表面に下った。2日目にはこの仕事しかされなかった。

 

 3日目に水に言われた。『地の全表面からひいて、一箇所に集まれ。そして、乾いた土地が現れよ。』水は言われた通りにして、地表からこの蒼穹の外側のある一点に退き、乾いた土地が姿を現した。その日彼は、すべての海を各々それが集まる場所に応じて、すべての河を各々水が集まる場所に応じて、山中にまた平地に、すべての湖、すべての地の露、まかれる種を各々種に応じて、またすべて芽を出すもの、実となる木、森、エデンの楽園を創られ、3日目にこの4つの重要な作品を生み出された。

 

 4日目には太陽と月と星をつくり、地を照らすように蒼穹に据え、昼と夜を支配し、夜と昼、闇と光を区切るものとされた。主は太陽を地上における大いなるしるしとして、日と週と月と祭日と年と7年期間とヨベル期間、および一年のあらゆる季節のために設けられた。それは光と闇をわかち、繁栄を助けるもので、すべて芽を吹くものが地上で繁茂し成長するためにあるのである。この3種のものを彼は4日目につくられた。

 

 5日目に※※水の淵に住む大魚を創られたが、これは彼の手でつくられた肉のものとしては最初のものであった。また水中を動くすべてのもの、魚、飛びかけるすべての鳥をその種類にわたって創られた。太陽は、繁殖を助けるためにこれらの上に、また地上にあるすべてのものの上、地から芽を出すすべてのものの上、実をならせるすべての木の上、すべての肉なるものの上に昇った。この3種ものを彼は5日目につくられた。

 

 6日目には地のすべての獣とすべての家畜、および地上を動くすべてのものをつくられた。これらすべてのことの後、彼は、ひとりの人間を作られたが、これを男子と女子としてつくり、地上と海中にあるすべてのもの、すべて飛びかけるもの、すべての獣と家畜、地上を動くすべてのもの、および全地を支配させられた。これらすべてのものを支配させられた。この4種類のものを彼は6日目につくられた。合計22種類になった。彼は6日目に一切を完成された。

 

 天と地と海と淵と光と闇と、すべてのものの中にある一切を。主はわれわれが6日間仕事をして7日目には一切の仕事を休むように、大きな目印として安息日をわれわれに授けられた。すべての御前の天使とすべての清めの天使、この重要な2種類、そのわれわれに彼は、天地において彼とともに安息日を守るように言われた。彼はわれわれに言われた。「見よ、わたしはすべての民族の中からひとつだけ自分のために分ち出そう。彼等にも安息日を守らせよう。私は彼等を聖別してわたしの民とし、これを祝福しよう。わたしが安息日を聖別したように。同様に彼等を祝福し、彼等はわたしの民となり、わたしは彼等の神となろう。わたしは、わたしが見たすべての中からヤコブの子孫を選び、これをわたしの長子として書き記し、永遠に聖別した。わたしはこれに安息日を教え、その日には一切の仕事を休んで安息日を守らせるようにしよう。」

……アダムからヤコブまでの人類の頭は22あり、7日目までに22種類の作品が出来上がった。……(略)

 

 

第3章

 

 ……アダムは第1週に創造され、その脇腹たる妻は第2週に創造された、神は彼女を彼に引き合わせられた。このゆえに、男児については7日、女児については2週間の不浄の期間として守るべし、との掟が定められたのである。アダムが創造された土地で40日が満ちてから、われわれは彼を エデンの園へ導き入れ、その手入れと管理をしてもらうことにしたが、彼の妻は80日目に連れて来られた。その後彼女はエデンの園に入った。このゆえに、以下のような掟が産婦に関して天の板に書き付けてあるのである。男児の場合は、アダムが創造されるまでの世界史の最初の一週間にちなんで、7日間不浄期間としてこもり、33日間血の清めの期間としてこもり、男児について定められたこの日数を経るまでは聖いものには一切手を触れてはならず、聖所に足を踏み入れてはならない、と。

 また女児の場合には、エバが創造されるまでの世界史の最初の2週間にちなんで2週間を不浄期間として、また66日を血の清めの期間として、合計80日間こもらなくてはならない、と。この80日が過ぎてから、われわれは彼女をエデンの園へ導き入れたが、そこはどの地よりも聖く、その中に植えられている木はどれもみな聖いからである。それゆえに、産婦について、男児の場合、女児の場合に関して以上のような日数に関わる規定ができたのである。

 

……最初のヨベル期間の最初の7年間には、アダムとその妻は7年間エデンの園にいて、これの手入れと管理にあたった。われわれは彼等に仕事をやり、ちゃんとした手入れの仕方をいちいち教えてやった。彼は園の手入れをしている間裸であったが、気づかず、また恥ずかしがったりもせず、鳥や獣や家畜から園を護り、果実を取り入れて食べ、余ったものは妻のために取っておき、保存すべきものはまた別にしておいた。

 

 彼がそこで経た7年間、正確に7年が過ぎた後、第2月、その月の27日に蛇がやって来、女に近寄って言った。「主は園の中の木の実はどれも取って食べてはならない、と君たちに命じなさったのかね。」彼女は言った.「園のどの木の実でも食べよ、と私どもにおおせられました。しかし、園の真中にあるあの木の実は、もし命が惜しかったら、食べてはならぬ、触れてもならぬ、と。」蛇は女に言った。「死ぬなんて絶対ありはしないよ。君らがあれを食った日には、君らの眼が開いて、神様みたいになり、善悪何でも分かるようになるってことを主はご存じでいらっしゃるからね…。」女はその木が見事で、見た目にも美しく、その実も食べたら美味しそうなのを見て、これを取って食べた。彼女はまず、いちじくの葉で恥部を覆ってからから、それをアダムに渡した。彼がそれを食べると眼が開いて、自分が裸でいることに気が付いた。彼はいちじくの葉を取って、これを縫い合わせて、褌をしつらえ、恥部を覆った。主は蛇を呪われ、これに対する主の怒りは永久に解けなかった。

 

……「君は妻の言うことに耳を貸し、食べてはならぬと命じておいたあの木の実を食べたから、地は君の行いに呪われるがよい。それはあざみや茨を生じるであろう。君はそこからとられたところの地に戻る時まで、君は額に汗してンを食べるがよい。君はもともと土なのだから土に帰るのだ。」彼は皮の着物を彼等にしつらえてやられ、これを彼等に着せてエデンの園から追い出された。アダムは、エデンの園を出たその日、日の出とともに、恥部を覆ったあの日から、乳香、楓子香、没薬、薬味などの香ばしい匂いのする香を焚いた。その日のすべての獣、家畜、鳥、歩き回るもの、動くのものの口は語ることをやめた。それまでは彼等はひとつの言葉、ひとつの言語で互いに話していた。

 

 神はエデンの園にいた肉なるものをすべてエデンの園から追い出され、肉なる者はすべて、各々その種類および性質に応じてそのために創られた場所に散っていった。……これゆえに天の板に、すべて律法の規定をわきまえる者達について、恥部を覆い、異教徒たちのようにこれを露出させないように命じられているのである。4月の新月のころ、アダムとその妻はエデンの園を出て、エルダの地、彼等のもともとの起源の地に住みついた。……

 

 

第4章

 

 第2ヨベルの第3年週に彼女はカインを産み、第4年週にアベルを産み、第5年週に娘アワンを産んだ。第3ヨベルのはじめに、カインはアベルを殺した。彼アベルの生贄は受け入れられたのに、カインの生贄は受け入れられなかったので、彼はアベルを野で殺した。カインがアベルを殺したことを嘆く血の叫びは地から天にまで達した。主はアベルのことで、つまりこれを殺したことについてカインを戒められ、弟の血ゆえに彼を地上の放浪者とされた。また彼の地上での生活を呪われた。このゆえに天の板に書いてあるのである。「他人を不意打ちに殺す者は呪われよ。これ裁判の場面を見聞きした者はすべて、もっともだ、と言うべきである。これを見ていてもっともだと言わない者は、彼、犯罪者同様呪われ者である。」

 

……アダムとその妻は4年週間アベルの喪に服した。第5年週の4年目に彼は気持ちが固まってまた妻と関係した。彼女は彼に男児を産んだ。彼はその名をセツとした。彼は言った。「主は、カインに殺されたアベルのかわる別な者として地上に子孫を我々のためにおこしてくださった。」彼は第6年週に娘アズラを設けた。カインは妹アワンを嫁に迎え、彼女は第4ヨベルの終わりにエノクを産んだ。第5ヨベルの第1年週の第1年にいくつもの家が地上に建ち、カインは町を建て、息子の名にちなんでエノクと命名した。アダムは妻エバと関係し、彼女はさらに9人の子を産んだ。第5ヨベルの第5年週にセツは妹アズラを嫁に迎え、第6年週の第4年に彼女はエノスを産んだ。地上で主の名を呼び始めたのは彼をもって嚆矢(こうし)とする。

 

……第10ヨベルの第2年週にマラルエルはバラキエルの娘で、父の姉妹の娘でディナを嫁に迎えた。第3年週の第6年に彼女は彼に男児を産み、彼はその名をヤレデと呼んだ。それは彼の存命中に、「寝ずの番人」という名の主のみ使い達が地上で定めと正しいことを行うように人類に教えるために地上に降りてきたからである。

 

 第11ヨベルにヤレデは、バラカという名でラスイエルの娘、彼の父の姉妹の娘をこのヨベルの第4年週に嫁に迎えた。彼女はそのヨベルの第5年週の第4年に彼に男児を産んだ。彼はその名をエノクと呼んだ。地上に受けた人類の中で、ものを書く技術と知識知恵を学んだのは彼をもって嚆矢とする。

 彼は天のしるしをその月に順序に従って本に書きしるし、人類が一年の季節をそれぞれの月の順序に従って知ることができるようにした。また証言を書いたのは彼をもって嚆矢とする。彼は、われわれが彼に教えた通りに、人類の子等に地の住民の間で証言し、ヨベル7年期間について語り、一年の日々を知らしめ、月を配列し、一年の安息日について語った。彼は、既に起こったこと、およびこれから起ころうとすることを、眠っている時夜の幻の中で見た。人類の子孫に審判の日に至るまでの代々起こるであろうこと、それを彼はすべて見て悟り、証言として書き留め、全人類とその子孫のために地上にこれを置いた。第12ヨベルの第7年週に、彼はエダニという名の、ダネルの娘で彼の父の姉妹の娘を嫁に迎えた。その年週の第6年に彼女は男児を産み、彼はその名をメトセラと呼んだ。

 

 また彼エノクは6ヨベル期間を神のみ使い達とともにし、彼等は地上と天上にあるすべてのこと、太陽の支配を彼に見せ、彼はこれをことごとく書き留めた。彼は人の娘らと罪を犯したところの寝ずの番人達に対して証言した。この者達は地上の娘らと交わって身を汚し始めていた。エノクは彼等のすべてについて証言した。彼は人類の間から取り去られ、われわれは大いなる、豪壮なエデンの園に彼を連れて行った。見よ、彼はそこで世界に対する判決と裁き、人類の悪時を全部書き記している。このゆえに神はエデン全地に洪水を起こされた。

 彼エノクはそのしるしとしておかれ、全人類に対して証言し、判決の日まで代々の人類の行いを述べるために置かれていたのである。彼は聖所で主に喜ばれる香、かんばしい香りのする香りを神殿の丘で炊いた。主は地上の4つの場所をお持ちである。すなわちエデンの園、東の山、君が今日来ているこの山、シナイ山および地が清められる新しい創造のときに清められるであろうシナイ山、これによって地は永久に一切の罪と汚れを清められるであろう。

 

 第14ヨベル、そのヨベルの第3年週の第1年に、メトセトラはエズラエルの娘で父の姉妹の娘エドナを嫁に迎えた。彼は男児を設け、その名をラメクと呼んだ。第15ヨベルの第3年週にラメクはビテノシという名のバラクエルの娘、父の姉妹の娘を嫁に迎えた。彼女はその年週に男子を産んだ。彼は、この子はすべてのわざと主が呪われた地ゆえに、私をねぎらってくれるであろう。と言ってその名をノアと呼んだ。

 

 第19ヨベルの第7年週の第6年にアダムは死んだ。彼のすべての子らはアダムの故郷に彼を埋葬した。地に埋葬されたのは彼がはじめてである。彼の一生は千年に70年足りなかった。天の証言では千年は1日に等しい。このゆえに知識の木に関して、それの実を食べた日には死ぬであろう、と書かれていたのであり、それゆえにこの1日の期間をまっとうせず、その期間中に死んだのである。

 このヨベルの終わりにカインが彼アダムの後を追って同じ年に殺された。家が彼の上に崩れ落ち、彼は自分の家で死んだ。その石で殺されたのである。石でアベルを殺したから正しい裁きにより自分も石で殺されたのである。このゆえに天の板には、人が隣人を殺したその同じ道具で殺されるべし、他人を傷つけたら同じようにしてやるべし、と規定されたのである。

 

 第25ヨベルの第5年週の第1年にノアはエムザラという名のレケエルの娘、彼の父の姉妹の娘を嫁に迎えた。その第3年に彼女はセムを、第5年にハムを、第6年週の第1年にャぺテを彼に産んだ。

 

 

 

 

◆補足文(※「寝ずの番人」は別名「見張りの者達」と言われていますが、彼等は天において人間達を正しく見守る役目を与えられていたのですが、地上の人間の娘に欲情して天から地上に降りてきてしまったので、地上に降りてきて正しいことをしてはいないのでこの箇所は間違った解釈がされていると思います。〉

 

(※※この神が5日目に創造された生き物で最初に肉をつけたものが魚だった。という部分を取り出して「進化論」を作り上げていったんじゃあないかな。と思いました。「進化論」は、フリーメイソンであるイルミの科学者ダーウィンが言い出したものですが、現在ではこの理論を否定している科学者が多数います。あらゆる点において、ダーウィンの進化論では辻褄の合わない研究結果がたくさん立証されてきているからです。それに、創世記では、『神は言った、「水は、群がる生き物でうごめくように、鳥は天の蒼穹の面に沿って地上を飛ぶように。」神は、水をうごめかす大きな怪物とすべての這う生き物とを種類に従って、また翼のあるすべての鳥を種類に従って創造した。』と書かれてあり、生物が進化したのではなく、最初から生物の各種類に従って創造されたと書かれています。つまり、現在では、ダーウィンの進化論ではなく、この聖書の記述が本当に正しかったとする意見の科学者が増え続けているのです。)

(✽✽この部分は、『THE GENESIS CONSPIRASY』を書いた著者GARY WAYNEの話があります。創世記を長年研究した人物で、同じようなことを言っています。YouTubeのEden Mediaさんの「ネフィリム・コンスピラシーⅠ~Ⅲ」をご覧ください。)

 

 

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<補足解説>

死海文書のすべて」ジェームス・C・ヴァンダーカム著(秦 剛平訳)より

 

 「偽典」は、紀元前の最期の数世紀および紀元後の1世紀か2世紀に書かれたが、ヘブル語聖書やセブチュアギントの一部とならなかったユダヤ人の宗教的な文書を包括する述語である。これらの文書の著者のある者は、聖書時代のよく知られている権威ある者(たとえばアダムや、アブラハムモーセ、エリヤ)の名を借りて自分の正体を隠したが、この述語自体はその慣行に由来する。この手続きは剽窃(ひょせつ)の裏返しのものであると特徴づけられよう。著者は自分自身の名で他人の文書を出すのではなく、自分の文書を他人の名で出すからである。研究者はこの慣行が旧約聖書新約聖書の中に見られるかどうか論争してきたが、古代においてそれが盛んに行われていたことは議論の余地のないところである。このカテゴリーに属す文書の定義は獏としたものなので、どの文書がそれに属するかに関しては意見の一致を見ていない。ジェームス・H・チヤールスワースが編集して最近出版された2巻本の『旧約聖書の偽典』は、「偽典」Pseudepigrapha のカテゴリーの要求を満たすものとして、50以上のテクストを含めている。これまで知られていた偽典文書のうち、クムランで浮上したのはわずか3つしかなく、それらはいずれもテクストについて我々に何かしらのことを教えてくれるが、それはそれぞれの独自の仕方においてである。

 

 

 ……と、このジェームス・C・ヴァンダーカム氏の言われる通り、このヨベル作品は自分自身の名前で他人の文書を出したのではなく、自分の文書を他人の名前で出していますので、あたかも、モーセ自身が神やみ使いの天使の言葉を直接聞いて書き記した内容ではなく、著者がモーセになりすまして書いている(言葉は悪いですが)内容となっていす。

 本書の大部分は、創世記1章から、イスラエルの人々がモーセによって導かれ、出エジプトを果たし、シナイ山に到達して、モーセが神の言葉を受けるまで(出エジプト記19章・24章)の聖書物語の再話という形になっています。ジェームスによれば、著作年代は前160年頃、クムランの共同体が形成されてしばらくたってからのようです。……この巻物が発見される前までは、ヨベル書は最初ヘブル語で書かれ、後になってギリシャ語に翻訳されたと一般に信じられていました。これらの版は消滅し、ギリシャ語からの重訳だけが生き残っており、エチオピア語に訳された全文とラテン語に訳されたおよそ5分の2の部分ということのようです。

 

 このヨベル書は、何度も書きましたように、ユダヤ教の祭司が書いたものだという通り、一般の聖書の書き方よりもいかにもまわりくどい、タルムード的な書き方だなという印象をうけます。(あくまでも私的な意見です。)クムランで見つかっている偽典においては、ヨベル書」「エノク書(第一エノク書)」「12族長の遺訓」のわずか3つだけのようですが、唯一神から絶大の信頼を得て、生涯神と共に歩んこの「エノク書」だけが偽典ではなく正典であると考えられます。

これは多くのクリスチャンの意見が一致した答えです。他の2点とは比べ物のないほど崇高な内容となっています。

実は陰謀論からすれば、この「エノク書」を、イルミの支配層は世に出ないようにわざと隠したのだと言われています。そして、その証拠となる悪魔宗教といえるマニ教がこの、エノク書をパクッている事実があるのです。

マニ教は「イラン神話(ペルシャ神話ともいう)」・「メソポタミア神話(「エノク書」・「旧約聖書」・「ギルガメッシュ叙事詩」他の影響を受けている)」・「ゾロアスター教」他、東方の宗教にマニ教の起源が求められていた、とあり、また、マニ教グノーシス主義の一派であるとする見方がされているのです。マニ教の精神がグノーシス主義の物質二元論と一致しているからなのです。 もう、怪しいしかない話ですよね。

ということで、「エノク書」以外は偽典ですが、内容は興味深いので、興味がありましたら読まれてくださいませ。