tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

ヨハネの福音書 1.

ヨハネ福音書

 

 

 今回より、『ヨハネ福音書』の紹介をしていこうと思います。

福音書は、ヨハネの他に、マタイ・マルコ・ルカもありますが、個人的にヨハネが好きなので、こちらを選択しました。

まだ読んだことがなく、『福音書』に興味がある方はお読みくださいませ。

 

 

 

  ヨハネ福音書

 

 新約聖書翻訳委員会・岩波書店 / 小林 稔訳

 

 

 

  序  文

 

1.

 

 はじめに、ことばがいた。(またはあった。)

 ことばは、神のもとにいた。

 

(※ことば=天上界にいたイエスを指しています。)

 

 ことばは、神であった。

この方は、はじめに神のもとにいた。

すべてのことは、彼を介して生じた。

 

 彼をさしおいては、何一つ生じなかった。

彼において生じたことは、命であり、

その命は人々の光であった。

その光は闇の中にあって輝いている。

闇はこの光を阻止できなかったのである。

 

 

 神のもとから遣わされて、

一人の人が登場した。

その名はヨハネ

この人は証のため、

あの光について証するために来た。

すべての人が彼を介して信じるようになるために。

この人は光ではなく、

あの光について証するための人であった。

彼の証しようとした光が真の光であった。

それは、この世に来て、

すべての人を照らしている。

 

 

 その光であることばは世にあり、

世は彼を介してできたが、

世は彼を知るにいたらなかった。

自分の属するもののところに来たが、

彼に属する人々は彼を迎え入れなかった。

だが、彼を受け入れた人々、

彼の名を信じる人々には、

彼の子供達となる権能を与えた。

彼等は血統からでなく、

肉なる人の意思からでもなく、

男の意思からでもなく、

神から生まれたのである。

 

 

 ことばは肉なる人となって、

我々の間に幕屋を張った。

我々は彼の栄光を、

父から遣わされたひとりの子の

持つものとしての栄光を観た。

彼は恵みと真理に満ちていた。

 

 ヨハネは彼について証し、

次のように言って叫んだのであった。

 

 「私が

『自分の後から来ようとしている人は

私より優れたものとされている。

私よりも先にいたから』

と言ったのは、まさにこの人のことであった。」

なぜなら彼の充満の中から、我々は皆、

恵みに代わる恵みまでも受けたからである。

 

 律法はモーゼを介して与えられ、

恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。

神をいまだかつて誰も見たことがない。

父の胸中にいる、ひとり子なる神、

この方こそが解き明かした。

 

 

 

❖補足文

(解説には書かれていないのですが、この序文の意味は、創造主であるヤハウェがこの地球を創造した時よりも、おそらくはずっと前のときに、神が熾天使としてイエスを創造されたころ、イエスが神とずっと一緒におられたのだという意味であり、そのイエス(ここでは、ことば)と共にヤハウェが地球を創造したということを物語っています。

その証拠に、創世記1:26で

「次いで神は言われた、

『わたしたちの像に、わたしたちと似た様に人を造り、彼等に海の魚と天の飛ぶ生き物と、家畜と全地と地の動くあらゆる動く生き物を服従させよう。』……。」

という場面があります。これは明らかに傍らにいたイエスに向かって話していたことなのです。ですから、この序文で言っているとおり、「すべてのことは彼を介して生じた。彼をさしおいては、何一つ生じなかった。彼をおいて生じたのは命であり、その命は人々の光であった。」と言っているのです。

「この彼の光が人々の命である」と言っていますね。

これは理解しているようで理解できていない人が実は非常に多いのですね。

クリスチャンなら理解できて当然なのだけれど、一般の人はよく分かっていないんです。つまり、文脈から分かる通り、この光は神に創造された、創造物の太陽などではないということに注目していただきたいと思います。

偶像崇拝のように太陽神=イエスのことでもありませんからね。

グノーシス主義、スピ系のように、すべてに神の霊が宿っているから、命があるから、神の光=命っていうトリックにひっかかってはいけません。

すべての人間はもともと神から生まれたのだから、死ねば神のもとに帰る。

こういう言葉は半分合っているようで、詐欺が入っています。神のもとに帰ることのできる人間の魂は限られていますし、神の霊だから、自分も神に…とはならないということですからね。輪廻もないです。

「彼を受け入れた人々、彼の名を信じる人々には、彼の子孫となる権能を与えた。」これのみが答えなのです。)

 

 

 

 

 ヨハネの証

 

 ヨハネの証は次の通りである。

 

 ユダヤ人達がエルサレムから祭司とレビ人を彼のもとに遣わして、

「お前は誰だ」と尋ねさせた時、彼は公言して否まず、

「私はキリストではない」と公言した。

 

 そこで、

「それではどういうことだ。お前はエリヤか。」

と尋ねたところ、彼は言う、

「私は違う。」

「お前はあの預言者か。」

すると、

「いや。」

と答えた。そこで彼に言った。

「お前は誰だ。我々を派遣した人達に答えを持って行かせてくれ。

お前は、お前自身について何と言うのか。」

彼は言った、

「私は預言者イザヤが言ったように、

『お前達、主の道をまっすぐにせよ』

と、荒野で呼ばわる者の声である。」

 

 彼等はファリサイ派の人々から遣わされていた。

彼に尋ねて、彼等は彼に言った。

「それでは、お前がキリストでもエリヤでもあの預言者でもないなら、

なぜ洗礼を授けているのか。」

ヨハネは次のように言って彼等に答えた。

「私は水で洗礼を授けているが、

あなた方の真ん中にあなた方のわからない方が立っておられる。

その人は私の後から来る方で、私はこの方の

片方の皮草履の紐を解く資格すらもない。」

 

これらのことはヨルダン河の向こう、ベタニアで起こった。

ヨハネはそこで洗礼を授けていたのである。

 

 

 その翌日、彼はイエスが自分の方へ来るのを目にして言う。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

『一人の人が私の後から来ようとしている。

その人は私よりも先にいたから、

私より優れたものとされている。』

と私が言ったのはこの方だ。

私にも彼がわからなかった。

しかし、彼がイスラエルに顕れるため、そのためにこそ、

私は水で洗礼を授けに来たのである。」

 

 また、ヨハネは次のように言って証した。

「私は霊が鳩のように天から降ったのを観たことがある。

それは、彼の上に留まった。

 

 私にも彼がわからなかった。

しかし、水で洗礼を授けるようにと私を派遣した方、

その方が私に言われた。

『霊が降ってきて、誰かの上に留まるのを、あなたが見るなら、

その人こそが、聖霊で洗礼を受ける者である。』

私はそれを見た。

それで『この人こそ神の子だ』と証してきたのである。」

 

 

 

 最初の弟子達

 

 その翌日、ヨハネはまたその弟子達のうちの2人と立っていた。

そして歩いてい行くイエスに目を注いで言う。

「見よ、神の小羊だ。」

2人の弟子は、彼がそう語るのを聞いて、イエスについて行った。

エスは振り返り、彼等がついて来るのを観て彼等に言う。

「何を求めているのか。」

彼等は彼に言った。

「ラビ(先生)、どこに留まっておられますか。」

彼等に言う、

「来なさい。そうすれば見るだろう。」

そこで彼等は行って、彼がどこに留まっているかを見、

その日は一日彼のもとに留まった。

時刻はおよそ第十刻(日没の約2時間前)であった。

ヨハネから聞いてイエスについて行った2人のうちの1人は、

シモン・ペトロの兄弟アンドレアスであった。

この人が最初に自分の兄弟シモンを見つけて、彼に言う。

「俺達はメシアを見つけたぞ。」

彼をイエスのところへ連れて来た。

 

 イエスは彼に目を注いで言った。

「あなたはヨハネの子シモンである。

あなたはケファ(ペトロ)と呼ばれるようになる。」

 

 (※ケファのギリシャ語訳ペトラ、即ち「岩」の男性形。)

 

 

 その翌日、イエスはガラリヤに出て行こうと思った。

そしてフィリッポスを見つける。

エスは彼に言う。

「わたしについて来なさい。」

フィリッポスはペトサイダの人、つまりアンドレアスとペトロの町の出であった。

フィリッポスはナタナエルを見つけて彼に言う。

モーセが律法に書き記し、また預言者達が書き記している人を、俺達は見つけたぞ。

ナザレの人、ヨセフの子、イエスだ。」

ナタナエルは彼に言った。

「ナザレの出で、何か善いものがありうるというのか。」

フィリッポスは彼に言う、

「来てみろ、そして見てくれ。」

 

 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見た。そして彼について言う。

「見なさい、本当にイスラエル人だ。あの人には裏がない。」

ナタナエルが彼に言う。

「どうして私のことを知っておられるのですか。」

エスが答えて彼に言った。

「フィリッポスがあなたを呼ぶ前に、

あなたがあのいちじくの木の下にいるのを私は見た。」

ナタナエルが彼に答えた。

「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

 

 イエスは答えて彼に言った。

「あのいちじくの木の下であなたを見たとあなたに言ったから信じるのか。

これらのことよりももっと大いなることをあなたは見ることになる。」

そして彼に言う、

「アーメン、アーメン、あなた方に言う。

天が開いた状態になり、

人の子の上に神の御使い達がのぼったり降ったりしているのを

あなた方は見ることになる。」