16.
ユダヤ人の敵意行為
「彼等はあなた方を会堂から追放するであろう。
そればかりか、あなた方を殺す人が皆、
自分は神に務めを果たしているのだと思い込むような時が来ようとしている。
彼等は父もわたしも知らなかったので、これらのことを行うことになるのである。
ともあれ、これらのことをあなた方に語っておいた。
彼等の時が来る時、それをわたしがあなた方に言ったということを思い出すようにと。」
弁護者についての約束
「これらのことをわたしはあなた方に、はじめから話すことはしなかった。
あなた方と共にいたからである。
今、わたしは自分を派遣した方のところへ往こうとしている。
あなた方のうちの誰も『何処へ往くのか』と尋ねようとはしないが、
これらのことをあなた方に語ってきたことで、
あなた方の心を悲しみが満たしてしまっている。
だが、わたしは真理を言う。
わたしが去ることは、あなた方にとって有益である。
わたしが去らないなら、✤弁護者があなた方のところに来ることはないが、
わたしは、自が行けば、彼をあなた方のもとに派遣することになるからである。
その方が来る時には、罪について、義について、
また審きについて、世を暴くであろう。
罪について、つまり人々がわたしを信じようとしないことを、
義について、つまりわたしが父のもとへ往こうとしており、
もはやあなた方がわたしを見なくなることを。
また、審きについて、※①つまり世の支配者が審かれてしまっていることを。
あなた方に話しておきたいことがわたしにはまだ沢山あるが、
今はあなた方がそれに耐えられない。(理解できない。)
だが、その方つまり✤真理の霊が来る時には、
あなた方をあらゆる真理のうちに導くであろう。
その時、彼は自分から語るのではなく、聞くことを語り、
来るはずのことをあなた方に告げることになるからである。
その方は、わたしの栄光を現わすであろう。
わたしのものから一部を受けて、あなた方に告げることになるからである。
父が持っているものはすべてわたしのものである。
このゆえに彼が、わたしのものから一部を受けており、
それを将来あなた方に告げることになると言ったのである。✤
❖補足文
(※①つまり世の支配者が審かれてしまっていることを。…つまり「人々がイエスを罪人として死刑にし、イエスが弟子達の目からも見えなくなること、それが実はイエスの生き方が義であったことの証であるという真理を明るみに出す。」
✤弁護者の説明は14章にてしてあるので再び参考にされて下さい。)
再会の時に起こる変貌
「しばらくすると、あなた方はもはやわたしを見なくなり、
またしばらくすると、わたしを見ることになる。
彼の弟子達の中に、互いに次のように言い合う人達があった。
「しばらくすると、あなた方はわたしを見なくなり、またしばらくすると、わたしを見ることになる」とか、『父のもとに往こうとしている』とか、我々に言われているが、これは何のことだろう。」
そこで、彼等は
「『しばらく』と言っておられるのはどういうことだ。語っておられることが我々には分からない。」
と言い始めた。イエスは彼等が自分に尋ねたがっているのを知って、彼等に言った。
「わたしが『しばらくすると、あなた方はわたしを見なくなり、
またしばらくすると私を見ることになる』と言ったことについて
互いに論じ合っているのか。
アーメン、アーメン、あなた方に言う。
他ならぬあなた方が泣き、嘆き、他方世が喜ぶことになる。
あなた方は悲しむことになる。
しかし、あなた方のその悲しみが喜びに変わることとなる。
女性は産みの時が来ると、悲しみを覚えるものである。
自分の時が来たからである。だが、幼子を産むと、その時には、
人が世に生まれたという喜びのために、もはや苦しみを思い出さないものである。
ところであなた方にも今は悲しみがある。
だが、再びわたしを見て、あなた方の心は喜ぶこととなり、
その喜びをあなた方から奪うものは誰もない。
その日には、あなた方がわたしに頼んだり尋ねたりすることは何もない。
アーメン、アーメン、あなた方に言う。
将来、あなた方がわたしの名において父に何かを願うことがあれば、
父はあなた方に与えるであろう。
これまであなた方はわたしの名において何も願ったことがない。
✤✤願いなさい。そうすれば、あなたがたは受け、
その結果、あなた方の喜びが満ち溢れたものとなるであろう。✤✤
これらのことを、※謎めいた形であなた方に語ってきた。
(※または、譬えを用いて。新共同訳)
もはやあなた方に謎めいた形で語るのではなく、父についてあなた方に
はっきりと告げることになる時が来ようとしている。
その日には、あなた方はわたしの名において願うこととなる。
わたしはあなた方に、自分があなた方のために父に頼むことになるとは言わない。
父自らがあなた方に好意を持っているからである。
それはあなた方がわたしにほれこんでおり、
わたしが神のもとから出たことを信じきっているからである。
わたしは父のもとから出て、世に来ている。
再び、世を後にして、父のもとへ行こうとしている。」
彼の弟子達が言う。
「御覧下さい。今はっきりと語っておられ、何の謎めいたことも話しておられません。
あなたにすべてのことが分かっており、誰もあなたに尋ねる必要がないことが、
今は私達に分かっています。
それで、私達は、あなたが神から来られたことを信じます。」
イエスが彼等に答えた。
「今信じているのか。あなた方が各自、自分のところへと散らされ、
わたしを一人置き去りにするような時が来ようとしている。
いや、来てしまっている。
だが、わたしは一人きりではない。
父がわたしと共におられるからだ。
わたしのうちにあって、あなた方に平和があるようにと、
これらのことをあなた方に語ってきた。
世にあって、あなた方には苦しみがある。
しかし、勇気をだせ。
⁑⁑わたしは世に対して既に勝利を収めたのだ。⁑⁑」
❖補足文
(解説にはない文ですが、
✤✤願いなさい、そうすればあなたがたは受け、その結果、あなた方の喜びが満ち溢れたものになるであろう。✤✤
の部分でピンとこられた方もおられるかもしれませんが…。
サタンは聖書からあらゆる言葉尻を抜き出して、自分達の宗教を作ったり、思想、哲学を作ったりしてきておりまして、この言葉からサタンが作り出したと思われるのは、宗教とは言い難い、いわゆる汎神論ですが、スピのあの『引き寄せの法則』を生み出しています。汎神論とは、グノーシス主義と同じですからね。
『引き寄せの法則』は、天の大宇宙の秩序といわれる、個人の人格を持たない大いなる存在=それを神と呼ぶ。という巨大なエネルギーに自分の欲しいものを、熱心に祈り、願えば、宇宙のその人格のない大いなるエネルギーの存在が叶えてくれる。
というとんでもない教えですね。
まったくナンセンスな話ですが、これが世では大当たりしました。
「これまで秘密にされてきた法則で、実は古代のエジプトの時代からあった教えだった。」とか、「世の成功者と言われてきた大金持ちはみんなやっている。知っていた。」とか、「成功者になりたい人は、何でも宇宙に向かって願いなさい。強く願えば願うほど宇宙は叶えてくれる。」とか言っています。要するに欲深く生きろと言っているわけです。
あと、⁑⁑わたしは世に対して既に勝利を収めたのだ。⁑⁑の部分ですが、これも解説にはありませんが、意味として言われているのは、世=サタンの世のことであり、直接的なサタン自身を指していると言われています。そして、イエスが世で宣教を始められる際に、はじめにサタンからの誘惑を受ける場面があります。
以下に抜き出してみます。
<マルコ1:12>
すると、霊がすぐに彼を荒野に送り出す。
そこで彼は、サタンの試みを受けながら、40日間荒野にいた。
しかし、彼は野獣たちと共におり、御使い達が彼に仕えていた。
<マタイ4:2ー11>
そして彼は40日40夜断食し、その後飢えた。
すると試みる者がやって来て、彼に言った。
「もしお前が神の子なら、これらの石にパンになるよう命じてみろ。」
しかし彼は答えて言った。
「こう書かれている。
『人はパンだけで生きる者ではない。
むしろ、神の口から出て来る一つ一つの言葉で生きるであろう。』」
そのあと、悪魔は彼を聖なる都に連れて来る。
そして、彼を神殿境内の屋根の端に据えた。そして彼に言う。
「もしお前が神の子なら、下へ身を投げてみろ。
なぜなら、こう書かれているからだ。
『彼はお前のために、御使い達に指示を与えるであろう。
すると彼等は、お前を手で受け止めるであろう。
お前がその足を石に打ち付けることがないように。』
イエスは彼に言った。
「再びこう書かれている。
『お前は、お前の神、主を試みることはないであろう。』」
悪魔は再び彼をきわめて高い山に連れて行き、
彼にこの世のすべての王国とその栄華を見せる。そして悪魔は彼に言った。
「もしお前がひれ伏して俺を拝むなら、
これらすべてをお前にやろう。」
そのとき、イエスは彼に言う。
「サタンよ、失せろ。
実にこう書かれている。
『お前は、お前の神、主を(主こそを)伏し拝み、彼にのみ仕えるであろう。』」
その後、悪魔はイエスを離れる。
そして見よ、御使い達がやって来て、彼に仕えていた。
ということで、つまり、イエスはこのサタンによる誘惑の試みに見事に勝利しているので、弟子達に対して、あの言葉を言ったのではないかという説明になります。
それと神々は当然、未来を見通す力があるので、イエスが、自分が最初にサタンの誘惑に勝ったことと、その後の父である神からの指令をきちんと成し終えるであろうことが分かっていたために、こういう言葉になったのではないでしょうか。)