tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

魔術 10.

【魔術】

 

 

 

 『ピカトリクス』第Ⅲ書

 

 第5章

 

 動物たちの中にある力能の解明およびこの知識に欠かせない著しい知見。

 またいかにして諸惑星の霊を形象と薫香によって引き出すかについて

 

 

  1,

 3つの下位なものつまり動物、植物、鉱物のうちにある諸惑星の特性につづき、ここではこれら3つについて少々述べることにしよう。

動物の中にも高貴なものがあり、その中で最も高位なるものとして、高貴な省察力をもつ人を識別することができる。動物には、海の貝やアラフ・オミディエ(軟体動物・牡蠣だけ)等々、単に感覚をもつだけのもの、また他に2,3,4,5,10の感覚をもつものがある。…(略)

 

 人は最も高貴な動物であるが、そのからだ(コルプス)の中に大量の諸元素を相互に敵宣調整することで、諸他の動物同様に体液の平衡(気質の平衡・バランス)をなしている。

 一々の元素はそれぞれ固有の動物をもっており、その動物から離れることはない。たとえば鳥は気から離れることはなく、魚が水から離れることはない。また悪鬼の霊は永劫にわたり火から離れることはない。それゆえこれは冥府のものと呼ばれるのだが、火の感受とは特殊な覚知の感得であり、特にこれに準えられる動物をサラマンドラ(火中の被造物)と名づける。これは火のうち創られた鼠の形相である。

これは重い動物で、その重さによって土から離れることはない。ここで暗黙の問いに答えておこう。つまり、悪鬼達は、どのようにして火の中にあるのか、について。

 

 人を称して小世界と呼ぶが、これは大世界との比較から謂(い)われることであり、大のうちに含まれるところのものは実質的に小のうちに含まれてある、というものに等しい。…(略)

 

 人の内に激しい衝動が起こると放縦さが燃え上がり、憤怒と共謀の頂点に達するが、まさにここに悪鬼の仕業がすべて生じる。これとの類比から、悪鬼達は火の中にある、と言うことができるだろう。つまり、人のうちで火が付くと憤怒が起こる、そしてここから悪鬼的な帰結が生じる、と。

あるいはその逆に、人に死がそれに相応しい均衡と理拠的な力能によって統御されているなら、天使的になる。要するに、この小世界の中は、大世界の中と同じものからなっている、と言える。

 

 

  2.

  話を元に戻そう。諸惑星について先人達により、3種に分けられており、上述したようにカプテオ、ネプテオ、エジプト、ギリシャ、トルコ、インドの人々の知識によれば、これら諸惑星の作用はこれらの類の諸部分の相互混合、および実修者達の薫香、着衣、食物、香りから生じる。これにより大いなる驚異がなされるということは、彼等の諸著の至るところに読みとられる。

 

 彼等は気中で諸惑星の力能をこの世から引き出される火の諸力能に混ぜ合わせ、その効果を得る、つまり請願を成し遂げる。

気は物体である、最小限の命しかもたぬ諸他の物体以上に、気それ自体と一般の気の混合により惑星からの作用の影響つまり効果を受け取る準備のできた物体を受容する中間物である。

 

 また、これは薫香において、人のコルプスの諸部分に敵宣にその効果をあらわす。

この薫香には樹木その他の類のものを用いる。それぞれの薫香により人の霊は動かされ、様々な嗜好へと搔き立てられる。これは驚くべき魔術の作用であり、その効果は明らかである。

 

 

 3,

 わたしは『知識の区分とその秘鑰の解明』と表題されたる賢者の書を観たことがある。その書の記述を引いてみよう。

 

 『吾はファラセンの地からやって来た者と論争したことがある。インドの地で崇められたこの知識に精通した信頼に足るこの人物は、この知識に関する疑義を様々に自問自答しつつ、吾に語った。

 彼は、それは自明である、と言った。

かの地に誰からも大変美しいと称賛される娘がいた。彼が言うには、その娘を吾の客として迎える手筈を調えた。吾は彼女に約束を果たしてくれるようにと頼んだ。それには2つの理由があった。

1つは心からの愛情。もう1つは吾の傍らで先述した業を為すにあたり、この娘を利用するため。すぐさま天体観測儀を支え持つと、太陽の高度を量り、東を定め、12宿をも定めた。白羊宮を東に、ここに火星を主として据え、第7宿に天秤座を、ここに金星を主として据えた、と。

 

 吾はここに言われた言葉の意味を問うた。

すると、「東と第7宿はここで問われる諸願の定式である。」との答え。

またその形象(星座)の中に据えられた火星と金星についても、それらが3角相にある時、これは愛情と友情の相をなし、願いが叶えられる、という。この相は40日(周期)で起こる。この40日とは請願がなされた日からそれが叶えられるまでの日数である。

 

 アヤマンティス石(金剛石・あるいは鋼鉄、天然磁石)の小片を十分に粉砕し、これと等量の芳香性のゴムを混ぜ、この混合物で自分の似像をつくる。そして乾燥チェルサ(エジプトイチジク、ネギ、ニラ、腸疾患を治す薬)を十分粉にして蜜蝋と混ぜる。そしてこの混合物で娘の像をつくり、彼女の着物と同じ布で包む。

 

 ここで新しい壺を1つ用意し、ここに7本の棒(つまりギンバイカ、柳、石榴(ザクロ)、林檎、マルメロ、チェルサ、月桂樹の枝)を挿し、壺の中で、4本を下に、3本を上に交差させて配する。そしてこの中に自分の名によってつくった像を入れ、続いて娘の像をこの壺に入れる。

(※解説より、「器の中で十文字に交差させる」は、キリスト教徒はすぐにこれを十字架と結びつけるが、おそらくプラトンティマイオスの創造主が世界魂を創るX配置を想起する方が当たっているだろう。4と3を和解させることは古代中世哲学における難題の一つでもある。)

 

 これを為すにあたり、金星が火星と逆方向にあたり、火星がこの幸運惑星によって強化されるのを待つ。そして壺の蓋をし、毎日先述した時間にこれを開き、その中に力能が注ぐようにする。

そして40日が過ぎると、東の主は第7宿の主を3分相で眺めるで、ここで壺を開いて像の一方が他方を眺めるように、つまり対面させて置く。

壺を閉じた後、彼は吾にこれを僅かに火が燃える◯炉の下に埋めるように命じた。これを少しばかりの小石とともに埋めるにあたり、彼はインドの詞を唱えた。この詞については彼は吾に説明してくれたが、これについては後述することにする。

 

 上述したことが完了すると、壺を開き、そこから像を取り出した。すると、たちまち先述した娘が家の戸口から入って来るのが見えた。そしてここに10日間にわたり滞在することとなった。

 

 「さて、あなたに約束が果たされたのであってみれば、先につくった娘を解放し(溶かし)、本来の自由に戻してやる方がよいでしょう。」と。

そこでこれを諾い(うべない)、それを解放することとし、先述した2つの埋められた像を取り出すこととした。

 

 西洋ニンジンボクを粉にして蜜蝋と混ぜ、これで蠟燭を作って、◯炉の中で火を灯し、これが燃え尽きたところで、2つの像を土中から取り出し、お互いを離して、一方を前に、他方を後ろに投じた。

その時彼は何か詞を唱えたが、これについては後に吾に解釈してくれた。これを彼が全て為してみせたのは、吾にその知識を命じしてみせるために他ならなかった。

 

 覚えた通りにこれを為すとたちまち、娘が眠りを邪魔され目覚めたかのように息を吐くのが見えた。彼女はこう言った。「お願いを聞いて下さるのですね。」と。

そしてたちまち逃げるように家から出ていった。』

 

 これは吾が人生の長きにわたりこの知識に関して見聞した数多くの驚異のうちの一つである。…(略)

 

 

 4,

 (省略)

 

 

 5,

 こうした事どもについて語る前に、1つ心に銘記した厳修すべき格言を据えておこう。古達の見解によれば、諸惑星の霊の享受は以下の事柄に準ずる。

 

 まず、惑星の自然本性を知らねばならない。これによりその力能を享けて、望みの霊の作用を得、この力を望みのままに形象あるいは図像のうちに組み込み、先に論じたように、色、香、薫香によって事物の自然本性をその惑星に適合させる。

 

 続いて、図像のコルプス表面の色がその惑星を代示する色と同じになるように、また香りもこれと関連づけ、図像および実修者の衣装の色もその惑星に適合したものとし、薫香の香りも惑星に準じて調えられるように十分配慮する。

また実修者の内側もその惑星の自然本性にしなくてはならない。つまりその惑星を代示する食物を食べ、実修者のコルプスがこれからまさにそれに相応しい体液複合を保つことができるように、適切なものを摂取する。…(略)

 

 そこでこの惑星に準じられる鉱物を用意し、これで十字を1つ鋳る。

そしてこれ(惑星)がそれに適切な星座の中にある時、この十字を2本の脚に載せる。そしてこれを汝の請願の形象あるいは図像の上に配すると、惑星の霊がここに合する。

 

 例えば、争いや反目を覆して敵を恐れさせるための図像をつくるには、この十字に獅子か蛇の図像を組み合わせる。逃亡脱出のための実修には、十字の鳥の形象を組み合わせる。

 

 富、権力、名誉、地位を増す業を為すには、十字に説教壇に座す男の形相を組み合わせる。

 

 あなたの請願の全てにおいて先述した相の事例に準じて、あなたの請願に相応しい形象を十字と組み合わせる。

また望みのまま誰かを服従させ、あなたの指示に背かないようにするには、その者の図像を、その者に準えられる惑星、つまりその誕生日に東に昇ることを礎としてこの者に対する最大の潜在力を発揮する惑星の、自然本性をもつ石でつくる。…(略)

 

 これについては、上述した力能の全ては形象の中に最大に凝集(ぎょうしゅう)する、と結論づける他ない。我々は一々の樹木や草の形象や形相のうちにばかりでなく、動物やら鉱物の諸惑星の霊の形象そのものを知ることができない。

そこで古のこの業の賢者達は、万有宇宙の普遍的形象として、十字を選んだのだった。

 

 全ての物体はその立体としてあらわれ、また平面の形象は長さと幅とをもっている。

ところで、長さと幅とはまさに十字を為すところのものである。それゆえ、この形象は万有宇宙を導出するものとも呼び得るものであり、こうしたものとして諸惑星の霊の力能に働き、またそれらを受け取るものであり、これは他の形象のなし得るところではない。

これこそがこの業の秘鑰である。…(略)

 

 

 6,

 (省略)

 

 

 

 

 第6章

 

 惑星の霊を自然の事物から採り出す大いなる業。

そして図像とは何か、またこの力能を獲得するための手法について

 

 

 1,

  自らの自然本性の力能と配置に委ねることなしには、誰もこの知識を完全にすることはできない。これはアリストテレスが『アズティへクの書』で語るところ。

この書の中ではまたこう言われている。

 

 ー完全な自然本性はその作用において全てが容易に成し遂げられるよう、愛知者達を強壮にし知性と叡智を確かなものとする。またこの叡智の諸知識は、愛知者でなければこれを明かそうとせず、それぞれの段階においてこの知識の総体をありうべきもののうちに隠している。ー

 

  この知識と精妙な愛知すべては、霊の自然本性の作用を介して、その弟子達にも明かされる、と。この霊の完全な自然本性は、メエギウス、べドザフエク、ウァクデス、ヌフェネグェディスという4つの名で呼ばれている。

これら4つの名辞が上述した完全な霊の自然本性の諸部分である。

 

 この賢者、アリストテレスはそうした完全な霊の自然本性をこれら4つの名辞で呼んだのだが、これらの名辞は完全な自然本性の潜在力を意味している。

これについてヘルメスは言う。

 

 『これをもって吾は知解し、この世の諸作用とその諸性質の秘鑰を引き出したいと思い、吾は大変深く暗い井戸(地下室)の上に立った。そこからは激しい風が吹き出し、その中の暗闇を眺めることもできないほど。そこで燭台に火を灯して掲げたが、たちまち風に消されてしまった。

そうこうするうち、夢に美しい堂々たる男があらわれ吾にこう語った。

 

 「火を灯した蝋燭を硝子の角灯の中入れれば激しい風にも消えなくなるだろう。これを井戸に掲げてその中央を穿(うが)ち、そこから図像を取り出したまえ。これを取り出したなら、その井戸の風は◯み、そこに光源を据えることが出来るだろう。そこで井戸の四隅を穿ち、そこからこの世の秘鑰を引き出したまえ。つまり完全な自然本性とその諸性質それに万物の生成について探り出したまえ。」と。

 

 吾はこの人にあなたは誰なのかと尋ねた。この人は応えて言った。

 

 「わたしは完全なる自然本性。わたしと語りたい時にはわたしの本当の名前を召還したまえ、そうすれば汝に応えよう。」と。

 

 吾はこの人に、一体どのような名で呼んだら良いのか、と尋ねた。この人は答えて言った。

 

 「先に告げた名指しした4つの名辞、これらを持ってわたしを召喚したまえ、そうすれば汝に応えよう。」と。

 

 改めて吾はこの人に、いつ呼べば良いのか、また呼ぶにあたってどうすればよいのかと、と問うた。その人は言った。

 

 「月が白羊宮の初度にある時に。昼夜構わず望みの時に、清潔で立派な館に入り、その東角の地面から高く食卓を据える。そして4つの壺をそれぞれ1リップラの容量のものを準備し、その1つに牛乳バターを、もう1つに胡蝶油を、3つ目に扁桃油を、4つ目に胡麻油を、満たす。

 

 続いてまた別に、先のものと同じ容量の4つの壺を準備して葡萄酒を満たす。そして胡麻油にバターと蜂蜜と砂糖を混ぜる。そしてこれら8つの壺、混ぜて作ったもの、硝子の器1つを準備して、先の食卓の中央に配し、その上に混ぜて作ったものを置く。

 

 まず葡萄酒を満たした4つの壺をこの食卓の四隅に据える。その配置は、1つ目の壺を東に、2つ目を西に、3つ目を南に、4つ目を北に。

続いて残りの4つの壺、まず扁桃油を満たしたものを東の葡萄酒の壺の横に、胡桃油を満たしたものを西に、バターを満たしたものを南に、混ぜ合わせた油を満たしたものを北に置く。そして蜜蝋の蝋燭に火を灯し、これを食卓の中央に置く。

 

 続いて2つの釣り香炉に炭火で満たし、その一方に抹香と乳香を、他方にアロエ樹を入れる。これが完了したら、汝は東を向いて立ち、上述した4つの名を7度唱える。これを7度繰り返した後、次のように唱える。

 

 強力にして権能ある高き霊よ、汝に祈願する。

汝の叡智の諸知識と知性の諸知解があらわれますように。

汝の諸能力が愛知の請願を満たし給いますように。

私に応じ、私と共にあり、私を汝潜在力と力能へと導き、私を汝の知識によって強めたまえ。未だ知解し得ずにいるものを知解させ、知らぬ所を知らしめ、見えぬ所を見せたまえ。そして私の盲目性、卑劣、忘却、疾患を払い、古の賢者達(つまり内心を知識、叡智、知性、理解で満たしたまえ。)の段階にまで私を昇らせたまえ。

 

 これらの言葉を私の内心に繋ぎとめたまえ。私の内心が古の賢者達の内心が実現したところに繋がれますように。」と。

 

 こう語り、この人は言葉を継いだ。』

 

 ここまで述べてきた通りに、業は『アスティメクェム』と呼ばれる書に語られているもの。古の賢者達は自らの完全な自然本性を調えるため、この業を彼等の霊に向けて年に一度は実修し、これが済むと友人達と共にまさにこの食卓で宴を催したものだった。

 

 

 

 2,~4,

 (省略)

 

 

  5,

 またソクラテスは、

「完全な自然本性とは賢者の太陽であり、その光輝の礎である。」

と言っている。

賢者ヘルメスへの質問者達が知識と愛知は何によって繋がれるのか、と問うと、

「完全な自然本性によって。」と彼は答えた。

また、知識と愛知の礎は何か、との問いの対する答えも、

「完全な自然本性。」

 

 厳密を期して彼等は改めて問うた。知識と愛知を啓くものは何か、と。答えは、

「完全な自然本性。」

そこで彼に問うた。完全な自然本性とは何か、と。答えは

完全な自然本性とは愛知のあるいは叡智の霊にそれを司る惑星が結びついたもの

これが知識の帳を開き、これにより他の者には全く知解出来ないことが知解され、またここから夢の中でも目覚めている時にも自然本性の作用が発し、導かれることとなる。」…(略)

 

 ここに語った言葉を十分理解し、記憶にとどめるよう勧める。

この知識を自家薬籠中ものとするためには、この知識への自然本性的な性向ばかりかその人の誕生時日を司る惑星の配置からする力能が不可欠である。

 

 

 

 

 第7章

 

 諸惑星の力能を引き寄せること(誘引)およびそれらといかに語り合うか、

いかにその諸効果は惑星ごとに、形象、供物、祈祷、薫香、諸願題目ごとに区分されるかについて。またそれぞれの惑星に必要とされる天界の状況について

 

 

 

 1,

 アタバリという賢者は、諸惑星の力能を享ける賢者達の業の実修について、魔術の業に関する古の諸著を解読してこう言っている。

 

 「いずれかの惑星と語り合いたいあるいは、何事かに必要なことを願いたい時には、まず何よりも神の前であなたの意思と信心を浄め、諸他のものを信じないよう十分注意する。そしてあなたのコルプスとあなたの布の汚れを全て清める。

続いてあなたの請願にその惑星の自然本性が相応しいかどうかを検討する。

あなたの請願を委託するためにその惑星に語り掛けるにあたり、この惑星の色に染めた布をまとい、これの薫香を焚き、これの祈祷を唱えるこれをこの惑星が上述したような威厳と配置にある時に全て為す。これを守るなら、望みは叶えられるだろう。」

 

 

 2,

 ここで惑星に合致した請願を簡潔に唱える。土星への請願においては、老人達、寛容な人々、町の貴顕や王達、地に働く者達、召使達、農民達、町の功労者や資産家、偉人達、大工達、盗人達、父、父祖、先祖に向けられる願いを唱える。

 

 また憂鬱、あるいは深刻な病患による思惟の苦痛には、上述した全てあるいは先述した一々の請願を土星に向け、その自然本性をあらわすものを求め、これに後述する祈祷詞を唱える。この請願にあたっては木星が援けとなる。こうした請願の全ての礎は、その惑星が司るとされるものより他のことを惑星に請願しないことである。

 

 

 3,4,

(省略)

 

 

 5,

 太陽にはこれに見合った請願をする。つまり王の息子の兵士達や王に対する願い、法や真実を司り、虚言や暴力を憎み声望を望む高官達への、賞賛されることを好む管史、聖職者、医師、愛知者、謙虚で心遣いがあり寛大な人々、兄や父等々への願いを。

 

 

 6,

 (省略)

 

 

 7,

 水星への請願としては、公証人、書記、算術家、幾何測量師、占星術師、文法家、説教者、愛知者、修辞家、詩人、王の息子達また彼等の秘書、司令官、証人、行政官、弁護士、使用人、男女の子供達、弟達、画家、絵師等々に関わる祈りを為す。

 

 

 8,

 (省略)

 

 

 9,

 続いて一々の惑星の自然本性とこれに関連付けられる諸物事およびその一々の意味について記しておこう。まず、土星から始めることとする。

 

 土星は、冷と乾であり、災厄と損害であり、悪臭腐臭の元である。

尊大なる叛逆者であり、何事も約しても裏切りをはたらく。その意味するところは、農事としては川や陸地での仕事、長旅の様々な災難、また色々な敵意反感、悪しき所業、誘惑、本意からでない行為、労苦の全て。

 

 つまり、希望、悪化、老年、壮健、危惧、大いなる知解、配慮、憤激、裏切り、痛苦、◯悩、死、遺産、孤児、旧跡、尊敬評価、熱烈な雄弁、秘匿された知識や秘密の意味、深い知識。以上はこれの運動が順行にある時の意味である。

逆行している時は、災厄、衰弱あるいは病患、収監また生活に必要なものの欠如を意味している。…(略)

 

 

 10,~12,

 (省略)

 

 

 13,

  金星は冷と湿で、幸運。その意味するところは、純白、高貴、光輝、言葉遊び、歌の嗜み、歓び、輝き、微笑、描画、美、豊満、管楽器や弦楽器の演奏。

婚姻の歓び、香草や良い香りのものども、夢見させるもの、将棋やサイコロの遊戯、婦女達との同◯願望、また信頼を確かなものとする性愛の享楽、豊満さは欲望を生み、愛は自由や寛大な心を、また歓びをあらわにし、◯い、復讐や正当性を憎む。

友情への嗜好は、世間の判断よりも、自らの嗜好と欲望を保とうとするものゆえ、偽りの誓へと一歩踏み出すこととなる。…(略)

 

 

 14,

 水星は可変的である自然本性から他へと変じ、諸他の惑星の自然本性を採り込む、つまり善と共に善を、悪と共に悪を。

これの意味するところは覚知と理拠的知性、善い弁舌、堅牢で深遠な物事の知解、善い知性の働き、善い記憶力、善い把握力、諸知識の敏活な獲得、知識と愛知の研鑽、偶発的な者事の知解、算術、幾何学占星術、土占い、降霊術、鳥占い、書写、文法、気を遣った語法、叡智の請願に関わる俊敏な把握、賞賛を求める知識の探求、詩書、押韻への愛着、算術書、叡智の秘鑰の記述に対する知識欲、愛知の解釈、人への慈愛,恭順、愛の歓び、富の浪費と商売の破綻、狡猾な詐欺紛いの道理づけをしてみせる者達との商品売買。

 

 彼等はその邪な思いを隠して嘘をつき、偽装を凝らして用心深く警戒する者達をも容易に◯め、様々な職掌に就く者達を大胆にも精妙な仕掛けをもってあらゆる混乱に陥れ、その所業を楽しみ、富を得るため友や人々を支援して非合法へと逸脱させる。

 

 

◆補足文

(※以下~。この「ピカトリクス」は魔術を行う者達のために存在しているので、つまり自分達こそ「邪な思いを隠して嘘をつき」まくっている悪魔崇拝者であるというのに…、なんと白々しい文章でしょうか。)

 

 

 15,

 月は冷と湿であり、その意味するところは業への着手、大いなる事柄の知解、善い覚知と動機、最良の助言、堂々とした弁舌、生活の要請にかかわる大胆さと幸運任せ、人に交わる身嗜み、優美で軽やかで愛らしい身振り。

こうした人々は身のこなしの洗練を求め、健全明瞭な意志をあらわし、貪欲に食べ、妻との性交は喜びは僅か、悪を思いとどまるのは人々からよく言われたいという思いからの気どり、愉快なもの美しいものを愛し、占星術や魔術その他の秘密を詮索する高貴な知識を好み、子や孫を愛して家庭を大切にし、人々から愛され賞賛され、義しい行為に邁進する。これはまた、まさにこれの性質の一つである忘却や必然を意味してもいる。

 

 

 16,

 土星に唱える方法。土星に唱えたいと思う時には、それが良い位置に来るまで待機する。優良なのはこれが天秤宮にある時で、これ土星の昴揚にあたる。続いて宝瓶宮にある時、ここはこれが歓ぶ宿である。…(略)

 

 一方、この惑星がその行路を逆行しているか、失墜の角度にある場合は、怒りと悪意に満ちた人のようなもので、請願もたちまち覆される。土星が上掲げのような良い配置にあり、これに祈りを唱えようとする時には、あなたは黒い布をまとい、つまりあなたが身に着けるもの全てを黒くするだけでなく、学者のような黒頭巾を被り、あなたの履物も黒くする。

そしてこの業を実修するため、人里離れて慎ましく準備された場所に赴く。ユダヤ人達のように歩みを運びつつ。土星は彼等の合の主惑星であるから。

 

 またあなたの手には鉄の指輪をはめ、鉄の釣り香炉を携えて。そこに◯した炭火を容れ、ここに薫香用の錠剤を投じる。その成分は次の通り。

 

 阿片、アクタラグ(草の一種)、サフラン、月桂樹の種子、胡桃、ニガヨモギ、羊毛片、コロシントウリ、黒猫の毛を等量取り、汚れを取り去ってから、黒山羊の尿と共に全てをよく混ぜ、これを糸状にする。

実修にはこれを一本、高炉の炭火の中に投じ、立ち上るうちに以下の祈りを唱える。

 

「高き主よ、大いなる名をもちたまい、すべての惑星からなる上天に居たまうものよ、至高なる神によりその高みに据えられたものよ。汝こそ、主なる土星

冷にして乾、闇深い善の作動者、汝の真なる友情が、汝の真なる約束が、汝の友と敵とに永劫にわたり堅持されますように。

 

 汝の知識は永劫にして深遠。汝の言葉と約束の内には真実があり、汝の様々な業は唯一格別で、その歓びと快活さにおいて諸他の哀れで痛々しいものどもとはかけ離れている。

 汝は老いた高齢の賢者。良き知性と劫掠者。

汝は善の作動者であるばかりか、悪の作動者でもある。惨禍と悲哀は汝の災厄がもたらす災いであり、善は汝の幸運から汲まれる。

神は汝のうちに潜在力と力能と霊を据えたまい、これらが善をも悪をも働く。

 

 汝、父にして主なるものよ、汝の様々な高い名と汝の様々な驚くべき業に、願い上げる。吾にあれこれをなしたまえ、と。」

 

 

 このようにして、あなたの願いを唱え、あなたの身を地に投じ、あなたの顔を常に土星に向け続ける。敬虔に、一心に、従順に。

この請願は清浄にして確固としたあなたの意志に出たものでなければならない。そうすればあなたの請願が成就されるのを目の当たりにできるだろう。

 

 

 17,

 また他の賢者達は別の祈祷と薫香を持って土星に祈っている。…(略)

この薫香を香炉に投じ、あなたの顔を土星に向ける。その煙が立ち昇るうち、次のように唱える。

 

 神の名と、神が冷の作用を集めて土星の力能と潜在力を名指ししたまう天使へ、

 ユリルの名において。汝は第7天にある。

 

 汝をすべての名をもって召喚する。

アラビア語でゾハル、ラテン語でサトゥルヌス、フェニキアの語彙でケイフェン、ローマ語でコロネス、ギリシャ語でハコロノス、インド語でサカス、汝すべての名をもって汝を呼ぶ。

 

 そして汝に潜在力と霊を授けたまうた高き神の名において汝に誓う。

吾と吾が祈り受納し、汝が主なる神に服するその服従をもって吾にあれこれをなして報いたまえ、と。」

 

 ここであなたの請願を唱える。香炉へ薫香を続けながら既に述べた言葉を一度唱え、土星に向かってその自然本性である土にあなたの身を投じる。

既に述べた言葉を繰り返し唱え、それ、土星に生贄を捧げる。

 

 黒山羊の首を刎ね、その血を集めて貯める。続いてその肝臓を取り出し、火で完全に焼き、そこに血を注ぐ。このようになら祈りは叶うだろう。

 

 

 

 

  第Ⅲ書は長いので、次回に続けます。

 後半はもっとエグイ魔術の内容となっていきます。

 

 

魔術 9.

【魔術】

 

 

 『ピカトリクス』(引用)

 

  第Ⅲ書

 

 ピカトリクス第Ⅲ書ここにはじまる。ここでは諸惑星および諸星座の性質を論じる。そこでこれらの形相および形象がそれに相応しい色とともに明かされる。また諸惑星の霊と語りある方法その他、降霊術に関わる様々な議論がなされる。

 

(略)

 

 第1章

植物、動物、金属のうちに存ずる諸惑星の部分について

 

 

 1,

 前の書で図像と天の形象またそれらにかかわる事どもについて述べたので、ここでは諸形象つまり、この世の様々な相貌が天の諸形象の似姿を写すということについて語るとしよう。

まず知っておくべきことは、太陽が星座の円環にある場所から別の場所へと移動すると、それの効果が変じる、ということ。この変化は諸惑星、諸恒星の相違に準じる。

それゆえ我々が何らかの準備をするにあたり、天の諸形象が時宣にかなった作用をなす時に観察し、この効果とともに地上の事物と、天上の事物との自然本性の類同化およびこれら2つ、つまり天と地の自然本性相互の一致を理解して業を為すよう心掛けねばならない。それによって、この地上に諸天の力能が注入され、ここに求める諸霊の運動と変成が最大となる。

それゆえ図像の作用とは2様、つまり天の力能と地上の自然本性の力能とのはたらきである。この第Ⅲ書では、降霊術の図像の数々について、図像に関する知識からその卓越した用途まで、全てを語ることとする。

 

 

 2,

 ここではまず、一々の惑星がもつ効果と潜在力について、降霊術の効果と性質に準じて系統区分してみよう。

 

 

 3,

  まず、土星土星は保持する力能(記憶力)の鉱脈である。これは深い知識と法(律則)の知識の相貌をもち、事物の原因と礎、およびその効果の探求、驚くべき雄弁、深く秘匿された諸性質の知識をあらわす。

 

 ヘブル語とカルデア語の慣用語法によれば、身体外部としては右耳、身体内部としては諸器官をお互いに結び付ける憂鬱室(黒胆汁)の源である脾臓

また法の中ではユダヤ法を、布地としては黒い布のすべて、職掌としては土にかかわる耕作、掘削、鉱物の採掘および精製、建築術。

 

 味覚としては不味いもの、場所としては黒い山、暗い川岸、深い井戸、穴や人里離れた場所。また、石ではアリアザ(縞瑪瑙)、その他黒い石の全て。

 金属では鉛、鉄その他黒くて汚れを含むもの全て。

 樹木ではニワトコ、カシ、イナゴマメノキ、棕櫚(しゅろ)、葡萄。草ではクミン、ヘンルーダ、玉葱、その他全て長い葉をもつ植物。

 香草としてはアロエ、没薬等々、トウゴマやコロシントウリに似たもの。香料(油性のもの)としては肉桂と安息香。

 動物では黒駱駝(クロラクダ)、豚、猿、熊、犬、猫。鳥では鶴、駝鳥(ダチョウ)、ドゥガム、烏、長い首をもち、鳴き声の大きいもの全て。

 その他地中に育つ動物全てと湿り汚れた小さな動物全て。色としては黒いもの斑のもの全て。

 

 

 4,

 木星は成長増殖の力能の鉱脈である。これは法(律則)および合法性の相貌をもつ。知識としては司法(判断)、追求するものの闊達な会得、修復と保持(管理)。

致命的病患からの保護。また叡智、愛知、夢解釈の能力。言語としてはギリシャ語。

 外観部としては左耳。内部器官としては気質や体液を調える肝臓。法(律則)としては総合統一。布としては高貴な白。職掌としては法を制定したり矯したりする無為な仕事および明朗な交易。

 味覚としては甘さ。場所としては祈祷所や明るく清く聖なる場所全て。

 石では緑玉のその他白、黄色の石全て。水晶その他貴重で尊ばれる白く輝く石全て。金属としては錫とトッチア(酸化亜鉛)。

 樹木では胡蝶、ハシバミ、松、ピスタチオその他殻のある果実の稔る木全て。

草では白ミントその他の果実をつける香りのよいもの全て。香料としてはサフラン、黄白檀、ナツメグ、樟脳(しょうのう)、龍涎香(りゅうせんこう?)、マチュム。

 動物としては美しく均斉のとれた全ての動物で、よく生贄に供されるものおよび駱駝、鹿、カモシカのように狂暴でなく滑らかで清潔なもの。

 鳥では孔雀、鶏、山鳩、鶉(うずら)、のように美しく色鮮やかなもの全て。小動物では蚕のような役に立つもの。色としては白味がかった赤。

 

 

 5,

 火星は誘引する力能の鉱脈である。これは自然学の知識の相貌をもつ。

また外科術や獣舎での飼育、抜歯、瀉血(しゃけつ)、割礼に関わりがある。

 言語としてはペルシャ語、外部器官としては右鼻孔、内部器官としては怒りや熱が発し、憤激や闘争心を駆り立てる胆嚢。法(律則)としては異端および律則の統一を改変させるもの。

 布地としては亜麻布や兎や犬その他の皮革。職掌としては火をもってする鋳鉄や武具やら窃盗用の器具づくり。味覚としては熱、乾、苦いもの。

 場所としては城塞など防御された場所、戦場、火を熾す(おこす)場所、動物の首を切る場所、狼や熊などの野獣が集まる場所、処刑場。

 また石では紅玉髄、その他赤く黒い石の全て。金属ではアゼルネク(つまり赤アウリピグメントゥム)、硫黄、ナフタ、硝子、赤銅。

 樹木では胡椒(こしょう)、松、ヒルガオ、クミン、コチンディウム、月桂樹、タカトウダイ、ドクニンジンなどその自然本性の火のつきやすい全て。

 薬草としてはこれを燕下すると体液平衡を崩し致命傷に到るもの全て。これはその中の過剰な熱による。香料としては赤白檀。

 動物は赤駱駝その他大きな赤い歯をもつ動物全てと損害をもたらす野獣の数々。小動物としては蝮(まむし)、蠍、鼠等々、悪をなすもの。色としては赤の勝ったもの。

 

 

 6,

 太陽はこの世を支配しこの世を照らす光源であり、産生の力能の鉱脈である。

愛知、鳥占い、裁定判決に関わる相貌をもつ。言語としてはガリア語。また水星の参与によりギリシャ語とも関連する。

 外部器官としては眼、内部器官としては身体諸器官を支配する熱の泉であり、身体すべてに命を授ける心臓。

 法(律則)としては異邦の律則および諸惑星の霊の代弁者達、布では黄金を添えた高雅で貴重なもの。

 味覚としては濃厚で甘いもの。場所としては王が住まい統治する美しい大都市や、大変高貴な場所。

 石では石玉やイアルゴンザム。(瑪瑙)金属では黄金。

 樹木では高く聳える棕櫚のように背が高く美しいもの。草としてはサフラン、薔薇、また小麦やオリーヴには土星も参与している。

 薬草としてはアロエ樹、白檀、漆等々、熱性で刺激臭の薬草全て。

 獣としては人にとって大切で力強いもの。牡牛、馬、駱駝、雄羊、雌牛、その他力強い大きな動物全て。

 鳥ではアウストレス、鷹、鷲、通常王達が携えているもの。これは孔雀たちも参与し、大きな蛇をもつ。また、火星とともに熊も参与する。

 色としては赤系統および黄金のような黄色。

 

 

 7,

 金星は味覚を強化する鉱脈である。文法、韻律、楽器の響きや歌声に関わる相貌をもつ。言語としてはアラビア語

 外部器官としては右鼻孔、内部器官としては膣、精液の放出、胃。

ここから飲食の力能と味覚があらわれる。また法(律則)としてはサラセン法。布としては多彩に彩られた布。

 職掌としては描きかたちづくる全ての仕事。また香りの良い薬草の販売や楽器の響きの良い演奏、歌唱、舞踏、楽器の絃の制作。

 味覚としては美味しい甘い味。場所としては背徳的な場所、またよく人が休息したり踊ったりする場所、歌ったり楽器を奏でたりする賑やかな場所、美しい主人や婦人のいる場所、それに飲食の場所。

 石としては真珠、鉱物としては青金席やアルマルタク。

 草では香りの良い草全て。サフラン、アルヘンダム、薔薇等々。香りばかりか味も良く、見るからに心慰むもの。薬草としてはバルサム、大変香りが高いイウレブの良い殻粒、ナツメグ龍涎香

 動物では婦女達のもの。美しい駱駝、またガゼル、ペクーデス、カモシカ、兎といった美しく均斉のとれた体◯(たいく)をした動物の全て。小動物としては色とりどりの美しいもの。色としては空色とやや緑色がかった金色。

 

 

 8,

 水星(省略)

 

 

 9,

 月は諸惑星の力能を受け取り、これを世に注ぐ自然本性の鉱脈で、幾何や占術に関わる相貌をもつ。合流する水量の計測その他の知識、降霊術、医術およびこれに求められる体験、また古の知に関する造語。言語としてはドイツ語。

 人の外部器官としては左眼、内部器官としては呼吸のもとである肺。

法(律則)としては偶像や図像への祈願。

 布地としては皮革や敷き布。職掌としては鑢(やすり)研磨や、皮鞣し(なめし)、貨幣鋳造、航海。味としては水のように味のしないもの。

 石では小さな真珠。金属では銀や白色を呈するもの。草木としては菖蒲(しょうぶ)、葦、等々白くて香り良い草木の全て、また、土から生じるもので足元の覚束ないもの全て。背の低い草、キャベツ、また牧草の全て。

 場所としては泉、湖、沼、雪の積もった場所や水の溜まった場所。香草としては施療薬として供される肉桂、生姜、胡椒等々。

 動物としては、赤牛、ラバ、ロバ、雌牛、兎。鳥では動きの俊敏なもの全て。また気中に生まれたそこに棲む動物の全て。それに白い水鳥。

 色としては白および黄と赤の組み合わせからなる様々な色。

 

 

 10,

 (省略)

 

 

 

 

 ◆補足文

(この第Ⅲ書の第1章の説明を読んでいて気付いたというか、思い出される名前は、

スイス出身で医師であり、化学者、錬金術師であり、神秘思想家のパラケルスス(1493ー1541年)です。彼は悪魔使いでもあったという伝承もある人物で、ウイキペディアでも、彼の医学においては、西洋医学の基本概念であった四体液説に反対し、人間の肉体に対する天の星辰の影響を認める医療占星術の流れを汲んで、独自の原理に基づく治療法、診断法を唱えた。とあります。

 彼は錬金術の研究から、水銀、アンチモン、鉛、銅、砒素などの金属の化合物を初めて医薬品として採用した人物としても知られています。

 

 パラケルススの生い立ちの部分では、彼の父親も放浪の医師であったことや、父のヴ

ルヘルムが市医だけでなく、鉱物学校の講師として勤めながら、パラケルススに自然哲学や医学、化学を教えていた事と、少年時代を鉱山学校で過ごしていたために、金属やこう夫、それに関する病に関心を示していたことが「鉱物」と「医術」が結びついたきっかけになったのは理解できます。しかし、パラケルススについて何より注目すべきなのはそこではなく、ドイツの修道院隠秘学者であった、ヨハンネス・トリテミウスの元で魔術の理論を学んでいたということです

 

 この、彼の恩師であるヨハンネスは、ドイツの修道院の院長であり、魔女の妖術を表向きには強く非難していながら、実際は降霊術を能する魔術師としていくつかの逸話が流布されていた人物でした。彼はしかもというか、やっぱりの、カトリックのベネディクト派(現在も活動する最古のカトリック修道会)に属していました。

このベネディクト派が、最初に錬金術を行い、怪しげな「薬」を製造し町に売っていたことも判明しています。その薬の販売が当時彼等の貴重な収入源だったわけです。

と、いうことは、カトリックは今更ですが、このパラケルスス悪魔崇拝者であったという事は疑いようのない話になってくるわけですね。)

 

 

 

 

魔術 8.

【魔術】

 

 

 

 『ピカトリクス』第Ⅲ書に入る前に、星座の起源について、そのはじまりは、カルデア人からであるという説について話していきます。

『聖書大辞典』では、カルデア人については次のように述べられています。

(一部抜粋)

 

 

 ● カルデア人

 

 本来的にはカルドゥの地に住む人々のこと。(前9世紀以降の起源に出る名前)

すなわち、南西メソポタミアに定住していた東方アラム系の諸部族を指しています。

歴史上重要な役割を果たしたカルデア人の一人に、メロダクバラダン(前721~700年頃)がいます。

また新バビロニア帝国のナボポラッサル(前626~605年)とその子孫がしばしば「ガラテア王朝」と呼ばれるが(バビロニアアッシリア)、楔形文書資料からは彼等がカルデア出身かどうか証明されない。

この呼称はベロッソスの報告からの推察に過ぎない。とはいえ、カルデア人バビロニア人とともに新バビロニア帝国の中核部分を形成していたことは確かである。

 

 旧約聖書では、カルデア及びカルデア人とはバビロニアの民のことを指しています。

 

 <創世記11:31、15:7>において、アブラハムの故郷が「カルデアのウルであった」という記述がありますが、これは歴史的には問題が多いことが分ってきています。歴史的意義をもつ記述は以下の<王列記・下>他になります。

 

 <王列記・下24:2>

「ャハウェは彼に対してカルデア人の略奪隊、アラム人の略奪隊、モアブ人の略奪隊、アンモン人の部隊を遣わした。」

(補足※この箇所においてのカルデア人の解説文は、原語カスティーム、ネブカドネザルはバビロンの王と呼ばれているが、その民は「カルデア人」と呼ばれている。

<エレミヤ37:5参照>新バビロニアの史料では彼等はアッカド人、すなわちバビロニア人と呼ばれている。とあります。)

 

 イラン(ペルシャ)の王達は単純にカルデアの王達の後継者と見なされていました。

<ダニエル9:1>において、ギリシャ人にとってもカルデア人はもっぱらバビロニア人のことあり、クロス(キュロス)以降ペルシャ人の侵入があっても、そう呼んでいました。

 

 ペルシャおよびヘレニズム時代には天体占いとその類がしばしば宗教混合(シンクレティズム)を起こしていたバビロニアに由来したこともあって、

カルデア人とは占星術師、預言者、呪術師の代名詞でもありました。

<ダニエル2:2参照>

 

 古代のラビ・ユダヤ教の教師やキリスト教父には聖書のアラム語ユダヤ教で用いられたアラム語カルデア語と呼ばれました。

 

 

 

 

 次に、『星座の発祥/古代カルデアの羊飼い説』www.hal-astro.comyより引用します。

 

 

 ●『星座の発祥/古代カルデアの羊飼い説』

 

 星座の起源は、古代メソポタミアに住んでいた「カルデアの羊飼いたちが考案した」と、多くの書物に記載されています。しかしこれは誤りで、「紀元前3千年頃から古代メソポタミア地域で徐々に発生した」とすることが適切です。カルデアの羊飼い説は、野尻抱影氏の著作が情報紀元となっており、おそらく日本のみで流布されています。

 

 カルデア人メソポタミアの碑文の中に初めて登場するのは紀元前9世紀頃で、シンバビロニア王国を建国したのは紀元前625年です。これは古代メソポタミアの末期ですので、2千年以上も時代が異なります。

R・Hベーカーによる「星座の紹介」(初範1937年)には、『現在に通じる星座の成立は、紀元前3千年頃、チグリス・ユーフラテスや周辺に住む羊飼い、砂漠の遊牧民、海人、学者等により作られていった。』とあり、羊飼いに限定していません。

 

 3前年頃、メソポタミアに住んでいたのはセム系民族のシュメール人アッカドです。ブリタニカ交際百科事典によると、『彼等は恒星全体を「天の羊群」と呼び、太陽は「置いた羊」、七つの惑星は「老いた星」であり、星にはみなる「羊飼い」がついていると考えていた。』とされており、これにも「羊飼いが作った」とはされていません。「羊飼い」はあくまで星空にあるものだったのです。

 

 

 

 

 

◆補足文

(つまり、ここで何が言いたいのかというと、

世間ではアブラハムがウル出身であったから、アブラハム占星術の始祖なんだ、などというとんでもないことを流布しているものがあるのです。

しかし、それはまったく間違いだという事です。

占星術の始まりは、バビロニア人であり、それがアッカド人、元々のカルデア人でもあるということです

○○人と次々と名称が変化するので混乱してしまいますが、セム系の起源がアブラハムだからといって、旧約聖書通りに、たとえアブラハムがウル出身であったとしても、アブラハム=魔術・占星術の始祖などという「嘘の史実」には騙されてはいけません。)

 

 

 

 

 『ピカトリクス』第Ⅲ書を先に書きたいのですが、すみませんカルデア人の説明つながりから、少し先取りして第Ⅳ書の一部を引用します。

 

 

 『ピカトリクス』(引用)

 

  第Ⅳ書

 

 第3章

 カルデア人たちは深みから何をとりだしたのか、あるいはこの知識の秘鑰の数々およびこれに関して何が語られてきたのかについて説かれる。

 

 

 1,

 この業の知識と実修に執心したのはカルデアのマギ達であり、彼等こそこれに関する知識を完成した者達だった。彼等によれば、まずはじめヘルメスは像の館(「諸星座の宿をさだめ」)を造り、これをもってナイルの水量と月の山の関係(ナイル川の水量の月の巡りとの関係)を知ることとなった。

そしてここに太陽の宿をさだめた。また彼を見るに相応しい者が誰もいなかったので、人々から身を隠すこととなった。彼こそエジプト東12マイルのところに町を創建した者で、その内に4面に4つの門扉のある城を築いた人だった。その東門には鷲の像を、西門には雄牛の像、南には獅子の像、北には犬の像を据えた。そこに入ることが許されたのは霊的な者達だけで、彼等は声を投げかけ語り合い、彼等の推挙なしには他の誰もその門をくぐることも出来なかった。

(解説:それらの像には生きた霊が宿っており、いずれかの像に近づく者があると、それらは語りだし、恐ろしい騒音をあげたので、怖れて誰もそれに近づかなかった。誰か官史の仲立ちなしには。)

 

 そこには数々の樹木が植えられ、その中央にはひときわ大きな樹木があって、ここにはあらゆる類の果実稔っていた。

またその城の上には高さ30キュービットの塔が設けられ、その頂には円い球が据えられた。これの色は7日間毎日変じ、7日が過ぎるとその色は元に戻った。この町もまた毎日この球の色で覆われ、町は毎日その色に輝くのだった。

 

 この塔の周囲には水が溢れており、そこには様々な種類の魚がいた。町の周りには種々様々な像が飾られており、これらの得能により住民達は高徳を守り、卑劣さや邪悪さを免れていた。この町はアドセンティと呼ばれ、その住民達は古人達の知識を受け継ぎ、天文学的知識ばかりか深く様々な秘鑰に通暁していた。

 

 

 

 2,

 わたしはまた人から見えなくする処方についての文書を目にした。これを再現しようと欲するなら、アラビア人達も月の24番目の夜に兎を用意し、月を眺めつづけながら、これの首を刎ねる。そして月に向かって薫香しつつ、上述した月への祈願の詞を唱え、続けて

「汝、降霊術の不可視の霊の天使、汝、サルナクティと呼ばれる者よ、汝の様々な潜在力に帰される物事にわたしが祈願するところをかなえ、汝の力能と潜在力と堅牢な力がこの業に寄してくれるよう請願する」と唱える。

 

 続いて上述した兎の血と胆汁を混ぜる。そしてそのからだ(コルプス)は誰にも見えないように埋める。もしもこの時から翌日、つまり太陽がこれの上に昇るまで剥ぎ出しにしておくなら、月の霊があなたを滅ぼすことになろう。

そして胆汁と混ぜた血を実修に用いるまで保管する。あなたが身を隠そうとし、誰にも見られたくない時、胆汁と混ぜたこの血を月の刻に取り出し、これをあなたの顔に塗り、上述した月の詞を唱える。あなたがこれを唱える間、他人の目にあなたは全く見えなくなり、このように為すことでそのような効果が生まれる。

目に見えるようになりたければ、その詞を唱えるのを止め、あなたの顔を洗い、先述した兎の頭から取った脳をそこに塗り、

「汝、月の霊よ、わたしを顕し、人々にわたしの姿が見えるようにせよ」と唱える。

するとたちまちあなたは誰からも見えるようになる。これが月の業であり、大いなる秘鑰にして深甚(しんじん)なる知識とみなされるものの一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔術 7.

【魔術】

 

 

 

 ■ 惑星の力ーアラビア占星術と星晨魔術ー

 

 

 星晨魔術(恒星や惑星と関係する魔術)は古代からあったが、最も盛んに実践したのは、初期イスラム世界のアラビアやペルシャの学者達だ彼等のルーツに共通するのは、天ないし星の世界は、神界と人間界との間にあるという信仰だった。それは、星や惑星、そして1年間の星の動きを表す12宮の世界である。

※星晨魔術師達は、地上にあるものはすべて特定の天体の力で満たされていると信じ、星のパターンを読み、その影響力を利用する方法を知ろうとした。

 

 占星術は、民衆から宮廷人まで、アラビア社会のあらゆる階層の人々に利用されていた。当初は秘教的であり、イスラム教とは相容れないと考えられていた。

一方、初期イスラム文化においては天文学が発達した。学者達がメッカの方向を定め、礼拝の時間を知るためだ。やがて星晨研究は、自然科学の合理的な一部であると見なされるようになる。9世紀にはアル=キンディーが著した、天文学と科学を融合した書『光線に関する書』では、星はそれぞれが発する光線を通じて地上に影響を及ぼすと記されている。

 

 

 

ピカトリクス

 

 12世紀以降にアラビア語からラテン語に翻訳された書物は、ヨーロッパの魔術と科学の思想に多大な影響をもたらした。最も有名な星晨魔術の本は『ガーヤ・アル=ハキ―ム』である。おそらく10世紀ないし11世紀に書かれたもので、13世紀にラテン語に翻訳され『ピカトリクス』として知られるようになった。同署では、天体と、目に見ないもの、例えば色や香りなどとの間には自然の関係性があるとされ、そこには魔術用のレシピが書かれている。……

 

 

 

 

 ……ということで、ここからは、中世星晨魔術集成『ピカトリクス』大橋喜之訳より

いくつかの抜粋、引用をさせてもらいます。これまでの魔術1~6まで読まれた方なら、割とこの書も理解しやすいのではないかと思います。

ここで新めてはっきり申しますが、私はただの聖書研究者であり、オカルティストでも

悪魔崇拝者でもありませんから、あしからず。

 

 

 『ピカトリクス』

 

 

 

 

1, 知識の秘鑰(ひやく)を約束された者達への啓示である至高なる万能の神の栄光を讃えつつ、ここに古の賢者達が公に書物を持たぬラテン人識者達にその教説を解くこととしよう。ヒスパニアおよびアンダルシアの尊い王であるアルフォンソ殿(カステリィアとレオンの王、アラビア文書の翻訳移入に努め、賢王の添え名を付して呼ばれる)は、精魂こめて入念にこの書をアラビア語からヒスパニア語に訳すように命じたまうた。その書名がピカトリクスである。

 

 この著作は主の1256年、アレクサンドロスより1568年、カエサルより1295年、アラビア暦655年に完成した。賢者にして哲学者、高貴にして尊いピカトリクス、200巻を越える哲学書から本書を編纂した人の名を冠して、この書の表題とする

 

 

2, 神の名にかけて、かくあれかし。ここに叡智溢れる哲学者ピカトリクスが様々な書冊から編んだ降霊術(ネクロマンシー)の業に関する書はじまる。

賢者は言う。この世のすべての事柄の中で我々が最初に成すべきことは神に感謝することである、と。まず唱えておこう、神は賛美されてあれ、と。その光こそが秘密を明かし、隠されたものを顕したまうのだから。その権能こそがあらゆる奇蹟を成し遂げるのだから。またそのうちにあらゆる祈請、あらゆる知識が算入される。その秩序をもって昼は夜によって分けられ、無から総てを創造さてたその権能によりいつまでも全てが贖われ、その潜在力により全てを創造物が新たにされ、そのうちにあって一々のものはそれぞれ自然本性にしたがって統御されている。……(略)

 

 

3, あなた、哲学の知識を解し、その秘鑰を洞察することを知る者よ、大いなる業のはじめの驚きは、これに関する諸著を繙く(ひもとく)うち、降霊術の驚嘆すべき知識に遭遇するところにある。

第一に知らねばならないことは、この知識を哲学者達は秘匿し、それを人々に見出し難しくしたという事。それを人々に包み隠したばかりか、それを語るに彼等は隠秘なことばを使い、また諸他の知識について語る時のように符合やらそれに類したものを用いたものだった。

これはかえって人々にこの知識が明かされたなら、世界に混乱を招くことになるから、という彼等の誠実さと善意に出たものだった。

 

 これがまさに形象化されて語られるのは、この知識について既に説き知らされておらず、これを知るにふさわしくない者が知るにいたることがないようにするためだった。

つまりそれは、このように全て隠匿された途へと誘うものであり、これをくみ取ることが出来るとともに、言いたいことの全てを隠秘に語る賢者達だけの規範となる。それゆえ本書は編まれた。……

 

 

4,  至高なる創造者よ、吾は祈る。吾が語る所を解し善意をもって観るとともに、これを善用し神のためにのみ実修する賢者達の手にだけ、本書が渡りますように、と。

 

 

5、  本書はⅣ書に分けられ、また、それぞれが諸草に分けられている。

第Ⅰ書では諸天の存在達とそれらがそこで成す像の効果について論じる。

第Ⅱ書では諸天の形象全般、そして第8天の運動およびそれがこの世にもたらす諸効果について語る。

第Ⅲ書では諸惑星および星座の数々の特徴およびそれらの形象と形相をそれらの色とともに明らかにし、諸惑星の霊(スピリット)の性質また、降霊術についてもできるだけ述べることとする。

第Ⅳ書では、霊の諸特徴およびこの業において遵守しなくてはならない事ども、そして図像と薫香その他の補助的な事柄について語る。

 

 

 

 

 ◆補足文

(この序文についてですが、創造主はャハウェを指しているようで、指しておらず、

※箇所の言葉のような、この魔術の知識が一般に知れ渡ったら世界は大混乱になるからわざと難しくしたとか、秘密にしたのは彼等の善意だったとか、ほざいておりますが、反対です。彼等の目的は、一部の知識者達(特に哲学者達)、もしくは祈祷師や祭祀達の特権知識として独占し、利用したかったからに他ならないでしょう。彼等は非常に欲深いのです。

「魔術」とは、降霊術によって悪魔の神々と直接会話し、その魔力とたぐいまれなる英知をいただけるようにするということを意味しています。

ならば、この魔術書は、創造主が決して許すはずなどない非常に邪悪なものであることは必至ですし、これを熱心に学び利用しようとする者は悪魔を崇拝しているという証拠を自ら認めているということになるでしょう。つまり、聖書にある通り、占い、占星術師達、交霊術者等を指しており、それらを用いる者達をも非難しているわけです。)

 

 

 

第Ⅰ書

 

 第2章 降霊術とは何かおよびその諸特性

 

 1,  

 ここで降霊術と名指しされる知識について説いておこう。降霊術とはすべての人による業であり、覚知と霊はあらゆる部分においてこの業を追い、覚知がこれを省察し驚嘆しつつ追随して、物事を驚くべき働きを成すもの。これを理拠ある意味づけにおいて和解することも、その似像群に隠されているところを視るのも困難である。これはまさに神の潜在力が事物の上に働いて、上述したようなことが起こるのであり、この知識ははるかに深く、知性の働きを阻むほどである。

この知識のある部分は実のところ霊により霊のうちに行われる業であり、これは本質ではない事物の似像をつくりなすことによって行われる。この図像の組み合わせとは物体の中への霊の複合であり、錬金術による組合せとは物体の中への物体の複合である。

 

 一般に降霊術と言われるものは、覚知にとって隠蔽されたものごと全てのことであり、おおかたの人にはそれがどのようにして起こったか、何が原因でそうなったか把握できないようなものである。

この図像を賢者達は護符(テルサム)と呼ぶが、これは侵犯するものと解釈され、こうした図像がなすところは何であれ侵犯であり、そこに組み合わされたものをうち負かす。この業に勝利をおさめるには、算術的比例と諸天からの注入の働きを利する。そして先述したところを満たすため、それに相応しい時間に、その物体群を組み合わせる。

 

 また、霊をこの図像に強く引き寄せるために薫香をなす。これは諸物体を打ち負かし、これを変じ、最も清浄な他の物体に還すリクシルにも等しいものである、ということを知っておきたまえ。……(略)

 

 エリクシルと呼ばれる高貴な特性が土、気、火、水の組み合わせからなっている、ということを知っておくといい。これら4つの堅牢さはその中で合わさり、その洗浄力がいずれかの物体に浸透し貫入して諸部分に散らばると、それに大いに授けられ上手くそれに従い操られるままに変化して、それの特性と自然本性へと還る。

リクシルもまた同様に錬金術に置いて容易にある物体の自然本性を別の高貴なものへと転じるのであり、まずは最初は堅く軋む霊と協働して音と汚れを取り去る。これが古の賢者達によるエリクシルの秘鑰である。……(略)

 

 

 

◆補足文

※エリクシルという言葉を聞けば、日本人の女性なら資生堂の化粧品「エリクシール」を思い浮かぶのではないでしょうか。資生堂の化粧品は国内では№1であり、世界シェアでは第5位となっている、言わずと知れた大企業です。

 

 ところで、別検索によれば、リクシルの意味は、アラビア語のアル・イクシルに由来する錬金術の用語であり、卑金属を貴金属に変える触媒となる霊薬を意味していました。これは数多くの病気を治す力を持っていると考えられており、西欧中世の修道院(カトリックでは、自家用に色々な薬効のある薬(アルコール抽出)を作っており、これを「エリクシルと名づけていたようです。また、錬金術で飲めば「不老不死」となれると言い伝えられていました。いわゆる「賢者の石」のことです。

さて、資生堂はその創業の始まりは「薬局」であることが知られています。資生堂がこの「エリクシール」の商品の意味を、果たしてこの魔術的意味合いから取って名づけていないと思われるでしょうか?)

 

 

 2,

 降霊術は2部つまり理論と実践に分かれたる。理論とは諸恒星の場所に関する知識であり、これをもって天の形象および諸天の形相が組み合わせられ、どのようにその光線が動いている諸惑星に投じられるかを知り、欲する時に天の形象を探し出す手段を学ぶもの。またここで古の賢者達が図像の業をなす時宣と呼んだところが完全に了解される。図像の制作について知ると同時に、図像を鋳るのに要する諸事物について知る。

 

 また祈祷師も降霊術の一部であり、詞には降霊術の力能がある。

これはプラトンが、共に悪口や侮辱のことばを吐けば敵となり、善良な親しいことばをかければ敵も共友となる、と言うとおり。ここで明らかなように、ことばそのものには降霊術の潜在力がある。複数の堅牢さがお互いに合わさる時により大きな堅牢さとなるのであり、これが降霊術の完璧な力能である。以上が理論である。

 

 

 3,

 実践は3つの自然本性に注がれる諸恒星の力能の組み合わせからなっている。賢者達はこれを諸力能と呼ぶが、それがどのようなものか、先述したような力能をいかに引き寄せるべきかについては何も知らない。これらを一緒に引き寄せることで上述したような力能を得たなら、それに元素熱が与えられなければならない。これが薫香で、未だ未完成な力能を完成に導くためのもの。それにまた自然本性熱ももたねばならない。これは消化のためのもの。そして、人や動物の霊なしには、これら2つを完成させることも授けることもできない。

 

 

 4,

 また降霊術は一方で業の実修により、他方で精妙なものにより獲得される、ということを知っておきたまえ。……(略)

 

 

 

 5、

 古のギリシャの賢者達は様々なものによって視覚を変じ、そこにないものを顕せさせたものだった。これを図像の知識ユェテレゲフスと称し、天の諸霊を引き寄せることを解いている。この名は降霊術の全てを指して用いられる。

この知識は占星術によるより他には得難いものであり占星術の知識として少なくとも第8天に存する諸形象、これをよび諸他の天球の運動、12の宮およびそれらの度数とそれぞれの自然本性、また一々の宮の中への区分、獣帯の運動、その他ここに挙げた事柄に関連した事ども、そして7つの惑星の自然本性、龍の頭と尾およびこれらの位置およびこれが地上の諸事物に対してもつ意味、昇機と降機それ自体および諸他との関係の予測、および根本つまり天文学の諸基礎の意味するところを弁え、そして7つの惑星のいずれがどの形象の中の主となるか、またその主のなす序列秩序を知り、獣帯中の諸惑星の位置を導出することができなければならない。これらなしにはその業の知識に到達することはできない。

 

 これらは全て天文書に観られるところ。また最初の賢者が語ったところが上掲の『農事書』に載せられている。

吾は7つの天を越えて挙げられる、と。これはつまり、意味判断力によって彼はそれらの一々の動きをそれらの自然本性とともに熟知していた、ということである。

 

 神もまた次のように言われる時、まさに同じことを言っておられる。いと高きにあるものを讃えよう、と。つまり、高みにある知識へと到り得るように主は覚知と知性能力とを授けたまうた、と。

 

 

 

 

 

 ……第Ⅱ書は省きまして、次回第Ⅲ書より、より深い抜粋、引用をしていきます。

魔術 6.

【魔術】

 

 

 

 ■ 神と不思議ー魔術と初期イスラム教ー

 

 

 623年に預言者マホメットが没した後、イスラム教は誕生の地を遠く離れてアラブの間に広く浸透していった。伝わる先々で、人々の多くがイスラム信仰を受け入れ、コーランを使うようになった。しかしながら、古い習慣がすぐに無くなったわけではない。政治や学問が基本的にイスラム教のそれに変わっても、イスラム以前の古代魔術は帝国全体で続いていた。

 

 さらに、マホメットの「常に知識を求めよ。たとえ中国に行くことになったとしても」という教えに従い、イスラム社会では学問が大いに盛え、バグダッドは古代文献の翻訳の中心地となる。

大半はギリシャ語で書かれていたが、ペルシャやインド、中国の書もあった。科学や哲学以外にも、ヘルメストリスメギストスやゾロアスター作とされるものも含めた古代魔術関連の本がバグダッドおよびイスラム世界にもたらされたのである。

 

 

 

 悪魔からの護身

 

 イスラム教徒は、神は全能であると信じていたが、シャヤティン(古代の悪の精霊)から身を守るためには神の介入が必要であるとも考えていた。シャヤティンは、堕天使や悪意のジン(精霊)も含めた悪魔の一団である。コーランでも、それらは人の心を惑わすものとしている。しかし、多くの人にとって、シャヤティンは実在する危険だった。それ以前から続いてきた別の信仰、邪視の場合も同じだ。嫌なことが起きるのは邪視の呪いによるものだと。

 

 

 

 お守りと魔法の鉢

 

 コーランは、アラブ人の異教徒が持つお守りには難色を示した。しかし、初期のイスラム教徒は、シャヤティンや悪邪視を追い払うためにお守りの力に頼る事を止めはしなかった。

イスラム教徒は、お守りにはコーランの祈りの言葉が刻まれているからと妥協したのだ。実際、中にはミニチュアのコーランもあった。ソロモンは、コーランの中では預言者として、そしてまた、古の魔術師として知られており、彼の六角星の封印はしばしばお守りに刻まれている。中でもとりわけ人気があった護身の魔術、特に12世紀のそれは魔法の鉢である。単純な粘土の鉢だが、ありとあらゆる苦痛を癒してくれるのだ。

魔法の鉢にはコーランからの引用ばかりではなく、ペルシャや、さらには中国の魔術の符合、星座や天体の印も彫られているのが普通だった。サソリや蛇などの動物が彫ってあるものも多かった。

 

 

 

 神秘学者

 

 初期イスラム世界では魔術はありふれたものだった。それだけでなく、その翻訳作業

 を通じて学者達も大いに関心を抱くようになった。学者達はシーア(魔術)とキハナ(占い)を区別したが、2つは重複していた。

シーアとは、刀を飲み込むなどの奇術を指すのだと考える者もいた。10世紀の法律家アブー・バクル・アルージャッサスは、魔術信仰は単なる無知にすぎないと主張した。しかし、多くの人にとってシーアは、ジンを呼び寄せたり、死者を蘇らせたりできる本物の神秘の力だったのだ。

 

 魔術研究として最も有名なのは、12世紀の作家アフメド・イブン・アリ・アルーブ二だ。彼は著書『輝く光』で、神の名前を99挙げ、それぞれの名前に潜む神秘的な要素を調べ、お守りによってそれらの持つ超自然の力を利用できると指摘している。

 

 

 

 魔法の書

 

 初期イスラム教徒の多くは、文字や数字に魔力が宿っていると信じていた。一部の魔術師は、「イルム・アルフルフ(文字科学)」に関する高度な技術を身に着けていった。これには、アラビア文字の神秘的要素とそれに関わる名前を研究する学問も含まれていた。

 

 オノマンシ―(名前の文字占い)と呼ばれる占いの一つの方法は、まず、名前や語句の各文字に数字を割り当てる。その数字を合計して、その語や語句の数字的価値を読み取る。これにより、隠れた意味が出現し、予知が可能となるという。

 

 数字の9で計算する目的は、名前の各数値を調べて競技や戦の勝者敗者を決めるためだ。9で割って得られた数値を表で調べるのだ。同様のやり方は、病気や旅の結果を知るために、或いは何らかの出来事が出現する確率を知るためにも使われた。

他にもジャフルというやり方があった。99の神の中から1つの名前を選び、その文字と対象物の文字とを組み合わせて、望みが叶うようにと祈ったのだ。

 

 文字を書くこと自体も、強力な魔術であると考えられた。またそれが占いの手段ともなった。正しい文字を使うことで、ジンを支配する力を得られるという。

魔法のアルファベットや秘密の文書、古代文明の文字に関する論文は多くある。特に、10世紀の学者イブン・ワッシーヤの『古代文字の謎を知りたい熱狂的信奉者の書』は有名だ。イブン・ワッシーヤは、古代エジプトヒエログリフの解読を始めた最初の歴史学者である。

 

 

 

 魔法陣

 

 イスラム魔術が人々の注目を集め続けた理由の1つに、ワフクという魔法数の正方形がある。この正方形の概念は中国が起源のようだが、アラブ世界でも実用されるようになった。特に12世紀以降普及し、多くのイスラム魔術の手引書に登場する。

最もシンプルかつ最も早く登場した魔法陣は3×3ブードゥーで、1~9までの数字を縦横斜めに並べ、どの列も合計が15になるように配置すうるものだ。

このやり方は今日でも数学者をワクワクさせ、より大きな正方形をつくり出そうとする試みがしばしば為されてきた。しかし、初期イスラム世界で関心を集めたのは、この正方形の持つ魔法の要素と災難を払う力だった。

実際3×3の魔法陣は非常に強力で、ブードゥーの名前を書いたり呟いたりするだけで胃痛が治ったり、姿を消したりできると考えられていた。

 

 

 

■ アラビアの錬金術

 

 

 アラビア語のアルキミア(錬金術)は、1つの物質を他の物質に変えることを指す。9世紀の学者アル・ラーズィーに言わせれば、錬金術をやらぬものは真の哲学者ではない。それは神の創造力に匹敵するのだから。最終目標は卑金属を金に変え、永遠の命を与えることだ。

錬金術師は秘密主義だった。彼等の技術が、英知ではなく、富を追求するものの手に落ちることを恐れたからである。後には詐欺師とあざ笑われることが多くなったものの、錬金術師は化学の基礎を築いたと言える。中でも偉大なジャービル・イブン=ハイヤ―ン(ゲベルの名でも知られる)は、実験室、蒸留、強酸などを発明した。

 

 

魔術 5.

【魔術】

 

 

 

 ■ ドルイド僧の物語ーケルト神話と魔術ー

 

 

 ケルト人は当初ヨーロッパ全土に広がっていたが、中世にはアイルランドスコットランドウェールズコーンウォール、ブリタ―ニュにいるだけになった。

古代ケルト人は、豊かな神話と魔術を生み出したが、ほぼ口承文化であったため、今も残る伝統や文化は、古代ギリシャやローマの書物の記録や、中世のキリスト教徒が記した物語を介した間接的なものである。ケルト人自身が書いたものは皆無で、実際にどのような信仰や習慣があったのか、どこが誤解で、記録者が勝手に追加した内容なのか、どの部分がケルト神話なのか分かりづらい場合がある。

 

 

 ドルイド

 

 ドルイドは、歴史的に賢人や教師、神官が多かったようだが、時に魔力を持っていたとも記されている。そうした魔術や信仰は自然に根差したものだと考えられる。というのも、ドルイド僧の儀式の多くは聖なる林の中で行われていたからだ。

ローマ時代の著述家大プリニウスによると、ドルイド僧は、白い液を垂らすヤドリギには魔力があり、豊穣をもたらすと考えていた。またプリニウスは、動物を生贄にし、ヤドリギを集める儀式では白い牡牛2頭を殺したとも記している。

 

 ドルイド僧に関する歴史的資料の大半は、プリニウスユリウス・カエサル7などがローマ時代に書き残したものだ。ただ、同じような物語は、昔のウェ―ルズやアイルランドの物語にも登場する。いずれもケルトを祖先に持つ民族だ。……

 

 

 

◆補足文

ドルイド僧が、その宗教儀式において、巨人像に人間を詰め込み、生きながら焼き殺していたことが知られています。近年の考古学上の発見においても、ドルイド僧が従来のイメージ、神秘的で謎めいた崇高な感じのするものではないということが判明しています。

 

 ユリウス・カエサルは、ドルイドのことを「祭事に従事し、公的および私的な生贄の儀式を行い、宗教に関するあらゆる物事を解釈する人々であり、また、彼等は天文学や教育、武勇に関心があり、神の恩恵を受けるために、仲間のガリア人を生贄として捧げる習慣がある。」と述べています。

そして、網細工で作った巨大な人型の檻「ウィッカーマンの中に生きている人間を閉じ込め、火をつけたといいます。

ドルイドは血を好み、ヤドリギと人間の生贄の両方を神聖視していました。

軍人の大プリニウスは、ドルイドを「人を殺すことは、最も信心深い行為であり、その肉を食べることは、最高の健康の祝福を得ることだった。」と書き記しています。

更に歴史家であり政治家のタキトゥスは、ウェールズでの戦いで、ドルイドが「祭壇に捕虜の血をかけて内臓を捧げ、神々に祈っていた。と述べています。

 

 こんな恐ろしくおぞましい古代ケルトドルイド僧の儀式ですが、まさか消滅したはずのこの儀式が、現代のエリート層達の夏のお祭りイベントとして受け継がれているのをあなたは知っているでしょうか?

それはバーニングマンです。

 

 彼等エリートの主催者側は、そのイベントを別の偽善的な理由を掲げて行っています。もちろん、現代ではこのイベントで人間を生贄にはしていません。しかし、明らかに「バーニングマン」のお祭りは、この古代ドルイド儀式を模して行われているものと噂されているのです。

(実際、祭りのクライマックスには巨大な人型の像を燃やして祝っています。)

主に砂漠で行われるようですが、アメリカの各地とオーストラリア、フランス、イスラエルニュージーランド南アフリカウクライナ、そして日本でも行われています。

こんなイベントに憧れて行こうなんてするやつの気が知れません。

 

 さらに、「ハロウィーン」もこのドルイドの儀式と深い繋がりがあることも有名です。

YouTubeハロウィーンの起源/ドルイド教の残酷な生贄儀式』

 (2015年10月12日)Eden Mediaさん配信         )

 

 

 

 

 アイルランド神話

 

 ケルト伝承がとりわけ色濃く残っているのがアイルランド神話で、吟遊詩人や美しい乙女、超自然の力を持つクフ―リンなどの戦士の物語であふれている。そこにはまた、古代アイルランドの神であり、アイルランドの最初の住民でもあるとされる魔物達による魔法競争、トゥアハ・デ・ダナーンの物語もある。これらの物語には不思議な行動や武器が数多登場する。

例えば、職人の神ルーが持つ魔法の槍は、自ら飛び、狙ったものを必ずしとめた。多くのアイルランド神話には変身術が出てくるが、これは万物は相互につながるとするケルト信仰を反映している。

助けられた妖婆は美しい乙女に変わり、魔術師は鹿や鷹に変身し、敵を豚や馬に変えてしまうのだ。ケルト神話の中でも最もおぞましい生き物バンシーは、アイルランドスコットランドノルウェーの神話にも登場する。アイルランドのバンシーは、あちこちの墓地に潜んでいる。野蛮な女の姿で、神を長く垂らし、泣き明かして真っ赤になった目で恐ろしい泣き声を上げて、人の死を宣告するのだという。

 

 

 

 妖精の国 

 

 アイルランドでは、ケルト神話はあの世の存在への強い信念に結びついていた。ティル・ナ・ノーグという不老不死の国もその1つだ。シsiと呼ばれる魔法の盛土が入口のその国には、アオス・シ人が住む。彼等は、ケルト族に敗れて地下世界に閉じ込められた一族、トゥアハ・デ・ダナーンであるとされた。アオス・シは、自分達の特別な地を守るため時に狂暴になった。そこで人々は彼等の話をする時は「妖精達」と呼んで怒らせないよう気を使ったという。

 

 

 

 ■ 私の言葉どおりに物事は創造されるーユダヤ魔術と神秘主義

 

 

 タナハ(ヘブライ語聖書)は、魔術の大半を否定していたものの、中世にはラビも含めたユダヤ社会のありとあらゆる階層の人々がこれを利用していた。

タナハに記された物語の中にも、支配者達が魔術を行う例が出てくる。例えば、モーセの物語では、モーセの兄アーロンがファラオの前に杖を放り投げると、それはたちまち蛇に変身したという。ユダヤ教の聖なる経典であるバビロニア・タルムードにも、呪い、お守りなど、何らかの魔術に関する記述がある。

 

 

 

 呪術の言葉

 

 中世ユダヤ魔術においては、言葉が大きな役割を果たしていた。ユダヤの伝統では、ヘブライ語は神を起源としており、その文字には創造の力があるのだ。例えば、タナハによると、神は言葉を発するだけでこの世界を創造した。

ユダヤ人の中には、言葉と文字を適切に組み合わせることで、悪魔を退治し、予言するなど、どんなことでも可能だと信じた者達もいた。神や天使の名前に使われている文字はとりわけ大きな力があると考えられた。

宗教用語をもとにした呪文も積極的につくられた。ある文書によると、日々の祈りに魔法の言葉を足し、例えば死者を呼び覚ますといった特定の目的を果たすため、一連の呪文に仕上げたものもあったという。

 

 魔術と宗教用語の間の強い関係は何世紀にもわたって続いた。とりわけユダヤの神秘的な伝統であるカバラはそうであった。魔術を研究するユダヤの学者は、古代アラム語、第二神殿時代(紀元前539~紀元70年)のイスラエルの日常語、およびタルムード語の研究内容から大きな影響を受けた。

最も有名な魔法の言葉は「アブラカダブラ」ともいわれているが、これはアラビア語のavra Kdavraが語源で、「私の言葉どおりに物事は創造される」という意味だ。

 

 

 

 魔術書

 

 ユダヤ女性の多くは、病気や不妊など、日常生活で起こる問題に対処するための魔術を熟知していた。一方、ラビなどの学者、特に男性は、研究として魔術を実践し、それらは中世に魔術書として書き留められるようになった。『正しい記録の書』、『大いなる秘密』、『秘密の書』などは、癒しを与え、愛情を刺激し、幸運を呼び、痛みをもたらし、悪魔を消滅させるための処方箋として参考にされた。

 

 

 

 護符とお守り

 

 中世の多くのユダヤ人は、苦しみをもたらす悪霊シェディムの存在を信じていた。特に恐れられていたのは夜の悪魔リリスで、子供や出産時の女性を餌食にするとされていた。カメア(お守り)は、そうした霊から身を守るものとして普及していた。

人気の材料は狐の尾や深紅の糸など。またテクマ(保存石)も流産防止に身に着けられた。お守りには文字が刻まれることが多い。つまりユダヤ魔術で最も強力と考えられる要素、言葉、が添えられているのだ。

 

 詩編126などの教義を書き込んで家の周りに置けば、子供達を守ることができるとされた。他にも、天使の名前や伝統的な魔法の言葉を金属板に彫り込んで首にかけたり、家具や家財道具などに呪文を彫るなどの方法があった。

特に強力なお守りはソロモンの指輪である。そこに彫られた星型のシンボルは、中世の著述家によると、ソロモンの印章付き指輪に神自身が彫ったものなのだとか。その封印により、ソロモンは悪霊シェディムをも支配する力を持った。星は5角形ないし、6角形で、三角形を重ねた形が悪魔の目をくらませるのだという。

 

 

 

 カバラ

 

 「カバリスティック」という言葉は現在では秘密、神秘的という意味でよく使われる。その語源の「カバラ」は、ユダヤ教神秘主義的思想を表しており、神性を理解し、つながり、さらに影響を及ぼすことを意味する。

カバラが登場するのは1230年、『ゾーハル』という書の中だ。この文献を発見したスペイン人ラビによると、これはそれより1千年以上前の2世紀に存在した聖人の物語なのだとか。

『ゾーハル』は、トーラー(タナハの最初の5つの経典)の隠れた意味、神聖なるものの要素、を明らかにするとされた。そしてこれらの意味を慎重に調べることで、それを読む者と神との神秘的な合体が可能となると信じられたのである。

 

 カバラの学術的、神学的価値は、その後のユダヤ教思想において極めて重要な役割を果たした。しかし、もう一つの別の側面もあった。それは「実践的カバラ」といわれ、単に神に近づくだけではなく、世界に影響を及ぼすというものだ。

14世紀以降、実践的カバラの信奉者は、神や天使の名を使ってお守りを作ったり、呪文の中に取り込んだりして、この思想を実行に移した。彼等はユダヤの他の神秘的伝統も組み合わせた。その中にオネイロマンシー(夢占い)や、悪魔思想などもあった。

例えば、15世紀のカバラの書である『神の風の書』には、呪術を使って悪魔や天使、さらには神さえも呼び出す方法が記されている。

 

 

◆補足文

(※『ゾーハル・カバラーの聖典』エルンスト・ミュラー編訳/石丸昭二訳より

 

 ゾーハルの解説(簡単にですが…)

ゾーハルはほぼ13世紀の終わりに』スペインに登場する。しょっぱなから神秘主義的起源の要求を引っ提げて、学者にしてカバリストのモーセス・ベン・シェムトープ・デ・レオン(1250ー1305)がこの書をラビ・シモン・ラビ・ベン・ヨハイの策として広める。この人物は紀元2世紀の最も偉大なタルムードの権威の一人で、彼についてはつろにタルムードの伝説が不思議なことを伝えている。……

 

 

本書の「ゾーハルについての声」において以下のお2人の感想が素晴らしいので抜粋します。

 

 ゲルショム・ショーレム著『ユダヤ神秘主義』の中で、ゲルショムは、「ゾーハルは、その根底にある思想を展開させるというよりは、むしろそれを応用し、それらを自分の説教に使用するのだ。このことは言っておかねばならないが、著者はまさに独創的な説教者である。彼の手にかかると、聖書のおよそ何気ない詩句がまったく思いもよらない意味にかちえる。幾多のこうした論述に直面すると、批判的な読者すら、何かこれこそがトーラーの幾多の箇所の真の意味内容なのではなかろうかという考えが、批判的意識にはバカバカしく思われながらも忍び寄って来るのだ!そのうえ著者は、たいていの場合繰り返し神秘的主義的なアレゴリー化に没頭し、神秘主義的○○に耽ることも稀ではないが、しかし彼の言葉からは、一切ならず慄然(りつぜん)とするような秘密の深淵が顔をのぞかせている。」

 

 

 

 マルティン・ブーバー『ハシディームの書』より、

 マルティンは、次のように言っています。

「したがって、ユダヤ神秘主義の力がそれを生み出した民族の本来の特性から来ているのなら、それは更にこの民族の運命も刻印されていた。

ユダヤ人の流浪と苦難は再三彼等の魂を震撼させ、絶望のどん底に陥れたが、そこから忘我の閃光が発するのはいともたやすいことである。しかし、それは同時にユダヤ人がこの忘我の純粋な表出を拡充する妨げとなり、また彼等が必要なこと、自らの体験と、余計なこと、拾い集めたものとを混同し、苦しくて自身の事は言えないと言う気持ちで他人のことを喋りまくるいわれともなったのである

 

 『ゾーハル』、『光輝の書』のような書はそのようにして生まれた。それは魅力あるものにして嫌悪すべきものである。アレゴリックな解釈によって読むに耐えるものとはならない粗っぽい擬人化、曖昧な気取った言語で格好つける索漠とした冴えない思弁、それらの真中に再三再四ひっそりした魂の奥底がきらりと光って見える。……

 

 

  ……ということで、「カバラ」は悪魔崇拝者達の聖書です。そして、それを賞賛している『ゾーハル』も同じものといえます。上記抜粋した2人の感想文のように、『ゾーハル』の内容は、まさにユダヤのラビ達が『旧約聖書』を自分勝手に解釈し、歪ませたものとなっています。)

 

 

 

魔術 4.

【魔術】

 

 

 

 ■ 魔術の役所ー古の日本の魔術ー

 

 

 日本の伝統的な神道では、万物、木、川、山、あるいは建物さえにも神が宿っているとされた。そうした聖霊は専門家の手によって、操ったり怒りを鎮めたりすることができた。

狐使い(狐の霊に取り憑かれた者。飯綱(いづな)・管狐などと言われる。)はとりわけ強い形で神が出現したものだ。狐使いは変幻自在。姿を隠し、時には他人に憑くこともできた。

 

 紀元前5、6世紀には、仏教、道教、そして中国の5行、陰陽などの信仰が日本に入ってきて神道と融合する。これら全ての影響に対し、あるいは神の意志を確認するために、日本人は複雑な予知の体系をつくりあげた。

 

 魔術を行う者は陰陽師と呼ばれ、占いの儀式を取り仕切ったり、星や日食月食などの異常現象から吉凶を読み解いたりした。更には悪魔祓いも行っていた。まず悪魔に取り憑かれた者の身体に精霊を入り込ませ、取り憑いた霊に尋問させて正体を暴く。そうすることで招かれざる霊を取り除く最適な儀式を見極めたのだった。

 

 陰陽師は宮廷官史となり、彼等が実践する陰陽道は広く受け入れられ、陰陽寮という役所が陰陽師を任命するようになった。

陰陽師の占いの結果によって、訪問者を受け入れるかどうかを決める物忌(ものい)みや、貴族が外出する際に守護を受け入れるための儀式である反閇(へんばい)は、1868年に明治天皇が即位しこれを禁止するまで続いた。

 

 

 

 魔女、魔除け札、大衆魔術

 

 陰陽師は魔術師に近い仕事も行っていた。その多くには、霊の側近ともいうべき式神がついていた。式神はしばしば動物となって現れ、儀式がきちんと執行されないと恨みを持つとされた。陰陽師はお礼と呼ばれる護符を吊り下げて邪鬼を追い払った。

呪禁道(じゅごんどう)を行い、妖怪を退治して病気を治すのもいた。こうした大衆魔術において、陰陽師の壮大な神託は民間伝承にもなっていった。人々は、黒犬の皮を燃やせば嵐を鎮められるとか、雷に打たれた木の削りくずを噛めば臆病心が治るなどといった事を信じたのである。

 

 

 

 本流の魔術

 

 最も高名な陰陽師である安倍清明は、不可思議な出来事を分析し悪魔祓いを行うことに長けていた。占術書を何冊も著している清明は、貴族の赤子が生まれる前に男か女かを占って宮廷に気に入られ、陰陽寮の長となる。以後、彼の一族は19世紀までこの寮を束ねた。安倍清明はその魔力によって名を成した。

 

 母は狐使いであったということを、ライバルである芦屋道満(非官人の陰陽師とされる)との魔術対決に関する壮大な回想録の中で自ら記している。

そのエピソードの1つに、道満が箱の中に15個のミカンを隠し、何が入っているか当ててみろと清明に言うと、清明はミカンをネズミに変身させ、その数を正しく答えたという。

 

 

 

 

■ 宇宙のサイクルーマヤの魔術ー

 

 

 マヤ人、メキシコおよび中央アメリカの土着の人々は、豊かな精霊の世界に生きていた。ありとあらゆるもの、曜日までもが神聖であると考えられ、儀式や魔術は、神と交信するための手段だった。

 

 

 

 精霊と暮らす

 

 マヤ文明は250-900年頃の古典期に最盛期を迎える。何十もの都市国家に巨大なピラミッド、神殿、広場がつくられた。その宗教的な生活は秩序だっており、かつ、あらゆるものを対象としていた。

主な神には、雨の神チャクや、トウモロコシ神がいる。トウモロコシ神の具体的な名前についてはまだ論議が続いているが、その死(収穫)と再生(種)のサイクルはマヤ人の人間性を象徴していたとされる。

 

 神々は神殿や碑文を通じて崇拝され、曜日や方向、岩にさえも精霊が宿っていると信じられていた。こうした多様な世界との折り合いをつけるため、マヤ人はアーキン(シャーマン、および神官)に頼った。アーキンは、呪文や幻覚剤を使って聖霊の世界に入ることができた。最も効果のある仲裁者は王族であったが、王族はすでに半神であり、神と語って自分達の都市を守護してもらう力があると見なされていたのだ。

 

 

 

 血で神を鎮める

 

 マヤ人は、人間は神に創造されたものであり、故に神に借りがある。そして、生贄を捧げることでその借りを返せると信じていた。その際に最も強力な供物は血であった。神殿前の階段で戦争捕虜の首を切り落としたりしたのはそのためと考えられる。もっと良いのは、王がトゲ状の骨で自らの肉体を刺し、その血液を儀式用の紙で受け止め、燃やす事だった。その煙を吸えば霊界が見えると信じられていたのだ。人々はこうした犠牲を払うことで、病気を治してもらおうとしたのだった。

 

 また、マヤ人は、自分の中にはいくつもの魂が宿っており、その1つを損なうことで病気になると考えていた。そうした魂の1つには、オオリスという閃光があり、創造神があらゆるものの中に閉じ込めたものだとされた。

またウェイオブという、すべての人の魂に寄り添う動物もいた。王の魂に仕えるのはジャガーだが、それ以外のウェイオブも仕えていた。王族や神官などの魔術師達には、最大13ものウェイオブがいたという。

 

 

 

 予 言

 

 時、場所、そして神性は複雑に絡み合い、数字や色、方位器の針などと結びついていた。マヤ人は、天は地上に13層に重なっていると考えていた。大半の魂が死後に辿り着く地下世界は9層である。

神は各々4つの化身を持っており、それぞれが色と方位に結び付けられてた。

マヤの1年は祭祀歴が260日、太陽暦が365日であった。

つまり、この2周期を組み合わせた「カレンダー・ラウンド」は52年一巡していた。

 

 マヤの神官は、こうしたシステムを司るのに必要な知識の守護者であった。彼等は金星や月などの天体を注意深く観測し、天宮図や暦を作成。そうした観察から、特定の活動を控えるべき忌み日を決めた。

また、生贄の動物の内臓や、土の上に放り投げた穀物の模様を読んだり、魔法の鏡に映る像を見たりして吉凶を占った。

魔術や神が常在する世界においては、神託を理解することがマヤ人にとって何より重要だったのである。

 

 

 

 

■ 杖を持つ者ー北欧魔術ー

 

 

 北欧の人々のキリスト教への改宗は8世紀に始まるが、その数世紀前には、彼等は豊かな神話と異教信仰を生み出していた。その世界は、運命を牛耳る超自然の女の精霊ノルンに支配されていた。そして、その他にも2組の敵対する神族がいた。

オーディン神とトール神が支配するアース神殿と、フレイ神とフレイヤ神を擁するヴァン神族だ。ノース人達(古代北欧の人々)は、世界は神秘的精霊、つまり巨人やエルフ、小人などであふれ、木や岩、川、家さえも、ヴェッティルという精霊や悪魔が宿っていると信じていた。こうしたすべての存在に呼応するように、魔術的要素を伴った複雑な信仰が生まれたのだ。

 

 古代北欧魔術の伝承が、その時々に文字で記されたことはほとんどない。後世に、主にサーガ(叙事詩)として生き残るのだが、それは恐らくキリスト教の観点から着色されているのだろう。また、わずかながらルーン文字などの考古学的遺物の中にも残っている。

 

 

 

 予言者と魔法

 

 古代北欧魔術の核にはセイズという、主に女性が行った魔術で、ヨーロッパの魔女の概念の起源と見られるものの1つがある。

男も魔術を行いはしたが、それはエルギ(女々しく恥ずかしいもの)だと見なされた。

 セイズはシャーマニズムであり、幻視の旅や霊界との交信も行った。

ノルンは運命を支配するとされていたが、それを予見し、再構築する力を与えてくれるのはセイズであった。セイズを実践する者は、集会に招かれ、人々の未来を占ったりした。

また、詠唱や呪文を使って神と交信することもあった。最も崇拝されたのが、セイズに長けていたヴォルヴァ(杖を持つ者)だ。彼女達は長い青色上衣をまとい、そのフードは白猫の毛皮と黒羊の毛で縁取られている。

人の心と記憶を操ったり、形を変えたり、ものを見えなくしたり、あるいは敵に呪いをかけることも出来た。更には、愛、セックス、美の神フレイヤと繋がっていた。北欧神話最高神で戦争と死の神とされ、かつ詩文の神としても知られるオーディンに「男らしくない」セイズ術を教えたのはフレイヤだといわれている。

 

 

 

 運命の支配者

 

 北欧の人々は多くのノルンを信じていた。いずれも女神だ。その中にはエルフや小人もいるが、主な3人のノルンは、神の家アスガルドにあるウルズ(運命)の井戸に暮らす。この3人は、井戸から水を運び、偉大なる世界の木ユグドラシルに注ぐ。神、人間、巨人、そして死者の世界をつなぐ木だ。3人はその木の根元に座り、命の糸を紡ぎ、生きとし生ける者の運命を編む。運命を支配することで、彼女等は神よりも大きな力を持つことになったが、それは善にも悪にも作用した。

 

 ノルンは赤子が誕生すると必ず傍にいて、その運命を定めるという。母親にはノルンの粥が与えられた。母親は一口味見して、残りはノルンに捧げ、赤子には素晴らしい人生が与えられるように祈るのだ。

この3人のノルンは、シェイクスピアの『マクベス』に出て来る魔法使いのモデルだと考えられている。マクベスは魔法使いの占いによって悲劇に見舞われるのだ。

 

 ノース人は魔法使いに未来を占ってもらうと同時に、吉凶の前兆を追い求めた。ロット占いは普通に行われた。例えば、果物の木の枝を細かく切って、白布の上にバラバラに放り投げた時にできる模様から未来が占えると言われていた。

 

 

 

 自然の魔術

 

 ノース人は、自然現象の中に何らかの兆候を見定める卜占を行った。極端な自然現象、例えば嵐や日食などは神からのメッセージであり、動物もそのメッセージを運んで来ると信じられた。白い馬は崇拝の対象であり、聖なる森の中で飼われた。神が手綱を取れるようにと、空のままの馬車を白馬につないで走らせると、その轍(わだち)の跡が神の意思の表明として解釈された。

 

 カラス、大カラス、あるいは鷲の飛び方もなんらかの吉凶を表すとされ、戦いの前にカラスを見ることは吉凶であった。867年にノース人で初めてアイスランドで船で目指したフローキ・ビルガリズソンは、その案内のために3羽の大カラスを連れて行った。それは1度に1羽ずつ放ち、その飛ぶ方向を見て船を進めたという。

 

 

 

 生 贄

 

 オーディンをはじめとする神々を味方につけておくことは大変重要なことだった。そこでノース人はブロット(生贄)を捧げて神の機嫌をとることにした。儀式で動物を捧げたが、人間も生贄となったという証拠も残っていた。

1072年、ドイツの修道士ブレーメンのアダムの記録によると、スゥェーデンのウプサラにあるトール、オーディンフレイヤの神殿に、生贄の伝統があったとされた。9年ごとに、人間も含めたあらゆる種類の生き物の雄を9体ずつ用意し、神殿近くの聖なる林で殺し、その死体を木に吊るしたという。

 

 このような人間の生贄の話は、キリスト教によるプロパガンダではないかと考えられていたが、スゥェーデン、トレルボルグの遺跡発掘現場から、残忍な真実が見つかった。5つある井戸の全部から、人間や動物の骸骨が一緒に出土したのだ。5体あった人間の生贄のうち4体は、4歳から7歳の子供だった。

だが、これほどおぞましい生贄の儀式はそう多くはない。(?)

ごく一般的だったのは、人間や動物ではなく、貴重な宝石や道具、武器などを湖に投げ入れることだ。デンマークジーランド地方にあるティソ湖はテュール神の聖地であるが、ここからはそうした供物が山のように見つかっている。

 

 

 

 印の力

 

 シジル(特殊な記号。シンボル)には、口に出す呪いの言葉と同じほどの魔術が宿っていた。シジルは、お守りや、魔力が潜むとされる特定の木や金属に彫り込まれた。

中にはトールの鉄槌や、オーディンの矢のように、神に捧げられた魔法の道具を再現したものもあったようだ。トールの鉄槌はミョルニルと呼ばれ、この神の最も重要な武器であり、敵に投げつけても必ず手元に戻って来ると信じられていた。

雷は、この鉄槌が敵を切り裂く音だと信じられていた。この鉄槌の印を身に着けていれば、加護と力を与えられるという。スワスティカと呼ばれる古代の鍵十字の印と似ていて、太陽の輪とともに描かれることが多い。また、幸運と繁栄をもたらすという。

 

 最も謎めいていて強力な印は「ヘルム・オブ・オー畏怖の兜」であろう。光を放つ腕のような、鋭利な3叉の矛が8本描かれているものだ。これを身に着けた者は必ず勝利し、敵に恐怖を植え付ける。…

 

 

 

 ルーン文字

 

 

 ノース人などのゲルマン系民族が最初に書いた文字は、角形に彫られたルーン文字と呼ばれるものだ。起源3世紀頃に登場したこの文字は、16,17世紀まで使われていた。アルファベット同様の機能を持ち、その最古の形態であるエルダー・フルサクには24文字、新しいヤンガー・フルサクには16文字がある。

 

 どちらのルーン文字も、文字以上の役割を持っていた。つまりシンボルないし象形文字だったのである。「ルーン」自体が「文字」や「謎」を意味しており、ルーンは力と魔術の秘密の言語だった。例えば、英語のTにあたるTiwaz、つまり天の神を表現し、矢が空を指しているように見える。矢は方向を支持するだけではない。Tiwazは戦いの神でもあったことから、確実に勝利を収めたい時にはこの文字が彫り込まれた。

また、Uにあたる文字はUruz。これは、今は絶滅したが、かつてヨーロッパの森に生息していた巨牛オーロクスを指す。「意思の強さ」を象徴する文字だ。

 

 ルーン文字の中には、魔法の呪いと考えられるものもある。したがって、ガルドララグ(特殊な韻律)とともに唱えて、その力を引き出した。こうしたルーンの音は文字が生まれる遥か昔から存在していたと考えられる。伝説によると、ルーン文字はずっと昔から存在していたが、戦いの神オーディンが、世界の木ユグドラシルから吊るされて苦しみもがいていた時に初めて発見したという。その文字は3人のノルン(運命の女神)が木の幹に彫ったものだった。ルーン文字は、あらゆるものの運命を削り出すノルンの力を示すものでもあった。

 

 

◆補足文

ルーン文字は現在でもよく使われています。主に占いにですが、スピリチュアル系の人達はこのルーン文字に惚れこむ方が多いようで、その文字形態が可愛らしいイメージがあるせいなのか、これをファッション感覚でイニシャル文字のペンダントにしたり、もちろん意味を付けたお守りにする小物を使っております。

(木片や、小石、もしくは宝石類に彫られたものなどが普通によく売られています。)

また、ルーン文字を解説する書籍やカード類なども結構出ております。これらは、キリスト教の天使達ともよく結び付けられています。『天使カード』なんか数秘術も入っておりますし……。カード類はすべて吉凶占いです。魔法使いや魔女に興味がある人達はむろん知っていることでしょう!)