tekuteku-tekutekuの日記

聖書研究と陰謀論

死海文書『戦いの書』 4.

 

死海文書「クムラン宗団・エッセネ派」とキリスト教

 

 

 『戦いの書』

 

 

  【Ⅴ】

 

 

 全集団の長の楯には、彼の名とイスラエル・レビ・アロンの名と、系図によるイスラエルの12支族の名と、支族長12人の名とを書く。

 

 

 ー彼等の名軍隊の人員が、前線を完成させるほどに揃った時の、

  戦いの部隊構成に関する規則。ー

 

 

 千人に達すれば陣列は完成し、一陣列には、一人一人の持場の規則によって編成された、前方の7編隊が所属する。彼等はみな、鏡のように磨かれた青銅の楯を持つ。この楯は、鎖緑細工と、精錬された金・銀・青銅・宝石・色とりどりの石で精巧に造られた組合せ模様とに囲まれた、巧みな工人の作である。この楯の長さは2キュビト半、幅は1キュビト半。

 

 また彼等は手に槍と剣を持つ。槍の長さは7キュビトで、そのうち、留金と刃が半キュビト。留金には、精錬された金・銀・青銅に鎖縁細工ふうの彫刻をした輪が3本、精巧な模様で造られ、この模様は輪の両端に、宝石・色とりどりの石を囲んで組み合わされ、巧みな工人の作である。◯留金は、輪と輪の間が精巧な柱のように刻まれる。

 

 刃は巧みな工人に造られた白光りする鉄で、純金の穂の模様が刃の真中を切先に向かって延びて行く。また剣は巧みな工人に造られた、炉で練られて鏡のように白くされた純鉄である。そして純金の穂の形がその両側に組み合わされ、各面に2本ずつの溝が、切先に向かって真っすぐ付けられる。

剣の長さは1キュビト半、幅は指4本、鞘の幅は親指4本、鞘までの長さは掌4つ、そして鞘は端から端まで掌5つの長さとする。剣の柄は精選された角で、金・銀・宝石の色とりどりな装飾を付けた精巧な作である。

 

 また、祭司達とレビ人達と「規律の人」すべてが立つ時、彼等は7つの陣列を前後に並べて配置する。前線と前線の間にはおよそ30◯キュビトの間隔を置き、そこに歩兵達が立つ。

 

 

 

 

 【Ⅵ】

 

 

 7度攻撃してその位置に引き返す。彼等に続いて3部隊の歩兵が出撃して、両陣の間に立つ。最初の部隊は、敵の陣列に、戦いの投槍を7本投げ込む。この投槍の刃には「神の力による槍の閃き」と書き、第2の部隊の投矢には「神の怒りにより撃たれる者を倒す血の火矢」と書き、第3の部隊の投槍には「神の審きにより、悪の故に撃たれる者を食いつくす刀の陥」と書く。これ等の者はみな、7度攻撃してその位置に引き返す。

 

 彼等に続いて2部隊の兵が出撃し、両陣の間に立つ。最初の部隊は槍と楯を取り、第2の部隊は楯と剣を取って、神の審きにより撃たれる者共を倒し、すべての空しき民の邪悪に報復するため、神の力によって敵の陣列を屈服させる。かくて王国はイスラエルの神のものとなり、彼はその民の聖徒達によって勝を得るのである。

 

 また更に7編隊の騎兵が陣列の右と左に立つ。彼等の陣列は両側に立つ。即ち一方に騎兵700、他方に700。騎兵200が歩兵の陣列の千人と共に出撃する。同様にして彼等は陣営の各側面に立つ。その総数は4600。

また陣列の「規律の人」の乗用馬は1400、即ち一陣列につき50頭ずつで、騎兵と「規律の人」の乗用馬との合計は6000、即ち各支族につき500ずつである。

 

 歩兵と共に戦いに出る乗用馬はみな、雄馬で、足軽く、しなやかで息長く年齢の基準に合い、戦闘に訓練され、物音にも物の姿にも慣らされた馬である。

またこれに乗る者は乗馬の訓練を受けた勇士で、年齢の基準は30歳から45歳まで、また「規律の騎手」は40歳から50歳までとする。

これらの者と乗用馬とは鎧と頭および脚の蔽い(おおい)を着け、円い盾と長さ8キュビトの槍と○○弓と矢と戦いの投槍とを手に取る。こうして彼等はみな○○に準備され、○○その罪故に撃たれる者共の血を流すために……。

 

 

 

 

 【Ⅶ】 

 

 

 そして「規律の人」は40歳から50歳までとする。また陣営を規律づける者達は4、50歳から5、60歳までとする。指揮者達もまた40歳から50歳までとする。

撃たれた者の着物を剝ぐ者、品物を分捕る者、地を清める者、荷を守る者、食糧を準備する者はみな、25歳から30歳までとする。

 

 また彼等が戦いに出るためエルサレムを出たら、少年、若者や女子は誰も彼等が帰還するまでその陣営に入ってはならない。

びっこやめくらや怪我人や身体に不治の欠陥がある者や、身体が汚れに冒されている者、これらはみな一緒に戦いに出てはならない。彼等はみな志願兵で、霊肉共に完全で、報復の日のために備えができる者でなければならない。

戦いの日に涙が潔くない者は誰も彼等と共に戦いに赴いてはならない。

聖なるみ使い達が彼等の軍勢と一緒にい給うからである。

 

 彼等の全陣営と便所の間には、約1200キュビトの間隔を置き、彼等の全陣営の周囲には、悪い恥ずべき物が何も見えないようにしなけらばならない。

 

 敵に相対する戦いの陣列を、陣列と陣列とが相対するように配列したら、中央の門からアロンの子等の7人の祭司が両陣の間に出る。彼等は白い麻衣と亜麻布の下服と亜麻布の下ばきを着、青紫と赤紫と緋の亜麻の◯糸で巧みに造られた、色とりどりの飾りのある、亜麻布の帯を締め、頭には頭飾りの頭巾を被る。戦いの衣であるから、これらを聖所へ入れてはならない。

 

 祭司の一人が、陣営の全兵士の前を巡回して、戦いに望む彼等の手を強め、他の6人の祭司は、手に呼集のラッパと記念のラッパと喚声のラッパと追撃のラッパと集結のラッパとを持つ。

祭司達が両陣の間に出る時は、それぞれ牡羊の角笛を手にした7人のレビ人が一緒に出る。これらの祭司達とレビ人達との前を、レビ人から選ばれた3人の指揮者が進む。祭司達が呼集と記念との2本のラッパを吹くと、戦いの門が50の楯に対して開かれて、第一の門から50人の歩兵が出、第二の門から50人が出、これらと共にレビ人の指揮者達が出る。各陣列の兵は以下の各規律に従って出撃する。祭司達が呼集のラッパを吹くと2部隊の歩兵が門から出て、両陣列の間に立ち、……

 

 

 

 

死海文書『戦いの書』 3.

死海文書「クムラン宗団・エッセネ派」とキリスト教

 

 「戦いの書」

 

 

 【Ⅲ】

 

 

 ー戦いの編成ー

 

 歩兵出撃のために戦いの門が開かれる時の呼集のラッパ、

撃たれる音どもの喚声のラッパ、

伏兵のラッパ、

敵が打破られた時の追撃のラッパ、

戦いから引き返す時の集結のラッパ。

 

 集団呼集めのラッパには「神に呼び集められた者達」と書き、隊長呼集のラッパには「神の君侯」と書き、部隊のラッパには「神の規律」とを書き、名ある人々、即ち集会の家に集まる時の集団の家長達のラッパには「聖なる会議に対する神の証」と書き、陣営のラッパには「神の聖徒達の陣営には神の平安あれ」と書き、陣営出発のラッパには「敵を追散らし、すべて義を憎む者を敗走させる神の力と、神を憎む者共に対する憐れみの拒絶」と書き、戦いの編成のラッパには「すべての闇の子等に対する怒りの報復のための神の部隊の編成」と書き、敵陣に向かって出撃するため戦いの門が開かれる時、歩兵を呼集するラッパには「神の時における報復の記念」と書き、撃たれる者共のラッパには「反逆の故に撃たれる者すべてを倒すための戦いに、神の力強い手が臨むように」と書き、伏兵のラッパには「悪を亡ぼすための神の秘策」と書き、追撃のラッパには「神は闇の子等をことごとく撃ち給うた。彼等が滅びるまでは、神の怒りが収まらないように」と書き、陣列に入るため彼等が戦いから引き返す時の帰還のラッパには「神が集め給うた」と書き、エルサレムの集団に入るため、敵との闘いから引き返す途のラッパには「平安の帰還における神の歓呼」と書く。

 

 

 

 ー全集団の、各部隊ごとの旗の規則ー

 

 すべての民の先頭におく大きな旗には「神の民」という言葉及びイスラエルとアロンとの名と系図によるイスラエルの12支族の名とを書き、3つの支族に属する陣営の頭達の旗には「神の秘策によって」と当陣営の長の名とその支族の名とを書き、

支族の旗には「神の旗印」と当支族の長の名とその氏族の名とを書き、

氏族の旗には「神の◯◯」と万人隊長の名とその部下の千人隊長達の名とを書き、

千人隊の旗には「神の○○」と千人隊長の名とその百人隊長達の名とを書き、

また百人隊の旗には「神の○○」と百人隊長の名と、その五十人隊長達の名とを書き、五十人隊の旗には「神の○○」と五十人隊長の名とその十人隊長達の名とを書き、

十人隊の旗には「神の○○」と十人隊長の名とその部下の9兵卒の名と書く。

 

 

 

 【Ⅳ】

 

 

 メラリの旗には「神の供え物」と、メラリの長達の名とその千人隊長達の名とを書き千人隊の旗には「ベリアルとこれに割当てられたすべての者とに対する、余す所なき憤りを抱く神の怒り」と千人隊長の名とその百人隊長達との名とを書き、百人隊の旗には「すべての不義の肉に対する戦いの力は神より」と、百人隊長の名とその五十人隊長達の名とを書き、五十人隊の旗には「神の力によって悪しき者の立場は失せた」と、五十人隊長の名とその十人隊長達の名とを書き、十人隊の旗には「十絃の琴による神の歓呼」と、十人隊長の名とその部下の9兵卒の名とを書く。

 

 彼等が出陣する時は、彼等の旗にそれぞれ「神の真実」「神の義」「神の栄光」「神の審判」と書き、その後に、彼等の名の詳細の全序列を書く。

彼等が戦いに臨む時は、彼等の旗にそれぞれ「神の右」「神の時」「神による狼狽」「神に撃たれる者」と書き、その後に彼等の名の詳細のすべてを書く。

彼等が戦いから引き返す時には、彼等の旗にそれぞれ「神の讃美」「神の偉大」「神の讃歌」「神の栄光」という言葉を彼等の名の詳細すべてと共に書く。

 

 

 

 ー集団の旗の規則ー

 

 彼等が戦いに出る時は、最初の旗には「神の集団」、第二の旗には「神の陣営」、第三のには「神の諸支族」、第四のには「神の諸氏族」、第五のには「神の諸部隊」、第六のには「神の集会」、第七のには「神に呼び集められた者達」、第八のには「神の軍隊」と書く。そして彼等の名の詳細をその全序列と共に書く。

 

 彼等が戦いに臨む時には、彼等の旗にそれぞれ「神の戦い」「神の復讐」「神の争い」「神の報い」「神の力」「神の報復」「神の大能」「神によるすべての空しき民の滅び」と書く。また、彼等の名の詳細のすべてを、それに書き加える。

 

 彼等が戦いから引き返す時には彼等の旗にそれぞれ「神の救済」「神の光輝」「神の援助」「神の支持」「神の歓喜」「神への感謝」「神の讃歌」「神の平安」と書く。

 

 

 

 ー旗の寸法ー

 

 全集団の旗の長さは14キュビト。

3つの支族の旗の長さは13キュビト。

支族の旗は12キュビト。

万人隊の旗は11キュビト。

千人隊の旗は10キュビト。

百人隊の旗は9キュビト。

五十人隊の旗は8キュビト。

十人隊の旗は7キュビト。

 

 

 

 

 ◆補足文

解説書より、「他の文書との関係」で、この「戦いの書」の断片がいくつかの洞穴から発見されているので、クムラン宗団の中で重んぜられていた文書の一つであったことが理解されています。内容的にもこの書は他の死海文書と共通する点を多く持っています。主な点を幾つか挙げると、「定規要覧」にもⅠとⅢで敬虔な者が「光の子」と呼ばれており、彼らの背後に「光の子」が立っています。そして「ベリアルに割り当てられた者」に対する呪いがあり、両者とも祈りの時を定め、祭司の優位を強調しています。また、とりわけ『会衆規定』とは、集団の分け方、職務別の年齢規定が著しく類似しています。以下、『会衆規定』の抜粋文書。

 

 『会衆規定(IQSa)

 

 これは会衆の全軍のため、イスラエルの全市民のための規律である。

その若い時より「ハギの書」をもって彼を教え、その年齢に応じ、契約の定めをもって彼を教育しなければならない。……

 

 25歳になると、彼は会衆の礼拝に奉仕するため、聖なる会衆のもといに出席するようになる。30歳になると、争いと審きを審議するようになり、また、イスラエルの千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長、審き人、彼等のそれぞれの家族に従い彼等の部族のための司達の中に位置を持つようになる。これ等の職務は種々の職務に就くことと、会衆の前に出入りすることを決定する、祭司アロンの子等と会衆の氏族のすべての長達に従って執り行われる。……

 

 五十人の長、十人の長、レビ人、その職務を分担しているすべての人々。これらは、名ある人々で、祭司ザドクの子等の前に、イスラエルにおける共同体の会議のために、召集に呼ばれる人々である。

 

(※これらを参考に読むと「戦いの書」での人数の割当の意味合いが少し理解できるのかな?と思います。)

 

 また解説では、『感謝の詩編』や、『ハバクク書註解』と共にこの書でも「敬虔なる者は貧しき者」と呼ばれているといいます。 

 

 

 

死海文書『戦いの書』 2.

死海文書「クムラン宗団・エッセネ派」とキリスト教 

 

 

 

  ※『死海文書』テキストの翻訳と解説・日本聖書学研究所著より

 

 

 「戦いの書」

 

 

 【Ⅰ】

 

 

 賢人のために。戦いの規律。光の子等の最初の攻撃は、闇の子として割当てられた者共に対し、すなわちベリアルの軍勢に対し、エドムとモアブとアンモン人とアマレク人との軍団およびペリシテの民に対し、またアッシリアのキッティームの軍団とこれを援ける契約を破る者共に対して、始められるべきこと。

荒野の囚われたる人たるレビ人・ユダヤ人ベニヤミン人が彼等と戦う。

 

  …これらの全軍団に対し、光の子等の囚われ人が、諸々の民の荒野から帰ってエルサレムの荒野に宿る時。この戦いの後で、彼等はそこから上り、エジプトにあるキッティームの全軍団に立ち向かう。彼の時に彼は大いなる憤りを以って、北の王達と戦うために出て行き、彼の怒りはベリアルの角を滅し断つ。

 

 これこそ神の民の救いの時、彼に割当てられたすべての者が支配し、ベリアルに割当てられたすべての者が永久に滅びる時である。

 

 ャぺテ人は、大いに慌てふためき、アッシリアは倒れ、これを助ける者はなく、キッティームの支配は止んで、悪は残りなく打ちひしがれ、闇の子等は一人も逃れることはできない。

そして義の子等は世の隅々まで輝きわたり、闇の時期が全く尽きるまで、輝き続ける。そして神の時期には、すべての光の子等の平安と祝福、栄光と喜悦と繁栄とのために、その高き栄誉が代々万世にわたって輝くのである。

 

 キッティ―ムが倒れる日には、戦闘と激しい殺戮とがイスラエルの神の前に起こる。これこそ、闇の子等の滅びの戦いとして、早くより神に定められた日だからである。

 

 この日、神々の集団と人々の集まりとが、大殺戮のため向かい合う。すなわち光の子等と闇の子等に割当てられた者とが、この破壊の日に、神の力の示威のため、大きな群の声と、神々と人々の喚声との中に戦い合う。

これは神の贖いの民のすべてに臨む苦難の時。前代未聞の苦難であるが、速やかに終わって永遠の贖いに至る。

 

 

 彼等がキッティ―ムと戦う日、戦いにおける殺戮のために彼等は出るのである。

光の子等は3度勇をふるって悪を打ち、ベリアルの軍勢は3度腰に帯して、光に割当てられた者を後退させる。

歩兵の部隊は敵を意気◯喪させようとする。そして神の力が光の子等の心を強め、

7度目には神の大きな手が、ベリアルとその支配下のすべての天使達(つまり堕天使達)と彼に割当られたすべての者とを、打ち平らげる。

 

 

 聖徒達の集団と共にある神の栄光は、永久の救いの中に現れ、…真実…闇の子等を滅するために。大きな群の声と神々の喚声…の中に手を武器につける…

 

 

 

 

 【Ⅱ】

 

 

 集団の52人の家長達。そして祭司の頭達を、祭司長と次席祭司の次に定める。

これは、常供の燔祭をもって、神の前に仕えるべき12人の頭達である。

また、勤めの組の頭26人が、その勤めの組において仕える。

その次には、常に仕えるべきレビ人の頭達12人、各支族あて一人ずつ。

そして彼等の勤めの組の頭達は、各々その持ち場において仕える。

その次には、常に聖所の門に立つべき、支族の頭達と集団の家長達。

そして彼等の勤めの組の頭達はその部下と共に、50歳以上の者が、彼等の祭りの時と新月安息日と年のすべての日に、連なる。

これ等の者が燔祭と犠牲とに連なるのは、神の御心に叶う宥(なだ)めの薫香を準備して神の集団のすべての者を贖い、常に彼の御前において、栄光の食卓について満ち足りるためである。

 

 これらすべての者を、彼等は赦しの年の定めの時に定める。

そして残る33年の戦いの間に、会衆の中から呼び出された「名ある人々」と、すべての頭達が、全世界の民に対する戦士達を選び出す。

イスラエルの全支族から勇士達を選び装備させて、年々の戦いの任務に従って出陣させる。しかし赦しの年には、装備させて出陣させない。

この年はイスラエルの憩いの安息であるから。

 

 35年の勤務の中、6年で戦いが準備される。全集団が一致してこれを準備する。

残る29年間に各分団の戦いが行われる。

最初の年にはアラム・ナハライムと戦い、第2年にはルデ人と、第3年には残りのアラム人、ウズおよびホル・トガルおよびエウフラテスの向こう岸のマサと戦い、第4、第5年にはアルパクシャド人と戦い、第6、第7年にはアッシリア人ペルシャ人および大砂漠に至るまでの東国人と戦い、第8年にはエラム人と戦い、第9年にはイスマエル人・ケトゥラ人と戦い、その後の10年は諸族に分かれて、その居住地に住むすべてのハム人に対して、戦いが振当られ、残りの10年はその居住地にすむすべてのャぺテ人に対して、戦いが割当られる。

…彼等のすべての任務のために喚声のラッパを……。

 

 

 

 

 

◆補足文

戦いの書概説【Ⅰ】によれば、この書の名称は、その最初の語である「戦い」という言葉から取られています。始め、この書はスーケニークによって「光の子等の闇の子等に対する戦い」と名づけられましたが、現在では簡単に「戦いの規律」とか「戦いの巻物」などと呼ばれていることが多いようです。また、この巻物は数ある文書の中でも特に美しい文字で注意深く書かれていますが、残念なことに失われた末尾の3分の1が腐食して失われてしまい、そのため多くの問題が未解決であるといいます。

 

 【Ⅱ】は、Ⅰの1~7には光の子と闇の子に属する集団の名が列挙されています。

次いでⅠの8~16では両者の終末的な戦いの経路が叙述されています。

光の子等は3度勝ち、また闇の子等は3度光の子等を押し返します。

しかし、7度目に神の力の援助の下に、光の子等は闇の子等に対して最終的な勝利を得ることなっています。

それから40年間にわたる戦いについては、詳細な軍事的規定と、独特な空想的、終末的な観念が結合されて展開されてゆくのです。

死海文書『戦いの書』 1.

 

 死海文書「クムラン宗団・エッセネ派」とキリスト教

 

 

 

 ◍注『死海文書のすべて』ジェームス・C・ヴァンダーカム著と、『死海文書』テキ 

  ストの翻訳と解説・日本聖書学研究所著を参考にしていきます。

 

 

 

  死海文書の中で、最近よく取り上げられてい「戦いの書」について後で紹介してみようと思いますが、終末論的な文書の中で最も有名なものとして挙げられているこの「戦いの書」は、1947年に死海文書発見の第一洞穴から最初に発見された7つの巻物の1つです。

この巻物はどの巻物よりも損傷がひどく、それでも19の欄の諸部分が残されており、第4の洞穴からは6つの写本の断片が出ています。そしてこれらの写本のあるものは、テクストの転写の過程で編集や再編集があったことを示しています。

 

 

 「戦いの書」の冒頭部分は、光の子等」と「闇の子等」と呼ばれる者達の間で戦われる40年間の戦争の経緯を要約しているとされています。そして第一欄は、その戦争が普通のものではなく、最終戦争であることを明瞭に宣言するもののようです。

つまり、この「最終戦争」というキーワードから、最近特に取り上げられるというのも頷けます。

 

 ところで、この死海文書の著者については、クムラン教団(エッセネ派)の義の教師(祭司=教団の教祖的存在)と言われています。

「戦いの書」はクムラン教団の教祖自身の黙示録文書として書かれているのです(これは「聖書」の文書としては分類されないということ。)

 

 この意味として、『死海文書のすべて』による説明で言えば、死海文書の中で「聖書」という言葉を使用するのは、紀元前の最期の数世紀と紀元後の1世紀においてどの文書が「聖書」で、どの文書がそうでないかについて、定着した最終的な権威ある理解がなく、様々なユダヤ人グループが、どの文書が神の啓示を受けたものであるかについて独自の見解を持っていたようだったと言います。

しかし、どの文書がヘブル語聖書(プロテスタント旧約聖書)を構成するかに関する最終的な合意内容は不明でも、その合意は多分、後の時代になってなされたもののようです。

最終的に聖書を構成するものと見なされるに至ったかなりの数の権威的地位に関しては、多くのグループが既に合意していました。

それらは、モーセの律法を構成する5書(創世記から申命記までのトーラーと呼ばれるもの)、歴史的・預言的な文書と詩編です。

 

 

 …ということなので、

「戦いの書」は神の啓示を受けたものではなく、クムランの義の教師による黙示録文書であるということなのです。

 

 

 

 

 

 【1】 クムラン宗団・エッセネ派とは

 

 

 

 ここで、クムラン教団についてどんな宗団だったのでしょうか。

ご存じの方も多いかと思いますが、ユダヤ教には、エッセネ派の他にパリサイ派サドカイ派がありました。そしてパリサイ派サドカイ派ユダヤ教の主流と言われていました。実はこのクムラン教団であるエッセネ派は、このパリサイ派から迫害を受けてクムランの砂漠へ追いやられた宗団だったのです。

 

 

 1947年にベツレヘムの古物商から3つの巻物を購入したエレアザル・スケ―ニクは、その巻物がエッセネ派と関係があることを示唆した最初の研究者でした。スケー二クは、荒野の宗派の生き方を規定する定規要覧を読んだ時に、クムランがエッセネ派と結びつくのではないかと考えました。

彼は既に1948年に、古代の資料がエッセネ派の一団を死海の西岸のエン・ゲティ近くにおいているのを知っていたので、エッセネ派のことを思いついたようです。

 

 ローマの地質学者大プリニウス(27ー79年)によって、77年頃に公刊された『自然誌』の中のとくにある章節に言及されていたといいます。その書物の中で、ローマ世界やその向こうの世界(スペインからインドまで)の土地や興味ある事象などを詳しく書いています。その概観がシロ・フェニキア地方に及ぶと、彼は当然のことながら、地球上の最も低い場所にある死海についての簡単な記述を含め、その地域を描きながら、次のように書いていました。

 

 「死海の西側で、岸からの有害な蒸気の達しない所に、エッセネ派の孤立した部族が住んでいる。それは、世界中の他の全ての部族が及びもしない驚嘆すべき部族である。女性を入れず、性欲を断ち切り、金も持たず、棕櫚(しゅろ)だけを伴侶としているからである。来る日も来る日も、人生の試練から逃れた者達の群れが受け入れられ、それと同じ数の、人生に疲れ、彼等の生き方に倣うために運命の大波によってそこに追いやられた者達が受け入れられている。こうして何千年もの間、語るに信じがたいことだが、そこにおいて誰も生まれない種族が永遠に生き続けている。彼等にとっては、他の者達の人生の疲れが豊かな実りとなっている。これらの者達の住む下に横たわるのは、土地の豊かさや、棕櫚の森などでエルサレムにつぐ、だが今はエルサレムのように灰土の山となったエン・ゲティの町だった。」

と。

 

 

 

 

 【2】エッセネ派の神学

 

 

 

 『死海文書のすべて』によれば、エッセネ派の信仰で、運命についての教えは、

予定論的神学であったようです。これについて、ユダヤ教の3つの宗派はそれぞれの見解をもっていました。

 

 パリサイ人の見解によれば、ある出来事は、すべての出来事ではない。運命による業の結果である。その他は、それが起こるのも起こらないのも、我々人間側の自由意志にかかっている、とする。

しかし一方、エッセネ派の宗団は、運命こそが一切の出来事の支配者であり、我々人間の経験するすべてのことは、運命の定めあるところに従って生起したもうのだと説明しています。

 

 他方、サドカイ人は、この運命というものを認めません。即ち、この世にそのようなものは存在せず、従って人間の営みがそれに支配されるということもまたあり得ない。一切のことは、我々自身の自由な意思で定まり、我々の幸福は我々自身が創り出し、不幸に苦しむのはこれまた我々自身の無思慮の結果である、と主張していました。

 

 エッセネ派は、今存在しているものや、これからするもの、それらすべては知識の神から来る。神はそれが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。そして、定められた通りに存在するようになると、それらは神の栄光ある構想に従い、何の変更もなしで、己の働きを成し遂げるとしていました。

 

 彼等の著者は「闇の天使は義の子等すべてを迷わせ、そして終わりまで、彼等の罪や、不義、悪のすべてが、また彼等の不法な行いのすべてが、神の秘密に従って、闇の天使の支配によってもたらされる。」と言っています。

 

 そして、「戦いの書」の中のシナリオ全体も、予定論の教えを前提にしています。神は歴史がどのように展開するかを悠久の昔から定められておられた。

神はすべてを掌握されておられるのだから、最終戦争はただ神の永遠の青写真に従って起こるのだというわけです。

 

 

 そして、死後の生については、歴史家ヨセフスによれば、この問題について、ユダヤ教の3つの宗派は見解を異にしているとして、パリサイ派は死者の復活を信じましたが、サドカイ派はそのような奇蹟を一切否定しました。

 

 そして、エッセネ派については、彼等は、肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、霊魂は不死で滅びないと確信していました。そして肉体の復活、いわゆる死者の復活があることを信じていたようです。

(こうした見解は感謝の詩編から理解されています。)

 

 

 また、『死海文書・テキストの翻訳と解説』によれば、エッセネ派の神学的特徴は、モーセの律法を規範として神に啓示され、宗団が伝え発展させた律法の伝統に絶対服従することであり、この厳格な律法主義はパリサイ派よりも強かったようです。

そして、律法以外にも彼等は祭司的教派であったので、イスラエルの預言の伝統を非常に重んじていました。

(よってエゼキエル書やダニエル書も重要な書として扱い、第2イザヤ書も重要視されていました。)

 

 

 そして終末観も強く持っていたといいます。その終末観とは、この地上にエルサレム及びその神殿を中心とした永遠に続く新しい神の国の出現を期待することでした。

それは「新しい創造」であって、全ての罪を知らざる堕落以前のエデンの状態への回復でした。

 

 そして最後の審判とは最後の戦いであって、光の子が闇の子に最終的に勝利を得るものです。彼等の教徒は、一人一人この戦いの戦士であり、「戦いの書」に出て来るこの戦いの敵である※「キッティーム」との闘いで、地上の敵が滅ぼされるのみならず、悪そのものを徹底的に滅ぼし、光と正義とが永遠に支配するようになるのです。

 

(※「キッティーム」と称せられるのはローマ人か?と解説は?を付けていますが、キッティームの語は年代や場所によって解釈が違うのですが、ここでは闇の天使ベリアルの

軍のことを言っているようです。)

 

 

 また、上記説明と同じく彼等は霊魂の不滅、あるいは永遠の生命を信じていましたから、この生命が死によって中断されないことは楽園回復と結びついていました。

彼等はこうした考えから天使信仰にも結び付き、天使の存在を信じ、「天使のように生きるべきであり、天使と交わり更に天使のようになるべきだ」と考えていました。

回復されたエルサレム神殿には神と天使が共に降って来て人と共に住み給うと考えたのです。(エゼキエル37:27~) 

 

 

 

 

 【3】メシア思想・死海写本と新約聖書

 

 

 

 また、クムラン宗団はメシア思想において新しいモーセ預言者、レビの種族から出る新しい大祭司、ユダの種族から出る新しい王の3人の救出者、すなわち1人の預言者と2人のメシアを期待していました。

〔「一人の預言者とアロンおよびイスラエルの受膏者達、メシアが現れる時まで(定規要覧IX11)」〕

 

 

 終末の預言者を期待することは、明らかに申命記(18:15、18)や、新しい時に当たり、新しいモーセのような預言者的立法者を期待する事は、マカベア第一書(4:46、14:41)にも見られます。モーセ預言者の待望は、キリスト教以前のユダヤ教において最も鮮明な一般信仰の一つであったようです。

また、新約においてもこの消息を伺うことが出来、ヨハネ(6:14、7:40)特にヨハネ(6:14)の5000人の給食の奇蹟においては、イエスはマナの奇蹟を再現する第二のモーセとして描かれています。

 

 

  ところで、新約聖書とクムラン文書との間には、重要な一致、類似、相違があります。しかし、類似や一致があったとしても、これが直ちに新約聖書がクムラン文書に拠っているということにはなりません。

 

 新約には、パリサイ、サドカイの2派の他に、神の国を待望するグループ、すなわちバブテスマのヨハネのグループ等があり、もちろん前2派の如くまとまった1派をなさずメシア待望という終末的な面において大雑把に前2派と区別されます。エッセネ派はこのグループの中に含まれていたのではないかという説もあります。

 

 

 ヨハネ福音書によれば、エスの最初の弟子がバブテストのヨハネでした。

ヨハネの弟子が全てイエスの弟子となったわけではありません。イエスの伝道の間にもヨハネの弟子のグループは存在していました。

そして、ヨハネの宗団は原始キリスト教のライバルでもありました。マンダヤ教の文書によれば、彼等はイエスの死後もヨハネを真のメシアと考え、イエスを偽りのメシアと考えていました。

 

 

 ヨハネ福音書はこのような状況を背景としていたので、ヨハネの弟子は、イエスヨハネの後に来たが故に、ヨハネを上位と置くのに対して、

福音書は、イエスは創造の始めより存在しヨハネの前よりも在ったと述べました。福音書は、ヨハネは光ではなく真の光であるイエスを証しせんとする為のものであったと論じたのです。

 

 

 また、ヨハネエッセネ派との関係においては、双方ともバブテスマ運動であったけれども、ヨハネは1回のバプテスマに対して、エッセネ派は何回も繰り返していました。それにエッセネ派のバブテスマは、教団への入会も意味していました。

それに対して、ヨハネの運動は個人的であり、宗団をなさず、規律も設けませんでした。ヨハネは確かに弟子を集めて、祈りの訓練をなしたようだけれど、宗団ごときの加入をさせる様子は見られなかったのです。

 

 

 ルカによれば、ヨハネはバブテスマを施す前はユダの砂漠に住んでおり、この砂漠がクムランの地域であったかもしれないとしても、

ヨハネはクムラン宗団には入会していなかったのです。

例えヨハネがクムラン宗団の影響を受けていたとしても、メシア思想においては、

クムランが自分達の宗団のみに来るメシア到来を望んでいたのに対して、ヨハネは民族全体のメシア到来を望んでいたのです。そこで、ヨハネは独り荒野に出てイザヤ書(40:3)を実践するためにメシア運動を始めました。

 

 

 

 

 【4】クムラン宗団とイエスの相違

 

 

 

 死海写本に平行なイエスの言葉は、道徳的教訓、すなわち「山上の垂訓」において最も著しく見い出されています。

「山上の垂訓」において『隣人を愛し、敵を愛せよ。(マタイ5:43~)』とあるのは有名です。あなたの隣人を愛せよは、レビ記(19:18)にも見出されていますが、反対に『汝の敵を憎めよ』なる語は、旧約にもラビ文献にも見出されません。

ところが、死海写本にはこの概念が見出されのです。

それは、定規要覧の中に「神の選び給もうた者をみな愛し、神の斥けたもうた者をみな憎むこと(Ⅰ:4)」、「すべての光の子等を愛し、すべての闇の子等を憎むこと(Ⅰ:9、10)」「レビ人達はベリアルに割当てられた者共すべて呪って言い出す。お前は呪われよ!(Ⅱ:4)」、「神に選ばれた者は悪しき者に報いを返すために御心によって選ばれた者(Ⅷ:6、7)」…等があり、敵を憎むことがしばしば言及されています。

 

 なぜなら、クムラン宗団におけるこの憎悪の概念は終末的性格を持ったものであり、宗団設立の動機さえ、終末が近いことに対する準備であり待望だったからです。

そのために、彼等はモーゼの律法を厳格に守ることが神の掟を守ることとして極めて重要だったのです。それが、隣人愛の掟よりも憎敵の掟が派生した理由でした。

しかし、イエスはこれらに対して、彼等の態度の根本的な誤りを指摘し、新たな福音により律法解釈を示されました。

 

 

『わたしが律法や預言者を廃するために来たと思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである。(マタイ5:17)』

 

『目には目を、歯には歯を。と言われていたことは、あなた方も聞いていることである。しかし、私はあなた方に言う。悪人には手向かうな。もし、誰かがあなたの右の頬を打ったなら、他の頬も向けてやりなさい。(マタイ5:38~)』

 

『わたしは言っておく。あなた方の義が律法学者やパリサイ人の義に勝っていなければ、決して天国には入ることは出来ない。(マタイ5:20)』等…

 

 エスにとっては、すべての掟をその根源的な原理に遡って再検討することであり、それはすなわち律法を成就することだったのです。

 

 

 

 

  【5】光と闇の2言論

 

 

 

 また、死海文書を生んだクムラン宗団の特徴の一つは、それが顕著な2元論を保持していたということです。2元論とは、宇宙が善悪との2者によって支配されているという考えですが、実は旧約聖書には2元論はなく、旧約はむしろ個人と律法との関係を重視しています。

 

 しかし、クムラン文書においては、全ての人は2つの陣営に、すなわち「光と真理の陣営」と「闇と悪の陣営」とに分かれるとなっています。

ここに明らかなことは、クムランの2元論は、いわゆる絶対的2元論とは異なるということです。つまりクムランにあっては、対立の2者が共に神の創造物なのです。

そしてこの2元論は、真理と悪(光と闇)との対立という点において倫理的になっています。次に2者の対立はあっても、真理が最後の勝者であるという点において終末的になっているのです。

 

 これは、この倫理的2元論の源が(日本聖書学研究所の見解においては)

イランのゾロアスター教に見ることができると言います。

 

 

 ゾロアスター教では、善悪の2つの力が対立していて、善はアフラ・マズダが、悪はアングラ・マイニュが導いています。善と悪との対立であるから倫理的であり、最後には、アフラ・マズダが勝利を得るので終末的になります。

ここに著しい類似が見られるからです。ただ、イランの2元論と異なる点は、善悪の霊がそれぞれ独立した存在であり、被創造物ではなく、共存することです。

 

 しかし、クムランがイランの2元論の影響を受けたことは、捕囚期以後も多くのユダヤ人がメソポタミアに留まり、イラン人社会の中に住んでいたことから容易に推定されます。つまり、クムラン時代のパレスチナにおいては既に宗教混合が見られたといえるのです。

 

 

  解説では、次のように言っています。

ヨハネの「黙示録」のような黙示文学が、黙示的特徴の強いクムラン文書と共通点を持つのは当然であり、従って単なる用語の類似のみで両者の関係を云々することは出来ないであろうということです。

しかし、それにもかかわらず、幾つかの類似を挙げることができます。「黙示録」によればクリスチャンは神にとって「祭司」とあり、クムランの祭司的伝統を連想させるのです。……

 

 クムランの「光の子の闇の子との闘い」は、神の僕とベリアルの僕との闘いを取り扱っています。これによれば大天使ミカエルが派遣されます。

黙示録もミカエルやその他の天使が参加する戦いを取り扱っていますが、しかし、黙示録には、戦いで地上の聖徒が動員されるというような事は記されていません。

黙示録には、サタンの解放があり、「ダマスコ文書」にもベリアルの解放がありますが、前者は千年期後の未来の事であるのに対し、後者は現在を指しています。

また、クムランでミカエルの戦う力が、黙示録では、キリストの力になっています。

しかし、一般的なモチーフとして共通のものがあります。

 

 

 

 

 私的には、「黙示録」の方が正統な預言書であるという認識なので、こちらを支持しています。というか、基本的にはクムラン宗団が(2元論は悪魔思想である)ゾロアスター教に寄っている時点で支持できません。

ということで、「戦いの書」は上記に書いたように、神の霊感において書かれたものでもなく、2言論の義の教師(祭司)の著作ということで、やはりここは最初から押さえておきたい箇所であります。

 

 

 よく、都市伝説番組などネットで、「キリストやヨハネクムラン教団の一員だった。」というような話をする者達がいるのですが、これはここでも捏造であることは明らかであるので、却下させていただきます。

 

 

 そもそも、イエスは神の子であるので、人間から神の教えを教示される必要は全くありません。生まれた時より神の教えを世に解く為に存在していたのですから。

 

 

フリーメイソンと共産主義 6

  

⑫1958年アメリカの共産党が掲げていた45の目標

 

 

 

 「裸の共産主義者」The naked communist、元FBI捜査官のクレーオン・スカウセン著による1958年、つまり正式に人間至上主義宣言が発表された3年後にアメリカの共産党が掲げていた45の目標を紹介します。

<Kininaru.com/5,政治・本の感想 2018/11/16・17>より

 

 

 映画製作者のカーティス・バウワーズ氏は、それを読んで、アメリカを内部から破壊する緻密な計画であり、驚愕したと話している。(訳者本人より以下全文)

 

 

 

 【 アメリカの共産党が掲げていた45の目標 】

 

1. 核戦争の唯一の選択肢として共存の受け入れ。

2. 核戦争に携わることを好むことについて黙って従う事。

3. アメリカの軍備縮小は、道徳的な強さの誇示であるという幻想を作り上げる事。

4. 共産主義圏に対してであるか、物品が戦争に利用可能であるかに拘わらず、全て        

   の国との自由貿易を許可させること。

5. ロシアとソビエト衛星国に対する長期貸付を拡張すること。

6. 共産主義圏に対しても含めて、全ての国家にアメリカの援助を提供させること。

7. 中華人民共和国に承諾を与え、国連加入を許可させること。

8. 国連監督下での自由選挙によってドイツの問題を解決するための1955年のフ

   ルシチョフの約束に拘わらず、西ドイツと東ドイツを別の国家にしておくこと。

9. アメリカは交渉が進行中の間は核兵器テストを中断すると同意しているので、会

   議を引き延ばして核兵器テストを妨害すること。

10.全てのソビエトの衛星国家に国連の代表権を与えること。

11.国連を人類の唯一の希望だと宣言すること。もし、国連の憲章が書き直されるこ

   とがあるのであれば、国連を世界で唯一武装した世界政府とするよう要求するこ

   と。(何人かの共産主義の指導者は、モスクワによってと同じくらい容易に、国

   連によって世界を乗っ取れると信じている。)

12.共産党を非合法化(または追放)する全ての試みに抵抗すること。

13.忠誠宣誓を廃止させること。(※忠誠宣誓 loyalty oath は、移民や帰化市民、あ

   るいは公務員、教員、法律家、軍人などに合衆国への忠誠を誓わせること。)

14.ロシアが米国特許局にアクセスすることを許可させ続けること。

15.一つ、あるいは両方の米国の政党を乗っ取ること。

16.アメリカ政府の行為は市民権を侵害していると主張して、裁判所にアメリカの基

   本的な機関を弱めるような判決を出させること。

17.学校を社会主義理念を植え付ける洗脳の場とし、カリキュラムを和らげ学力を低

   下させ、教職員を支配すること。

18.全ての学生新聞を支配すること。

19.共産主義の敵であるプログラムや組織に対して、学生運動を利用して大衆の抗議

   活動を煽ること。

20.メディアに浸透すること。書評の割当、社説、社の方針を決定できる地位を支配

   すること。

21.ラジオ、テレビ、映画界の重要な地位を占めること。

22.あらゆる形態の下品な芸術的表現を用いてアメリカ文化の評判を落とし続ける

   こと。

23.芸術評論家と美術館の館長を支配すること。我々の計画は、醜く不快で無意味な

   芸術を推進することだ。

24.検閲、表現の自由の侵害、芸術の自由の侵害を理由にして、わいせつ物を取り

   締まる法律を無くすこと。

25.ポルノやわいせつ物を書籍や雑誌、映画、ラジオ、テレビで推進することで、

   徳的な文化水準を引き下げること。

26.同性愛や性的倒錯と乱交を「普通で、自然で、健全な」ものだと提示すること。

27.宗教界に浸透し、啓示に基づいた宗教を社会的な宗教に置き換えること。聖書を

   貶め、宗教の支えを必要としない知的成熟さの必要性を強調すること。

28.政教分離の原則に反していることを理由にして、全ての宗教的な表現や祈りを学

   校から消し去ること。

29.米国憲法を、不十分で、古臭く、現代の必要に合致しておらず、世界各国との協

   調の妨げになっているとして貶めること。

30.アメリカの建国の父達を貶めること。彼等を一般人には無関心な利己的な貴族と

   して提示すること。

31.あらゆる種類のアメリカ文化を軽く扱うこと。大きな絵の小さな一部にすぎない

   として、アメリカの歴史を教える意思を阻喪させること。共産党が乗っ取った後

   のロシアの歴史により大きな強調を置くこと。

32様々な文化(教育、社会福祉、精神医学など)に対して集中的管理を及ぼすた

   め、全ての社会主義的な運動を支持すること。

33.共産党組織の運営を妨げるあらゆる法や手続きを無くすこと。

34.非米活動委員会を無くすこと。

35.FBIの信用を貶め、最終的には解散させること。

36.より多くの労働組合に浸透し、支配すること。

37.大きなビジネスに浸透し、支配すること。

38.逮捕状の一部を警察から社会福祉機関に移転させること。精神科医にしか理解で

   きず取り扱えない、精神失調のような行動上の問題を全て取り扱うこと。

39.精神科医の専門職を独占し、精神医学を共産党の目的に反対する者を強制的にコ

   ントロールする手段として使用すること。

40.家族制度への信頼を喪失させ、乱交と安易な離婚を推奨すること。

41.子育ては親の否定的な影響から遠ざけて行う必要があることを強調すること。

   見、思考の停止を理由にして、親が子供に抑圧的な影響を及ぼすことを妨害する

   こと。

42暴力と暴動には、アメリカの伝統から見て合法的な側面があるという印象を作り

   出すこと。それゆえ、学生や特別利益団体は立ち上がるべきであり、経済的、政

   治的、社会的な問題を解決するために団結するべきである。

43.現地の人が自治を行う準備が整う前に、全ての発展途上国政府を転覆させるこ

   と。

44.パナマ運河を国際管理にさせること。

45.Connally Reservation を無効にし、アメリカの国内問題に国際司法機関が介入 

   するのを防げないようにすること。国際司法機関の権限が国家と個人に同様に及

   ぶようにすること。

 

 

 

 

 

 

  ……ということで、中途半端になってしまいましたが、「フリーメイソン共産主義」の話は今回で終わりにします。

 

 

 

 

◆補足文 

 ……上記の「アメリカの共産党が掲げていた45の目標」を読んでいると、全体的に「タルムード」の内容とか、「25箇条の世界革命行動計画」にやはり似通っている印象ですね。あたり前ですが、彼等はこの世を平和で幸せな世界には絶対しませんから、いつの時代でも悪魔的な目標になるということですね。

ところで、1958年の目標が掲げられてから2021年の現在まで、63年経っているわけですが、彼等の目標はどれだけ実現してきたのでしょうか?

おそらく半分以上は既に達成済でしょう。世界中のあらゆる機関のトップにフリーメイソンの彼等が侵入し、支配してきているのですから。

 

 <BUSINESS INSIDER  Hillary Hoffower 2019/11/7>の記事によれば、

アメリカでは、若い世代の約70%が社会主義者に投票したい!その背景にある5つの経済的な現実」と題して、アメリカの若い世代は社会主義を受け入れている。

もしくは、少なくとも社会主義に対してオープンだ。といいます。

ミレ二アル世代の70%、ジェネレーションZの64%は社会主義的な政策を訴える候補者に「多分投票するだろう」または「必ず投票するだろう」との考えを持っている。

としています。これ等の理由として、

①若い世代の収入は1974年以降、29ドル(約3200円)しか伸びていない。

②大学の授業料は1980年代以降、2倍以上になっている。

③住宅価格は、40年前より40%近く高い。

④医療費も高騰している。

⑤ミレニアム世代の半数以上がクレジットカード債務を抱えている。

 

 が挙げられ、これらの問題が左派寄りの候補者への支持に繋がっていると記事は伝えています。簡単に云えば、アメリカ国民が全体的にどんどん貧乏になっているからです。そして更にコロナによっても益々その状況が増してしまっているのです。

それに、これはアメリカだけの問題ではなく、世界中がそうなってしまっています。

 

 ここで先日、行なわれた世界経済フォーラム(WEF)の仮想ダボスアジェンダサミットの内容が繋がってきます。「グレートリセット」、経済秩序を再構築するこれまでの資本主義の大リセットの宣言です。これが詰まるところの、世界社会主義化計画(新たな時代の共産主義化)ということになっているのです。

 

 日本でもコロナが発生する前から、ある政治家やある団体の人物達、大体はそのバックは宗教団体や◯皇系に繋がるような団体ですが「ベーシックインカム」を提唱して、その支持を広げ始rめていました。

ベーシックインカムは考え方の基本としては「社会主義」です。つまり、この今年6月に行われるダボス会議で議題になる「グレートリセット」もこの「ベーシックインカム」に繋がる話ということになります。

ここで、今ネットでも話題の「Qアノン」「トランプ」支持にも話が繋がっていきます。これ、分かる人が少ないと思いますが、実は彼等支配層の計画通りの展開となっているのです。

「Qアノン」はバイデンがイルミ達(彼等はカバールと呼んでいます)の手下であるから、トランプに退治してもらおうなんて話しています。日本でもこの宣伝を現在展開中(世界緊急放送とか言ってます。)なわけですけど、これはイルミ達支配層がやらせている偽善の茶番です。

トランプがどうして現在の地位を手に入れることが出来たのか?支配層と仲良くしなければ世界的な富裕層の仲間入りは絶対になれません。このセオリーをどうして皆理解できないんでしょうか?もちろんバイデンも同じです。トランプはイギリスのレッド・ドラゴン、円卓の騎士団の一人であると前にもお話ししました。

フリーメイソンのシンボルカラーの白と黒、白は偽善で黒は悪です。白がトランプの配役で、黒がバイデンの役ということです。

Qアノンもトランプも、そしてバイデンも、どのような形であれ結果は支配層の目的の「新社会主義」もしくは「新共産主義」にもっていくはずです。

というか、いわゆる「N・W・O」へもってゆくのです。

(その証拠に、面白いことにトランプ支持者達は、ほぼニューエイジ思考の持ち主ばかりで固まっています。扇動しているトップがニューエイジを日頃から宣伝し、広めているのです。例えば日本で言えば『引き寄せの法則』の日本語訳者の方がその一人で、社会的に高位なエリートです。ニューエイジ悪魔崇拝の典型です。興味がある方は調べてください。私のアメーバでのブログ0012jでもかなり説明しています。

 

 私的な意見ですが、コロナ(パンデミック)はいわゆる新しいシステムに人類を慣らすための試験的な実験みたいなものなんじゃないかと考えています。世界中で同じ状態を作り出すこと、同じ思考、同じ環境、彼等が近年グローバル、グローバルと言ってやってきたことの集大成に今かかってきているんだと思います。

世界経済、世界秩序、世界宗教「N・W・O」への完成のシナリオです。

 

 既に「金融リセット・量子金融システム」も準備が整っているといいます。表向きは未来の理想的な社会システムを掲げて見せていますが、ベーシックインカムも同じで恐ろしい完全な奴隷システムになるはずです。今と同じように、トップの支配層達だけが豊かで幸せな世界を享受し、それ以外の人間はもはや個人の自由意志さえ無くなる社会なのです。

 

 

フリーメイソンと共産主義 5

 

 ⑩人間主義ユートピア思想が共産主義の基礎

     イルミナティの世界単一国家思想の源流

 

 

 

 プラトン主義は後に「ルネッサンス人間至上主義」の名で、あるいはクリスチャン・カバラ思想として知られたが、多くの場合、神への信仰を排斥していた。

このような哲学は基本的に、事象(あるいは生命)は本質的に不完全であり、それ故他の完全なる世界に混乱を引き起こすとする、カバラ思想を主要見解としていた。

 

 

 また、「完全な国家を樹立することで、社会の不完全さを正し、国家の完全さは『独裁制』によって支えられなければならない。」としたプラトンの国家は、将来のユートピア思想、つまり『共産主義』として最もよく知られるものの基盤となった。

 

 

 このような完璧な体制が実現されたら、国家は消滅し、もはや独裁権力が行使される必要などなくなるとマルクスは主張したが、共産主義国家でこのような完全さを実現した国家は未だかつてない。

 

 

 これは、あくまでも生命の発展過程に対する憎しみに起源をもつ完璧な指向なのである。その憎しみ故にソビエト・ロシアにおいて6600万人の人々が殺害されても、「人間至上主義者」の良心は心の呵責など一切感じなかった。

それもこれも、宇宙における神の役割の否定という共通基盤をもったカバラ思想、及び東方的な考えであるグノーシス主義の間に、新プラトン主義という名の完全なる結婚が成立したからに他ならない。

 

 プロティノスとその門弟ポルフィオスによって、新プラトン主義の基本側面、即ち第一原理および現実の源、一なるもの(善)は存在と思考を超越していて、それ故に知ることが出来ないという側面は、既に確立されていた。

 

 

 ある事柄については「知ることが出来ない」が、相応しい参入儀式を経験した秘密の一団には、その秘密の意味が明らかにされるとする教えを、その出発点とするのはグノーシス主義の常である。 

だからこそ、プラトン主義の教義は世界中の世俗的神官の方便として理想的だった。こうした聖職者はバール神の儀式の継承者にすぎなかったが、この時代にはルネッサンス、後には啓蒙主義運動という名の衣をまとっていた。そしてその究極の姿がイルミナティ、すなわちフリーメイソンに指示を与える秘密集団だったのだ。

 

 

 オックスフォード英語辞典によれば、「人間至上主義」は人類の利益のみへの関心神性とは異なるものとされている。そして脚注には以下のように記されている。

そのエスズ会会員は独占を誇り、人間至上主義学派に対する権力行使を自慢している。』

 

 

 人間至上主義はプロタゴラス相対主義を基盤としているため、ルネッサンス宗教改革啓蒙主義運動、マルクス主義フロイト主義……、の中に流れ込んで発展した。

フロイト主義は後、分派としてフェミニズムバイセクシャリズム、ドラッグ・カルチャーを生み出した。

 

 

 人間至上主義は社会主義およびフェビアン主義発展の原動力となった。

その中心的伝道者達は、細心の注意をはらって、人間至上主義が無神論、道徳観のなさ、社会主義的世界単一国家思想に基づいていることが実証されないようにした。

 

 

 合衆国の人間至上主義の代表的スポークスマンとなったコーリス・ラモント(JPモルガン社の共同出資者の息子)は、「真の人間至上主義的文明は、世界文明でなければならない」と語った。彼はまた、人間至上主義的結婚を採用したが、今ではキリスト教徒の伝統的結婚式に代わって、これが広く執り行われている。

 

 1953年、正式に【人間至上主義宣言】が発表された。

それによれば……。

 

 

 ① 宇宙は自ら存在するものであって、創造されたものではない。

 ② 人類は自然の一部である。

  (フランス革命のルソーによれば、人類は「高貴な野蛮人」と定義されている。)

 ③ 現代科学は宇宙および人類の価値について容認できる定義だけを提供する。

 ④ 宇宙および人類の価値についての超自然的説明はいかなるものも排除する。

 ⑤ 人生の目的は自由主義と自由教育によって、人間の完全な実現となる。

 

 

 

◆補足文

(この人間至上主義宣言の3年後である、1958年にアメリカの共産党が掲げた45の目標というものがあります。後ほど紹介します。)

 

 

 

 伝統的価値観が破壊された後だけに「個性の発展」が強調されている点が効果的だった。人々は自分が何者で、その人生の目的は何なのか、もはや分からなくなっていた。

「個性」学派のために機は熟していたのである。人間至上主義の伝道者達はそうした人々を「既存のものに代わるライフスタイル」、ホモセクシュアリティ、更には共産主義革命のプログラムに誘った。

 

 人間至上主義はまた、国民の生活のあらゆる側面において自由主義官史が介入して圧力をかけるための完璧な理由を提供した。

私達の個々の自由および権利は神から直接与えられたものであり、政府による管理はあり得ても、政府によって授与されたり、剥奪されたりすることはないはずだ。

 

 

 人間至上主義の教義は、人類に関する事象に対する神の役割を否定することで、カバラ思想に基づく国家が、人間の権利の全てを剥奪し、ソビエト式矯正労働収容所あるいは世界強制収容所を準備するための扉を開けた。

 

 

 

 

 

 ⑪ドイツ・イルミナティが創設した

  「スカル・アンド・ボーンズ

 

 

 

 アメリカ合衆国の人間至上主義の代表的機関の中心は、アメリカという共和国家を転覆させようと設立された大金持ち財団という「秘密小集団」の中に存在している。

『世界権力構造の秘密』(邦訳・成甲書房刊)で、私はそうした財団の歴史を精査し、ピーポディ財団(1865年以降、権力をかさに南部諸州に乗り込んだカーペットバガーの主たる勢力)に辿り着いた。

 

 

 ピーポディは、ロンドンのロスチャイルド銀行と密かに繋がりを持つようになったアメリカ人で、自らもピーポディ・アンド・カンパニーという銀行(後にJPモルガン社となった)を設立した人物である。

 カーペットガバー(一設けを企んで北部から南部へ移住した白人。一旗組とも訳されるー訳者註)たるそのピーポディ財団は、1877年まで南部諸州を占拠しつづけた北軍の軍事勢力と密接に連携しつつ、やがて、一般教育委員会となり、更に後にはロックフェラー財団に吸収された。

そのロックフェラー財団について言えば、第二次世界大戦後、少なくとも3名の歴代国務長官、ジョン・フォスター・ダレス、ディーン・ラスクサイラス・ヴァンスがその理事長を、ヘンリー・キッシンジャーがその理事を務めている。

 

 

 人間至上主義に基づく財団は非課税の数千万ドルを使って、アメリカの教育、宗教、政府に入り込み、それらを支配している。こうした財団の人間至上主義者役員はタヴィストック研究所(英国の心理戦局の一部門)の系列機関で徹底的に洗脳され、カナン人による世界支配のプログラムが吹き込まれる。

 

 だからこそ、ディ―ン・ラスクはジョージア州の旧家の出であるにも拘わらず、娘を黒人男性と結婚させるよう、世界秩序の支配者から指令されると勇んで記者会見を開き、嬉々としてそれを告げたのだった。

 

 

 驚くべきことに、アメリカの財団の多くはダニエル・コイト・ギルマンという名のイツのイルミナティの一員によって創設されている。

 

 

 「死の同胞団(ブラザー・オブ・デス)」のファイルの中には、ドイツのイルミナティからギルマンに宛てられた書簡が残されている。

ギルマンはピーポディー財団および別のカーペットガバーの財団で、南北戦争後、南部の政治を支配したスレーター財団の副会長でもあった。その彼がジョン・D・ロックフェラーの「慈善事業団」の理事※※フレデリックT・ゲイに出会い、1898年に自分達のための財団を新たに設立した。

 

 

◆補足文

※※このフレデリックT・ゲイ(1853-1929)、正しくはフレデリック・テイラーゲイツは調べると、あのビル・ゲイツ(正式にはウイリアム・ヘンリー・ビル・ゲイツ3世)の限りなく近い血縁者であるのでは?という話。

 ウイキペディアより、フレデリックT・ゲイツがジョン・D・ロックフェラー、シニアと出会ったのは1889年で、その後ゲイツは主要な慈善事業の顧問以外に、26ブロードウェイのスタンダーオイル本社に新しく設立されたファミリーオフィスで働き、ロックフェラーの多くの企業への一連の投資を監督しました

また、1892年以降、ゲイツはロックフェラーシニアの資金を、主にクーン・ローブ・アンド・カンパニーの投資家、そして程度は少ないがJPモルガンの家によって手配されたシンジケートに振り向けた。と書かれています。

 そして、ここが最も気になる点ですが、1901年にゲイツロックフェラー医学研究所(現在のロックフェラー大学)を設計し、1913年の創設時に評議員になっています。ちなみに、彼の子供ラモント・ゲイツはこの大学で医学兼科学者です。

その後ゲイツは、ロックフェラーのアドバイザーではなくなりましたが、教育分野の主要な財団となった一般教育委員会の会長を務めました。更に興味深いことに、1914年に中国医療委員会(CMB)も設計しています。そして彼は北京協和医学院を引き継ぎ、そこで宣教師を再訓練することを計画し、慈善活動、帝国主義、大企業、宗教、科学の交差点で働いていた中国医療委員会は、彼の最期の主要なプロジェクトだったようです。しかしこれは上手くいかず後に辞任しています。

 

 

 

 それが南部教育委員会と呼ばれるもので、ピーポディ財団とスレーター財団とを合体させたものだった。そして、この財団を「一般教育委員会」と呼ぶよう、ギルマンがロックフェラーに進言するに至って、同財団はいよいよ中心的な存在となった。

(この改称は、その目的が南部の教育支配にとどまらず、合衆国全体のそれにあったことを意味する動きとして注目に値する。)

現在、この委員会はロックフェラー財団の名のもとで活動している。

 

 

 ギルマンは一般教育委員会を設立したばかりでなく、カーネギー協会も設立し、その初代会長におさまり、ラッセル・セイジ財団も設立した。

また、1856年には、アンドリュー・ホワイトおよびティモシー・ドワイトと共にイェール大学にラッセル信託を創設している。

この組織は後、そのシンボルの絵柄(骸骨と大腿骨)から「スカル・アンド・ボーンズ」として知られるようになった。それはまた、合衆国の指導者層の多くを、つまり戦争、平和、革命、経済危機を画策する人物群をそのメンバーに含んでいたところから「死の同胞団」とも呼ばれた。

 

 その顔ぶれはW・アヴェレル・ハリマンと彼の銀行ブラウン・ブラザーズ・ハリマンの多くの関係者プレスコット・ブッシュとその息子ジョージ・ブッシュ元合衆国大統領など)、そしてエネルギッシュな論客ウイリアム・バックリー等々、枚挙にいとまがない。

ドワイトイェール大学学長となり、ホワイトコーネル大学の初代学長となった。また、ギルマンカリフォルニア大学の学長、更にはジョンズ・ホプキンズ大学の学長となった。ちなみに、ジョンズ・ホプキンズ大ではウッドロー・ウイルソンがギルマンの影響を受けている。

 

 ギルマンによって設立されたラッセル・セイジ財団は、何年もの間合衆国における陰の存在として、大きな役割を果たした。設立者の一人で、アヘン貿易による父親の財産を相続したフレデリック・A・デラノは、1914年に連邦準備制度理事会が創設された時のメンバーであり、後には甥にあたるフランクリン・デラノ・ルーズベルトによってリッチモンド連邦準備銀行の総裁に指名された人物である。

 

 ラッセル・セイジ財団のもう一人の理事ピアーズリー・ラムルは、影響力の強い金融市場銀行として知られるニューヨーク連邦準備銀行の総裁となったばかりか、第二次世界大戦時に「非常事態」としてアメリカ国民に源泉課税を課した人物でもある。

 

 

 

 アメリカの生活のあらゆる側面に人間至上主義者財団がどれほど影響を及ぼしているかは、到底ここでは書ききれない。アメリカ国民の一人一人に政府の支配が及ぼされるようになったことの責任はもっぱら人間至上主義者財団にある。

何しろ、より大きな支配と、より高い税金を求める計画がこうした財団によって草案され、その役員によって私達の選んだ人の好い議員に提出されると、ほとんど自動的に、それらは立法化されてしまうからだ。

 

 

 

 1876年、「スカル・アンド・ボーンズ」に関係する現象がイェール大学に現れた。それは、この結社の不可侵の前提への秘密の参入をこれ見よがしに物語っていた。

一方の壁には開いたアーチ、4つの骸骨、そしてその他の道具一式が描かれ、その下にはいかのカードが添えられていた。

 「ジャーマン・チャプターより。

 D50のD・Cギルマン(パトリアーク)の提供による。」

パトリアークとはイルミナティフリーメイソン両方の役員に共通する称号である。

それでも、私が述べたことから「スカル・アンド・ボーンズ」をフリーメイソンの単なる出先機関にすぎないと思うのは間違いだ。

 

 「スカル・アンド・ボーンズ」はイルミナティが世界権力を行使する時に利用する

高位階の一つではあるが、フリーメイソンのどのグループとも直接的な繋がりを持っていない。

 

 

フリーメイソンと共産主義 4

 ⑧神秘学派の祖ピタゴラスから連綿と続く系譜

    陰で世界を支配するメイソンの原理はプラトンから

 

 

 

 人間至上主義の長い歴史を検証し、更には古代世界から現代に至るまでの発露を追求すると、どの時代にも共通して見られることがあるのに気づく。

第一は言うまでもなく、悪魔崇拝の儀式に重きを置くバールとアシュトレトのカナン人の世界。第二は、世間から大きく抵抗されたためか、「知的」外観という保護衣をまとったこと、即ちバール神がフォースタス博士(伝統的錬金術師)となったことだ。

哲学めいた話を徐々に前面に打ち出すことで、血しぶきを上げるカナン人の祭壇を靄の中に隠したのである。

 

 

 こうした「人間至上主義学派」の開祖がピタゴラス(紀元前582-507)で、ピタゴラス学派はクロトナを拠点に「神秘学派」として役割を果たした。

 

つまり、その哲学の「神秘学的」側面は、慎重に選ばれた「参入者」の集団に対してだけ説かれたということだ。また、ピタゴラス方程式は2言論の第一原則、即ち、限りあるもの(有限の源)と限りないもの(無限の源)に基盤を置いていた。

事実上、これは最古の弁証法学派であり、その教えはヘーゲルや、有名なその門下生カール・マルクスの19世紀の活動において頂点に達した。

 

 

 ピタゴラスの一派は更に、何世紀かの後、『ゾハール書』の中に表れる教え、つまりカバラ思想を大々的に扱っていた。

その一つが数霊術で、彼は宇宙を数学的等式として凝縮し、それを支配する秘術めいた公式を算出、発見しようと試みた。また、この一派は四列数を取り上げ、1から教えて4つの数字を足すことで得られる10を聖なる数とした。クロトナのピタゴラス一派は今日、私達の時代に興味深い関連を残している。

1930年代、神智学協会のアメリ支部が置かれた場所がカリフォルニア州クロトナだった。この町の名がピタゴラス学派の町にちなんで付けられたものかどうかは今もって不明だが。

 

 

 ピタゴラスの定理、あるいは数字についての形而上学は※プラトンに大きく影響を与えた。

 

 私達はプラトンを哲学者として認識しているが、成人してからの彼はかなりの政治力を行使し続け、ペルシャ帝国の拡大に反対する地中海派の政治的集団の指導者と目されていた。彼はまた、地中海地方における政治支配権をギリシャに取り戻すために、エリート層の育成に主導的役割を果たした。

ピタゴラスの影響から、今日のフリーメイソンのそれにも似たプログラム、即ち背後で影響力を行使しつつ、隠された計画に従事する秘密のエリート集団を組織し、その計画原理は彼等だけにしか知らせないといったプログラムを作り上げたのだった。

 

 

 

◆補足文

プラトンは同じ時代に生きたピタゴラスと実際に交流し、仲の良い友人関係を築きあげました。ピタゴラス悪魔崇拝者であり、彼はピタゴラス教団の教祖でもありました。オルぺウス教、古代ギリシャ世界における密儀(秘密の儀礼)を旨とする魂と肉体の2元論、輪廻転生を教える宗教の流れを汲んでいるとも言われていますが、彼は元々ゾロアスター教を学んでいます。ピタゴラスの定理を発見した時には、教団の成果として、100頭の雄牛を神に生贄に捧げて祝ったとされています。その上、この教団のシンボルマーク(紋章)は、10を完全な数と捉え、10の点を三角形の形に配置したテトラクテュスとなっています。三角形と云えばピラミッド…まんま、悪魔教ですから。)

 

 

 プラトンは、ギリシャの連合勢力の指導者として、シラクサの支配者ディオニュシオスを支持した。ディオニュシオスプラトンにとって、後の哲人王の手本となった。一方、ディオニュシオスの義弟ディオンは哲学学園の設立資金『アカデメイアの森』として歴史に知られることになる一連の建物の為の資金をプラトンに提供した。

アテネ郊外に建設されたその建物の一つで、プラトンは国家を、将来の「人間至上主義者」がその社会全体を支配する為の手引きとして著し、デルフィに対する神聖戦争(この戦いでアポロン神殿がそこに蓄えられた莫大な金もろとも占領された)にあってはディオニュシオス2世に進言した。また晩年には、師ソクラテスを偲んで対話術篇『ティオマイオス』を著した。

 

 

 プラトンピタゴラスも、神秘思想に好まれる魂の転生を信じていたプラトンが人間至上主義の発展に寄与した重要人物の一人であり続けているのは、ピタゴラスの後を受けて、人間至上主義をバールという邪心崇拝に基づく教義から立派な「哲学の一派」に、ほとんど一人で変容させたからである

変容させたとはいえ、それが自らを特別に「選ばれた者」、知らない者に対して「知っている者(グノースティック)」と見なす秘密のエリート層によって、人類に仕掛けられた奴隷化を目指す教義であることに変わりはなかった。

 

 

 人間至上主義は社会の世俗側面にいよいよ深く関わりながら、その基本的な考えに忠実であり続けた。その基本的教えとは、汎神論、自然崇拝、グノーシス主義(紛れもなくその拠り所となっているサタン主義の化身ともいうべきもの)、更には神秘主義といった主たる「秘教」カルトの教義を混ぜ合わせて成立したものである。

 

 このような教義の脅威ゆえ、キリストは有名な警告を発した。

「偽預言者を警戒しなさい。彼等は羊の皮を身にまとってあなた方の所に来るが、その内側は貪欲な狼である。あなた方は、その実で彼等を見分ける。茨から葡萄が、あざみからイチジクが採れるだろうか。」<マタイによる福音書7:15~16>

 

 

 人間至上主義は羊の皮をまとった狼なのである。

人類への思いやり、ホームレスや貧しい人々への関心を宣伝しながら登場するが、キリストの言葉にあるように、その実で見分ける必要がある。彼等が何をしようとしているかを尋ねるのではなく、彼等が何をしているかを見出すのである。

そうすれば、茨から葡萄を、あざみからイチジクを採ろうとすることもないはずだ。

 

 

 神秘主義思想はヘルメス・トリスメギストス、つまりエジプトの知恵、学問の神トトに与えられたギリシャ語名に由来する。

この名の本来の意味は「3倍武装する」であり、他より多くの情報を持つ者はより大きな保護を受け取ることを意味している。フランセス・イェーッは、その著書『ジョルダーノ・ブルーノと神秘主義の伝統』に以下のように記している。

「宇宙の生気についての理論は魔術の基礎であり、錬金術は優秀さにおいて神秘主義と同等である。錬金術師の聖典とも言うべき、有名なエメラルド・タブレットはヘルメスによって刻まれたものとされている。」

 

 それ故、キリスト教指導者による撲滅努力にも拘わらず、中世にあっては様々な形の迷信、黒魔術が流布した錬金術師は卑金属を金に変えようと躍起になり、ヨーロッパ中で神秘主義という新たな弁証法、つまりカバラ思想が大きな力を持つようになった。カバラとはずばり、伝統を意味する。それは『ゾハール書』として明確な形をとったが、同書は紀元1280年、ユダヤ神秘主義モーセス・ベン・シュムトーブ・デ・レオンによって、基本法に関する註解書「ミドラシュ」として記された。

 

 伝説によれば、神がモーセに掟を与えた時、その掟の秘密の意味に関する第二の啓示も同時に与えたとされている。この秘密の意味は、何世紀もの間、書き記してはならないとされてきたから、参入者の選ばれた一団に口伝するという形で残されていた。

「秘密の意味」は「秘教」カルトの基本である。神智学も秘密の意味に基づいていて、その教義はカバラ思想から直接採用されている。

とはいえ、アメリカのカルトに関して最も広く読まれている研究書『カルトの王国』ウォルター・マーティン著の神智学の章にもカバラ思想のことは一切言及されていない。

 

 

 

 

 ⑨メディチ家の支援によって燗熟した新プラトン哲学

 

 

 『ゾハール書』は、10のセフィロト(神性からの流出)と神の名を構成する22文字のヘブライ語アルファベットを基盤とする神智学的体系として記されている。

1492年、ユダヤ人がスペイン期から追放されたことで、カバラ思想の導師がヨーロッパ中に散り、その教義がルネサンス期の主流哲学、新プラトン学派を生み出した。

その新プラトン主義が更に、その他の哲学の発展の源となって、宗教改革啓蒙主義運動、革命の時代を直接導き出した。

 

 

 『ゾハール書』は、この世の悪魔は、人間と魔性なる者との間の性的交わりに由来し、よく知られているリリスのような悪魔もそのようにして誕生したとするタルムードの伝説を力説している。それ故、悪魔儀式では常に性行為が重要視される。

★新プラトン学派の徒が大きな非難を浴びたのは、その師と弟子が同性愛行為を行うことを広く知られたためだった。プラトンも当然可愛い幼い弟子と同性愛の関係をもっていました。この時代は珍しいことではなかったようです。)

 

 

 新プラトン主義は神秘主義の著作をカバラ思想を背景にまとめられたグノーシス主義と結び付け、内なる光明(ドイツのイルミナティの発展を生じさせる直接の誘因となった教え)、忘我の状態及び秘教思想と合理主義思想の関連を強調した。

神秘的体験による「自我の解放」は信奉者を惹きつけて離さず、この鉄飽く体系はほどなくルネサンスをヨーロッパにおける主流文化勢力にした。

 

 

 新プラトン主義はピコ・デラ・ミランドラの学説の中で結実した。それによれば、魂は天界内に明確な親和力を持ち、その実体は火の天空の上部に存在する4元素から成る同心球層一帯に記されると唱えられた。

プラトンの場合のように、この一派の思想も支配層を引きつける力をもっていたらしく、実際それはやがて利用された。

ルネサンス期に最高権力を有した銀行家であり、イタリアの「黒い貴族」ゲルフの長コジモ・デ・メディチは15世紀、フィレンツェにアカデミア・プラトニカを設立するための資金を提供した。こうした経済的、政治的支援を得た新プラトン主義は急速に認知され、1486年には、ピコ・デ・ミランドラが新たな思想に関する900の論文(うち72の論文が概念的には紛れもなくカバラ思想だった)をアカデミア・プラトニカに提出した。

 

 

……人間が中心に置かれる宇宙を強調することで、彼はまた、実存主義という20世紀の哲学を予感させたともされる。

また、ヨハン・ロイヒリンはクリスチャン・カバラ」、つまりカバラ思想のキリスト教的解釈を発展させたことで有名となったが、アカデミア・プラト二カにおいてデラ・ミランドラの後継者となり、新プラトン主義の教義を広めた代表的人物でもある。